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フヨフヨ  作者: 猫田一誠
10 廃棄場
181/236

140 扇動

廃棄場をぐるりと取り囲むコーンウォール。

その北東に、東西に延びた広い国土を持つサミュール連邦。


王国の包囲侵略の結果、三国間で締結された通商協定の影響によってこの国にも大きな変化が起きていた。



その変化とは人民の流出がまず第一に挙げられる。


協定のチャンスを見出した多くの者達が王国へ。

王都南のドランメルに向けて移動を始めたのだ。


まだ情報が届けられたばかりにもかかわらず、利に聡い者達はすぐに行動を開始していたということだ。



「予想より多くの民が移動を始めたようね。」


連邦の首都、サムエルアイリスのとある場所。


政府直属の諜報機関、【隣望鏡】のアジトの一つに集まった数人の女性達は状況を確認していた。



「ミランダ様のおっしゃった通り、これで世界は大きな変革を余儀なくされるでしょうね。」

「評議員達もミランダ様の予測通りの動きを見せることでしょう。」


政府直属ということで、表向きには【隣望鏡】は別の名称で連邦評議会の下部組織として存在している。

しかし、現実にはその構成員である彼女達の忠誠は評議会には向けられていなかった。



主婦。


女騎士。


細工職人。



女性達は格好もばらばらで、【隣望鏡】の構成員であるということ以外はそれぞれに何の繋がりもない者達だ。


【隣望鏡】の名も一般的には知られておらず、評議員ですら真実とは似ても似つかない噂話を耳にする程度だ。

組織の全容を知る者となると、今現在では統括者であるミランダと呼ばれる組織の統括者のみとなっていた。


生みの親であるとされる評議員や、ラスタバン議長ですら実態を把握していない組織。

それが評議会では窓際部署のような扱いを受けている連邦評議会安全保障管理室であり、その別名が【隣望鏡】というわけだ。



「第一段階の情報伝達はこれで終了ね。」

「ええ。何も問題はない。ミランダ様のオーダーは全て満たしているわ。」


王国の包囲侵略の結果、通商協定の内容。

そういった情報を連邦国内へ流布することが彼女達への最初の指令だった。


【隣望鏡】は、ビフレスト商会が使用している通信魔道具とは別の手段での遠距離での情報のやり取りが可能だった。

それを用いることで、通常の方法で最速で情報が届けられるであろうタイミングを計って一気に国内に情報を拡散したのだ。


これこそが彼女達の言う第一段階だ。



「移民達がレイシャダに集い始めたあたりで第二段階よ。メンバーへの指令は大丈夫?」

「すでに完了しているわ。いつでも実行可能よ。」



第二段階は、連邦内部の権力者の扇動だ。



ラスタバン議長はドランメルでの利益を独占しようとしている。

ヨーゼフ首長の召集に応じた評議員は極秘裏に粛清されることになっている。


評議員達が送り込んだ潜入工作員にはそういった情報が与えられている。

これはドランメルの【隣望鏡】メンバーによる工作だ。


潜入工作員はこれらの情報をそれぞれすでに本国に放っている。


残された者達のドランメルに対する不満はどんどん高まっていくことだろう。



「後は噂話や適当な情報を流して煽るだけ。簡単ね。」

「むしろ任務完了後のメンバーのドランメル移住の段取りの方が大変そうよ。」


メンバーの移住は第三段階。

ドランメルに攻め込んだ愚か者が返り討ちに遭った後の話だ。



【隣望鏡】は統括者であるミランダを頂点に、まずはその手足となる複数のリーダーと称される者達。

そしてリーダー達の指令によって動くメンバーと称される末端構成員からなっている。


ミランダについてはリーダー達であってもその名前以外は何も知らされてはいないし、知ろうともしていない。

メンバーに至っては自分以外の構成員についてすら何も情報を持たない。



