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フヨフヨ  作者: 猫田一誠
10 廃棄場
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136 勉強

光都教会の奥、普段はメラン大司教が執務に使用している部屋でヴォロスは寛いでいた。



その傍らには修道女ルーン。

甲斐甲斐しくヴォロスの眼前に置かれたカップに紅茶を注ぐ。



「ありがとうございます、ルーン。」


ヴォロスは自らのトレードマークにもなっている仮面を脱ぎさり、紅茶に口をつける。


その顔は、十年前から何も変わっていない金髪のイケメンだ。

その素顔を知る者が見れば、外見的には当時からまったく歳を取っていないようにしか見えないだろう。



ヴォロスが静かに紅茶を楽しんでいたところ、コンコンと扉をノックする音がした。


がちゃりと無遠慮な音を立てて扉が開き、やってきたのはサインとアベルの二人組だった。



「ヴォロス君、お疲れ様。実に楽しく拝見させて貰ったよ。」


まずはルーンが二人の邪魔にならぬよう一歩後ろに下がり頭を下げる。


「いえいえ、セロ君にあっさりとメランについて知られてしまいました。お恥ずかしい限りですよ。」

「君が素直に肯定したことも、セロ君がその確信に至っていると考えたからなのだろう?わかっているよ。」



サインはヴォロスの対面側に座り、アベルはその背後に立つ。


「しかし道化殿は不満そうだったよ。ナナ君がケーキを食べた後は寝てるだけだったからね。何をやってくれるのかと期待していたようだ。」


「廃棄場での彼らの活動に関して言うのであればナナ君は十二分に貢献しているとは思いますがねぇ。最後があれでは物足りないと思ったのでしょう。」



二人が笑い合う間、ルーンはサインとアベルの分のお茶を用意し、カップをテーブルに置く。


「おっとそうだ。忘れないうちに記憶を復旧しておこうか。」


サインは配膳中のルーンを見る。


「シャイセとイルマ、それと鬼達の記憶の復旧は済んでいる。後は君だけだよ、メラン大司教。」



ルーンは突然の宣告に反応できず、きょとんとしてサインを見返している。

サインはそんなルーンの返答を待たずに、奪い取っていた記憶を付与した。


「うっ!」


ぴくりと肩を震わせるルーン。


僅かな時間、そのまま固まっていたルーンだったが、記憶の同期が終わったのか、小さく微笑んだ。

それは同じ外見でありながらも、まったくの別人を思わせるような笑みだった。



「気分はどうですか?メラン。思い出せない事などはありませんか?」


ヴォロスの気遣うようなセリフにメランは表情を綻ばせる。


「はい、大丈夫です。記憶に不備はありません。」


口にした通り、自分に関して思い出せない事柄や不明瞭な出来事に思い当たる節はない。

むしろメランは、どこか他人事のような感じで聞いていた昔語りの中心にいた人物が自分自身であったことに不思議な戸惑いを抱いていた。



「すみません、メラン。貴方が管理者であったことを認めてしまいました。」


記憶を取り戻したメランに対し、ヴォロスが最初に行ったことは謝罪だった。

ヴォロスがそれを認めなければ、怪しいとは思いつつもメランがそうであると特定することはできなかった筈なのだ。


「構いません。先生には深いお考えがあっての事だと思っております。」


「そう遠くないうちに、貴女には彼らと交流を持ってもらおうと考えています。これはその時のための布石となるやもしれません。」



ヴォロスはルーンがメラン本人であることを見破れるかどうかという点においても密かにセロを試していた。

だが流石に面識もない人間、しかも本人がそうである記憶を持っていない状況ではそこに至ることはできなかった。



「先生のなさることに間違いはありません。私はそれを信じてついていくだけです。」


