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フヨフヨ  作者: 猫田一誠
10 廃棄場
172/236

過ぎ去りし七色 21

「やめてくれ…、ジーセック…。」


ラズンは鎖に繋がれたまま、力なく項垂れて呟いていた。


長時間に渡って暴れ叫んでいたラズンの体は、鎖と接触している部分の皮膚が破れ出血していた。



ケルトスの方は痛みに慣れたのか、時折身体をびくりと震わせ微かな呻き声を上げる程度になっていた。


すでに両腕と両脚は切り開かれたままになっていて、それぞれの健は切除された後だ。

激しい痛みに加えて、ケルトスの手足にもはやその意思が宿ることはない。


(これじゃもう俺は戦えない。だが…。)


オルガンに次ぐ強者であったケルトスに期待されていたのは当然その高い戦闘能力だ。

それが完全に失われてしまったというのにケルトスには何か考えていることがあるようだった。



ケルトスは俯いたままのラズンに懸命に目線を送り、やがてラズンもそれに気が付いた。


戦闘能力を奪われ、仮に拘束を解かれたとしても何もできることはないはずのケルトスの目が、未だ光を宿している気がした。



「…!…!!」


ケルトスはジーセックの目を盗んでラズンに何かを伝えようと口を動かす。


(何だ…?ケルトス様はあんなになっても何か俺に伝えたいことがあるのか?)



ラズンにわかったことは、ケルトスはまだ諦めてはいないということだけだった。



「ジーセック。もういいだろう?ケルトス様はもう両手両足共に動かせない。」


ジーセックはラズンの声に手を止めて振り向いた。

ラズンを見るその目はまるで路傍の小石でも見ているかのように何の感情も感じられない。


(なるほど。これまでのジーセックはあくまで演技。こっちが魅了状態での素の対応ってわけかよ。)


「この拘束を外してくれないか?最後にケルトス様と話がしたいんだ。ここからだと声がもうよく聞こえないんだよ。」



「…。」


ラズンを見てはいるが、ジーセックはからは何の返答もない。



「メランさんは最後に話くらいはさせてくれるって言ってたぜ?そのままだとケルトス様は死んじまうぞ?いいのか?」


「う…。」



それはラズンが駄目元で言ってみただけのでまかせにすぎなかったが、効果は劇的だった。

ジーセックは無言のままにラズンの拘束を外しにかかっている。



(え?マジか?もしかしてこいつの魅了状態ってのは…。)



魅了されている状態であっても、思考や判断に何らかの障害が出るわけではない。

元々の立場を維持する為の演技も完璧にやってのけるくらいだ。


ただし、そこにメランが関わらなければ、という条件がつく。



そうあれ、と命令されている状態であればメランの目の前でも完璧にそれを実行する。

だがそうでない場合は、常にメランを最優先として行動するためにラズンが適当に言ったでまかせでもメランの名を使われた以上無視はできないのだ。



(メランさんの名前を出せばそれなりにこちらの要望を受け入れてくれると考えていいのか…?)


これは状況を打破する糸口になるやもしれない。

しかしそれもメランが不在の短い時間だけの話だ。


まずはケルトスの話を聞く。


ラズンは控室のメランに気取られぬよう静かにケルトスに接近する。


(メランは控室で誰かと歓談中みたいだ。笑い声がここまで聞こえてくるくらいだしな、注意はそちらに向けられているはずだ。)