転写という効果を持った組織名と同名の魔道具、隣望鏡を用いて下される上位者からの指令を淡々とこなす。


その結果、高額の報酬と未来の幸福を約束される。

しかし隣望鏡の紛失や、構成員のその正体が露見するなどといった失態に関しては、内容によっては即時処刑など厳しい処罰が待っている。


構成員にとっては、【隣望鏡】とはそんなハイリスク、ハイリターンな組織だった。



ここ、サムエルアイリスのアジトに集った三名の女性は、三人共にリーダーということになる。


本来であれば各地に配備されるリーダーは一人で、複数のメンバーに指令を出して任務を遂行するというのが基本だ。


しかしサムエルアイリスは連邦の首都である。

他の地域に比べて仕事量も膨大となることを見越して三人のリーダーが配備されているのだ。



「そろそろ時間ね。ミランダ様に報告するわ。」



細工職人の格好をした女性が大きめのコンパクトミラーを取り出す。


それは両面が鏡になっていて、一見するとただの鏡にしか見えないがこれこそが組織の活動の根幹をなす魔道具、隣望鏡だ。



女性が魔力を鏡に流すと、片面の鏡の映像がぼやけた。

少し待てばもう片面も同様の状態に変化する。


これは対となった隣望鏡との接続状況を示すものだ。


今はミランダとの接続に成功した状態であるということになる。



女性は筆記用のロッドを用いて片面に文字を書きなぐる。


『サムエルアイリス、問題なし。作戦第二段階継続中。』


書いた文章は、鏡に溶け込むようにして消失する。

文章は接続相手であるミランダの鏡へと転写されているのだ。



そのまま少し待つと、もう片面の鏡に文章が浮かび上がる。

こちらはミランダからの返答が転写されているようだ。


『白銀帝国にて動乱の兆しあり。第二段階の遅延を望みます。その為の方策を後日連絡しますので対応をお願いします。』



「タイミングが悪かったみたいね。」

「そうね、さすがに侵攻が同時だと王国側が処理しきれなくなっちゃうから。」



彼女達が扇動している侵攻は、敗北という結果まで含めているのだ。



『分不相応な権力にその知性を溶かされた愚物共を一掃する時が来ました。』


今回の任務を遂行するにあたって下されたミランダからの指令、その最初の言葉がこれだった。



三人のリーダー達はただ指令に従うだけの無能ではない。

ミランダのその言葉を現実のものとするために自らも知恵を絞り、力を尽くす者達だ。



連邦にて暗躍する三人の女性は、外に出ると何事もなかったようにそれぞればらばらの方角へと去って行った。





場所は変わり、何処かの建物の屋内に設置された誰も知らない秘密の部屋。


リーダー達に指令を送る【隣望鏡】の統括者ミランダはそこにいた。



その部屋に照明の類は一切存在しない。

中には数えるのも馬鹿らしいと思えるほどの量の鏡が設置された部屋だった。


大量の鏡はその全てが隣望鏡。

組織に属する全てのリーダーに指令を出すことが出来る設備となる。



それぞれの隣望鏡は時折文字を浮かび上がらせ、それが僅かな光源となる。

光は部屋中の鏡を反射し、辺りをぼんやりと照らすがミランダの容姿はわからない。


部屋中に並ぶ鏡の輪郭と、その中央に鎮座する人影を一つ朧気に映し出すのが精一杯だ。



「では帝国の侵攻と時期をずらすために扇動を継続しつつ時期を遅らせるよう戦力や物資の集積を妨害しましょう。」


聞こえるのはミランダの声だけだ。


「ええ。そうですね。誤差は許容値に収めてみせます。王国の決定的な敗北を避ければよいのですから、さほど難しくはありません。」


部屋には一人しかいない。

しかしミランダはここにはいない誰かと会話しているように思える。



「はい。ですが帝国の動向についてはこちらとしては様子見ということになります。」



「帝都には工作員を派遣しておりません。万が一彼女の知覚範囲に入ってしまえば終わりですから。コントロールという選択は諦めた方がよいかと。」



