143 宴会
フラメルを連れて戻った後、そのままビフレスト酒場では宴会が始まっていた。
テーブルには大量の酒や料理が並べられ、詰めかけた大勢の商会の関係者でごった返している。
商会関係者専用空間となっている酒場の二階では、救助されたフラメルを中心に大いに盛り上がっていた。
宴会のために商店の方は臨時休業となり、フラメルを憶えていた大人世代は次々と酒場にやってきてはフラメルと言葉を交わすとそのまま宴会に参加していく。
「ナナちゃんはプリンが好きなのね。私は初めて食べたけど本当に美味しいわ。」
「そうだろう?至高の味わいなんだからな?姉ちゃんもあたしに感謝して食べるんだぞ?」
「ナナちゃん、ありがとうね。」
ここでもフラメルはナナを膝にのせて二人でプリンを食べていた。
元々お酒に強い方ではなかったフラメルはお酒は控えめだ。
フラメルの隣に座っているセロは上機嫌なナナを眺めている。
大きく成長してしまったセロは、幼子のようにフラメルに抱かれることには抵抗があるが、実際に幼いナナにはそのような恥じらいはない。
逆側のフラメルの隣にはミケとクルルが懸命にプリンにかぶりつく姿が。
そのもう一つ隣ではロッテがナナを心配そうに見ている。
(親分が変なことを言い出したりしないようちゃんと見てないと…。)
フラメルの対面側には嬉しそうに酒を飲むオルガン。
自分の扱いが妙に軽いことについては複雑だが、フラメルの生存については素直に喜んでいた。
オルガンの両隣にはアーキンとマーサの姿もあった。
アーキンはオルガンと同様に笑顔でジョッキを傾け、マーサは微笑みながら目元を拭っている。
セロが成長するまでの家族の生活を支えてくれたのはフラメルだ。
彼女が仕事を斡旋してくれたおかげで幼いセロは飢えることはなかった。
二人にとってはフラメルは友人でもあり恩人でもあるのだ。
そんな人物の生還に二人が喜ばない筈がなかった。
「ナナちゃんは親分さんなの?」
ロッテとのやり取りの時にはナナは自分の事を親分と呼称し、ロッテもまたそう呼んでいる。
フラメルは興味本位で尋ねていた。
「ロッテは雑魚だからな。あたしが親分になって守ってやらないといけないんだ。」
質問に答えたナナはすぐに食事に戻る。
「親分、もう少し他の言い方を…。」
今のロッテはジルにもレベルで抜かされ、強弱で言えばまごうことなき弱者だ。
なので自分自身、そうであることは否定しない。
「シャル様、元気を出して下さい。」
ジルは肩を落とすロッテを励ましている。
「ナナちゃん、そこは大好きだからとか言った方がロッテちゃんは喜ぶと思うわ。」
もぐもぐと口を動かしながらナナは背後のフラメルを見る。
「ふむん…。」
続けてナナはロッテを見る。
「な、何ですか…?」
ナナは空になったお皿を差し出しながら言った。
「親分は大好きだからおかわり。」
「その言い方じゃプリンが大好きだと言っているようにしか聞こえません!!」
ロッテは嘆息しながらも立ち上がり、追加のプリンを取りに行く。
甘えて来る頻度を考えても、ナナがロッテを大好きなのは疑いようがないのだがどこか納得がいかないロッテだった。
「で、だ。フラメル、落ち着いたらお前にも働いてもらうぞ?働かざる者食うべからずだ。」
「え?その言い方、まるで自分も働いているとでも言いたげね?働きたくないの一点張りだったオルガンのくせに。」
十年前のオルガンは確かに最強の男に労働は不要であると言っていた。
フラメルの記憶だとオルガンは当時の印象のままなのだ。
「馬鹿野郎。あれから十年経ってんだぞ?今は俺も立派に働いている。」
その言葉も本当の事だ。
オルガンはビフレスト商会長、王国の伯爵としての立場に甘んずることなく立派に業務をこなしていた。
日々の狩りはオルガンが頭となって指揮をとっているし、王国の騎士団に戦闘の指導も行っている。
