188 決断
「運が良かった、本当にそう思うわ。」
翌日の朝、皇宮パルネイの客間にてラスティーヌは優雅に紅茶を楽しんでいた。
その様子はどこか安堵しているようにも見える。
「君がそう決めたのなら僕は反対しないが……、いいのかい?」
その声は、ラスティーヌの対面に座していたアヴィリウスからのものだ。
「勿論よ。これは十分に悩んだ末の選択なの。最後にすべてを手に入れる皇族はリン殿下だと思うわ。」
ラスティーヌはこれまで味方していたデボラではなく、リンにつくことを決めたようだ。
再度紅茶を口に含んだラスティーヌは昨夜の出来事を思い返す。
アヴィリウスと別れ、一人になったラスティーヌは自分の屋敷には戻らず、皇宮内の客間の一つで思考を巡らせていた。
「デボラ殿下は何らかの必勝の手段を持ち合わせているご様子だけど……。」
これまでのデボラを見て、ラスティーヌはそのことに半ば確信を抱いていた。
ただし、その詳細についてはまったくわからないままだ。
「本当に用心深いお方だこと。でもそれって、私達を信用していない、という事でもあるのよね……。」
ラスティーヌは、デボラが隠し持つその手段でリンを凌駕する事ができるのかを考える。
「以前の皇位継承権を巡っての暗闘はリン殿下が勝利し皇太女となった……。」
そして敗北したデボラは監獄に落とされ囚人となったがそれを覆す何らかの秘策を手に入れた。
「私はどちらにつくべきか……。」
思案すれど答えは出ない。
情報の不足により決め手に欠けるのだ。
行き詰まり、爪を噛むラスティーヌ。
皇宮の大広間でロッテに提案された王国への亡命が今一度脳裏によぎる。
(負けは許されない。ならばいっそ……。)
その時、コンコンと控えめなノックの音がした。
「どなたかいらっしゃいますか?」
「ああ、ごめんなさい。ちょっと考え事がしたくて客間を使わせてもらっているわ。」
静かに扉が開き、現れたのは第二皇妃ダリアの専属使用人となっているレヴィアだった。
「あら、レヴィアじゃない。どうしたの?」
「いえ、通りすがっただけだったのですが、誰もいない筈の客間から人の気配を感じましたのでお声を掛けさせていただきました。」
「お仕事を増やしちゃって悪いわね。」
「それは構わないのですが、もう遅い時間ですし、皇宮でお休みされてはいかがですか?よければお部屋を用意いたしますが……。」
ラスティーヌはレヴィアをじっと見つめる。
ダリアの専属使用人であり、デボラとの連絡役。
レヴィアは使用人でありながらも、デボラ一派の中核に存在する一人だ。
「ねえ、レヴィア。私、貴女と少しお話しがしたいわ。」
ラスティーヌは自身の迷いに決着をつける為、思い切ってレヴィアを揺さぶってみる事にした。
「結局、デボラ殿下はどうやって皇位を得るおつもりなのかしら?今の現状はデボラ殿下にはとても不利だと思うのよ。」
「そうですね。一使用人でしかない私でもそこには同意いたします。ですが具体的な手段については私は知らされておりません。ただ、導きがあった、としか……。」
導き、という言葉にラスティーヌはどこかひっかかるものを感じた。
「聖女と探究者の話?あれは大昔の話よ?まさか今の世に探究者の後継が生きているとでも?」
(少なくとも聖女の方は、私の知る物語の中では子をなさずに死亡したはず……。)
「導きと言われれば帝国臣民の誰もがそう思い浮かべると思います。ですが私には詳細はわかりません。」
ラスティーヌは数少ないヒントを懸命につなぎ合わせる。
「デボラ殿下は……、探究者を思わせる、もしくはそう名乗る何者かと協力関係にある?」
(そしてその力は、殿下に皇位簒奪を決意させる程のもの、ということ……。)
その言葉に、レヴィアの瞳に微かな歓喜の色が浮かんだ。
「ラスティーヌ様はデボラ殿下の必勝の策に懸念をお持ちなのですか?」
「いいえ、そうではないわ。ただちょっと不安になっただけなのよ。簒奪の手段のほんの一部でも把握できれば何か私がお役に立てる事もあるかもしれないでしょう?」
