過ぎ去りし七色 18
ビフレストに戻ったラズンは、自室で一人真剣な表情で押し黙っていた。
机の上には帰りに管理局で受け取った鑑定板が無造作に置かれている。
「ん~。」
ラズンは悩まし気な表情で唸っている。
エルンストとメランとの会話から得た新しい情報を踏まえて管理者を特定するべく考えを巡らせているのだ。
現在は不在だが、通常は教会において大司教という地位にある者が管理者として運営している。
その業務を代行している現管理者は教会に属していなかった外部の人間である。
(つまりこの代行者が目標となる管理者ということだな。こいつを特定し捕縛する。)
ヴォロスとの会話から得た管理者の情報をさらに加味する。
管理者は廃棄場で生まれ育ち、外界への憧れとラズン達への恨みを併せ持つ人物。
そしてヴォロスと何らかの形で接点を持ち、その才能を見出された人物。
(教会関係者以外で先生と接点を持つ人物となると、一番ありそうなのは研究者の誰か…。)
管理者は手強く、ヴォロスはラズン達の勝利の可能性を相当に低く見積もっている。
(ヴォロス先生が才能という言葉で表現したことから考えて、高レベル者ではなく強力な恩恵を保有する人物である可能性が高いか…。)
「ぶっちゃけ、一番怪しいのってエルンスト先生なんじゃねえの…?」
エルンストの恩恵については分からない。
しかし研究者であり、ヴォロスの友人でもある。
(そんな人物を疑うなという方が無理ってもんだ。とりあえずそうであると仮定して考えてみるか…。)
恨まれているという一点を除けば、エルンストという人間は全ての条件を満たしていた。
しかもラズンには他に該当しそうな人物にまったく心当たりがない。
(もしそうだとすれば、先生が俺達を恨む理由は何だ?さっぱり身に覚えがねえぞ…?)
ヴォロスからはチャンスは一度きりだと念押しされている。
管理者の特定に間違いは許されないのだ。
ラズンは不明瞭な部分をそのままにしてエルンストを管理者であると断じることをしなかった。
「まだ時間はある。どうにかして決定的な確証を…。」
思わず言葉にしていたラズンだったが、現実にはその時間はあまり残されてはいない。
実際の管理者代行であるメランはすでにラズン達を追い込むべく動き始めていた。
いつもと変わり映えのない楽園の光景を眺めるケルトス。
これといった仕事のない警備兵が暇潰しにぼんやりと楽園の様子を眺めている、一見そんな風に見える。
そう見せておいて実際は楽園の管理局、そしてその付近にある光都教会への扉をひたすら監視していた。
管理者についての情報など関係者以外に持ち合わせている者などいない。
かと言って直接問い合わせる訳にもいかない。
ケルトスは朝からずっと光都教会への扉を出入りする人物を記録し続けていた。
扉の奥は、登れば教会、下れば研究区画へと続く階段室だ。
残念ながらここからでは扉を通った人間がそのどちらへ移動したのか、どちらからやってきたのかは分からない。
しかしケルトスには管理者の特定に繋がる情報を得るとして、できることはこのくらいしか思い浮かばなかった。
ラズンであればきっとこの記録からでも有用な情報を拾い出すと信じての行動だ。
それなりに時間が経過したが、ケルトスは黙々と記録を続ける。
ケルトスは扉の監視に集中しつつも周囲への警戒はまったく怠っていない。
にもかかわらず一人の人物がケルトスに気取られることなくその背後に佇んでいた。
「君。随分と長い時間、管理局を見ているようだが、少し話を聞かせてもらえるかね?」
管理局に勤務する教会関係者からは死角となる位置取りを厳守しての監視を行っていたケルトスに声をかける者がいた。
「!?」
オルガンに次ぐ実力者であるはずのケルトスは咄嗟に動けなかった。
その背後から発せられる威圧感から、そこに立っている者が自身を遥かに上回る強者であることを察してしまっているのだ。
振り向いたケルトスの視界に飛び込んできた人物は、魔王の恩恵を宿しているとされたあの老人だった。
「何でここに…。」
「何でと言われましても。ケルトスさんがこちらを監視していたのと同様に、こちらも貴方達を監視していただけのことですよ?」
何でもないことのように言い放った声は老人ではなく、聞き覚えのある女性のものだった。
身動きのできないケルトスの状態を確認し、老人の背後に少し距離を置いて立っていた一人の女性が近づいてくる。
その女性の背後にはケルトスにとっては見知った顔である警備隊の者が二人。
二人は恍惚とした表情を浮かべ、その息は荒く、涎を垂らしている。
彼らはジーセックと違い、明らかに普通の状態ではないことが一目でわかった。
