174 推測
ほんの少し前、通路の途中から広間までの僅かな時間の邂逅。
にもかかわらずセロはポワレという女性に得体の知れない不安を感じていた。
ポワレに関するいくつかの出来事はセロの心にしこりのようなものを作ってはいたが、それぞれは捉え方によっては取るに足らない出来事となる。
しかしポワレの何かがセロに警鐘を鳴らすのだ。
(言ってみればただの勘。何もなければそれでいい。)
決定的な確信のないセロは、状況の進展というよりもむしろ自身の心のしこりを解消させることを目的としてアランを送り出したのかもしれない。
「セロ、こいつは怪しいぜ。俺の拳が反応しやがるんだ。」
「拳、拳ってアランはそればっかりだね。見失わないでくれよ?」
「フ、心配するな。俺の拳が悪を見失うなんてことはねえ。」
「いや、まだ悪かどうかはわかんないから。」
セロは一人になったロッテの近くに位置取りながら、通信具を用いて小声でアランと会話していた。
「いいかい?アラン。広間を後にしたポワレがそのまま皇宮を出ていくようであれば尾行はそこまで。そうでなければ状況を逐一報告すること。」
「ああ。分かってるさ。セロもちっとは俺の拳を信用してくれよ。」
「いや、アラン。残念だけど尾行するだけなんだから拳は使わないんだ。」
「ん?何を言ってるんだ?拳を使わないで尾行してどうするんだ?」
セロにはアランの例えがまったく理解できない。
そもそも拳を使って何をするんだと問いかけたい。
(人選を誤ったかな……。)
セロは不安な気持ちでいっぱいになっていた。
上機嫌に通路を歩くポワレ。
その背後の物陰では鼻息を荒くしたアランが顔を覗かせている。
何かの拍子にポワレが振り向いてしまえばあっさりとその追跡が露見する、実に稚拙な尾行だった。
「俺の拳は悪の気配を感じ取る。もう逃げられねえぞ。」
そんなことを呟きながらアランはポワレの背中を睨む。
ポワレの向かっている方向は確実に入口とは逆方向。
アランはすでに皇宮の入口がどっちの方角なのかもわかっていないが、尾行を続けて入口に出ればそこで見逃してやればいいと簡単に考えていた。
「……。」
ポワレは無言のまま、とある扉の前で足を止めた。
扉の周囲には誰もいない。
「フフ……。」
思わずポワレはほくそ笑んだ。
この扉は、広間に姿を見せたアイギアス達が出て来た大扉の奥、皇族の居住区画へと通じる別の入口だ。
皇族等の身分の高い者は広間の大扉を使用し、使用人等はこちらの入口から居住区画へと行き来する。
当然、皇宮の中で最も重要な区画へと通じる扉だ。
いつもならこの扉の前には複数の近衛騎士が警備しているはずなのだ。
「お母様達はしっかりと仕事をしてくれているみたいね。」
第二皇妃ダリア、近衛騎士団長バリントスであれば、警備の一部に穴を開けることも容易い。
ポワレはいるはずの近衛騎士が不在になっていることにほくそ笑んだのだ。
迷うことなく扉を開け、その奥へと消えていくポワレを見たアランは少し遅れて扉の前にやってきた。
「セロ、なんかあの姉ちゃん、部屋に入って行ったんだがどうする?俺も突入するか?」
実際には部屋ではなくさらに奥へと通じる通路への扉なのだが中の様子などわからないアランはそう言った。
「いやいや、部屋に突入しちゃったらばれちゃうから。その扉の奥は後で調査しよう。広間でやる事が済んだら合流するから案内して。」
セロは駄目な子をこれ以上単独行動させることに懸念を抱いたようだ。
「ん?俺は拳が感じるままに追いかけただけだからな。ここが何処だかさっぱりだ。案内とか無理じゃねえかな?あとそっちに戻る道もわかんねえ。」
「……。」
セロはアランの返答に頭を抱えたくなった。
結局迷子になっただけのアランに、お前は何をしに行ったんだと言いたいのをぐっとこらえる。
「アラン、その扉の位置がわからなくなっちゃうといけないから、後でナナと一緒にそっちに行くよ。それまでそこで待機お願い。」