メランは妻としても部下としても、ヴォロスへ向ける信頼は揺るぎないものだ。

ヴォロスのあらゆる行いについて疑惑のひとかけらすら抱くことはない。



「とりあえず下では新たにここに赴任したサブナク大司教と鬼達の顔合わせも終わったころだ。メラン大司教が王都へ移動する際には私も同行するつもりだよ。」


記憶の復旧を終えたサインは、もはやここでやるべきことはないとでも言いたげな様子だ。


サインが同行するということはアベルも同様だ。

しかしサインの移動についてはヴォロスが待ったをかける。


「すみませんが、静寂殿は今少しお時間を取らせて下さい。いくつか確認しておきたい事がありますので。」

「ああ。構わないよ。」


続けてヴォロスはメランにも声をかけた。


「シャイセとイルマは補佐として同行させなさい。見知らぬ土地で一人にする訳にもいきませんし、王都の大聖堂は人手不足ですから。」


以前の国王暗殺事件時、明るみに出たサブナク大司教の行いから王都の大聖堂は騎士団の厳しい監視の目に晒されているのだ。

出入りする見慣れない人物等はすぐに目を付けられることになる。



「すみませんね、メラン。これについても私は貴女に謝罪せねばなりません。もっとよい赴任先を用意できればよかったのですが…。」

「先生が神鍵を得る為のことです。私に不満などありません。」


ヴォロスの再度の謝罪にもメランは微笑みでもって返答した。



話が一区切りついた丁度いいタイミングでコンコンと扉がノックされた。


「ヴォロス様、グリンガル枢機卿猊下がお見えです。」


その声はシャイセのものだ。

ヴォロスはそれに素早く応じる。


「こちらに案内をお願いします。」



しばらくして、扉が開かれシャイセとイルマに案内されてきた魔女が姿を現す。

エメラダ本人ではなく、黒いローブの魔女人形だ。


魔女人形を経由しての転移魔術でサイン達やサブナク大司教と一緒に転移してきたのだろう。

その背後にはサブナク大司教が付き従うように立っている。


二人の案内後、シャイセとイルマは三人分の荷造りの為、一旦退室した。



「廃棄場支部、光都教会の管理をお任せいただきます、サブナクです。」


サブナク大司教は一歩前に出てヴォロスやサインに一礼する。


「よろしく頼むよ。君の仕事はこれからやってくるであろう新規入場者の管理業務となる。」

「心得ております。」


サインの言葉にサブナク大司教は淀みなく返答する。


教会としては僻地と言える光都教会だが、変革機関という組織にとっては聖洞教会と並ぶ重要拠点だ。

サブナク大司教にとってはこれは左遷ではなく栄転と言える。


対して王都へ異動となったメランは、王都での任期を経た後、総本山にてヴォロスの補佐に就くことが内定している。

つまりこちらも順調に教会内部での地位向上に向けて前進しているということになるのだ。



「なら後はメランとシャイセとイルマを王都の大聖堂に移動させるといいのね?ヴォロス達はどうするの?」


「私達はもう少し今後について話し合ってから、道化殿に一度総本山に送ってもらうことにします。」


ヴォロスとサイン、現在のアルカンシエルの行動方針となっている闘争による変革を主導する二人にはまだ検討する議題が残されているのだ。



「何か問題でも浮上したのかしら?」


「いいえ、そうではありません。」

「計画は順調そのものさ。王国を中心とした通商協定に参加した者とそうでない者がこの世界に残された最後の果実を奪い合うんだ。」


二人には特に困ったような様子はない。


「順調だからこそ、不測の事態を回避する為に色々と話し合っておくことがあるのですよ。」



計画に参加してはいるが、あくまで自分は協力者であるという認識のエメラダはそれ以上の事は聞かなかった。



「そうそう、ヴォロスとメランに聞いておきたいのだけど、西の修道院のあれを彼らにプレゼントしても構わない?」


思い出したようなエメラダの問いかけだった。


