過ぎ去りし七色 13
虹素研究室の内部を目にしたラズンは馴染み深いビフレストの事務室を思い出していた。
実験素体や器具のようなものは何もなく、そこら中に実験試料の類が山のように積まれている。
「研究室と言ってもここはただの資料の保管庫となっていますからね。実験を行うには手狭ですので。」
室内を見渡していたラズンの内心を見透かしたような言葉だった。
言葉を発した者、ヴォロスと呼ばれた研究室の主は白衣を着こんだ金髪の優男だ。
その顔立ちは非常に整っており、研究者と言うよりも物語に登場する王子様のようだった。
(イケメン、つまりこいつは悪人ということか。ま、虹鬼を生み出そうなんてやばいこと考える奴だから当然だな。)
ラズンは童貞であるがゆえに美男子という種族に過剰な敵愾心を抱く習性があるのだ。
「初めまして、虹素研究室長のヴォロスと申します。」
「恩恵研究室長エルンストの助手をしております。メランです。」
ヴォロスとメランが挨拶を交わしている。
(おっと、やべえ。つい考えこんじまった。ボケっとしてる場合じゃねえ。)
「ビフレストの管理業務に就いております、ラズンです。」
ラズンもメランに続き頭を下げる。
「どうぞ、こちらに。」
ヴォロスは二人をテーブルに案内し、ラズンとメランは椅子に腰を下ろした。
「さて、エルンストが戻れないということで私がこちらに招待させてもらいましたが、今更ですけどよかったんですか?」
本来見学する予定だった研究内容と違ってしまうことに対してだろうか。
「言っては何ですが、私の研究は少々刺激が強いかと思いますので。」
(それはそうだろう。だがこの研究室こそが俺の本来の目的だ。)
「虹素研究、ということであれば、生物の虹化現象等がその研究内容となるのですか?」
ラズンは遠慮なくヴォロスに質問をぶつけていた。
「そうですね。少し前までは上位種への虹化についての研究に励んでおりました。」
「励んでいた、ということは現在はもう?断念されたのでしょうか?」
「いえいえ、満足のいく結果を得られたということですよ。あとはそれを実践して確認するだけですね。」
(入手した情報の通りだ。すでに確実に虹鬼を生み出せるところまで実験は進んでいるということだな。)
「実践と言いますと、実際に虹化を行って上位種に転じるかどうかの確認を行うということでしょうか?」
ヴォロスはにっこりと微笑むと、満足そうにラズンに頷いた。
「ですが虹化させる対象が人間なのですよ。実験するにしても被検体がおらず実践できないでいるのです。」
(こいつあっさり認めやがったぞ!?いいのか?そんなことベラベラ喋って!?)
ここでこれまで黙って話を聞いていたメランもヴォロスに質問する。
「ヴォロス先生、人間の上位虹化体というと虹鬼ですよね?危険ではありませんか?」
「何の対策もなしに実験を行えば、虹鬼となった被検体に私をはじめ、立ち会った研究員は皆殺されるでしょうね。」
ヴォロスはそれを当然の事のように言い切った。
ラズンとメランはその反応に驚いている。
そうなれば殺されるのは研究員だけではない。
楽園やビフレストの住民にだって犠牲が出るだろう。
「なら…。」
とラズンが言いかけたところで、ヴォロスは対策について説明する。
「実験を行う時は、楽園の王の立ち合いの元実施することになっています。虹鬼が暴れても王が押さえ込んでくれますから安全ですよ。」
(何だと…!?)
ラズンはその動揺を表に出さないよう必死に表情を取り繕う。
「ヴォロス先生、その実験、見学させてもらうわけにはいきませんか?」
そしてラズンは感情を抑えきれずに実験の立ち合いを申し出ていた。
「おや?ラズン君は虹鬼に興味があるのですか?」
「はい。実験で誕生するのは知性を失った下級鬼ではなく、完全な虹鬼なんですよね?俺はそれを見ておきたいんです。」
実験に参加することが出来れば、様々な情報が得られる。
実際の虹鬼の強さ。
それを抑え込む楽園の王の実力。
それらの情報は魅力的ではあるが、ラズンにとってそれはさほど重視するところではない。
(実験には王が立ち会う。ならばその時こそ脱出のチャンスなんじゃないか?参加を申し出て、実験の場所や開始日時を知ることができれば…。)
来てよかった。
ラズンは正直にそう思った。
「では実験の予定は決まり次第メラン君を通じて連絡しましょう。」
ヴォロスはラズンの実験への参加を許可するようだ。
「ヴォロス先生、よろしいのですか?」
メランは少し驚いた様子でヴォロスに確認している。
研究部署の実験に協力者でもない外部の人間が参加するのは初めての事だ。
「私も研究者の端くれです。知りたいと願うラズンさんの気持ちを蔑ろにする訳にはいきませんからね。」
これでラズンは楽園の王が不在となる実験の日時を知る事ができる。
ここに来て、ラズンの脱出計画は大きな進展を見せることになった。
脱出ルートである物資搬入路の特定。
そして楽園の王が不在となるタイミングについての情報。
