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フヨフヨ  作者: 猫田一誠
10 廃棄場
179/236

138 買物

「何これ…。ここ何処!?」



初めて目にする場所である廃棄場の中の光景にミューズは驚き、レインは言葉を失っていた。


2号店に現れたナナは店内の清掃をしていたミューズを拉致。

丁度店に来ていたレインはナナと遊びたくて一緒についてきたという恰好だ。



「チョップ、びびってないでこれを見るんだ。あたしの蟹だ。あたしはこれを食べたいんだ。何とかしろ。」


ミューズが積み上げられた鋏蟹を目にすると同時にロッテも駆け寄ってくる。


「親分!!いきなりこんな場所に二人を連れて来るなんて…。」


ロッテはナナを捕まえるとお説教を始めた。



「でかっ!!!?」


ミューズは積み上げられた鋏蟹の死骸を前に思わず声を出していた。


「おっきいね…。」


その隣ではレインが鋏蟹の巨体に目が釘付けになっている。



「親分が無茶をしてごめんなさい、二人共すぐに海都に戻ってもらえるようにしますから…。」

「むぅ…。」


ロッテは二人に頭を下げ、ナナはロッテに顔面を挟まれたままぷらんとぶら下がっている。



「気にしないで、ロッテさん。店長もいいって言ってたし、蟹の解体なら力になれるかもしれないから。」


ただし、通常の蟹の解体方法がこの巨大な鋏蟹にも通用するかどうかの不安はある。


「確かに見た目は蟹なんだけど…、大きすぎるし、私が知ってる捌き方でいいのかもわからないけどそれでよければ…。」



ミューズがロッテと話している間、レインはぶら下がったナナに注目していた。


「フフ…。ナナちゃん、変な顔~。」


ロッテに挟まれているナナの顔は、両側からほっぺたを抑えられているせいでお口がタコさんのようになっている。


「レイン、あたしを助けるんだ。あたしピンチだ。」


「何がピンチですか!親分はお仕置きされているんですから助けられたらお仕置きになりません!」




新たな来訪者に気付いたセロは狩りを中断し、一度皆で拠点に戻り休息をとることにした。


ナナは鋏蟹の死体から各種物理耐性の恩恵を奪い取り、収納してから全員で狩場から移動する。



「久しぶりだね、ミューズ、レイン。ナナがいきなり連れて来ちゃってごめんね。」


「ううん、私も皆に会えて嬉しいから。」


ミューズは答えながらレインを見る。



「しゃう!しゃう!!」

「いいぞ!レインもちゃんと修行していたようだな!」


レインは懸命に腕を振り、ナナはそれを褒めている。



「セロさん、ここってもしかして…。」

「うん、廃棄場の中だよ。俺やナナの故郷ってことになるかな。」


かつて船の上から幾度も見上げたコーンウォール。

今ミューズが見ているのが、以前は想像することしかできなかった壁の内側、廃棄場の光景だ。


「こんなふうになってたのね…。」



廃棄場の暗さは、まるで転移したと同時に昼夜が逆転してしまったかのような錯覚を起こさせる。


ミューズがこれまで見たこともないような巨大な樹木。

廃墟となっているが、初めて見る様式の石と金属で出来た建築物。



ミューズは自分が別の世界に迷い込んでしまったのかと思わせる景色に見入っていた。


「こら!チョップ!ぼやっとしてないで早くあたしに蟹のチャプチャプを食べさせるんだ!」


レインと手を繋いだままでナナはミューズを急かしている。


「レインもあたしの家に来て一緒にチャプチャプを食べるんだぞ?」


せっかく来たのだからと二人が夕食に参加することには皆が賛成した。



「なら俺はコーランさんに連絡しておくか。」

「私はマリアス侯爵に伝えますね。」


二人の家族に心配をかけないよう、セロとロッテはそれぞれ通信を送る。


ミューズの両親にはオットーが伝言を伝えてくれることになった。



すぐにでも蟹を食べたいナナのため、狩りはこの時点で中断。

すでに大量の獲物を得ていたこともあって中断はすんなりと決まる。



忘れずに拠点に道標を設置し、ミューズとレインを伴って王都へと帰還した。




王都に戻ると、マーサは酒場の仕事をしながらもしゃぶしゃぶの用意を済ませてくれていた。

しかし店を離れる訳にもいかず、いくつか足りないものがあるので手分けして夕食の準備を進めることになった。



まず、ミューズは商会で蟹の解体の指導だ。


鋏蟹は強酸を持っているので、安全の為に魔道具の障壁を使用。

解体に慣れるまでは万一の為に治療のできるジルとメリルが立ち合い、実際の作業は甲殻の切断が可能なセロが行った。


最初は多くの者が遠巻きに見ているだけだ。


