137 鋏蟹
数日が経過した。
学院の授業が終わってから、部活動として道標設置地点を少しずつ東に進める毎日だ。
密林の新規ルートの開拓は危険を伴うためにオルガンや商会員が引き続き同行している。
「何だか背の高い建物もよく見かけるようになってきた気がします。」
ロッテは照明で照らされた周りの景色を見ながら呟いている。
「駄目だぞ、ロッテ。探検したいと思っても我慢するんだ。お肉と蜂蜜が先なんだからな。」
ナナはロッテと手をつないだ状態で注意する。
探検は確かに魅力的だが、今は美味なるお肉と報酬の蜂蜜を第一に考えなければならないのだ。
「親分、探検したがっているのは親分で、私は探検したいなんて一言も言ってません…。」
ロッテは建物が高いと口にしたが、実際には気が付かない程に緩やかな下り傾斜を進み続けているため逆に皆の立ち位置が低い位置になってきているのだ。
「東の虹海に近付いている証拠だね。」
移動が順調であることの証であると、セロはロッテに足元の下り勾配について説明する。
「ジル、探知の方はどう?」
「まだ少し距離はありますが、東の方に鋏蟹という害獣が点在してます。広い範囲に生息しているみたいで数は多いです。」
目的の獲物は目の前だ。
「なら今日の夕食は蟹で決まりかな。」
その言葉の聞いたナナはすぐにマーサに通信を送る。
「母ちゃん、今日の晩メシはチャプチャプだ。あたし蟹を捕まえて来るからな?蟹のチャプチャプだぞ?」
ナナはマーサに前もって準備を頼んでおく。
「親分、チャプチャプじゃなくてしゃぶしゃぶです。」
このしゃぶしゃぶという料理は、実際に蟹を食べる海都の住民であるミューズやレインから教わっておいたものだ。
試しにと昨晩は王都で購入したグラン牛の薄切り肉を使ってのしゃぶしゃぶを食したところ、ナナはすっかり気に入ってしまったと言う訳だ。
「うぅ~、親分早くチャプチャプ食べたい。どんな味がするのか楽しみだ。」
「もうすぐですから。落ち着いて下さい、親分。」
ロッテは無意識に涎を垂らしているナナのお口を拭う。
「ジル、蟹まであと何歩だ?10か?20か?」
「ナナちゃん、それだともう目の前になっちゃうよ?」
待ちきれなくなってきたナナはすっかり落ち着きをなくしてそわそわしていた。
一行はさらに数時間歩く。
ナナを宥めたり、気を逸らしてみたり。
仲間達は徐々に興奮度を高めていくナナの相手に苦労しつつも何とか鋏蟹の生息地付近までやってきていた。
「明らかに樹木が少なくなりましたね。相変わらず暗いですが広くなった感じがします。」
それは土砂の減少と、虹海が近くなってきたことの証だ。
セロはまず、狩場として機能しそうな地形を選定し、商会員達は近くの建物を拠点とするため浄化の魔道具を設置。
皆が慌ただしく動く中、ナナは必死に蟹を探す。
「むぅ。光がないから見えないぞ。」
一応、まだ準備中なので遠くを照明で照らすことはセロに禁じられているのだ。
光に反応した蟹が寄ってきてしまうことを考えたのだろう。
そうなるとナナが頼れるのはジルしかいない。
「ジル、蟹はどこだ?」
「ここからは見えないけど近くにいるよ。沢山いるからナナちゃんいっぱい食べれるね。」
ジルの言葉は、ナナを喜ばせようと思っての発言だったのだがこの場合は逆効果となってしまう。
「ロッテ!親分の爆裂拳で蟹をやっつけるぞ!」
ナナはロッテに抱かれた状態で手足を振り回している。
「親分、暴れないで…。もう少しだけ我慢して下さい。それに蟹は商品にもするんですから爆裂禁止です。」
ナナの爆裂を使用すれば簡単に狩れるのだが、破損が大きくなるので商品としては駄目になってしまうのだ。
「しょうがないな。拠点の設営は任せて、俺達で軽くやってみようか。」