相手の声が聞こえないので会話の内容に不鮮明な部分はあるが、どうやら白銀帝国に関してのもののようだ。


ミランダが現在行っているのはサミュール連邦での工作だ。

順調に推移しているそちらの工作よりも、自分の手の内にない帝国の状況の方が重要であるということだろうか。



白銀帝国に動乱の兆しを確信したミランダは、その操作はできなくとも把握はしておきたいと考えていた。


「ただ、私も何もせずにいるのも面白くありませんので…。バルディア殿と連絡をとってみます。」



闇の中にあってミランダの表情を窺うことはできないが、何故だかその口元が微かに微笑んだような気がした。





少し前の帝都グレイシャル。



その街並みはここでは珍しくもない大雪に見舞われ、一面の雪景色だ。

出歩く者も見られず、石造りの街に点在する生活の灯が帝都民の存在を弱々しく主張しているようにも見える。



ミランダが動乱の兆しがあるとした白銀帝国は、国民の流出が止まらないという連邦と同じような状態にあった。


多くの者が暖かい南の土地に希望を見出し、決死の覚悟で故郷を後にする。



帝国軍のラムドウル占領時、バルディアは補給の名目で氷将軍ジェリドを帝国各地の地方都市へと走らせた。

それは食糧難の帝国の地方都市に残された僅かな食糧等の物資や移民を望む民の移送の為だった。


結果、帝都を除いた帝国の各地には民や物資は殆ど残されていない。



過疎化の進んだ地方都市に残留することは死を意味する。


現在の白銀帝国は、帝都グレイシャルのみの都市国家と言ってもいい状態になっていた。


ミランダはこの時点で情報を入手して帝国に動乱の兆しを感じ取ったのだ。



そんな帝都の中央、皇宮パルネイの正門付近の城壁の上。

大雪の中、二人の道化が踊っている姿があった。



「貧困~♪そして餓死~♪」

「極寒~♪そして凍死~♪」



黒を基調とした道化服に身を包んだピエロ、クラウンノワール。

赤を基調とした道化服に身を包んだピエロ、クラウンルージュ。


アルカンシエルの最高幹部の一角、道化の名で呼ばれる二人だった。



「帝都の貧民達を助けなきゃ♪」

「帝都の貴族達はぶっ殺そう♪」



占領した王国北部からの恵みが帝都に届けられるにはまだまだ時間がかかる。


なのに一部の特権階級は、自分達は贅沢三昧のままで税の引き上げを実行し遠征の出費を補填することを決断した。

民衆の特権階級に対する負の感情は過去最大と言ってもいい程に増大していた。



バルディアの王国侵略において、帝都側は当然監視者を付けていた。

しかしバルディアは監視者を密かに殺害していたため、今になっても帝国の上層部は侵略計画の現状についての情報を得られていなかった。



「そんな帝都に~♪希望の一刺しっ♪」

「破裂しちゃう!?残念しなかった~♪」



二人の道化は手を繋いでくるくると回転している。



王国の北部一帯の占領、貸与地という扱いではあるが領地の占有を条件付きで認められた。

そして食糧他、様々な物資の潤沢な援助もあり、南下した者達は暖かい土地で満足な食事と適度な仕事を得られている。

さらに、帝都の一般民も南下して合流するのであれば喜んで同胞として迎え入れるべく、現在も急ピッチで体制が整えられている。


そんな情報を帝都に流すこと、それが希望の一刺しだ。

底辺にいる帝都民にとってはまさしく希望の光となりえる情報だった。



「やったよ♪国民達の楽園への扉は開け放たれた~♪」

「と思ったら♪白銀の帝都は~♪」



笑い声を上げる二人の道化はさらに激しく回転する。


「「雪と氷に閉ざされた監獄になってしまいました~♪」」



帝都から逃亡を試みる国民が黙ってそのまま見逃されるということはなかった。


帝都に残された戦力である近衛騎士団と帝都守備隊の計一万の騎士達は帝都の門を閉ざし、戒厳令を布いた。

上位者からすれば、帝都民は残された最後の奴隷達であり、解放しては働き手をなくした帝都では生産が止まってしまうのだ。