危険個所も特定し、ミューズの指導によって他の作業員も解体の要領を掴んでいく。

さらにナナの切断付与によって鋭利になった包丁や鋏であれば誰でも甲殻が切断できることがわかると皆次々と解体作業に参加していった。



ミケ、クルル、トラは体格的にも手伝えることは少ないので今回は大人しく待っている。



ナナ、ロッテ、エトワール、レインの四人は蟹以外の具で不足しているお肉や野菜等の買い出しだ。


近場の食料品店で皆がリストアップされた足りない物を探す中、ナナだけは自分が食べたい物を選んでいる。



「親分ほどになると、どのお肉をチャプチャプするとうまいのかすぐにわかるんだ。お肉選びは親分に任せておけ。」

「はいはい。親分が好きなのでいいですから。レインちゃんも食べたい物があったら言って下さいね?」


「ありがとうございます。」



「ナナさん?お肉ばかりではバランスが悪いですわ。ちゃんとお野菜も選ぶんですのよ?」

「くるくる、うまいお肉はお野菜を兼ねるという言葉があるんだ。つまりお肉を食べておけば大丈夫ということだぞ?」


「そんな言葉はありませんわ!!」



店内は夕食時のせいか、多くの買い物客がいるのだが、エトワールの存在によってナナ達の周りだけぽっかりと空いている。


「どうして王女殿下がこんなところに…。」


エトワールの邪魔にならないよう、一般客は遠巻きにナナ達の様子を眺めていた。

ロッテは緑色に変色させた髪と眼鏡による変装によって今のところ正体はばれていないようだ。



ナナとレインの食べたい物は別枠として、ロッテはマーサとハンナに言われた不足品を補充するべく食材を選定している。


三人が素早く食材を買い物籠に放り込む最中、ナナは近くにいた自分と同年代の少女に絡んでいた。



「おい、おまえ。」


「え?」


母親に連れられて買い物に来ていた少女はナナにいきなり声をかけられ、変な声を出していた。


知り合いでも何でもない、完全に初対面のはずのナナが突然絡んできたことに驚き戸惑っているのだ。



「おまえの今日の晩メシは何だ?」


ナナの用事は夕食の内容を問いかけることだった。


「…丸鳥とキノコの香草焼きとジャガイモのスープ…、です…。」


この赤毛の少女が誰かは知らないが、王女殿下と同行している者に下手な対応は取れない。

少女は幼いながらもそう判断し、もたつきながらも返答していた。



「ふふん。それも美味そうだがまだ甘いな。あたしの晩メシは蟹のチャプチャプだぞ?ムフフフ…、どうだ?」


どうだと言われても困る、少女の表情はその心情を雄弁に語っていた。

そもそもその少女はチャプチャプと言われてもそれが何を指しているのかわかっていなかった。


ナナには少女のその反応が、参りましたとでも言っているように見えたらしく、上機嫌ににやりと笑う。



「お肉をチャプチャプして食べるんだ。美味いんだぞ?あたし大好きだ。」


少女は対応に困っているようだったが、とにかく自慢したいナナは構わず喋っている。


「あたしほどになるとな?あたしは何もしないで子分が代わりにチャプチャプするんだ。親分のあたしがそれを食べるんだ。」


お箸を上手に扱えないナナの代わりにロッテがナナの分のお肉も食べさせているということだ。



「す、すごいんだね。」


このまま黙っているのもどうかと思った少女は、必死に無難そうな感想を返していた。


「グフフ、当然だぞ。そんなすごいあたしだからこそ、晩メシもすごいのを食べるんだ。それがチャプチャプなんだ。」



いつまで続くんだろう。


少女はそんなことを考えながら喋り続けるナナに愛想笑いを返していた。



「親分!よそ様のお買い物の邪魔をしてはいけません!」


駆け寄ったロッテはナナを抱き上げる。


いつの間にかいなくなっていたナナが何か問題を起こしてはいないかと探してみれば案の定、という訳だ。



「もう買い物は終わりましたから帰りますよ。みんなお腹をすかせて待っているんですから。」

「ロッテ、親分はこれからチャプチャプについて赤裸々に語るところだったんだぞ?」


「まったく。何が赤裸々ですか。そもそもチャプチャプじゃなくてしゃぶしゃぶです。」



ナナはロッテに連行され、少女にとっての嵐は去り平穏が訪れた。





「エメラダさん、無事鋏蟹は手に入れられたけど、受け渡しはどうすればいいかな?」


その頃セロは自宅の物置で青緑の花に成果を報告していたところだった。


数体の鋏蟹を解体した後、獲物の内部構造も明らかになり、セロがいなくても解体ができるようになったので後を任せて報告を行っていたのだ。



青緑の花が鈍く発光する。


報告が伝わったと判断したセロが中庭に出ると、そこには転移門が開いていた。

中から歩み出たのは黒いローブの魔女人形だ。



