184 連拳
白銀プリンの美しさに感嘆し、それをそのまま食そうとしていたアイギアスの顔面にめり込んだナナの足が爆発した。
「ぶほっ!!」
吹っ飛んだアイギアスは広間の壁に激突しそのまま床に転がり、一瞬の出来事に広間は静まり返っていた。
追撃の手を緩めないナナは吹っ飛んだアイギアスを追いかけ、馬乗りになる。
「オラオラオラオラ!!」
ぽこぽこぽこぽこ。
仰向けになって失神しているアイギアスのマウントをとったナナは顔面パンチを連発し、意識のないアイギアスの顔が左右に弾ける。
「あたしのプリンに手を出すとは何て奴だ!!パンチに値するぞ!!」
このパンチには爆裂は付与されていないので、ナナの腕力では大したダメージにはなっていないが、はたから見るその絵面は非常にまずいものだった。
「アイギアス殿下!!?」
その様子を目撃した貴族の一人は悲鳴をあげた。
「親分!!!!何をやってるんですか!!!?」
ロッテもまた声を上げ、血相を変えてナナに駆け寄る。
突然のナナの爆裂ジャンプに虚を突かれた仲間達もロッテに続く。
「貴様ぁっ!!」
アイギアスの護衛もかねて帯剣していたジノは剣を抜いてアイギアスを殴りつけるナナに迫る。
「!」
ジノの怒声に振り向いたロッテはジノの気合いにあてられ、驚いて硬直する。
セロはナナとロッテの前に素早く移動しジノを止めるべく白雷の柄に手をかけた。
アランはその場を動かずにジルとエトワールを背に庇い、ジノを注視している。
ジノは帝国では指折りの強者として数えられてはいるが、その強さはセロと張り合える程のものではない。
もしも斬りかかって来るようなら遠慮なく両断してしまおうとセロは考えていた。
皇族を手にかけることになるが、セロにとってはナナとロッテの安全の方が優先されるのは当然の事だ。
そんなセロとジノの間に、小さな人影が割って入った。
どこからともなく現れ、対峙する二人の中間地点に静かに着地したその人影は、しばらく姿を消していたワンダー・リンリンだった。
「ストップだよっ!ジノ殿下っ!」
「道化風情が!!どけっ!!」
激昂するジノは振り上げた鋼鉄の剣を容赦なくワンダー・リンリンの頭上に振り下ろした。
不機嫌そうに一瞬だけ目を細めるワンダー・リンリン。
「……。」
ワンダー・リンリンはジノの剣に向けて無造作に左手を払う動作。
ジノの鋼鉄の剣は瞬時に粉末となって周囲に飛散する。
鉄粉は勢いよく飛び散って、ワンダー・リンリンの身体には鉄粉の一粒たりとも触れてはいない。
「何だと!?」
ジノは消失した剣を確かに握っていた右手に視線を落とし、ただ驚愕する。
次の瞬間、ジノの顔に向けられたワンダー・リンリンの右手がパチンと指を鳴らす。
ジノの頭部は突然発生した白い煙に包まれた。
「!?」
その煙の規模は小さく、不可思議な動きでジノの顔面に纏わりついている。
「がぁっ!!」
眼球、耳、鼻、そして口から激しい痛みを感じたジノは原因と思われる煙を振り払おうと暴れる。
しかし煙は操られているかのようにジノの顔から離れない。
「ジノ殿下はお呼びじゃないからっ!ちょっと大人しくしててねっ!」
ワンダー・リンリンがステッキを取り出し、ジノに向けて振り払うように動かすとジノの身体はふわりと浮き上がる。
「ほいっ!」
続けてステッキを付き出したワンダー・リンリンの掛け声を合図に、ジノはそのまま逆側の壁際まで飛ばされ、床に転がされた。
「ぐっ……、貴様……、道化の分際で……。」
ジノの頭部を包んでいた白い煙は飛ばされた拍子にいつの間にか消えていた。
しかしジノを襲う激しい痛みは今も続いているらしく、ジノは目を開けることもできないまま、片手で顔面を押さえ痛みに耐えているようだ。
帝国でも指折りの強者であるジノが無力化された事で、誰もが迂闊に動けずに押し黙ったまま様子を窺っている。
もう一人の強者であるバリントスはダリアの傍から動く気配はない。
ワンダー・リンリンは皇太女リンの専属道化師だ。
それにより、ダリアとバリントスはリンと敵対する事を何より恐れ手が出せないでいるのだ。
「オラオラオラオラ!!」
ぽこぽこぽこぽこ。
アイギアスに馬乗りになっているナナはいまだに連続パンチを継続中だ。
「あっ!いけない!」
ワンダー・リンリンとジノの一瞬の戦闘に気を取られていたロッテは慌ててナナの方に向き直る。
「親分!!いつまで皇子殿下を殴ってるんですか!!」
ナナの暴行を止めるべく、近付いたロッテは後ろから抱き上げる。
「こいつは親分のプリンを食べようとした大悪党なんだぞ!当然、死あるもみだ!!」
抱き上げられたナナは手足をぶんぶんと振り回して暴れている。
「ナナちゃん、めっ!」
「ナナさんはどうしてこうなんですの!?」