「嘘でしょ?あれだけ駄目だったオルガンがそう簡単に真人間になるとは思えないわ。」
十年前の苦い思い出と、その後の抜け殻のように過ごしていた長い時間はオルガンを変えるのに十分な影響を与えていたのだ。
「ふん、酷い言い草だが残念だったな、フラメルよ。俺はモテモテなのは変わっていないが皆の尊敬を集める真人間に変貌を遂げたのだ。」
「あたしは働きたくないぞ?食べたり遊んだりするのがいいんだ。」
自慢げににやりと笑うオルガンと、さりげなく話に混ざっていくナナ。
「おめえはガキだからむしろ遊ぶのが仕事なんだ。学院にも通って勉強もしていることだし、何も気にせず遊びまくれ。」
「わかったぞ、おっちゃん。あたしはもっと遊ぶぞ。」
そんなナナとオルガンの会話を耳にして、ロッテやジルは二人にジトっとした目を向けていた。
「ナナちゃんが、勉強をしている…?」
「いいえ、まったくしていません。」
学院でも勉強したら負けなんだと言い張ってナナは勉学から逃げ回っているのだ。
帰宅してからも勉強はイヤだと言って逃げ回るナナをロッテは連日追い掛け回している。
「オルガンさんがモテモテ…?」
「いいえ、それは特定条件下でのある限定された範囲での話です。」
女性比率の高い近衛騎士団内の一部では、身なりを整えたオルガンはそれなりに人気がある。
そこを除外すれば、すでに王国内で高い地位にあり、筋骨隆々で見た目も怖いオルガンは婦女子達からすれば恐怖の対象となっている一面もある。
「シャル様、ナナちゃんに不足しているのは自由時間じゃなくて授業時間だと思います。」
「はい。まったくその通りです、ジル。私もそう思います。」
ロッテとジルは見つめ合い、ナナの教育にさらに力を入れることを決意していた。
「そうね。十年も経っているものね。なら当然オルガンもちゃんとお嫁さんを貰って立派にお父さんしているはずよね?」
フラメルの言葉はオルガンの返答を詰まらせた。
これまで見てきて、そのような者が存在しないことはフラメルもなんとなくわかっていた。
いい加減落ち着いて、ちゃんとした嫁さんを貰えとは十年前にも仲間達に言われていたことだった。
脱出を企てていたことについても、一緒に連れて行けば問題ないと一蹴されていたのだ。
「奥さんや子供達を未だに私に紹介できていないってことは未だにフラフラ遊んでるってことね!!」
ビシッとオルガンを指さすフラメル。
「…予定はある。俺もずっとこのままという訳じゃねえ。」
自分の幸せは最後だとする考えもあるが、それを口にすることは未だ独身の仲間に責を押し付けるようなものだとして口にはしない。
その代わりにオルガンの口から出て来たのは予定という言葉だ。
予定と口にしたオルガンの脳裏に浮かんだのは、近衛騎士団長であるルーシアの姿だった。
「むん…。ロッテ、親分眠たくなってきた。」
ナナはロッテの元にやってきて両腕を上げる。
万歳のポーズだ。
「……?」
(親分はいきなりどうしたんでしょう?)
「ん!!」
ナナは万歳したままロッテに向けて声を出す。
「親分?いきなり、ん!!とか言われても…。」
ロッテはナナの意図が分からず困惑しているようだ。
「ん!!!」
今度はナナの表情が少し不満そうなものに変化している。
「……あっ!!」
何かに気付いたロッテは慌ててナナを抱き上げる。
親分がこのポーズになったらすぐに親分を抱っこするんだ。
確かにナナはそんなことを言っていたことを思い出す。
「親分はちゃんと合図を出しているのに反応が鈍いぞ!そんなことじゃ立派な子分にはなれないんだからな?」
「ごめんなさい、親分。すっかり忘れていました。」
立派な子分になりたい訳ではないのだが約束を忘れていたことは事実なのでロッテは素直に謝った。
「ロッテに必要なのは阿吽の呼吸というやつだ。親分がお手本を見せてやるぞ。」
(お手本って親分は何をするつもりなんでしょう…?)
