過ぎ去りし七色 17
「よし、せっかくここに五人揃っているんだ。これからどう動くか、指示を伝えるぞ。」
ラズンは他の四人に対し、それぞれに出した指示を仲間の間でももらさないように最初に念押しする。
そしてビフレストの外、地下街の目立たない場所で一人ずつ個別に指示を伝えることにした。
「ジーセック、付いてきてくれ。他の皆はここで待つんだ。」
ラズンとジーセックはビフレストから少し離れた位置、姿は視認できるが到底声などは聞き取れない位置まで移動する。
「ジーセックにやってもらいたいことだが…。」
まず、ジーセックには通常業務をこなしつつ、管理局に赴く際には可能な限りの会話を行い、教会関係者についての情報を収集すること。
「漠然としてて悪いな。とにかくどんな内容でも構わない、はっきりしなくてもいい、判断はこっちでするからよ。」
「わかったよ。」
敵側の何らかの干渉を受けていることがほぼ確定しているジーセックには無難な指示を出しておいた。
「ジーセック、戻ったら次はケルトス様を呼んでくれ。」
頷いたジーセックはビフレストに戻り、入れ替わりでケルトスがラズンの元へやってくる。
次のケルトスに伝えた指示、それはこれまで行っていた楽園の王の情報収集を中止し、光都教会の現管理者に関しての情報を集めること。
「ケルトス様、詳しいことは言えなくて済まないが、とにかく管理者だ。そいつが脱出の鍵を握っていると考えてほしい。」
「理由は知らんが詳しい事情は話せないんだな?」
「ああ。全てがうまくいった後に話すよ。」
「ならいい。俺はお前を信じて動こう。」
「ありがとう、ケルトス様。」
そしてラズンはそのままヴォロスから受け取った虹鬼化の秘薬と濃虹水の入った包みを取り出す。
「ケルトス様にはこいつの使い方も説明しておくよ。」
使用すれば確実に記憶や知識を保持した虹鬼となる薬。
ラズンは話せる範囲でそれを手にした経緯や使用法を説明する。
「これは一人分だ。薬はここに隠しておくから、俺かケルトス様かオルガン、三人のうち誰かが必要になったなら持ち出せばいい。」
できれば使わずに済ませたい。
ラズンはそう考えてはいるが、万が一の時にどう使うかも結局決めきれなかった。
「それぞれの選択と、あとは運命に委ねることにするよ。」
「…そうか。」
ラズンが薬の入った包みをその場に埋めていく。
ビフレストの入口では、フラメルがそれを眺めていた。
距離があるので、ラズンが屈んでいることくらいしか分からない。
「ラズンの奴、何をしているのかしら?ここからじゃよく見えないわ。」
「駄目だよ、フラメル。これからはお互いの事についても知らない方がいいってラズンの判断なんだから。」
フラメルがジーセックに窘められている最中、ケルトスが離れ、ラズンがフラメルの方を見る。
「フラメル!次はお前だ!」
そう言って手招きするラズン。
やってきたフラメルには、ジーセックの状態を伝えた上で通常業務と並行して一つの作業を頼んだ。
ジーセック本人が眠っている間に鑑定板による鑑定を行い何か奇妙な効果がついていないかを確認することだ。
「ちょっ、ちょっと待ってよ。ジーセックがどうしたっていうの?」
「おそらく俺達の情報を管理側に流している。」
「はぁ!?そんなはずないでしょ!!あんた何言ってんの!?」
声を荒げるフラメルに対し、ラズンはあくまで冷静に対処する。
「落ち着け、って言っても難しいかもしれないがジーセックが俺達を裏切ったりしないことは俺も分かっている。」
管理側の誰かが使用した魔術か、それとも何らかの魔道具を使用されたか、詳細は不明だがジーセック本人の意思ではない。
推測になるがジーセックはその精神に干渉されて操られている状態にあるのではないか。
ラズンはそれを時間をかけてフラメルに説明する。
「ちょっとジーセックを問い詰めて来るわ。」
そしてフラメルはそう言って踵を返した。
「待っ、待て!アホ女!俺の作戦を台無しにするな!」
ラズンは慌ててフラメルの腕を掴む。
「放しなさいよ!!この童貞!!」
「童貞関係ねえだろ!!いいから落ち着け!!」
ラズンはさらに時間をかけてフラメルをなんとか落ち着かせた。
「いいか、とにかくジーセックに気取られないようにすることだ。何をされたのか分からねえ以上、管理側に俺らがジーセックの事に気付いていることはばれないようにしたいんだ。」
ジーセックが眠っている間に鑑定して、その身にかかっている効果を確認する。
次にその効果の発生源を探る為、ジーセックが何か変わった物を身体の何処かに身に着けていないかを調べる。
