過ぎ去りし七色 22
「地下の研究区画で虹鬼が発生した。」
「研究員にも多数の被害が出ている。」
「安全の為にビフレストへの避難指示が出た。」
「速やかに対応を頼む。」
ジーセックは地下の研究区画と楽園、光都教会を繋ぐ階段室を出てすぐ近くの管理局で騒いでいた。
自分自身が楽園で騒いだところでまともに取り合って貰える可能性は低い。
管理側から避難指示を出してもらうのが手っ取り早いという判断だ。
「あの、ジーセックさん?何を言っているんですか?虹鬼って楽園に虹化体が出現したとでも?何かの見間違いではありませんか?」
管理局の窓口にて、予想通りの反応を示す局員。
そんな対応にもジーセックは冷静に言葉を返した。
「シャイセ様かイルマ様はおられませんか?」
しばらくして、やってきたシャイセとイルマは光都教会の修道女だった。
見た感じは若い。
おそらくまだ十代だろう。
そんな若い女であっても、修道服を着ている以上はここでは支配階級に属する人間ということになる。
にもかかわらず、二人は腰も低く、高圧的な態度はまったく見受けられない。
「えっと、ビフレストの方のようですが私共に何か御用ですか?何でも名指しでの呼び出しだそうで…。」
数少ない教会の人間は通常楽園に下りてくることはほとんどない。
その名を知る者すら限られているのだ。
そんな中に名指しの呼び出しとあっては無視も出来ないと判断したようだ。
「地下の研究区画で、メラン様よりお二人に伝言を預かりました。」
メランの名を出した瞬間にシャイセとイルマの顔つきが真剣なものに変化する。
「どうぞ。」
何もわからない管理局員が狼狽える中、二人はジーセックに続きを促した。
ジーセックはメランに言われたことをそのまま伝える。
「わかりました。」
シャイセとイルマの行動は迅速だった。
すぐに管理局員達に指示を出し、それは警備隊へと通達され、一斉避難が開始された。
管理局には状況の問い合わせが殺到し、あっという間に混雑してしまう。
シャイセとイルマはいつの間にか姿を消していたが、ジーセックはそのままその場に残りメランの望み通りに騒ぎを煽っていた。
楽園の出入り口となっている通路では、すでに多くの人間が騒々しく地下街へ向けて階段を登っているところだ。
研究員として楽園で暮らしていた者とその家族。
それと警備隊として楽園に勤務していた者の家族達だ。
「これがラズンの言っていた騒ぎだな。」
オルガンは集団に逆走する形で素早く階段を下りていく。
そのまま地下道へ向けて移動していると管理局付近で人ごみの中、声を張り上げるジーセックの姿を見つけた。
「ジーセック…。」
接触するべきか、否か。
オルガンが悩んだのはほんの一瞬。
(ラズンの指示にない余計なことはしないでおくか。あれも脱出の為の陽動なのかもしれねえしな。)
管理側に操られての行動である可能性も考え、オルガンはここでの接触は避けるべきだと判断した。
そのまま喧騒を走り抜け地下道へ。
地下道へ続く下り階段の途中には、ラズンの姿があった。
「待ってたぜ、オルガン。」
ラズンを見てほっとしたオルガンは足を止めて笑いかける。
「途中にジーセックがいたがほっといていいのか?」
「大丈夫だ。奴には別の役目がある。他の仲間もタイミングを見て俺が回収してくるよ。」
「それならいいんだけどな。」
ラズンに全てを丸投げしているオルガンは完全に思考放棄した状態のまま、どかりと階段に腰を下ろした。
「にしてもあの騒ぎは一体何なんだ?」
「楽園の地下の施設で虹鬼が出現したってよ。とは言ってもすでに楽園の王によって始末されているんだけどな。」
「虹鬼だと!?」
下級鬼に殺されかけた経験があり、鬼の強さを肌で知っているオルガンからすればそれは大事だ。
「ほら、俺って前の造鬼実験に参加したりしてたろ?」
造鬼実験に参加したことのあるラズンは、その時に次回の実験の情報を入手しており、今回の騒ぎはそれを利用してのことなのだそうだ。
「まさかお前、誰かを鬼に変えちまったってのか?」
地下街に隠した秘薬を使って騒ぎを起こしたのかと疑っているのだ。
以前に咎人をあっさりと犠牲にして見せたこともあり、オルガンはラズンに疑惑の目を向けた。