ジルはナナのほっぺたを引っ張り、エトワールはただ呆れていた。
「さて、君達もこんなところで遊んでる暇があるのかな?」
ワンダー・リンリンは広間に集った貴族達に向けて冷たく言い放つ。
「そ、そうであった。急ぎ準備をせねば……。」
一人の貴族がそう言ってそそくさと逃げるように退室すると、他の貴族も次々とそれに続いた。
貴族達が慌ただしく出ていく中、ワンダー・リンリンはダリアとバリントスに目を向ける。
「悪いけど、動けなくなってる両殿下をお願いねっ!」
皇族に手を上げておきながら、ワンダー・リンリンには悪びれた様子もまったくない。
ダリアはバリントスに小さく頷く。
「……。」
バリントスはアイギアスを抱え、まだふらついているジノに肩を貸す。
ダリアも席を立ち、バリントスと共にそのまま広間から退室していった。
こうして広間にはナナ達一行とワンダー・リンリン、そして驚きに硬直している使用人だけが残された。
「親分まだ殴り足りないぞ!もっとボコボコにしてやるんだ!」
ナナは変わらずロッテの腕の中で暴れている。
「親分!大人しくして下さい!」
ロッテはヒートアップしたナナを宥めるのに必死だ。
「はぁ……。」
溜息をつきながらナナに近付いてくるワンダー・リンリン。
アイギアスが座っていた椅子に向けて目配せをすると、それに気付いたロッテは抱き上げたままの暴れるナナをアイギアスの椅子に座らせた。
「むっ!?」
ナナの前には手を付けられそうになってはいたがとりあえず無事だった白銀プリンがある。
途端に大人しくなったナナは瞳を黄色に輝かせ、スプーンを握った。
「親分のだぞ?わかっているな?」
ナナはもう一度念押しした。
「誰も親分のプリンをとったりしません……。」
ロッテはナナの隣に座り、ドレスを汚さないように用意していた前掛けを装着させた。
続けて、ワンダー・リンリンが驚き狼狽えているメイドに声をかける。
「プリンの配膳と、足りない椅子の追加をお願いねっ!」
しばらくして、全員分のプリンと椅子が用意され、皆が席に着いた。
すでにナナは皆を待たずにプリンに夢中になっていてすっかり機嫌を直している。
「さて、丁度いいから今後の話をしておこうか。」
セロは皆と、そしてワンダー・リンリンを見ながら話し始めた。
ワンダー・リンリンがこの場にいることで、依頼者側からの意見も聞けると考えての事だ。
「今日はもう遅いから、明日以降の行動目標についてなんだけど……。」
当初設定されていた貧民達の救助については依頼者側の協力もあってほぼ完遂している。
ただ、リンがこの広間にて皇族達と会話している間に情報を、という話については何も進展していない。
「……ちょっとは冒険してみてもよかったのかなぁ……。」
セロはつい先ほど、壁上通路で出会った赤い道化ルージュを思い出し、小さく呟いた。
リンからの伝言の内容を考えると、無理をせずに引き返すという判断はベストではなかったかもしれないと思い始めていた。
「では明日以降は皇族関連の情報収集を継続ですか?」
「いや、それについてはもういいんじゃないかな?必要な情報が得られたのかはわからないけど、ある程度の話も聞けたし。」
「い、いいんでしょうか……?」
ロッテは不安そうにワンダー・リンリンに目線を送った。
もぐもぐ。
「いいか、ロッテ。」
もぐもぐ。
「お話を聞くとか。」
もぐもぐ。
「兄ちゃんは面倒くさいんだ。親分も面倒くさいぞ。」
食べかすを飛ばしながらナナが会話に割り込んでくる。
「えっと……、別に面倒って訳でもないんだけど……。」
「面倒くさがってるのは親分だけですっ!そもそも親分はちゃんとお話を聞いていませんから!!」
ナナに向き直ったロッテはナプキンを手に取ってナナのお口の周りの食べかすをぐりぐりと拭き取った。
割り込んできたナナが黙ったところで、ワンダー・リンリンがロッテの疑問の視線に応じる。
「情報収集ねっ!収集する情報の内容を具体的に指定してなかったから、うすうす気付いてはいるんだろうけどっ!」
帝都の現状や帝国を支配する皇族について等、知る事が王国勢の帝都での行動の助けとなる。
「知らないよりも知ってた方がいろんな選択ができるだろうからねっ!」
「ご依頼の救助対象は皇帝陛下とリン殿下を除けばほぼ脱出が完了していますけど……。依頼の他にも何か私達に求めるものがあるのでしょうか?」
「うんっ、そうだねっ。じゃあ依頼について少し詳しく話をしようかっ!」
そう言ったワンダー・リンリンに皆の注目が集まる。
そんな中、プリンを平らげたナナは椅子を下りて近くに控えていた使用人の服を引っ張る。
「あたし、プリンおかわり。」
ナナは白銀プリンのおかわりを要求した。