実際にメランは控室でラズン達の状況を視認できる窓に背を向けてヴォロスと話している。

逆にメランと向かい合っているヴォロスはラズンの動きに気付いていたが、何を思ったかそれをメランに伝えることはしなかった。



メランが振り返ればすべては終わり。

だが逆に言えばメランが背を向けている今しかない。


ラズンは突き動かされるかのように素早く、そして静かにケルトスに歩み寄る。



「ケルトス様。俺に何か伝えたいことがあるんですか?」



「…ラズン。俺は黒布に覆われた濃虹水を首から下げている。飲ませてくれ。」


ラズンは一瞬だけ硬直した。


ヴォロスより預けられた薬を誰も使用することなく五人全員で外界へ脱出する。

そんな理想をラズンは未だに捨てきれていなかったのだ。



ケルトスは弱々しい声でラズンに告げた。


「秘薬の方は投与済だ。できれば使わずに済めばいいとは思っていたが、こうなっちまうとな。」



ラズンが仲間達に指示を出した日、地下街に隠された虹鬼化の秘薬はすぐにケルトスによって回収されていたのだ。


ケルトスは薬を回収後、すぐに自らに秘薬を投与した。

こうすることで、他の仲間が虹鬼となる選択肢を奪い取ったのだ。



秘薬を投与しても濃虹水によって虹化さえしなければこれまで通り暮らしていける。


使わずに済めばそれが一番だとは考えていたのだが、それと同時にもしも誰かが虹鬼となって戦う必要があるのなら、それは若い四人ではなく年長者である自分であるべき。

これはケルトスが地下街でラズンに薬の事を伝えられてすぐに決心していたことだった。



ケルトスの考えを知った今でも、ラズンは出来れば止めたかった。


だが状況はそれを許さない。

今にもメランが振り返り、ラズンを魅了してしまうやもしれないのだ。



「すまない…、ケルトス様。」


ケルトスは激痛に耐えながらも、にっこりと笑った。



ラズンはケルトスの首から下げられていた紐を引き出し、黒布にくるまっている濃虹水に浄化灯の光を当てないようケルトスに飲ませる。



変化はすぐに始まった。


ケルトスの肌が朱色に変色し、筋肉が膨れ上がる。

切開された両腕と両脚は再生してすぐに傷跡もなくなってしまった。



その肉体を拘束していたベルトは次々とはじけ飛ぶように破断していく。

動かせるようになった両腕で、ケルトスは力任せに鎖を引きちぎり、その身は完全に自由となった。



「ケルトス様…。」


ラズンは不安そうに目の前に立つ朱色の鬼を見上げた。


「大丈夫だ、ラズン。俺は俺のままだ。」


朱色になった肌に、額からは立派な双角を生やしてはいたが、ケルトスは虹化前と変わらぬ笑顔でラズンに応えていた。




「メラン様!!」


ケルトスの変貌を目にしたジーセックは控室に駆け込み、メランに異常事態を知らせていた。


「何かしら?」



窓の向こうで起こっている騒動が振り向いたメランの視界に入る。



ジーセック以外の魅了された研究員達がケルトスを取り押さえるべくしがみ付いているところだった。


無謀な突撃を敢行する彼らはメランの身を守り実験を成功させることしか頭にない。



「すまん!!」


力任せに暴れ、研究員達を振り払うケルトス。



包囲の外側にいた全員が吹き飛ばされ、実験機材に突っ込んだり壁に激突したりでそのまま起き上がってくることはなかった。