「いや、流石にそれはできねえよ。そんなことをしたら鬼になった奴に俺が殺されちまうだろ?」
「それもそうか。悪いな、変なこと言って。」
あくまでラズンは予定されていた実験を利用して騒ぎを起こしたのだと言ってオルガンに実験の内容と結果を説明する。
「実験には楽園の王が立ち会うことになっている。騒いじゃいるが実際には危険はない。虹鬼も王に始末された後だ。俺らはそれを脱出に利用させてもらうだけさ。」
地下道への階段に潜伏したまま騒ぎをやり過ごす。
「そろそろいいか。オルガン、俺は皆を集めて来る。全員揃ったら脱出だ。」
ラズンは立ち上がり、楽園へと戻って行く。
「俺はついてこなくて大丈夫か?」
「入れ違いになるのもあれだしな。オルガンはここで皆の到着を待っていろ。」
合流地点を無人にする訳にもいかない。
各所に散っていると思われる仲間達を集めることが出来るのは事態を把握していないオルガンには出来ないことだ。
他の皆にはどんな指示を?
今は何処で何をやっている?
仲間達の合流を待つオルガンの脳裏には様々な疑問が浮かぶ。
脱出の段取りについて何もわからないオルガンだったが、去っていくラズンにそれを問いかけることはしなかった。
(事情は話せないってことだったしな。よくわからんがラズンに任せておけばいい。)
時が過ぎ、それと知らずに最後の機会を自ら放り投げたオルガンの背後からゆったりとした足音が聞こえてくる。
振り返ったオルガンの元に現れたのは仲間達ではなく楽園の王とされる老人だった。
地下の研究区画、虹素研究室奥の実験室には、メランの元に戻ってきたラズンとジーセックの姿があった。
言うまでもなく二人とも魅了状態にある。
「さてと。さっさと済ませてしまいましょうか。」
ケルトスが暴れた際にここに詰めていた多くの研究員は死傷している。
その数少ない生き残りと思われる研究員達がジーセックを拘束していく。
魅了状態にあるジーセックはされるがままだ。
「メラン様、移送の準備はできています。」
こちらは研究員達と同じく魅了状態にある警備隊の者達だ。
フラメルの搬送を済ませて戻ってきたのだ。
彼らの次の仕事は、フラメルと同様の場所にジーセックを搬送することとなる。
ジーセックは拘束された状態のまま箱に詰められ運ばれていく。
おそらくは地上の密林の何処かで魅了も解けるだろうが、非力なジーセックにはもはやどうすることも出来ないだろう。
ケルトスは死亡、ジーセックとフラメルの処置は完了。
オルガンの元へは楽園の王が向かった。
確実にオルガンが捕縛されることをメランは微塵も疑っていない。
ラズンは連れ去られるジーセックに対しても何の関心もなく、息を弾ませ潤んだ瞳でひたすらメランを見つめていた。
「最後はあなたね、ラズン。」
メランは残されたラズンに告げる。
ラズンはその言葉と、向けられたメランの視線に反応して強烈な快楽を享受していた。
完全な魅了状態にあるラズンの様子を見てとったメランは自身の勝利を確信する。
「先生からの命令もあるし、貴方にはその前にいくつかやってもらうこともあるわ。ついてきなさい。」
メランは自らの傀儡となったラズンを伴い、光都教会へと戻って行った。
「ぐおっ!!」
オルガンは壁に勢いよく叩きつけられ衝撃に呻き声を洩らしていた。
仲間達の合流を待っていたオルガンの元に現れた楽園の王は、オルガンに何も言わず攻撃を仕掛けていた。
現在は戦いの場を階段の下、物資の集積所となっている巨大な空間に移している。
「わかっちゃいたが、まったく勝てる気がしねえな…。」
オルガンはすでに頭部から血を流し、足をふらつかせている。
楽園の王は魔術を使用していない。
そして武術の類も何も修めてはいない。
だが両者の間に横たわる圧倒的な身体能力の差は、戦いを一方的なものにしていた。
ケルトスと違い、オルガンの殺害は許されていない。
楽園の王はやり過ぎて殺してしまうことを懸念して手加減しているのだ。
痛めつけ、無力化した後に加減した凍結魔術によってその意識を刈り取るというプランだった。
「畜生…。これで終わりかよ…。」
オルガンもさすがにこの状況になれば気付く。
合流場所に現れたのが仲間達ではなく楽園の王であったことの意味。
ラズンは失敗したのだ。
ドスッ!