やってきたセロはナナの取り扱いに困っている仲間達に助け舟を出す。
「そうするのがいいぞ、兄ちゃん。早く食べよう。」
夕刻も近くなり、すでにお腹を減らしているナナは狩るをすっ飛ばして食べるになっている。
「じゃあ一匹連れて来るから、皆の練習がてら試してみよう。」
セロは緊急時を除いて戦闘には不参加なので害獣の誘引役を買って出る。
商会員達とそれを指揮するオルガンは拠点の準備でここにはいない。
前衛をアラン。
肉球で後衛を守る中衛としてミケ。
エトワール、クルル、トラは後衛として遠距離からの攻撃。
ジルも同じく後衛として怪我の治療と周囲の索敵を担当する。
ここでナナはロッテをじっと見つめる。
「ロッテは何をするんだ?ロッテは親分の子分なんだから親分並みとは言わなくてもそれなりに活躍しないと駄目なんだぞ?」
「うぅ…。」
戦闘向けの恩恵や技能を持たず、レベルも一番低いロッテは返答に困っている。
「やっぱりロッテは解説役のようだな。」
「ほっといて下さい!」
ナナとロッテがじゃれ合っているうちにセロがうまく一匹だけの誘導に成功したようだ。
セロに続いてそこそこの巨体が狩場に侵入してきた。
現れた鋏蟹は当然、皆が初見の害獣となる。
大蜘蛛と同じく、多脚型の害獣で胴体は大蜘蛛よりもかなり小さい。
ただしその脚は異様に長く、体長で言えば大蜘蛛の平均4メートルに対し僅かに小さく3メートル以上になりそうだ。
特徴的なのは全身を覆う堅そうな甲殻と、大きな鋏になっている両腕だ。
「守りが堅そうで中々強そうだぞ。親分程じゃないけどな。」
やってきた個体はすぐにナナに鑑定され、レベル46の中型害獣であると確認。
「でもあんまり美味そうに見えないぞ?大丈夫か?」
まだ倒してもいないのにナナが気にするのは味についてだけだ。
「エメラダさんが美味だって言ってるんだからきっと大丈夫だと思います。それにあの堅そうな甲殻も素材として使えそうですし、損はなさそうですね。」
ロッテは言葉を返しながらもその両腕はナナをしっかりと捕まえていた。
狩場の中央付近に鋏蟹が誘導され、同時にナナの照明が一斉に点灯し上空から狩場を照らす。
まるで昼間のように明るくなった広場の中央で、光に慣れていない鋏蟹は縮こまり怯んでいる。
普段まともに強い光を浴びることがないため、強烈な光は殆どの害獣に有効なのだ。
「ここからは俺の出番だな。」
「援護は任せるニャ。」
アランとミケが若干嬉しそうにしながら前に出た。
その背後ではジル達後衛組が緊張した様子で鋏蟹の動向に注目している。
「まずは拳で挨拶だ。」
アランは悠然と動きを止めている鋏蟹へと歩いて近づき、目を覆っている大きな鋏を殴りつけた。
ぷにっ。
「ん?何だこの変な手ごたえは?」
拳の感触に違和感を感じたアランは更に殴る。
ぷにっ、ぷにっ。
「何でだ!?俺の拳がまったく効かねえぞ!!?」
後に商品となる貴重な獲物を傷物にするわけにはいかない。
ナナの爆裂付与を利用しての爆裂パンチは禁じ手だ。
蟹肉を楽しみにしているナナもこっそり爆裂を付与したりしてはいない。
「こらっ!!アラン!!何だそのしょぼいパンチは!!」
後方よりナナのヤジが飛んでくる。
「ちっ、違うんだ!何でか分からねえが俺の拳がまるでクッションでも殴ってるみてえに…。」
どうしてそうなったのか、それはすぐに発覚する。
「肉球パンチニャ。ニャニャの代わりに援護してやるのニャ。」
謎のぷにぷにの原因はミケだった。
アランの拳に肉球を発生させているのだ。
ナナの爆裂付与が使えない代わりに自分が助けになろうと考えての行動だったのだが、完全に逆効果となっていた。
「うおおっ!!」
ぷにぷにぷにぷに。
鋏蟹にはアランの連打もまったく通用しない。