それを、帝都の上層部は侵略に成功した帝国軍からの国民の略奪と判断する。

対して王国北部の帝国軍は、帝都の戒厳令を国民の監禁であると判断した。


王国北部で新しい生活を始めた者達の中には、帝都に親しい者を残してきた者も多くいる。



帝都の現状は、何処からか情報を入手してきたバルディアによって王国北部にも伝えられ、両者の緊張感は高まっていた。




「いたぞ!クラウンズだ!!捕らえろ!!」


がしゃがしゃと鎧の金属音を響かせながら守備隊が城壁の上になだれ込んでくる。


以前から帝都ではクラウンシスターズと名乗りを上げていた二人だったが、そのように呼ばれることはなく実際はクラウンズと省略された名称で呼ばれていた。



「おやっ?騎士達に見つかっちゃった~?」

「丁度いいね~♪帝都民を虐げる不良騎士達を私達クラウンシスターズが成敗してあげるよ~♪」


大勢の騎士に詰め寄られても二人の道化は慌てるでも怖がるでもなく、余裕のある態度だ。



「耳を貸すな!お前達、抜剣だ!!」


最後尾にいた守備隊のリーダー格らしき騎士は両手剣を構え、同時に部下達に指示を出す。


「「「はっ!!!」」」


騎士達は次々と剣を構え、じりじりと距離を詰めていく。



「大雪の~♪」


クラウンノワールが両手を広げ、くるりと一回転。


今にも斬りかからんとしていた騎士達に、降っていた雪がまるで突然意思でも持ったかのようにその軌道を変えて張り付いていく。



「何だこれは!!?」


視界を奪われた騎士達は顔に張り付いた雪を拭い、一団に混乱が生じる。



「火炎地獄~♪」


クラウンルージュの周囲に小さな火球が無数に出現する。



付着した雪を拭った騎士の何人かは、奇妙なぬるりとした感触に気が付いていた。


「雪じゃないのか…?油?」



ノワールとルージュは手を繋いで少し後方に飛んでそのままくるくると回り出す。


「「燃えあが~れ~♪」」


無数の火球が騎士達に向けて放たれ、城壁の上という狭い空間に密集していた守備隊は火球を避けることも出来ずに着弾する。



ボンッ、と大きな音を立てて炎が上がった。

後続の騎士達には被害はないが、ノワールの繰り出した飛来する奇妙な雪を付着させていた前衛の騎士達は一瞬で火達磨になった。



「わああああぁっ!!!!」


悲鳴が上がり、炎に包まれた騎士達は錯乱して暴れ出す。



城壁から落下する者。


そのまま火傷によってショック死する者。


比較的に火の小さかった者は積もった雪に突っ込んでそのまま転げまわり消火に成功する者もいた。



「「アハハハハハ!!」」


ノワールとルージュは大声で笑いながら、等間隔で円を描くようにゆっくりと城壁の上を飛び跳ねている。



「くっ!くそっ!!弓隊!構え!!奴らを射殺せ!!」


すぐにリーダー格の騎士は焦った様子ながらも指示を追加する。


飛び跳ねる二人の道化の周囲には、またも意思を持ったように動く雪が集まっていた。



「まだ何かする気か!急げ!!」


隊列を組み換え、整列した弓手が矢をつがえる僅かな時間で、城壁の上には巨大な雪達磨が出現していた。



「構わん!放て!!」


その異様な姿に動揺する弓手達にリーダー格の騎士は斉射を命じた。



さくさくさくさく…。


一斉に放たれた矢が抵抗もなく雪達磨に突き刺さっていく。



「うおおおっ!!!」


矢の斉射に合わせて突貫していたリーダー格の騎士は裂帛の気合とともに両手剣を雪達磨に突き刺した。



「何?」


手ごたえがない。


例えるならば、踏み固められていない新雪の中に棒を突き入れただけのような感触。



騎士が両手剣を乱暴に引き抜くと同時に巨大な雪達磨も崩れ落ちる。


「何処に消えた…?」



雪達磨の中に二人の道化の姿はなく、そこに残ったのは大量の雪の塊だけだった。

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