171 挨拶
「随分と騒がしいな?」
ナナ達を取り囲む貴族達の元に騒ぎを聞きつけたアイギアスがやってきた。
その背後には弟のジノ、そして第二皇妃ダリアと凍将軍バリントスも同行している。
「私はこのような者共を招待した覚えはないのだがな。貴様等は何者だ?」
アイギアスの目線の先にあるのはナナとロッテ。
ナナは自らのスカートの中に手を突っ込み、赤面してぷるぷると震えている。
どうやらパンツを下ろすのを躊躇っているようだ。
「親分!こんな場所でお尻を出したりしたら駄目ですっ!!」
「むう……。やっぱり恥ずかしいぞ?でも親分は一等賞なんだ。だから頑張る!」
「頑張らないで!」
ロッテはそんなナナの奇行を止めるべく奮闘している。
二人共、やってきたアイギアスにまったく気付いておらず完全に無視している格好になっていた。
「この……、無礼者共が……。」
アイギアスは二人の対応に静かに激怒している。
そしてアイギアスがナナ達に向けてさらに一歩進み出ると、その前にワンダー・リンリンが二人を守る様にアイギアスと相対する。
「我が前に立ちふさがるとは増長が過ぎるのではないか?道化。」
ワンダー・リンリンは帝国の第一皇子であるアイギアスに対してもまったく気後れする様子はない。
「アイギアス殿下こそ、いいのかなっ?彼女達はリン殿下の大切なお客様だよっ?」
周りの貴族達と同じくアイギアスもまた、リンの名に顔色を変えた。
「リン殿下はね、彼女達が害されるくらいなら皇族の一人や二人、いなくなっても構わないくらいに考えていると思うけどねっ?」
リンリンの発言はもはや完全な脅しになってしまっていた。
ナナ達に手を出せば殺すととられてもおかしくない過激な物言いだ。
アイギアスはその発言に激昂するでもなく、平静を保っている。
しかし実際はアイギアスの鼓動は早鐘を打ち、その瞳は恐怖に濁っていた。
リンに対する恐れの感情を周囲に悟らせぬよう取り繕っているだけなのだ。
その様子を遠めに見ていたセロだったが、アイギアスの心情を正確に読み取ってリンに対する疑念を抱いていた。
(あのアイギアスって皇子が今の帝国の実質的な指導者って言ってたけど、なんかリンさんの名前が出た途端にものすごいびびってる……。)
「今回の救出依頼って、別に俺らが出張らなくてもリンさんが命令すれば簡単に片が付いたんじゃないかな……?」
誰も聞き取ることができないような小さな声でぼそりとこぼす。
救出依頼について、明らかにされていない他の目的があるのではないか。
そんな推測がセロの脳裏に浮かび上がっていた。
「ふん、まあいい。ここは皇太女殿下の顔を立てておくとしよう。この場にいることは許すが大人しくしていろ。次はないぞ、道化。」
踵を返し、この場を去るアイギアス。
それに伴って、周囲の貴族達も離れていく。
「へんっ!殿下にびびってるくせに強がっちゃってっ!」
リンリンはアイギアスの背に向けて聞こえないように悪態をつく。
「リンリン、今の弱そうな奴は誰だ?あいつ偉そうで生意気なんだ。悪者か?」
「偉そうなのは親分です……。」
相手が皇族であっても平常運転のナナにロッテは残念そうに呟いた。
「あ~、まあ、弱そうってのと偉そうってのと悪者ってのも全部当たってるんだけどねっ。けどナナはつっかかっていったらダメだよっ?」
目的は皇族と諍いを起こすことではなく、皇族を調査することだ。
何もわかっていない問題児であるナナが余計な事をしでかさないよう、リンリンは釘を刺した。
そのままリンリンは気を取り直して周囲を見渡す。
貴族達は見慣れない一団をすっかり警戒してしまい、遠巻きに眺めてはひそひそと会話している。
その様子に溜息をつきながらもワンダー・リンリンは周囲の貴族達とは毛色の違う二人組を見つけた。
「ややっ!?君達が招待されているなんて意外だねっ!?」
ワンダー・リンリンは壁際の二人に声をかける。
その二人は、退屈そうに壁に背を預けているラスティーヌとアヴィリウスだった。
「これはこれは。道化殿ではございませんか。リン殿下はご壮健ですか?」
