159 大司教
修道女に案内され、大聖堂の中を歩く。
「何でロッテは親分を抱っこしたままなんだ?親分は歩けるぞ?」
ナナはロッテに、ミケとクルルはジルとエトワールにしっかりと確保されている。
「親分はすぐどこかに行っちゃうからきちんと捕まえておくんです!」
これ以上の問題が起きないよう、ロッテとジルとエトワールは問題児の確保に全力を注ぐつもりなのだ。
「そんなことよりも親分が女神だったことが発覚したんだぞ?なんかこう、びびるとかないのか?ロッテは雑魚のくせに態度でかいぞ?」
「誰が女神で誰が雑魚ですかっ!!女神様は目を離すたびに問題を起こしたりしない良い子なんです!!」
「まさに親分のことだぞ。親分は実は女神だったんだ。親分知ってたけどな。」
「全然違います!!!」
騒がしくしながらも一行は修道女に続き、やがて大司教の執務室へと到着した。
「大司教様、お客様をお連れしました。」
修道女はノックの後、大司教の執務室の扉に向けて声をかけた。
「ありがとうございます。入ってもらって下さい。」
中からは男性の声。
声の感じだと初老といったところだろうか。
修道女は扉を開き、自らは脇へと移動する。
「お邪魔します。」
セロを先頭に全員が入室すると、修道女はお辞儀をして扉を閉めお茶の用意をするために移動していった。
執務室にいたのは黄色の法衣を着た人物。
耳した声のイメージを裏切らない初老の男性だった。
「初めまして。白銀帝国の教会を統括しております、ラシュマンです。」
ラシュマン(人間)
レベル 31
恩恵 付与魔法:痛感
技能 付与術:鈍痛
付与術:苦痛
付与術:激痛
付与術:心痛
効果
ラシュマン大司教は特に鑑定を阻害したりはしていないらしく、ナナの眼にはその結果が映し出される。
その情報はロッテの眼鏡にも伝わる。
眼鏡には通信が付与されており、ナナの見た映像が見れるのだ。
鑑定をした時はその映像を眼鏡に送る。
ナナはセロの言いつけをきちんと守っていた。
「親分は痛いのはイヤだぞ?」
ラシュマン大司教の恩恵を見て取ったナナは自分がお仕置きされると思ったようだ。
ロッテに抱かれたままで不安そうな顔になっている。
「私を鑑定したのですね?聞いていた通り、素晴らしい眼をお持ちのようだ。」
ナナの魔眼について知っている口ぶりだ。
特に情報として開示されている訳でもない他国の人間の技能だ。
本来であれば知っている事がすでにおかしい。
さらに言えば、赤い猫の姿になっているナナの正体も分かっている口ぶりだ。
(やっぱりか。教会、というよりもアルカンシエルの人間だからこそなんだろうな。)
セロはラシュマン大司教の立場が推測通りであることを確信していた。
「予想はついておいでだと思いますので面倒は省きましょう。私はアルカンシエルの者であり、当然皆さんについても知っております。」
そしてラシュマン大司教はセロの様子を見て次の言葉を選択した。
どうやらセロの確信は読み取られてしまったようだ。
「こちらは質問に答える用意もありますし、組織の方針といたしましても今のところ皆さんの活動を妨害するつもりはありません。」
アルカンシエルは今の時点でセロの知る限り自分達の力でどうにもできない者達だ。
彼等の妨害が無いということ、それをセロはこちらに敵対しないという意味に受け取った。
元々アネットとマイン、そして帝都についていろいろと聞いてみるつもりだった。
しかしセロはラシュマン大司教の言う組織の方針から、急遽予定を変更して他の質問をぶつけてみることにした。
アルカンシエルについての情報を得る貴重な機会だと考えたのだ。
「俺達を妨害しないのはやっぱりバルディアさんの依頼だから?なんかリンリンって子と仲がいいみたいだったし。」
ワンダー・リンリンはナナとの口論の際に最高幹部だとか口走っていた。
予想通りではあるが、それは教会において枢機卿の位階にあるヴォロスやエメラダと同格であるということだ。
(つまりバルディアさんの依頼はアルカンシエルの目的に相反しない。妨害しないというのはそういうことだろう。)
「道化殿ですね。組織の者として活動する時はそのようにお呼びしています。」
つまりバルディアの依頼を達成することに関してはアルカンシエルはむしろ協力者と言えるのかもしれない。
「ならバルディアさんの言う救出対象を帝都から脱出させることについては手伝ってくれたりするのかな?」
「私に可能な手伝いであれば助力は惜しみませんよ。」
ラシュマン大司教から返ってきたのはセロの期待通りの返答だった。
「大司教さんは協力的、そして道化さん、というかワンダー・リンリンについては交渉次第ってとこかな?」
「そうなるでしょうね。流石に私が道化殿の協力を確約する訳にもいきませんのでその理解でよろしいかと。」
「むん?リンリン?」
ナナが会話に出て来たリンリンの名前に反応する。
「もごっ!?」
そしてロッテは流れるような動きでナナの口を塞いだ。
いつものようにナナが妙な事を言い出すと判断しての行動のようだ。
「親分、今はセロさんがお話し中なんですから静かにしていないと駄目です。」
「ふもももっ!!」
ロッテは小声でナナに注意しているがナナはお構いなしに手足をばたつかせている。