最も重要視し、かつ苦悩していた部分に光明が見えたのだ。
ラズンは湧き上がってくる高揚感を抑えきれないでいた。
ヴォロスはそんなラズンを見て、実験を楽しみにしているのだとでも思ったのだろうか。
「ラズンさんには特等席で実験をお見せすることを約束しますよ。」
(悪いな、ヴォロス先生。その時俺はもうここにはいない。)
全てがうまくいった。
そのせいか、ラズンはいつになく浮かれていて、うまくいきすぎたことに対して疑念を持っていないようだった。
いつものラズンであれば。
訪問する研究室の変更に関してのメランの不自然な言動に疑いを持ったかもしれない。
変更された訪問先の研究室がたまたまラズンの目的としていた研究室だった、そんな偶然を疑問に思ったかもしれない。
欲しいと思った情報が次々とラズンの元へ集まる、そんな都合の良い展開に何者かの意図を感じ取ったかもしれない。
結局、浮かれたラズンは何も疑問に思うことなく、現在を最良のタイミングであるとして実験の日時に合わせての計画実行を決意した。
(と、そう思わせることができればひとまずは成功だ。)
浮かれて短絡的になっている、傍目にはそのようにふるまいながらもラズンは冷静だった。
ラズンは密かに通常通りのパフォーマンスを発揮していたのだ。
メランの不自然な言動、変更された研究室の目的との一致、一見、ラズンにとって都合のいい展開。
ヴォロス、メラン、そしておそらくエルンストも管理側の人間で、脱出を企てている自分達とは敵対関係にある。
理由は不明だが、廃棄場からの脱出を画策していることはすでに知られているが、計画の詳細までは露見していない。
ラズンの求める情報の的確な提示、これはラズン達の仲間内だけの情報が知られていることを示唆している。
(考えたくはないが、仲間の誰かが情報を流しているのかもな。俺達に裏切りはない。てことは何か仕掛けてるんだろうな…。)
多くの情報を仕入れて大喜びのラズンは、密かにそれ以上の情報を盗み取っていた。
その後も、歓談はしばらくの間続き、やがてラズンは虹素研究室をお暇してビフレストへと帰還した。
「てなわけで、俺達の脱出計画はおおよそ形になった。あとは実験の日時の連絡がくればその時が決行のタイミングになる。」
ラズンの報告を皆は神妙な顔で聞いていた。
間者の存在を疑っているラズンは、計画が形になったとは言ってもその内容は決して口にしない。
ビフレスト最下層の広間にオルガン、ジーセック、フラメル。
楽園を離れるのに面倒な手続きを必要とするケルトス以外の四人が集まっていた。
「フラメル、すまないがアーキンさん達は諦めてくれ。」
そう言ったラズンではあったが、可能であればできれば連れて行きたいと考えていた。
しかし、アーキンの父であるフランクは外民として地上で暮らしている。
アーキン達はフランクを見捨てて逃亡することをよしとしないだろうというのが理由の一つ。
もう一つは、楽園の王が不在のタイミングで脱出を決行する訳だが、追手による追撃の可能性を否定できないことだ。
楽園の王かもしくは虹鬼が追ってきた場合、高い身体能力を持った追跡者からは逃れられないことも考えられる。
五人はすでに命を懸ける決意は固まっているが、アーキン達をそれに巻き込むのはよそうという結論に達した。
フラメルもそれで一応は納得した。
追手に追いつかれた時、そこに幼いセロがいたらどうなる?
そう言われて渋々ではあるが頷いた格好だ。
当然オルガンも愛人達の同行は考えていない。
覚悟のない者にリスクは負わせられないこと。
そして単純に足手まといの人数を減らすためだった。
追手がかかる可能性を考慮すれば、地下道の逃走は速度重視の強行軍となる。
オルガンはいよいよとなれば、自分が二人、ケルトスが一人を抱えて走ることで速度と距離を稼ぐことも考えていた。
「俺は楽園に行ってケルトス様に状況を伝えて来る。ジーセックとフラメルは荷造りだ。」
速度を重視する脱出ではあるが、地下道が大壁を超えて外界まで通じているのであればおそらく数日はかかる。
話し合いの結果、可能な限り急いでこれを三日で走破するとした。
水と食料も五人分を三日分、必要最小限の荷物だ。
しばらくしてラズンも戻り、荷物の準備も終わった。
疲れていた皆は、それぞれの部屋に戻り明日以降の為に休むことにした。
いつ実験の連絡が来てもいいように、明日からは即応体制だ。
オルガンは狩りを休止にして最下層に待機。
ジーセックとフラメルの事務仕事はビフレストの管理運営に支障をきたさない最小限で行う。
ラズンだけは情報収集の為の楽園とビフレストを往復する予定に加えて、計画の成功率を少しでも上げる為の準備も考えていた。
いよいよ目前となった脱出計画を前に、緊張からか、皆すぐに寝息を立て始めていた。
数時間後、地下に暮らす誰もが寝静まっている時間帯に、ビフレストと楽園の間の地下街を歩く人影があった。
それは白衣を着た若い女性。