仲間達は皆、道標が付与された魔道具を所持している。
つまりナナはその座標を知覚できるのだ。
ナナにアランの方向を示させ、扉に到達すること。
それがセロに思い付いたアランの失敗をフォローする方策だった。
セロは一旦会話を打ち切り、近くにいるロッテの方を注視する。
「お二人はここに集った多くの貴族達とはどこか違う。そのようにお見受けしましたが……。」
ロッテはラスティーヌとアヴィリウスに向けて言葉で切り込んでいく。
それはワンダー・リンリンの対応を見て、確信を持っての事だ。
「ラスティーヌ様とアヴィリウス様は今後どうされるおつもりですか?」
現在の大広間に集った貴族達の大多数、というよりほぼ全てがアイギアスの提唱する王国侵攻が成功を収めることを信じて疑っていない。
さらに言えば、それに便乗して王国の富を貪ることしか考えていない者達だ。
しかしロッテはその侵略が絶対に成功しない事を知っている。
実際に帝都の兵力が南進するとした場合。
ラムドウルに駐留するバルディア率いる帝国軍は本国からの追加派兵に対し抗戦することが予想される。
これについてはバルディア本人の言動からも間違いないとロッテは予測している。
さらにそこには王国や連邦からの援軍の要請も可能だ。
通商協定に含まれた安全保障はすでに有効となっているのだ。
「今後、ですか。少なくとも私達がここにいる愚者達と志を同じくすることはない、ということだけは断言できますわ。」
ラスティーヌの言葉からは、まるで彼らと一緒にしないで欲しいとでも言いたげな様子が伝わってくるようだ。
「こちらの集まりは、アイギアス殿下の思惑に賛同されている方々ばかりみたいですが、お二人はこの場にいてなおそうでないと言われています。」
同志ではないとする二人がこの場にいる理由。
ロッテは二人について知る為に、まずはそこから手を付けた。
「どうしてお二人はここへ?」
(ワンダー・リンリンさんが私達をこのお二人の元へそれとなく誘導したのだとしたら……。私達が彼等から得られる何かがあるのかもしれません。)
以前にロッテがワンダー・リンリンと初めて出会ったロマリアでの出来事を思い出す。
そこではナナへの伝言という形でそれとなく情報を得られるよう誘導されていた。
「どうやらシャルロッテ様には誤魔化しは通用しないみたいですわね。」
それはラスティーヌの正直な気持ちだった。
ラスティーヌの推測では、ロッテはラスティーヌの想像以上に帝国の情報を得ている。
そして専属道化師のリンリンと一緒だったことからも皇太女リンとの関りも明らかだ。
「王国人である私達も当然、アイギアス殿下のお考えには否定的な立場です。正直なところをお話ししていただければ、何かお力になれるやもしれません。」
「それでは遠慮なく相談に乗っていただこうかしら?」
「ラスティーヌ嬢?」
にっこりと笑ってそう答えたラスティーヌに、その背後にいたアヴィリウスは不安そうに呼びかける。
いいのか?とでも言いたそうな顔だ。
「アヴィリウス様、まずはシャルロッテ様のご提案を聞いてみない事には判断もつきませんわ。」
「それもそうだね。その内容を十分に吟味してからでも遅くはないか。」
ロッテは二人の反応を見て、素早くその思考を回転させた。
(ここはお二人の興味を引くような提案が必要です。お二人に何があるのかは今はまだわかりませんが……。)
バルディアによれば、第一皇子アイギアスの派閥に属していない者で、利に聡く、目端の利いた者はすでに帝都を脱出していると言う。
(こちらのお二人はアイギアス殿下の派閥ではない……。そして逃げ遅れるような愚鈍な方であるとも思えない……。)
ラスティーヌとアヴィリウスには帝国の状況を鑑みてなお、現状を打破できるという高い目算が働いているように思えた。
(さらにお二人はリン殿下の派閥に属している、という訳でもない。バルディアさんの依頼では彼女達は救助対象とされていません。)
最大勢力である第一皇子側でもなく、皇帝という最高権力者の後ろ盾を擁する皇太女側でもない。