「随分と早かったのね?お嬢ちゃんはそんなに蜂蜜と蟹肉を食べたかったのかしら?」


「そうみたい。美味しいって聞かされるとどうしても…。」



「食いしん坊さんなのね。」


セロと魔女人形はこの取引の原因となったナナの話をしながら、現在鋏蟹の解体を行っている倉庫へ向かう。



魔女の姿を確認した者達は一斉に手を止め、その顔は緊張に強張っている。


「驚かせちゃってごめんなさいね。」


そうは言いながらも魔女人形は平然と中を進んでいく。



「落ち着いて、みんな。大丈夫だから。」


セロは魔女に驚く皆に声をかけて回る。



「これと、これ。あとこれも頂けるかしら?」


エメラダ人形は解体前の鋏蟹を三体選び、セロもその三体の譲渡を了承した。

三体渡してもまだまだ十体以上残っているし、道標を設置した以上、いつでも追加を狩りに行ける。



収納魔術によって三体の鋏蟹を得た魔女人形は、ナナとの約束である蜂蜜の入った瓶をセロに渡す。

今度の蜂蜜は大きな瓶に入っていて、前回の倍近い量がある。


「前の蜂蜜はお嬢ちゃんがすぐに食べちゃったみたいだから、今回は多めに持って来たのよ。」

「ありがとう、エメラダさん。きっとナナも喜ぶよ。」


ここで魔女人形は一度辺りを見渡した。


「そういえばやけに静かだと思ったら、お嬢ちゃんはいないのかしら?」

「ナナは何人かで夕食の買い出しに行ってるんだ。」


「買い出し?てっきりこの蟹を夕食にするものだと思っていたけど…。」


目の前には、解体されすっかり食肉と化してしまった鋏蟹の肉が並べられている。

エメラダがそう思ったのも無理からぬことだった。



「ナナはお肉ばっかり食べてるから、ちゃんと野菜も食べさせないといけないんだよ。」

「ああ、なるほどね。私でも簡単に想像できるわ。」


普段の食事でも我儘放題に過ごしているであろうナナの姿がエメラダの脳裏に思い描かれる。



「…。」


何だか普通に話せてしまっているエメラダに対し、セロは思い切って誘いをかけてみることにした。



「エメラダさん。今日の夕食はナナの希望で蟹肉のしゃぶしゃぶなんだ。よかったら食べて行かない?」


その誘いはエメラダにとって予想外だったらしく、魔女人形は表情こそ変わらないが一瞬動きを止めていた。


「しゃぶしゃぶって、それ料理の名前なの?変な名前ね。」


喜びの感情からか、エメラダのその声はどこか弾んでいるように聞こえた。



「誘ってくれたことは嬉しいのだけど、急を要する仕事が入っちゃっててね。ある場所で助けを求めている者達がいるのよ。」


「手助けはいるかな?俺でよければだけど…。」


自分だけではあるが、エメラダが望むのであれば助けになるというセロの意思表示だ。


「ありがとう。でもボーヤはここでお嬢ちゃんと一緒にいてあげてね?その者達は私が助けることに特別の意味があるの。」


セロはその言葉だけで誰が助けを求めているのか、すぐにピンときた。



「魔人族の皆の移動がうまくいっていないの?ベルフェン氏族に捕まっちゃった?」


「あら。相変わらず鋭いわね。まだ捕まってはいないけどそろそろ限界みたいなのよ。ちょっと行って助けてくるわ。」


それは下手をすればベルフェン氏族の全戦力を相手取ることになりかねない行為だが、魔女人形は何でもないことのように言った。

セロもまた、エメラダの実力を鑑みれば実際にそうであることに疑いはない。


そしてエメラダの言う特別の意味についても、セロは正確にその内容を察している。


偽りではない、魔人族の真なる女王による救済は確かに彼らにとっては特別な意味があるだろう。



「夕食のお誘いと助力の申し出のお礼、というわけでもないのだけど贈り物を一つ追加しようと思っているの。」


最後に魔女人形はそんなことを言い出した。


「沢山の蟹肉に対して蜂蜜は少量だものね。」


とは言っても入手難度で考えれば双方は比べるべくもない。


中型害獣を倒せば手に入る鋏蟹の肉。

無数の大型害獣がひしめく巣の最奥付近で採取できる軍蜂の蜂蜜。


セロ達が持ち帰った全ての蟹肉を差し出しても、本来ならば到底釣り合わないのだ。



しかしエメラダにとってはどちらも大差ないという認識だ。

もちろん両者の価値については理解しているが、入手に対してエメラダが支払う労力は大した違いはないということだ。



「仕事を済ませたら迎えに来るわ。追加の贈り物はその時ね。大人達はきっと喜ぶと思うから楽しみにしててね?」



魔女人形はブリーズランドへの転移門を開くと、軽く手を振って向こう側へと消えて行った。

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