内側でケルトスに掴みかかっていた者達は虹鬼の膂力を直接その肉体に受け、さらに酷いことになっていた。



身体の一部が千切れ飛んでいたり、潰れていたり。


虹鬼となったばかりで力加減がうまくできなかったケルトスによって、研究員の半数近くが即死。

死を免れた者も内蔵に損傷を受けている者や骨が砕けている者等、全員が行動不能の重傷だ。



「あらあら。あの鬼はケルトス?先生がラズンに渡した秘薬は彼が使用していたのね。」


楽園の王に守られているメランに慌てる様子はない。

それはメランの傍らに立ち、実験室の騒ぎを眺めるヴォロスも同様だ。



「けど拘束されていたケルトスを虹化させたのはラズン?魅了状態にあるジーセックにどうやって拘束を外させたのかしら?」


メランが憶えている範囲での直前の状況では自由に動ける者はジーセック一人だけだった。

ジーセックの魅了状態が維持されていることから、メランはこれをゆゆしき事態だと考えていた。



「ラズン君には話しかけることしかできなかったはずですからね。おそらくは魅了状態を逆用して拘束を外させるようなことを言ったのではないでしょうか?」


ヴォロスはそれを見ていたわけでもないのに状況からの推測だけで即座に解答を導き出し、密かにラズンの評価を上方修正している。



「なるほど。なら私がその場にいない時に魅了効果を過剰に信頼するのは危険ですね。」

「そうですね。ですが大した問題ではありませんよ。そうならないように運用すればよいだけのことです。」


「わかりました、先生。では私はその不具合を修正してきます。」


ここで自分に敵対する虹鬼が出現したことはメランにとって予定外の事だ。


だが予想外、と言うほどでもない。

だからこそ楽園の王である氷の魔王リブラを伴っているのだから。



「ケルトス様、すぐにここから逃げた方がいい。虹鬼の実験なら楽園の王が立ち会うことになっている筈だ。」


こんな時でもラズンは冷静だった。


以前ヴォロスから聞いた造鬼実験の安全対策についての説明をしっかりと憶えており、今が危険な状況であることを理解しているのだ。



「わかった。急ごう。」


ケルトスがラズンに応じた瞬間、二人は実験室の気温が急激に低下するのを感じた。


吐く息が色くなり、体は寒さに震え、やがて室内に霜が降りて来る。



「こりゃあ…、遅かったか…。」


そう言って控室の方を見たラズンは控室から出て来た人物を視認する。


楽園の王である老人とメランが並び立ち、ジーセックは脇に控えている。



「やってくれたわね、ラズン。けど残念ながら結果は変わらないわ。」


目の前の老人、楽園の王の強さは完全な虹鬼であってもどうにもならない程だ。

しかしケルトスはそれでも何とかする方法を模索する。


(だが俺が奴を足止めしてラズンを逃がすことが出来れば…。)



「ケルトス様、やばいのは王だけじゃない。あの女も危険な魔術を使う。ジーセックを操っているのはあの女なんだ。」


虹鬼となったケルトスを魅了できるのかについては不明だが、少なくともラズンはメランがその気になれば一瞬で魅了状態となる。


ラズンはメランの魅了についてこのように理解していて、ケルトスと小声で話し合いながら如何にしてこの窮地を切り抜けるか、その活路を懸命に探している。


(俺はおそらくメランの魅了から逃れることはできないだろう。ならここは虹鬼となったケルトス様を脱出させることを優先するべきか…。)