「…やっぱり親分が戦わないと駄目だな。よし!ロッテ、親分を抱っこして蟹の所に行くんだ!」
「親分は私と一緒に後ろで大人しくしていないと駄目なんです!!」
きっと何かやらかすに決まっている、そうロッテは思っているがそれは言わない。
「それに抱っこして行くってことは私も鋏蟹の前に立つってことじゃないですか!死んじゃいます!!!」
ロッテはナナの言葉を全力で拒否する。
「親分が一緒にいるから大丈夫だ。親分を信じるんだ。」
「信じてても怖いから嫌です!!」
「ロッテは親分の子分のくせにびびるとは何事だ!情けないぞ!!」
ナナとロッテが後方で騒いでいる間もアランは必死に回避を繰り返す。
「うおっ!あぶねえ!!」
攻撃が通用しないことはすでにはっきりしているせいか、アランは完全に回避一辺倒になっていた。
「ミケ、すぐにアランの肉球を解除するニャ。このままじゃ危険ニャ。」
トラはアランにかかったデバフの解除を試みる。
「ニャニャの爆裂パンチが使えニャいのに何もしニャいのはアホのすることニャ!!」
しかしミケには通じない。
ミケは長く一緒に過ごしてきたことですっかりナナの影響を受けてしまっていた。
「ミケちゃん、いい子だから肉球を…。」
「このままじゃアランさんがやられちゃいますわ。あと後ろのナナさんもうざいのでそろそろ真面目に…。」
ジルとエトワールはミケの説得に参加し、そうこうしているうちにどんどんアランは追い詰められていく。
「しょうがないな…。」
飛び込んだセロが鋏蟹の頭部に刃を突き立てる。
鋏蟹の堅牢な甲殻もセロの斬鉄には効果を示さなかったようだ。
こうして、仲間達の初めての鋏蟹との戦闘はさんざんな結果に終わる。
結局、戻ってきたオルガンと商会の戦闘員達、それとセロが主戦力となって狩りが始まった。
アラン達年少組はサポートに回ることになり、後方のナナは最初の獲物にまとわりついていた。
「ふんっ!ふんっ!」
鋏蟹をおいしくいただくために懸命に甲殻を剥がそうと力を込めるナナだったが、当然のようにびくともしない。
「親分、この蟹は捌き方みたいなものがあるんじゃないでしょうか?力任せにやっても駄目なのかもしれません。」
「むうぅ…、親分は味見をしておこうと思ったのに食べられないのか?」
味見という名目で、皆が狩りに精を出す最中にこっそりつまみ食いしようというナナの目論見はうまくいかなかった。
ミケはジルとトラからお説教。
エトワールとクルルはつたないながらもセロとオルガンへの援護射撃。
元狩猟者である戦闘員達は周囲の警戒と同時に次々と鋏蟹を狩場へと誘導する。
「二匹っす!お願いします!」
まず一匹、そして続けてもう一匹の鋏蟹が狩場に飛び込む。
「俺達が一匹やっている間はアランがもう一匹を抑えててね。」
「お、おう。」
「注意すんのは酸と鋏だ。それ以外はどうにでもなる。」
セロとオルガンは大量の鋏蟹を処理しながらもアランへの訓練も同時に行っていた。
最初の一匹をすぐに片付け、アランの戦闘を観察して適当なところで参戦する。
「ふんっ!ふんっ!」
ナナは未だ諦めずに鋏蟹の甲殻を剥がそうと頑張っている。
その背後にはすでに狩られた鋏蟹が山のように積み上げられていた。
「親分、狩りが終わったら一度海都に飛んで蟹の捌き方を教えてもらいましょう。だから今は我慢を…。」
ナナは我慢できなかった。
「そうか!親分わかったぞ!!」
唐突に転移門を開くとナナは飛び込んでいく。
行先は海都の二号店の奥にある転移室だ。
「親分!?」
狩場は完全に浄化されているので転移先が汚染される心配はない。
それでも危険な狩場と転移門で直通させるのはあまり褒められた行いではないのだが、ナナの頭の中は蟹肉を食すことでいっぱいになっていた。