セロとラシュマン大司教はナナの様子を見て会話を中断していた。
「ニャニャ、甘い匂いがするニャ。お菓子の匂いニャ。」
ナナの扱いに困っていたロッテにトラが助け舟を出す。
「トラ、お菓子か?お菓子があるのか?あたしのだな?」
トラが匂いを嗅ぎ取ったのは嘘ではない。
実際に、案内役を務めた修道女はお茶とお茶菓子を用意して執務室に戻ってきていた。
ノックの後、修道女がワゴンを押して入室する。
ワゴンの上にはお茶、そして何やら甘い匂いを発する白い物体。
見た目には白い粘土のようにも見えるそれにナナの目線は釘付けだ。
「あれは何だ?親分初めて見るやつだぞ?ロッテ、あそこに行くんだ。親分匂いを嗅いでみるぞ。」
「親分、待っていれば大丈夫です。ちゃんと大人しく良い子にしてたら親分も食べられますから。」
ナナはワゴンに近付いてじっくりその白いお菓子を観察したかったが、じっと我慢した。
大人しい良い子と言われれば我慢しない訳にはいかない。
初めてのお菓子を食したいという欲望はナナにこれ以上ない忍耐力を与えていた。
「失礼します。」
修道女はお茶を全員に配り、続けて茶菓子と思われる白い物体を取り皿に盛って配膳する。
「あたしの分は大盛り、いや、特盛にするんだ!超特盛だぞ!!究極特盛だ!!!」
すんすんすんすん。
「親分、お行儀が悪いです。」
ロッテの注意もまったく耳に入らないナナは大きく盛られた目の前の白い山の匂いを嗅いでいる。
「この白いのは?俺、初めて見るよ。」
セロも茶菓子として出された白い物体が気になるようだ。
「俺も見た事ねえな。何だこれ?」
「王国では見かけないお菓子ですわ。」
「私も初めてです。何かひんやりしてますね。」
王国でそれなりに良い物を食べていたと思われるロッテ、エトワール、アランも知らないようだった。
「甘雪です。帝国ではよく知られるお菓子になります。冷やして作る菓子ですので王国では見かけないのもおかしくないでしょう。」
ラシュマン大司教から白い物体についての説明が入る。
この白い物体は帝国では甘雪と呼ばれる氷菓子で、ミルクと卵黄をベースにいくつかの素材を混ぜ合わせたものを冷やして固めることで完成する。
貧民達は砂糖を手に入れることができないため、彼らが食べるのは甘くない白雪。
砂糖を使用した甘雪は、主に貴族や皇族でなければ口に出来ない代物なのだそうだ。
ぺろぺろぺろぺろ。
「甘いぞ!!?何だこれは!!?」
我慢が出来なくなったナナは大司教の説明も聞かずに甘雪を舐めまわしていた。
「親分!用意してあるんですからせめてスプーンを使って下さい!」
ナナが甘雪に夢中になって大人しくなったことで、ラシュマン大司教との会話が再開された。
「で、大司教さん。協力って具体的には?」
「とりあえずは民の救助の手助けです。それ以外にも何かあれば出来得る限りの援助はお約束します。」
まずは協力体制を確立させるための現状確認から。
初日の転移で無事脱出できた帝都民は、帝都に残留していた貧民の三割程度。
そして大聖堂に逃げ込むことのできた貧民はごくわずかなのだそうだ。
「あとの七割は今も地下監獄に捕らえられている者、今も捕まっていない者、新たに帝国兵となった者に分けられます。」
人数比などは現時点では不明だ。
「帝国兵になった者ってのは?」
「元々皇室は帝都を封鎖して逃がさないようにした民を徴兵する腹積もりだったようですね。」
(そして徴兵によって膨らんだ戦力は王国へ向けられた凶刃となる、ということか。)
順調だと思われた救出作戦は初日だけ。
二日目となる今日は進捗の遅延どころか救出対象を奪われてしまっているという事態だ。
「このまま手をこまねいていては状況は悪くなるばかりでしょう。そこで私から提案があるのですが。」
その提案とは、貧民の救助を一旦休止して、皇帝ガルシアと皇太女リンの救助を優先するというものだった。
帝都に関しての様々な情報が不足している今、セロに打開策はない。
ラシュマン大司教の提案を聞いてみることにした。
「白銀帝国において最も高い地位にある皇帝陛下、そして次代の皇帝となる皇太女殿下。御二方の身柄を確保することです。」
その二人は今のところ表に出て来ることはなく、今の帝都の現状を主導しているのは先の二人を除いた皇族。
「第一皇子アイギアス殿下、第二皇子ジノ殿下のお二人です。ジノ殿下は武人気質な御方ですので、指導者となるとどちらかと言えばアイギアス殿下でしょうか。」
ラシュマン大司教はセロ達に今のグラシアル皇室について簡単に説明することにした。
「貧民達からは聞けなかったでしょうし、知っておいた方がよいと思いますので。」
第二皇子のジノはあまり政治に首を突っ込むタイプではないのだそうだ。
「アイギアス殿下の補佐をしておられる感じですね。失脚した軍務卿に代わって軍部の統括も行っておられますので多忙なお方です。」
「じゃあ第一皇子のアイギアスってのは?」
「歯に衣着せずに言うならば無能な野心家、といったところでしょうか。あくまで私の見た印象ですが。」
時代が違えば、それなりの統治者にはなれたかもしれないが、その未来は第二皇女リンが皇太女となったことで失われてしまった。
「皇帝陛下が次代にお選びになられたのは無能な野心家ではなく、才気溢れる少女だったのです。」