これは魔道具の有無の確認だ。
もしも魔道具がその原因であれば、それを取り上げるだけで効果は解除できるかもしれない。
何にしてもこのあたりの仕事は妻であるフラメルであればやりやすい筈だ。
「魔道具じゃなかったらどうするの?」
「魔術効果だった場合は、一応解除手段は探ってはみるが、最悪拘束したままで外界へ移動する。」
「拘束!?」
「術者から距離を取り、術の有効範囲外に出るか魔力の供給がない状態である程度の時間が経過すれば効果は消失するだろ?」
強引な手段ではあるが、ジーセックが元に戻るのならと一応の納得を見せるフラメル。
「今は手持ちの鑑定板を切らしてるから、実行はそれを補充してからだ。とにかくジーセックにばれないようにしろよ?」
そして最後にやってきたのはオルガンだった。
「俺は何をすればいいんだ?」
「…交尾禁止だ。」
「…。」
しばしの間、二人の時が止まる。
ラズンは真剣そのものだ。
「待て待て待て待て!最強の男であるこの俺が今更禁欲だと!?」
「あと狩りも駄目だ。」
続けてオルガンのライフワークにもなっている狩りすらも禁止される。
「期間は最長で一週間。その間はとにかくジーセックの監視を頼む。」
可能な限りジーセックから目を離さない為の禁止事項だ。
ジーセックの監視、そう言われたことでオルガンにもラズンの言わんとしている事が分かったのか、反論をやめてボリボリと頭を掻き始める。
「…一週間ってのは?」
「一週間以内に決着をつけるってことだ。その頃には俺達も外界へ移動している最中かもな。」
「事情は話せねえんだったな?」
「ああ。決着がつくまではな。」
元々オルガンにはラズンの指示を疑うという選択はない。
「監視っつうけどよ、見てるだけって訳じゃねえんだろ?」
「ジーセックが何もしなければ見てるだけだぜ?だが何か行動を起こした時はすぐに拘束してくれ。」
「泳がせて様子を見るってのはもういいのか?」
「ちょっと状況が変わってな。いよいよとなればジーセックは拘束したままで連れていくことになるかもしれねえ。」
ラズンはフラメルに行ったジーセックについての説明をオルガンにも伝えておく。
「あとな、この辺にな、薬を埋めてあるんだ。」
「薬?何の薬だ?」
「使わないで済めばそれが一番いい、そんな薬だな。」
続けてラズンはケルトスに行ったものと同様の、虹鬼化の秘薬についての説明を行った。
こうして、全員に指示を出し終えたラズンは自室に戻り、これからの自分自身の行動について深夜まで悩みつつ眠りについた。
翌日、ラズンは楽園のさらに地下、恩恵研究室を訪れていた。
許可を得ずに訪問したことになるが、室長のエルンストはそれを了解した恰好になる。
「許可云々で揉めるのも面倒ですからね。」
エルンストはそう言ってラズンに臨時研究員の身分を発行することとした。
「すみません、お手数をおかけしてしまって…。」
「いえいえ、我々の仲ではありませんか。他にも何かあればいつでも話を聞きますよ?」
「そうですよ、ラズンさん。私達はこうして楽園に籍を置いていますが、助け合うことができればと常に考えているのですから。」
飲み物を持ってやってきたメランはそう言いながら会話に加わった。
「で、私達に聞きたいことというのは楽園の事に関してですか?」
「そうなります。楽園の住民となると恥ずかしながらお二人くらいしか頼れる方がいませんからね。」
一応、ケルトスは楽園で生活してはいるが警備隊は殆どがビフレストからの移住者で構成されている。
警備隊とは名ばかりの、実際は楽園の下働き。
そんな身分の彼らは教会関係者や研究員と比較すればどうしても情報源としては微妙なのだ。
「楽園、いや、光都教会の管理者の地位にある方を紹介してもらうことは可能ですか?」
ラズンは自分の中で未だ疑惑の念を払拭できない二人、エルンストとメランに対しストレートにその目的を口にしていた。
「管理者…、ですか?たしか現在は不在だと聞いていますが…。」
「え?不在?今はここにはいないということっすか?」
「いえ、光都教会の管理者というのは教会という組織で大司教という地位にある方がついておられたのですが、前任者が任期を終えて別の土地に移動しまして…。」
たまたま後任の大司教がちょっとしたトラブルで未だこちらに着任することが出来ていないのだそうだ。
現在は空位、つまり不在というのは存在しないという意味での返答だった。
ラズンだけが知る現在の行動指針。
それは一週間以内に管理者を特定し、捕縛して虹素研究室に連行することだ。
それがヴォロスの示した条件である以上、対象が存在しないというのはおかしい。