ナナへの課題とした蟹肉の回収が出来たら、蜂蜜に加えてもう一つ、贈り物を追加しようと思い立ったのだ。



「そうですね、タイミングとしては頃合いでしょうし、彼らの好感を高めるのにも良さそうです。どうですか?メラン。」


「私としては、あれはもう十分に苦しみ、贖罪を果たしたと考えています。エメラダ様の思うようになさって下さい。」


「ありがとう、そうさせてもらうわね。」




話が終わるころには、三人分の荷物を纏めたシャイセとイルマがやってきた。


転移門が開き、エメラダとメラン、それとシャイセとイルマが移動する直前、ヴォロスはメランに声をかけた。



「メラン、王都での業務とは言っても、実質的には貴女は私の補佐となります。これからは多くを学ぶ必要がありますよ?」


十年前のオルガン達の脱出以後、通行許可を得たメランは外界に出るよりも当時の夫であるエルンストの傍にいることを選んだ。

エメラダの転移によって外界を観光する機会はあったが、基本的には光都教会で夫を支える生活だ。


ヴォロスの言葉は、本格的に外界での活動を行う際にはまだまだ必要な知識が足りていないという指摘だ。


「先生、それこそ私の望むところですよ?」


夫を支えることがメランの望み。

ならば外界の知識を得ることもまたそうであるということだ。



そこが廃棄場でも、外界でも、メランの望みは変わらないのだ。





メラン達が魔女人形の転移門の向こうに消え、密かに王都へとやってきた頃。



「お勉強はイヤだ!!!」



ビフレスト商会ではメランのこれからと真っ向から対峙するようなナナの叫びが響き渡っていた。



今日も今日とてナナは逃げ回る。


「待ちなさいっ!親分!子分のみんなが頑張っているのに親分がそんな体たらくでどうするんですかっ!」


走り回るナナをロッテが追いかけ、足の遅いナナがあっさりと捕獲されるいつもの光景だ。



普段との違いがあるとすれば、ここが学院ではないということだろうか。


ビフレスト商会敷地内の空き倉庫を教室として利用しているのだ。



新たな家族として商会員見習いとなったナナの子分である子供達。

文字の読み書きや四則計算等は必須技能であるとしてお勉強の時間が設けられており、掛け算で躓いているナナも参加させられることになったのだ。



「ニャニャが捕まったニャ。」

「ロッテは雑魚ニャのに素早いニャ~。」


トラは元より、ミケとクルルも大人しく座っている。


「そこっ!雑魚とか言わない!!」


暴れるナナを抱きかかえたロッテはミケとクルルに注意を飛ばす。



「親分も僕達と一緒に勉強しましょう。」


ナナを宥めようと声をかけてきたのはアカシャだった。



「アキシュはロッテに騙されているぞ?そもそも空巣が算数を勉強してどうするんだ?」

「親分、そもそも僕はアカシャであってアキシュでも空巣でもないんですが…。」


未だにナナはアカシャのことを空巣だと考えていた。

廃棄場に居た頃は空巣で生計を立てていたと思い込んでいるのだ。



「親分?いい加減アカシャ君を空巣扱いするのはやめてあげて下さい。」


ロッテはナナを座らせ、教師役を継続するために教壇に戻る。



ナナの両隣にはジルとエトワール。

二人はすでに熟知している授業内容になるのだが、ナナの逃亡阻止のために協力しているのだ。



「ふぅ。親分に掛け算の勉強なんて必要ないんだ。親分はすでに掛け算なんてとっくに卒業しているんだぞ?」


溜息をつきながら、やれやれといった感じでナナが言う。


「九九もできないのに親分は何を言っているんですか?」


そんなナナをロッテはジト目で見つめる。



ナナはただにやりと笑った。


「親分ほどの天才美少女が九九ごときにいつまでも手こずっている訳が無いんだぞ?」


「え?出来るようになったんですか?」


そんな訳がないとすぐに思い直したロッテだったが、ナナのあまりの自信ありげな態度に思わず口走ってしまったのだ。



「ふふん。親分は一の段を極めたんだ。正解率100%だぞ?」