オルガンに知覚できない速度で飛び込んできた楽園の王の拳打が腹部に突き刺さる。
「ぐはっ!!」
想像を超える痛みと衝撃にオルガンは蹲った。
計画のすべてを任せていたラズンに対する恨みつらみの気持ちはまったくわいてこない。
(ラズンは精一杯やった。最大の成果を叩き出した筈だ。相手がそれを上回っただけのことだ。)
ガツン!!
蹲ったオルガンの顔面を蹴り上げる楽園の王。
高い天井付近にまで舞い上がったオルガンは、受け身も取れずにそのまま地べたに叩きつけられる。
「ぐぅ…。」
これまで多くの者を屠り、絶対強者としてその支配下に治めて来たオルガンだったが、ここにきて更なる強者に敗北を喫することになる。
強者として弱者から多くのものを奪い取ってきたという自覚はある。
だからこそオルガンは、自分が奪われる覚悟もまた常に胸に抱いていた。
「しょうがねえな。俺達の負けだ。」
呟いたオルガンは楽園の王の強烈な一撃をもらい吹き飛ばされる。
足が言うことを聞かず、立ち上がることが出来ないオルガンは目の前の楽園の王の姿を目に焼き付ける。
背後には外界へと続く地下道が続いているが、オルガンはもはやそちらを見ようともしなかった。
攻撃を避けることも受けることも出来なくなったオルガンはただ無防備に殴られ続ける。
やがて意識が朦朧としてきた頃、オルガンは朧気ながら周囲の気温が急激に低下するのを感じた。
ここでオルガンの意識は途切れ、氷漬けになったオルガンの体を担ぎ上げた楽園の王は無言のまま歩き去って行った。
「ん…。」
眠りから目覚めたフラメルは見覚えのない部屋に寝かされていた。
両腕は後ろに縛られ、部屋の隅に据えられた寝台に括り付けられている。
「何これ!?」
フラメルの身体を拘束するロープはきつく縛られていて、とても自分だけで解けるようなものではない。
一体どうして自分はこんな状況に陥っているのか。
フラメルはその理由を知るべく、まずは周囲を観察する。
部屋はそれなりに広かったが、中には自分が括り付けられている寝台だけで他には何もない。
天井から吊るされた一つだけの浄化灯が室内をうっすらと照らしている。
壁際には多くの男たちが立ち、フラメルの姿をニヤニヤと笑いながら眺めていた。
誰もが汚らしい恰好で、異臭を放っている。
どの男もビフレストや楽園ではまったく見かけない顔だった。
「嘘でしょう…?」
ここはおそらく地上集落の何処か。
フラメルはすぐに自分が置かれている状況を察した。
そんな場所に自分のような女が一人でいるということがどういうことか。
そしてこれから自分がどのような目に遭わされるのかも簡単に想像がつく。
フラメルは自分でも気づかないうちにカチカチと歯を鳴らし始めていた。
男達はそんなフラメルを眺めては気持ちの悪い笑みを浮かべるばかりで何もしてこない。
どうやらこの部屋は地下に存在するらしく、やがて上の方で何やら物音が聞こえ始める。
「お、やっと来たか。待ちくたびれたぜ。」
間を置かずに部屋に大きな箱が運び込まれた。
一人の男が箱を蹴飛ばし、その中から拘束された状態のジーセックが転げ落ちる。
「ジーセック!!」
フラメルは叫び、懸命に夫に近寄ろうとするがきつく結ばれた拘束はそれを許さない。
近付いてきた別の男がジーセックの猿轡と目隠しを取り去る。