「ジーセック、楽園に上がって予定通りに騒ぎを起こしましょうか。」


二人は拘束を解かれ、ケルトスの方は虹鬼と化している。

そんな突発的に起きた不具合にも、メランに慌てるような様子はない。


メランはそれでも自分達の優位が覆されることはありえないと考えていたのだ。



「はい、メラン様。騒ぎの内容はいかがいたしますか?」


ジーセックの質問は、騒ぎを起こすことは予定されていたことだがケルトスの虹鬼化という予定外を踏まえて内容を変更するのかというお伺いだ。


メランは僅かばかりの逡巡の後、ジーセックに指示を伝える。



「地下の研究区画に虹鬼が出現し、多くの研究員を死傷させた。楽園の者は直ちにビフレストへ避難せよ。この命令を伝達すればいいでしょう。」


続けてメランはジーセックの言葉に力を持たせるべく、追加の指示を出す。


「上に戻ったらすぐに実行して。うまくいかないようならシャイセとイルマの二人に私の名前を伝えてね?」



その命令が実行されれば確実にパニックになるであろうことはラズン達にも容易に想像できた。

ジーセックが実験室を去るのを待ってラズンはメランにその真意を問いかけた。


「そんな騒ぎなんぞ起こしてどうする?あんたは何がしたいんだ?」


「内容は変わってしまったけど、騒ぎを起こすことそのものは予定通りよ?これがオルガンへの合図ですもの。」



オルガンにそれを伝えたのは魅了状態にあったラズンなのだが、本人にはその時の記憶はない。


「合図だと!?オルガンをどうするつもりだ!!」


ラズンは声を荒げるも、メランは微笑むばかりで質問に答えるそぶりは見せない。

どうせこれから終わることが確定している者に説明するのも面倒だと思っているのだ。



「王様はこの後もオルガンの相手もしないといけないのよ。忙しいんだから貴方達に時間をかけていられないわ。」


メランが今にも楽園の王に指示を出そうとしたその瞬間、ケルトスは動いた。



結局、ラズンが会話によって稼いだ僅かな時間では何の対策も思いつかなかった。

自分達の状況は完全に詰んでしまっているとしか思えない。


せめてもの抵抗として機先を制することくらいはしなければ。

それはケルトスの元狩猟者としての本能だったのだろう。


「ラズン!!ジーセックを追え!!」


ケルトスは戦闘を開始する直前の楽園の王に飛び掛かる。

それは確かに楽園の王の反応を僅かな一瞬だけではあったが遅らせた。



ラズンはケルトスの意を酌んでジーセックが去って行った方向、虹素研究室へ続く階段へと走る。



楽園の王に飛び掛かったように見せて、ケルトスの本当の狙いはその隣に立つメランだった。


不意を突くことに成功して、仮に自分の攻撃がまともに当たったとしても楽園の王に致命傷を与えることが出来るとは思えなかったのだ。


ならばうまくいけばラズンやジーセックを魅了から解放することにも繋がるメランの排除を優先する。



ケルトスの攻撃目標が自分であることをまったく知覚できていないメランだったが、飛び掛かって来る虹鬼に対しても恐れる気配はない。

逃げるそぶりを見せないメランに対するケルトスの腕はあっさりと横合いから楽園の王に掴み取られていた。


「く…、くそ…。」



楽園の王はこの場にいる中で唯一メランに危害を及ぼし得るケルトスに対しての警戒を一瞬たりとも解いてはいなかった。

反応が遅れたように見えたのはあくまでも強者の余裕というものだったのかもしれない。


ケルトスの腕を掴んでいるのは線の細い老人でしかない。

しかし掴まれた箇所はまるで万力で締め上げられているかのように強い痛みを訴えてくる。



(やはりそううまくはいかねえか。わかっていたことだ。俺はここで死ぬがラズンを逃がせればそれでいい!)


覚悟を決めたケルトスはメランへの攻撃を諦め、楽園の王へ挑む。



楽園の王はケルトスの腕を放し、ラズンの逃亡を助けることを目的としたケルトスは後方に跳んで一度距離をとった。


捕まれていた腕は凍結しており、すでに感覚はない。

ケルトスが後方に着地すると、その腕は肘から下がぼとりと床に落ち砕け散った。



「…。」


楽園の王は無言で上方を見る。


階段を登り切ったラズンは虹素研究室への扉へ駆けているところだ。



「!?」


ラズンは突如として急激な冷気を感じ、足を止めた。


そしてその行動のおかげでラズンは間一髪で凍結から逃れることになる。



ラズンの目の前の通路、そしてその奥の扉は一瞬で出現した氷塊によって氷漬けになっていた。


「駄目か…。」



凍死こそ免れたが、氷塊のせいで退路を断たれたことになる。


ケルトスは楽園の王が上方に魔術を放ったと同時に再度飛び掛かるが、楽園の王が展開した凍結結界によって阻まれていた。


結界の範囲内であれば楽園の王は思った通りに対象を凍結させることができる。

接近しても結界に侵入した部分が瞬時に凍結されてしまうのだ。


ラズンは氷塊の前にへたり込み、ケルトスは八方塞がりな状況に歯噛みする。



「終わりね。」


メランの呟きとともに、二人の思考は絶望で塗り潰されていった。

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