(とすればお二人の余裕の源泉となっているのは……。)
ロッテは二つの勢力のどちらでもない、第三の勢力を想像した。
そしてその概要を推察するべく頭を働かせる。
「お二人により良い提案をさせていただく為の確認なのですが……。第一皇女デボラ殿下はお元気ですか?」
それはロッテの脳内で行われた、現在の帝都で強い影響力を持った人物を消去法にかけた結果による質問だ。
皇太女リンには現皇帝ガルシア。
そして第一皇子アイギアスには第二皇子ジノ、第二皇妃ダリアといった面々が一緒にいた。
単純に、その立場が明確になっていない皇族は地下監獄に幽閉されている第一皇女デボラだけだった、というだけの選択だ。
「さぁ…、デボラ殿下は終身刑となっていますから。ご存命でいらっしゃることくらいしか……。」
「……。」
ラスティーヌは平静そのもの。
しかしアヴィリウスはほんの一瞬ではあるが、その表情に動揺を見せた。
(これはもしかして……。)
ロッテはアヴィリウスの一瞬の反応を見逃さなかった。
「お二人も予想されておいでだとは思いますが……、アイギアス殿下の王国侵攻はまず間違いなく失敗します。」
帝都の戦力は総力戦に出たところでラムドウルに駐留する帝国三軍と同程度。
通商協定に含まれる安全保障が適用され、援軍が追加された時点で敗色は濃厚となる。
「そうでしょうね。ラムドウルを占拠しているバルディアの戦力はまったく消耗していないと聞いていますわ。せいぜい互角に持ち込めれば、というところかしら?」
ラスティーヌには通商協定に関する情報は届いていないようだ。
「しかしそれでは勝てない。相手はあのバルディア殿だ。バリントス将軍やジノ殿下の武勇があっても上に立つ者があれではね。」
アヴィリウスは離れた位置で談笑しているアイギアスに目線を送る。
「お二人はアイギアス殿下をあまり評価されていないようですね?」
「ええ、まあ。無能とまでは言いませんが、決して有能とは思えない、といったところでしょうか。」
「そうだね。彼の陣営には知略に優れた人物が絶対的に不足していると思うね。」
ここでロッテが身に着けた通信具に、会話に聞き耳を立てていたセロの声が届けられる。
「ロッテ、やっぱりデボラだ。」
ロッテは二人に気取られぬよう、心中で頷きを返す。
その一言だけでロッテにはセロの言いたいことが分かっていた。
「これは私の勝手な推測ではあるのですが……。」
第一皇女デボラに関しては何の情報もない。
ロッテは少し自信の無さげな素振りを見せて語り出した。
「まず、帝都での最大派閥とされるアイギアス殿下。ここには第二皇子ジノ殿下、第二皇妃ダリア様、近衛騎士団長であるバリントス殿。」
帝都で強権を行使できる立場の者達がこれでもかと一堂に会しているように思える陣営だ。
「次に、皇帝陛下の後ろ盾を擁する皇太女リン殿下。こちらにはラムドウルに駐留するバルディア殿以下、帝国三軍も含まれます。」
皇帝と皇太女、そして協力者として専属道化師のリンリンと帝都大聖堂の教会勢力。
アイギアスの勢力に比較して規模は小さいが、広い視野を持って帝都の外にも目を向けた場合、アイギアスではなくこちらが最大勢力となる。
「お二人はこの両者のどちらでもない勢力に与しておられるのではないかと思うんです。」
ラスティーヌもアヴィリウスも、この時点でロッテの言わんとする事を察していた。
「地下監獄に幽閉されているはずの第一皇女デボラ殿下は実際は枷など付けられてはいないのではないですか?」
現時点で帝都に残留していてリンの派閥にもアイギアスの派閥にも属していない。
この二人は、はたから見れば随分と追い詰められた状況にあるはずなのだ。
しかしロッテから見て、二人からそのような様子は微塵も感じ取れない。
ロッテの推測は、消去法で浮上した人物に二人を結びつけただけのものだった。
しかしその穴だらけの推測を、ラスティーヌの微笑みが肯定した。