「…。」


ロッテは呆れて物も言えない。



計算式に解答が含まれている一の段。

それはナナにとっては、秘孔はここですと体に記されたモヒカンのようなものだ。


弱点が分かってしまえばその攻略は容易い。

何故ならナナは天才美少女なのだから。



「…一の段だけですか?二の段は?」


「ロッテはアホだな。学院の先生だって若いうちは器用貧乏になるよりもこれだと自信を持って言えるものを一つ頑張れって言ってた。」


その教師は幼い内は短所を補うよりも長所を伸ばしてやるべきだという方針だったようだ。


つまり一の段を極めたナナに他の掛け算は必要ないという物言いは、一人の教師の教育方針を悪用した屁理屈となる。



「九九は全部覚えないと駄目なんですっ!!」


声を上げるロッテ。


しかしナナはそんなロッテにも余裕の態度だ。



「ふふん。ロッテは甘いな。親分はすでにそんな九九とかいう低次元なお勉強はとうの昔に飛び越えて遥かな高みにいるんだ。全ての掛け算は親分の前にひれ伏したんだぞ?」


「親分は一体何を言ってるんですか!?私は誤魔化されたりしませんから!!」



ナナはまたもやにやりと笑った。



「ロッテはしょうがない子分だ。なら親分が編み出した新しい理論を教えてやるぞ。親分は掛け算の世界に革命を起こすんだ。」


一の段を極めただけではない。

九九という範疇に収まらない、まったく新しい算術理論だとナナはのたまう。



「グフフ…。ロッテ、親分に掛け算の問題を出してみるといいぞ。びびってしっこ漏らしても知らないんだからな?」



「私は漏らしたりしません!!」


ロッテは反論しながらも教壇の後ろ、教室の壁に掛けられた黒板に問題を書く。




8×5=




「さあ親分!答えを言ってみて下さい!」


これまでのナナであれば、迷うことなく85と回答したことだろう。

しかし本当に正解が分かるのであれば、ナナの口からはちごしじゅうという言葉が聞けるかとロッテは考えていた。



しかしナナは何かを口にするでもなく、すくっと立ち上がり黒板の前へ。


「ロッテ、親分の天才にびびるんだ。これが親分が編み出した究極奥義、零の段だ!!」



技名を叫んだナナは踏み台を使って黒板に答えを書く。





0×8×5=0




「…。」




ロッテはナナが問題の前後に書き加えた数字を見て、開いた口が塞がらない。



「ムッフフフ。親分の前では全ては零になる…。掛け算を極めし者、零の支配者。それが親分だぞ?どんな掛け算も親分の敵じゃないということだ。」



ロッテはまたもや呆れて物も言えない状態になっていた。



「アランが0を掛けたら答えも0だって言ってたんだ。」


とナナがぼそりと呟いていたのもしっかりと耳にする。



ナナは問題の方に0と×を追記すれば答えは0になるという法則を編み出したのだ。


「最初にマルとペケを書けば答えは0だ!これが親分の新技、零の段だぞ!!」



(アランさんについてはリナさんに報告してお説教してもらうとして、親分は…。)


実際には別に間違ったことは教えていないアランだったが、それを悪用したナナのせいでお説教が確定していた。



「これでロッテも親分にお勉強は必要ないと理解したに違いないぞ。どんな問題も親分が0にしちゃうんだからな。という訳で親分はおやつを食べに行くぞ。」



ナナは自然な感じで格好を付けつつ教室を出て行こうと歩き出す。


「逃がしませんっ!!!」


ロッテは素早く回り込んでナナを通せんぼ。


「ムフフ。ロッテめ、親分が凄すぎるから焦っているな?何度やっても無駄無駄無駄だぞ。全ては零に…。」

「問題の方を改竄するのはズルだから無効ですっ!!!」



ふにっ!!



「ふにゅにゅにゅにゅ…!!?」


結局ナナはロッテに顔面を挟まれることになってしまった。

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