しかしケルトスはこの二人とジーセックが似たような状態にある事をなんとなく感じ取っていた。
(なるほどな。操り人形はジーセックだけじゃないってことかよ。まぁ考えてみれば当然か…。)
ケルトスはそこに思い至らなかったことに歯噛みしながらもやってきた女性に視線を送る。
「あんたはたしか…。」
ケルトスはその女性に見覚えがあった。
エルンストの妻であり、そしてフラメルやジーセックの友人でもある。
その名も時折耳にしていた為、記憶にも新しい。
「メラン…、だったか?」
「はい、メランです。」
メランはケルトスににっこりと微笑み、その名を名乗った。
「そうか…、あんたがここにいるってことは…。」
「フフ…、残念ですがそういうことになりますね。リブラ様、お願いします。」
老人はメランに頷き、ケルトスに右手を向ける。
そしてここでケルトスの意識は途切れることになる。
歴戦の強者であるケルトスは何も知覚できないまま、瞬時に凍結されていた。
リブラと呼ばれた老人は、氷漬けになったケルトスを軽々と抱え上げるとそのまま軽快な足取りで歩き去る。
それを見送ったメランはビフレストの方角に目を向ける。
「ラズン、少し名残惜しい気もするけどこれで終わりよ。私が貴方達の希望を一つ残らず踏みにじってあげるわ。」
一言だけ呟いたメランもまた、老人と同じくこの場を去って行った。
丁度その頃、ひたすら自室で考察を続けていたラズンは、部屋に持ち込んだビフレストに存在する各種記録の山と格闘していたところだった。
「何かないか…、何か…。」
考察に行き詰まり、書類の山の中からヒントを探すラズン。
全ての記録を漁る必要はない。
まずはごく最近の記録だけを掘り返す。
「とりあえずエルンスト先生についてだ。彼が最も怪しい人物であることは間違いないはずだ…。」
ヴォロスとの邂逅を経た今では、ラズンにはそんな確信があった。
調査対象をエルンストとして、何かヒントはないかと関連情報を抽出する。
結構な時間をかけても、元々楽園の住民であるエルンストに関連した記録等は殆ど出てこなかった。
(記録が出てこないってのがすでにおかしい…。)
元々楽園の住民、それはつまり外界から廃棄場にやってきた人間であるということだ。
しかし現管理者代行は外民として地上で生まれ育っている。
(ならばエルンストはそのように見せかけた当時の外民の誰かがでっち上げた架空の人物、なんてこともあんのか?)
さらにラズンは調査を続ける。
譲り受けたいくつかの資料。
地上での植物の調査に関する報告書。
そしてその調査に同行した狩猟隊からの狩猟報告。
ビフレスト下層と楽園間の通行記録と、ビフレスト地上側入り口の通行記録。
それぞれにエルンストの名前がいくつか記載されているくらいだ。
資料や報告書の類は一度目を通していることもあり、特別おかしなことが記載されていることはないと分かっている。
その為、ラズンの手は自然と普段は然程注意して内容を確認することもない通行記録へと伸びていた。
「ん~。」
記録に残されたエルンストがそこを通ったという足跡。
記入された日付に合わせ、当時の記憶を思い出しながら古いものから順に確認していく。
しばらくは無言でただ記録された名前をただなぞるだけの時間が続いた。
記録が新しいものになると、ラズンはそれに関連付けた出来事を呟き始める。
「これは地上の調査だっけ…、あぁ、確かに外に出てるな。同行したのは…、第一の奴らか…。」
流石に時間がたっているとその通行に関連した記憶も残っていない為、思い出せるのは最近の記録からになる。
「これはこの前の長期の調査だったな。」
それはごく最近、ラズンが最初に楽園地下の研究区画を訪問した時のものだ。
エルンストが長期の地上調査という名目で不在だった為に、ヴォロスの許可を貰っての訪問だった。
「…ん?記入漏れ…?それとも地上の衛兵が不在だった…?」
長期の調査のために楽園からビフレストへの通行記録は確かに残っているが、地上側にエルンストが外に出たという記録が残っていない。
(何かひっかかるな…。)
疲れ切っていたラズンの顔に活力が宿る。
ラズンは素早く同時期の狩猟隊の報告書を漁る。
「どの隊の報告にも先生と同行したなんて記録は残ってねえ…。」
(先生は長期の調査なんて行っていない…?なら不在の期間は上層の研究室に籠っていたってことか…?)
エルンストの不在の結果、ラズンは恩恵研究室ではなく虹素研究室に訪問することになったのだ。
(ならあれは調査の延期などといった理由ではなくエルンスト先生が意図的にそうした、ということか?)