(ちょっと過ぎた問いかけだったかしら……。レヴィアが私に疑念を抱いたかも……。)
ラスティーヌはレヴィアを見るが、その表情に変化はない。
そのことがラスティーヌをさらに困惑させた。
「ラスティーヌ様、やはり今夜は皇宮でお休み下さいませ。こんな時間にレディーが一人帝都を歩くのはよろしくありません。」
レヴィアはラスティーヌを寝所の用意が整っている客間へと案内した。
そして客間の前に到着し、一言だけをラスティーヌに伝えた。
「ラスティーヌ様、私が出来るのはここまでです。」
それ以上は何も言わずに扉を開き、レヴィアは無言のままラスティーヌに入室を促す。
「……。」
ラスティーヌもレヴィアの態度に腑に落ちない気分になりながらも客間に足を踏み入れた。
音もなく扉が閉まり、客間が暗闇に閉ざされた。
「えっ?」
ラスティーヌは思わず振り返るが当然そこにレヴィアの姿はなく、扉は押しても引いてもびくともしない。
「まさか……。」
最悪の想像が頭をよぎったラスティーヌはその場にへたり込んだ。
自身が処分の対象になったのだと思い恐怖に震えるラスティーヌ。
しかし客間はしんと静まり返ったまま。
「何なの……?」
ラスティーヌが思いを口にした瞬間、変化が起こった。
キラキラとした粒子状の光が周囲を舞い、客間を照らす。
「部屋が暖かくなってきたような……?」
暗闇であったことからも、この客間の暖炉に火が点けられていなかったことは疑いようがない。
なのに暖かい。
それだけでラスティーヌは未知の何かに遭遇したような不安にかられる。
ポン、ポンポン。
まずは天井の照明の魔道具に光。
続けて、暖炉や壁際のランプに火。
そして何もないテーブルに水差しとグラス。
誰もいない、なのに不思議な効果音とともに客間の準備が整えられていく。
「これは一体何……?」
ラスティーヌは辺りを見渡してぽつりと呟いた。
するとその呟きに対して即座に返答の声があった。
「演出、かなっ!」
その声にラスティーヌは弾かれたように反応する。
直前まで、誰も座っていなかった筈の椅子に、ごく短時間目を離していた間に誰かが座っていた。
「貴女はリン殿下の……。」
幼い容姿、派手な服装。
リン皇太女の専属道化師、ワンダー・リンリンの姿がそこにあった。
「道化殿……。レヴィアに案内された先に貴女がいらっしゃるということは……。」
ラスティーヌはデボラ一派の連絡役であったレヴィアがその実、皇太女リンの手の者であると即座に判断する。
この時点でラスティーヌはデボラを裏切り、リンの側に走ることをほぼ決めてしまっていた。
しかしその決断を現実のものとするにはいくつかの問題があった。
そもそも、普段人前に出てこないリンとは接点すらなく、その意思を伝える手段がない。
なおかつ、ラスティーヌとアヴィリウスの父親はシャーベル元外務卿とフォルドー元軍務卿。
この二人は、かつての皇族達の継承権争いにてリンと敵対する勢力だった。
ラスティーヌとアヴィリウスがリンからの信頼を得る事は容易ではないと予想される。
事実二人は、父親の犯した大罪によって無名貴族に落とされているのだから。
「今この場に道化殿が来られたのは、そういうことであると理解してもよろしいのでしょうか?」
「そうなるかなっ!君に最後の機会をあげようと思ってねっ!」
「機会、ですか。それは大変ありがたい事なのですが、私達の父親が殿下に対して行った許されざる大罪については……。」
「君が殿下の暗殺未遂に関わっていないことは承知しているよっ!帝国では罪の連座は当然の事ではあるけれど、リン殿下はそれを望んでいる訳じゃないからっ!」
ワンダー・リンリンにより与えられた最後の機会。
それがリンの元に下る最後の機会であることは明らかだった。
ここにきてラスティーヌは一瞬も迷うことなく返答する。
「是非とも、私の忠誠をリン殿下に捧げたく思います。」