169 貴婦人
ナナはロッテと手を繋いで中央広間へ向けて皇宮の通路を歩いていた。
「まだか?プリンまだか?親分我慢できないぞ?」
「駄目です。もう少しだけ我慢して下さい、親分。」
食欲に支配されたナナを宥めすかしながらの移動だ。
全員が正装を済ませ、ナナとエトワールの二人だけがアイマスクで顔を隠している。
武器の類はナナの収納魔術によって隠されている状態だ。
「プリンは殿下が準備しているはずだよっ!待っていれば食べられるから大人しくしててっ!」
ワンダー・リンリンは皆を先導しつつもナナにかまけている。
しばらく歩くと、前方に大きな扉が見えてきた。
「あれが目的地である中央広間の扉だよっ!」
「あたしが一番だ!!」
リンリンのセリフからゴールが目前であることを読み取ったナナは走り出す。
「「ニャー!!」」
ミケとクルルもナナに続く。
「親分!!」
ロッテはナナを追いかける。
「うきゅっ!!?」
そして通路脇から出て来た見知らぬドレス姿の女性とナナが出合い頭に衝突した。
「あら、ごめんなさいね、お嬢ちゃん。」
女性は、少し目つきの鋭い妙齢の貴婦人だった。
軽量のナナの体当たりは女性を驚かせはしたが大した痛痒は与えていないようだ。
「ふぐぅ……。」
逆にナナの方は突然の衝撃に障壁の展開が間に合わず、赤くなった鼻を押さえてしゃがみ込んでいる。
「ほらっ!親分が通路を走ったりするからっ!申し訳ございません、大変失礼を。お怪我はありませんか?」
ロッテはナナを叱りながら貴婦人に謝罪している。
「ええ。大丈夫ですわ。お嬢ちゃん、周りに気を付けないと危ないわよ?」
貴婦人からも注意を受けるナナだったが涙目になってお鼻を押さえるのに必死でそれどころではなかった。
「ナナちゃん、お鼻を見せて。」
「うぅ、ジル、あたしのお鼻が潰れちゃったぞ……。豚のお鼻になったかもしれない……。」
「潰れてないから大丈夫だよ、ナナちゃん。」
追いついて来たジルはナナの鼻に治療魔術を使用する。
「いいぞ、ジル。ちょっとだけ痛くなくなってきた気がするぞ。あたし褒めてやる。」
「それにしても……、貴方達、見ない顔ね?アイギアス殿下のお客様なのかしら?」
「いえ、私達はリン殿下に招かれました。」
貴婦人の質問にはロッテが対応した。
「え?リン殿下に?この先の広間で行われている催しはアイギアス殿下が主催しているのよ?リン殿下はいらっしゃらないと思うけど……。」
「はい。リン殿下にこちらに向かうよう言われましたので。後から来られるおつもりなのではないでしょうか?」
ロッテは淀みなく貴婦人の質問に答えていた。
セロはナナを介抱しながらも貴婦人を油断なく観察している。
直感ではあるが、目の前の貴婦人にどこか胡散臭い部分を感じ取ったのだ。
この貴婦人が現れたのは皇宮の入口側からではなくどこに通じているのかは不明だが通路の脇道から。
リンから得られた情報によれば、皇族の女性で今皇宮にいるのは第二皇妃ダリアのみ。
第一、第三皇妃はすでに故人で、第一皇女は地下深くに幽閉されているはずだ。
目の前の貴婦人が皇族でなく一般貴族であるのなら皇宮入口側から現れるのが自然な気がしたということだ。
(広間に向かう前に何かしらの用を済ませるべく寄り道した、とでも言われれば別段おかしなところはないんだけど……。)
加えて、ワンダー・リンリンがこの貴婦人に対し何の反応も示さず、一言も喋らない。
(彼女らしくない。うまく言えないけど、どこか違和感がある気がする。)
「なら貴女達も中央広間へ向かっているのね?私もそうなのよ。」
両者ともに目的地は同じ。
目と鼻の先にある中央広間だ。
貴婦人を含めた全員で扉に向けて歩いていく。
「私はポワレ。よろしくね。」
「よろしくお願いします。私はロッテと言います。リン殿下の友人です。」
不意の遭遇に対し、ロッテは自分が矢面に立つことで対処する。
皇帝の次に高い地位にあるリンの名を使わせてもらうことで余計なトラブルを回避する作戦のようだ。
幸い、問題児ナナはセロに抱かれてお鼻をさすっている。
ロッテが自称したリンの友人という立場も通常はポワレに信用されるはずのない言葉だったが、同行するワンダー・リンリンがそれを証明してくれた形になった。
リンリンは何も言わなかったがポワレに対し微笑んで見せた。
「なるほどね。」
どうやらポワレはそれだけで納得したらしい。
基本的に人前に出ないとされている皇太女リン。