さらにラズンはそれ以降、エルンストの帰還記録すら残っていないことに気が付いた。
(おいおい、これだとエルンスト先生は記録を信じるならそもそも研究室に籠ってから未だに帰還していないということになるぞ…。)
ラズンにはエルンストの行動の意味が理解できなかった。
「けどちょっと前に俺は確かに研究区画で先生とメランさんと話をしている…。」
とっかかりを掴んだラズンの頭は高速で回転し、様々な推論を組み立てていく。
そして時間をかけて最後にラズンが思い付いたのは、一見ただの突飛な思い付きだった。
そしてヴォロスとの邂逅時にエルンストを不在だった理由としてこれを思い付いたのだ。
ありえないと笑いながらも、何故か分からないか何かが気になって仕方がない。
その思い付きとは、エルンストとヴォロスが同一人物であり、宿した恩恵は自らの姿形を変更するというものだ。
流石に肉体を変化させるような見たこともないような技能ではなく、周囲に幻を見せる魔術技能を疑った。
別人になれるのであれば通行記録はどうにでもなるし、エルンストとヴォロスの外見的差異にも説明がつくからだ。
(エルンスト先生はヴォロス先生の仮の姿、ってのは流石に考え過ぎか…?)
その推測は間違っている部分が多々見受けられる杜撰なものだった。
しかし何故かラズンはこの思い付きにしっくりくるものを感じていた。
(この場合は先生は管理者ではないということになる。そうなるとこっちの推測だと管理者はメランさんってことか…?)
あくまでこれまでの考察はすべて推測だ。
ラズンはエルンストでもメランでもない誰かが管理者である可能性も捨ててはいない。
結局のところ、やはり管理者の特定は現時点では厳しいと判断せざるをえない。
(それに先生、いや、管理者の行動の目的なんかも分からねえ。そして俺達を恨む理由も分からねえ…。)
管理者自身もそうだが、その人物が所属する教会という組織についての情報が足りず結論は出なかった。
その日の夜、ビフレスト下層のオルガンの部屋の扉にノックの音が響く。
「オルガン。」
扉を開けて顔を出したのはフラメルだ。
明らかに元気がなく、疲れ切っている様子だった。
「眠ったわ。」
そして一言だけの連絡。
「そうか。」
対するオルガンの返答も一言だけ。
オルガンの役目であるジーセックの監視には、フラメルの協力が不可欠だった。
四六時中くっついている訳にもいかない為、そこはラズンを含めた三人で話し合ったのだ。
少しの間、言葉を選ぶべく考えていたオルガンは意を決して口を開く。
「辛いだろうが、少しの辛抱だ。ここで術を解除することが出来なくとも脱出に成功して術者から離れることが出来れば元に戻る。」
夫の状態を考えれば、フラメルに多大な精神的負荷がかかっている事は察するに余りあるとして、オルガンはフラメルを気遣っていた。
「わかってる。もう信じるしかないものね。」
フラメルはそう言ってその場を去る。
そして暗い顔のまま自室へと戻り、部屋の前で待っていたラズンを前に足を止めた。
ラズンは無言で鑑定板を差し出すと、フラメルもまたそれを黙って受け取る。
「…。」
やるべきことは分かっているが、それでもフラメルは鑑定板に目線を落とし、不安そうな顔を見せる。
ジーセックがどのような状態にあるのか、知るのが怖いのだろう。
「明日、ジーセックが管理局に向かった後で結果を知らせてくれ。」
「ええ。」
フラメルはラズンの方を見ようともせずに返答した。
ラズンはすっかり消沈してしまっているフラメルに何かを言いかけるも思いとどまり、自室へと戻って行く。
足音が聞こえなくなり、ラズンが完全に去った後もフラメルは俯いたままだった。
「どうして…、こんなことになっちゃったの…?」
そして自室に戻ったラズンは、フラメルの顔を思い出すたびに自責の念に駆られていた。
「すまん、フラメル…。」
呟きながら乱暴に寝床に自らの体を横たえるラズン。
その身体に疲労を蓄積させていたラズンは、フラメルの事を心配しつつもいつの間にかうとうとしていた。
自然と瞼を閉じたラズンは意識を失う直前に、何か嗅いだことのない甘い香りに包まれたような気がした。
(何だ…?)
そのままラズンは深い眠りに落ちていった。
キィ…。
ビフレスト最下層の誰もが眠りに落ちた後の深夜、ラズンの部屋に後付けで据え付けられた木製の扉が音を立てた。
ノックもせず、静かに開け放たれる扉から一人の人物が顔を出す。
扉を開けた人物は迷いなく部屋の中へと侵入して来た。
「ラズン、起きて。」
眠っているラズンに声をかけたのはメランだった。
メランの声に反応したラズンは両目を開き、上体を起こす。
ラズンの息は荒く、その顔は紅潮し、瞳は恍惚に彩られている。
明らかに様子のおかしいラズンに対し、メランはお願い事を口にする。
「ラズン、貴方の考えている今後の計画を教えてほしいのだけど、いいかしら?」