「あうん!!」
ナナはロッテに抱っこされたまま突然叫んだ。
「ニャうん!!」
どこからともなく現れたミケがそれに応える。
「ふふん。どうだ?」
ナナは得意そうな顔をしている。
「親分?阿吽の呼吸っていうのはそういうことでは…。いえ、息が合っているという意味では間違っていないとも言えるかもしれませんが…。」
微妙な表情になったロッテは返答に困っていた。
「親分がバンザイしたらそれは抱っこしろのサインなんだぞ?」
この場合は抱っこしてベッドまで連れていけ、ということになる。
「はいはい、わかりました。」
ロッテは少し遅れてその意味を正しく受け取り、ナナを抱き上げそのまま酒場を後にした。
セロやジル、ミケ達といった子供達はナナを追いかけるように自室に戻って行く。
良い子はおやすみの時間なのだ。
そして子供達が去った後も、酒場の喧騒が収まる気配はない。
「予定っていうのは誰の事かは知らないけど、いい人がいるってことね?よかった。ほんのちょっとだけど心配してたのよ。」
「ほんのちょっと…。」
フラメルはどこか安心したような笑みを浮かべ、逆にオルガンは目に見えてしょぼんとしていた。
「オルガンが昔みたいにあっちこっちの女の人に手を出して、いかがわしいことに精を出しているんじゃないかって思って…。」
ぎくっ。
オルガンは明後日の方向に目を逸らし、一瞬だけ酒場が静まり返る。
「え?あれ?」
フラメルは周囲のおかしな反応にきょろきょろしている。
「まさか…。」
そのまま何事もなかったかのように酒盛りが再開されたが、フラメルはオルガンを凝視して、オルガンはその目線から目を逸らしていた。
ジルとトラと別れた後、ナナを抱いたロッテとセロが並んで自宅へと歩いていく。
ミケとクルルもその後ろについて歩いている。
セロ達の自宅の前で、一人の少年が座り込んで待っていた。
「あれは…、アカシャかな?」
アカシャはセロ達を視認すると立ち上がり、頭を下げた。
「夜分遅くにすみません。また星空が見たくなって…。」
「ああ、そうか。今日は雲もないし、星を見るにはいい夜だからか。」
夜空を見上げたセロはアカシャの申し出を了承した。
「アキシュ。死兆星を見ないようにするんだぞ?見たら死んじゃうんだからな?むにゅ…。」
ロッテに抱かれている眠そうなナナは必要最低限の注意だけを済ませてそのまま眠りについた。
「宴会で家に誰もいなかったからアカシャ君は入りづらかったんですね。」
「また親分に空巣呼ばわりされることになっちゃいますから。」
ビフレスト商会の敷地内で最も高い建物は三階建てのセロとナナの家となる。
三階の廊下を、セロとナナの兄弟部屋とロッテとハンナの居候部屋を素通りして突き当りの扉の向こうには屋外のテラスがある。
そこにかけられた梯子から屋根の上に登ることができるようになっている。
今は屋根の上にアカシャとセロ、そしてナナを寝かせてから合流したロッテの三人が星空を眺めていた。
「綺麗だけど、やっぱり俺にはそれしか分からないな。」
「私も同じです。アカシャ君には何か違って見えているんでしょうか?」
「僕もそうですよ?占星術というのは学問の一つなんだそうです。それを修めていない僕には大したことは読み取れません。」
そうは言いながらも、アカシャは星空を眺めているだけでもどこか落ち着くようだ。
満ち足りたような表情でアカシャは星空を見上げていた。
「迷宮都市のお城の書庫か、王城の書庫には占星術に関する文献もあると思います。探してもらえるように頼んでおきますね。」
「ありがとうございます、ロッテ様。」
セロとロッテは横になって星を見て過ごしていたが、アカシャは時折立ち位置を変えては多方向の星空を見ていた。
そして北東の空を見た時に何かおかしなものでも見たような反応を見せた。
「ん…?何か…。」
「どうしたの?」
セロもアカシャの反応が気になり、問いかける。
「吉兆なのか凶兆なのかわかりませんが…、北東の星空に何か…。星がざわついていると言えばいいのか…。」
アカシャ自身もそれをうまく言葉にできないようだった。
「ロッテ、あっちには何があるの?」
ロッテもセロに続いて起き上がり、北東の空を眺めながら呟いた。
「城塞都市ラムドウル。その向こうには白銀帝国があります。」