しかしその専属道化師であるというワンダー・リンリンは予想以上に知名度が高いのかもしれない。
「ナナ、ちょっといいかい?」
セロはナナに小声でポワレの鑑定を依頼した。
そして常備している鑑定眼鏡を装着する。
これはナナの視界を共有することのできるナナ作の魔道具だ。
ロッテの眼鏡と同様に、鑑定に成功すればその結果を見る事が出来る。
しかし鑑定は阻害され、ポワレについて知る事は叶わなかった。
(鑑定を阻害している時点でこの人物が怪しいということだけは確定だ。)
「ナナ、もう一つお願いしてもいいかな?」
セロは続けて、ナナにこっそりと耳打ちする。
「わかったぞ。」
密かにセロはナナにポワレに対して道標付与を頼み、それはすぐに実行された。
中央広間の扉の前に到着すると、その両脇に控えた近衛騎士が扉を開く。
「それでは皆様、またご縁がありましたら。ごきげんよう。」
ポワレはそれだけ言うとするりと中に入って行った。
一行はポワレを見送り、しばし広間の入口に立って辺りを見渡している。
「兄ちゃん、食い物の匂いがするぞ?」
セロに抱っこされているナナは鼻の痛みから持ち直したようだ。
早速会場の料理の匂いをキャッチしている。
「駄目ですよ?親分。あれだけ甘雪を食べてさらにプリンまで食べようとしてるんですから。帰ってから夕食が入らなくなっちゃいます。」
「ロッテ、親分はこの部屋を探検するんだ。だから探検中にちょっとだけつまみ食いをするのは当然だぞ。」
食べることはすでに確定しているのだ。
「親分が問題を起こす未来しか見えません!探検は駄目です!私から離れないで下さい!」
広間に入って早々に騒ぎ始めた奇妙な一団は、その場にいた貴族達へその存在をアピールすることになった。
「何だ、あの者達は?」
そう言って一人の貴族がナナを注視したことを皮切りに、他の貴族も次々とナナ達を視界に収めていく。
きょろきょろ。
周りを見渡し、ナナは自分が見られていることに気が付いた。
「美少女仮面プリチーセブン参上!」
前に飛び出してポーズを決め、ますます注目を浴びるナナ。
「親分!!!」
そしてすぐにロッテに捕獲される。
(えっと……、ポワレさんは……。)
セロはナナをロッテに任せて、先に広間に入って行ったポワレの姿を探している。
「あれは……。」
ポワレは壁際で知り合いらしき貴族の男女と談笑している。
当然ながら、そちらの二人もセロからすれば見知らぬ二人だ。
しかしそれでもセロはそちらの二人についてもその顔をしっかりと記憶する。
何故そうしたのかと問われれば勘だとしか答えようがないのだが、どうしてかセロにはその三人が気になって仕方がなかった。
「ロッテ、ナナ達をお願いできるかな?」
「はい。それは構わないのですが……。セロさん達は?」
セロはナナ達の面倒をロッテに任せて、アランと調査活動に勤しむことにした。
「見かけない者達だな、何者だ?」
「この場に子供を連れて来るとは非常識な!何処の家の者だ!?」
「おい!猫が入り込んでいるぞ!衛兵は何をやっている!?」
離れたい位置にいた大勢の貴族達も騒ぎ立てながらナナ達に注目する。
きっかけを作ったのは飛び出してポージングしたナナだったが、メンバーは子供ばかり、しかも猫含む。
中央広間に集っている者達と比較して、どう見ても異色の集団なのだ。
ロッテはナナを叱ることはせずにワンダー・リンリンに謝罪する。
「ごめんなさい、リンリンちゃん。」
調査目的であるということを鑑みれば目立たないにこしたことはない。
「いいよっ。予想はしてたからっ!君達は好きなように動いてくれればいいって殿下も言ってたしねっ!」
貴族達に振舞われているのはお酒をメインとした飲み物各種に加えて簡単なおつまみだ。
ナナが広間に入るなりキャッチした食べ物の香りはこのおつまみからのものということになる。
「あたしのお鼻は食い物の匂いを逃さないんだ。隠れても無駄だぞ?」
ロッテがリンリンと話している僅かな間にナナは近くのテーブルによじ登ろうとしている。
「親分!何をやっているんですかっ!!はしたない!!」
慌ててナナの捕獲に走るロッテ。
「親分ちょっとだけ食べてみるんだ!」
「いつもそう言ってちょっとじゃすまないじゃないですか!!」
ナナはロッテの腕の中で暴れている。
そして暴れるナナの足がテーブル上のグラスを蹴倒し、それが床に落ちてパリンと割れた。
一瞬、広間が静寂に包まれたかと思うと、皆の視線が完全にナナに集中する。
周囲の貴族達は不愉快そうにナナとロッテを取り囲んだ。