声を返したのはアヴィリウスだ。
普段表に出ることのないリンの近況などは知る由もないが、リンとリンリンの関係については熟知している様子だった。
ちなみに、リンリンを指して道化と呼んだのは皇太女リンの専属道化師という肩書からだ。
「見かけない方々を連れていますね?リン殿下のお客様とのことですが、よかったら私達にも紹介して下さいませんか?」
ラスティーヌはアイギアスとリンリンのやり取りにもしっかりと聞き耳を立てていたようだ。
「ふふっ。そうだねっ、君達になら構わないかなっ。」
リンリンがくるりと振り向くと、ナナはロッテに抱っこされた状態でありながらも懸命にテーブルの上のおつまみに手を伸ばしているところだった。
「ロッテ、もうちょっと前だ。親分の手が届かないぞ?」
「親分!お行儀が悪いですっ!!」
「……はぁ。」
ナナの姿に落胆の息をついたリンリンは、ナナのことを早々に諦めてロッテを見る。
「シャルロッテお嬢様?こっちの二人なんだけど君達を紹介してほしいってさっ!」
ロッテはリンリンの背後に立つラスティーヌとアヴィリウスを目にするや、慌ててナナを床に降ろした。
「はしたない姿を見せてしまってすみません。」
「こらっ!ロッテ!何で親分を下ろすんだ!親分まだ食べ物を取っていないんだぞ!?」
床に立つと目線がテーブルの高さより低くなってしまうナナは抗議しながらぴょんぴょんと飛び跳ねている。
「ほら、親分。ご挨拶しないと。」
ナナの肩に手をやって飛び跳ねるのを押さえるロッテ。
「むん?」
ここでようやくナナはラスティーヌとアヴィリウスに目を向けた。
「誰だこいつらは?親分知らないぞ?」
「初対面なんだから知らなくて当然ですっ!親分はちゃんとご挨拶して下さい!!」
「……挨拶?」
この時、ナナの脳裏に浮かんだのは、ごくごく基本的な庶民の挨拶。
真っ先に浮かんだのが、いただきますとごちそうさま。
続けておやすみとおはよう。
「むむん?」
首を傾げるナナには、ロッテが期待する貴族らしい挨拶などは無理な相談のようだった。
そんな様子を見て、状況を察したラスティーヌが前に出る。
「ラスティーヌ・シャーベルと申します。」
アヴィリウスもラスティーヌに続いた。
「アヴィリウス・フォルドーです、よろしく。」
ラスティーヌのカーテシーも、アヴィリウスの帝国式の敬礼も、どちらも非の打ち所のないものだった。
「ほら、親分。挨拶ですよ?」
目の前のラスティーヌのお手本のような挨拶。
それを見習ってナナにも貴族の挨拶が出来るようになればいい。
そう考えたロッテはナナに挨拶を促した。
ロッテの期待とは裏腹に、ナナはカーテシーどころかふんぞり返ったままで言った。
「あたしはナナチーヌだ。」
しかしナナはティが上手に言えていなかった。
「名前を真似してどうするんですかっ!?真似して欲しいのは言葉遣いとか!仕草とか!とにかくそこじゃありません!!」
とうとう我慢の限界を超えたロッテは人目も憚らずナナの顔面を挟み込んだ。
「二人はね、シャーベル元外務卿とフォルドー元軍務卿の子供達なんだよ。」
リンリンは二人の紹介を補足する。
ナナにお仕置きしているロッテに対しての言葉だった。
離れた位置にいたセロも密かに聞き耳を立てている。
ライネル・シャーベル元外務卿。
それとボレアス・フォルドー元軍務卿。
皇宮内を移動していた時にラシュマン大司教から聞かされた名前だ。
皇太女リンに対する数々の暗殺未遂の首謀者として投獄された第一皇女デボラ。
そのデボラの指示に従って実際に暗殺を請け負い実行したとされている二人の大貴族だ。
大司教が言うには二人の処罰は行方不明になった本人に留まらず、残された家族は無名貴族となった。
その家族が目の前の二人、ラスティーヌとアヴィリウスであると言う。
広間の隅で二人だけ。
周囲の貴族は近づこうともしない。
(このお二人が帝国の貴族社会でどのような扱いになっているのか……。)
ロッテにはなんとなく想像がついていた。
そして遠目から見ていたセロはこの二人が少し前にポワレと談笑していた姿を忘れてはいなかった。