「管理者がいないって、大丈夫なんすか?」
ラズンはそう問いつつも、その脳内はめまぐるしく回転している。
しかしその解答はあっさりとエルンストの口から語られた。
「今は外部の方だそうですが、教会の上層部より認められた代行者がその業務を行っているのだそうですよ。」
当然、その人物の詳細は教会関係者の中でも上位の人物しか知らないらしい。
「元々教会に属していた人物ではないのだそうで、関係各所とのトラブルを懸念して代行者についてはその存在を公にはしていないそうです。」
「先生…、やけに詳しいっすね…。」
「いえ、詳しいのは私ではなく、友人のヴォロス先生ですよ。前任の大司教がいなくなった後にそんなことを話していましたね。」
(確かにヴォロス先生は教会で高い地位にあるって言ってたな。彼の持つ裁量権には管理者の任命も含まれるってことなんだろうな。)
エルンストがヴォロスのそのあたりの事情については知っているのかどうか定かではないが、ラズンはそれについて追及することはしなかった。
「そういうことなので、私が現在の管理代行者を紹介するのは難しいと言わざるをえません。」
「そうっすか…。」
ラズンは小さく目線を落としていた。
「ラズンさん、管理者に向けての陳情は管理局の受付がその窓口になっているはずです。直接管理者に伝えたいことがあるということでしょうか?」
落胆を見せるラズンに、今度はメランがその理由を問う。
「実は、ビフレストの管理運営と言いますか、主に地上に暮らす外民の待遇についてなのですがいろいろと相談がありまして。」
これは、外民として地獄を見て来たメランにとっては無視できない言葉だった。
「受付にこれまで通りのやり方で外民の待遇改善の為の協力を訴えても駄目みたいなんで直接ってのは安易な選択ですかね?」
ラズンはそう言ったが、現管理者であるメランの元にはそのような報告はなされていない。
(こいつ…、これまで外民の処遇を考慮するような真似は一切しなかったくせに…。)
メランは表面上は平静を保っているが、その内面は煮えくり返るような怒りに支配されていた。
「厳しい環境に生きる外民に手を差し伸べるべく、これまで俺達も尽力してきたんすけどやっぱり楽園側の協力も欲しい所で…。」
(尽力してきたですって?何時?何をどうしたの?)
それはメランにはさっぱり覚えがないことだった。
(耳が腐り落ちそう…。オルガン以外は例外なく地獄に落とすつもりではあるけれど、貴方にはそれすらも生温いみたいね。)
外民の現状を淡々と告げるラズンの言葉がメランの脳裏を通り過ぎていく。
そしてその言葉はメランが外民として生きていた頃の記憶を揺さぶった。
楽園からの配給はビフレストで全て消費され、地上の集落までは行き渡らない。
外民は地上の密林で危険を冒して手に入れる代価を差し出すことでしかその物資は得られないのだ。
メランの食事は自分を抱いた男の残飯の処理が主食だった。
その男も、手に入れる食料は常に弱者から奪い取ったものである。
危険な採取作業等は弱い者の仕事なのだ。
地上の集落では、そうして弱い者が命を張って取得した成果を強い者が奪い取る。
略奪を済ませた強者は更なる強者に自分の取り分を除いたそれを献上し、自らの保身とする。
強者に従うことが正しいとされる廃棄場では、それは罪ではない。
略奪に関してはビフレストの衛兵による見回りも、文字通り見て回るだけのもので、弱者からすればただの散歩に過ぎない。
弱く、採取も出来ないメランには女としての肉体を捧げて食事にありつく以外に生きる道などなかった。
苦痛、そして屈辱に彩られた無数の情景がメランの脳裏に思い浮かぶ。
メランはラズンに対し笑顔を絶やさぬままに、服の下で密かにこれ以上ないほどに力を込めて拳を握りしめていた。
(楽園からの恵みをただ人より強いというだけで独占する者達が許せない。)
(外民として放り出された弱者を守るだけの力がありながら、現状を知りつつ傍観するだけの者達が許せない。)
(相応しい能力も示さずに強者にただ侍り、特権階級に居座る羽虫共が許せない。)
(そしてその気もないくせに外民を救うなどとほざく、苦境に喘ぐ者達を自分の目的を果たすためのダシに使おうとするこの男が許せない。)
ここにきて、管理者が少し前まで外民であったことなど知る由もなく想像だにしないラズンは言葉の選択を誤っていた。
(ありがとう、ラズン。初心を思い出させてくれて。先生は一週間以内と言っていたけど、貴方達には一週間も与えない。すぐに相応しい場所に帰してあげるわ。)