「フラメル?これは一体…?」
少し前まで魅了状態にあったジーセックには状況がまったくわからなかった。
ラズンと違い、長い時間魅了されたままだったジーセックの記憶は数日前のものだ。
ビフレストで愛する妻であるフラメルや仲間達と普通に生活していた筈がいきなりこのような場所に拘束されて放り込まれているのだ。
ジーセックは冷静さを失い訳も分からず完全に困惑していた。
「じゃあ早速始めさせてもらうか。」
そう言って動き出した男達は一斉にジーセックに暴行を加え始めた。
「なっ、何をするの!?やめて!やめてよ!!」
フラメルが暴れ叫ぶが男達はジーセックに対する暴行を止める気配はない。
見る見るうちにジーセックは血まみれになり、ぐったりと抵抗を示さなくなっていく。
「ここは咎人の集落だ。この地下室は衛兵も知らねえし、ここでいくら叫んでも地上までは届かねえぞ?」
暴行に参加していない男はフラメルに現状を語りだす。
ジーセックは意識こそしっかりしているがすでにボロボロで男達に押さえつけられた状態だ。
「お前達はビフレストへの不正入居ってことで咎人になったんだとよ。よかったな、ここが本来お前達がいるべき場所だ。」
男はフラメルを殴りつける。
「なんかお前ら、使える恩恵もねえくせに強い奴にへつらって下層に住んでたんだって?ふざけんなよ?」
男はフラメルの腹を蹴りつけた。
「これからは不正行為なんぞ許さねえからな?男は俺らの為にただ働き、女は俺らの子を産む。それが外民ってもんだろ?」
男はフラメルの髪引っ張り顔を持ち上げ、また殴りつける。
「俺らはそんなクソッタレな環境の中でみじめに暮らしてんだぞ?なんでお前らだけ特別扱いなんだ?馬鹿にしてんのか?」
男は蹲ったフラメルの頭を踏みつけた。
咎人達はジーセックとフラメルがどのような人物であるのか、運搬人から説明を受けていた。
運搬人から示された二人を預ける条件は二つ。
外部にその存在を知られないようにすること。
基本的に何をしても構わないが、最低でも三年は生かしておくこと。
これらは楽園上層部からの厳命であり、破れば狩猟隊どころか楽園の王直々に討伐されるとしっかり釘を刺されている。
ジーセックは暴行を再開され、やがて痛みも感じなくなりその思考は混濁していく。
完全に抵抗しなくなったジーセックを部屋の隅に蹴りやると今度は男達はフラメルを包囲する。
「やめて…、許して…、下さい…。」
フラメルは震えながら懇願するが、それは男達を喜ばせるだけに終わる。
凌辱が始まった。
すでに抵抗する気力を失っていたフラメルは衣服を破り捨てられながらも、ぼんやりと天井を見つめて考えていた。
(ああ。私達、失敗しちゃったんだ。これが私の結末かぁ。あ~あ。外界、行きたかったなぁ…。)
全てを諦めたフラメルはその心の内で最後に精一杯の強がりを見せた。
この時、フラメルの脳裏に浮かんだのは夫であるジーセックではなく、オルガンやラズンでもなく幼いセロだった。
(セロちゃん…。)
フラメルは今はまだ幼いセロがいつの日かこの悲しい世界を変えてくれることを心から願い、そして自らの心を手放した。
こうしてオルガンとその仲間達は管理者代行であるメランの手に落ち、皆で夢見た外界への願いは打ち砕かれた。