エルンストの妻、メランである。
ビフレストと楽園をつなぐ道から小さな路地に入り、暗がりに立つとそのまま暗闇に向けて喋り始めた。
「報告して頂戴。」
メランの声に応えて、暗闇から返答が返って来る。
「ラズンはエサに喰らいつきました。実験当日に行動に移すようです。」
情報をちらつかせ、脱出の機会を窺わせる隙をつくる。
そうすることで、ラズンの行動を計画実行へと誘導する。
それがメランがラズンに対し行ったことだった。
「意外と簡単に飛びついたわね。彼はもう少し思慮深いタイプだと思ったんだけどね。」
暗闇からは返事はない。
「明日、実験の日取りを連絡します。以降はかねてよりの指示通りに動きなさい。」
「かしこまりました。」
暗闇からの返答を最後に、人の気配が去っていく。
「いよいよね。ようやく貴方達を相応しい場所に叩き落とすことができると思うと、それはそれで物足りないわ。本当にこれで終わりなのかしら…?」
虹の塔の頂点に君臨する強者に群がる羽虫。
ラズン、ジーセック、フラメルの三人に対してのメランの認識はこのようになっていた。
呟いたメランは小さく笑いながら楽園の方へと歩いて行った。
翌日、朝になり、メランはビフレストを訪れる。
地下街に面した入口の周辺を清掃しているジーセックがいた。
「おはよう、ジーセックさん。ラズンさんに報告があって訪問したのですが…。」
「おはようございます、メランさん。せっかく来ていただいたのですが、私以外はまだ眠っていますね。」
申し訳なさそうにジーセックはメランに謝罪する。
「いえ、こちらが早く来てしまっただけですから。ではジーセックさん、ラズンさんに伝言をお願いできますか?」
メランの伝言を預かり、清掃を終えたジーセックがビフレストに戻ると、すでにフラメルが簡単な朝食の用意をしていた。
「おはよう、フラメル。」
「ああ、おはよう、ジーセック、今日も早いのね。」
フラメルはこんな時でも自分のペースを崩さないジーセックに感心していた。
救えない者達について、納得はしたのだがついついアーキンやマーサ、セロの事を考えてしまいフラメルはあまり眠れていなかった。
ジーセックとフラメルはパンと果実と水だけという朝食をつまみながらもそれについて話し合っている。
「フラメル、元気を出して。助けられなくても別に彼らと死に別れるとかじゃない。一足先に外界で彼らを待とう。」
セロは未だ幼いが、月日が経てば立派に成長して自分の戦いを始めるだろう。
「あの子の才能は本物だ。きっと仲間達を引き連れて外界に飛び出して来るさ。」
「…。」
フラメルはしばらく黙って考え込んでいたが、やがて何かを思い立ち、勢いよく立ち上がる。
「私、セロちゃんにお別れを言ってくる!」
上層のセロの家へとフラメルは駆け出して行った。
ラズンが目覚め、広間に顔を出したのはそれからしばらくしてからのことだった。
「おはようラズン。今日は随分と遅かったね。」
すっかりいつもの表情に戻ったジーセックが声をかける。
「いや~、なんかすんなり行き過ぎて、まるで誰かがお膳立てしてくれたみたいだとかいろいろ考えてたら眠れなくってな。」
「おいおい、決行直前になって不安になるようなことを言わないでくれよ。」
ジーセックは笑いながらラズンに返しているが、ラズンにしてみればこの手の不安は絶対に消えることはない。
(脱出の決行を決めたことは間者を通じてヴォロス先生やメランさん、管理側の人間に伝えられるはずだ…。)
その場合、美味しそうな情報をこれ見よがしに目の前にぶら下げられ、脱出計画の決行を促すような誘導。
ラズンはそれに踊らされ、嬉々として実験当日の決行を皆の前で言葉にした。
(間者にもそう見えているだろう。何か反応とか返してくれるとありがたいんだけどな。)
ジーセックとフラメルに目立たないように視線を振るが、いつも通りの二人にしか見えない。
ラズンはその存在を懸念している間者について、ジーセックとフラメルのどちらかであると見ていた。
情報源となっているラズンに対し、ケルトスは所属が楽園であるため間者には適していない。
オルガンは逆に近くにはいるのだが、いつも狩りか交尾ばかりのあの男を間者として起用しても情報なんかとれない。
こうして残された二人のどちらかであると当たりを付けたのだ。
ラズンはどちらの裏切りも疑っていない。
例えば楽園の術士によって何らかの術をかけられて間者に仕立て上げられ、こちらの情報を管理側に流す。
そんなこともあるかもしれないと、ラズンは唯一信頼できるはずの仲間達においてもその疑惑の目を光らせていた。
ただ、仮に魔術ということであれば、鑑定によって何らかの効果が表示されれば特定できるかもしれない。
しかしラズンは管理側に自分達が有利となるような情報を送る手段として、あえてそのままにしておくことを選んだ。
実験当日の脱出決行宣言もそうだ。
とにかく謎に包まれた管理側に間者を通じて情報を流し、それに対する反応を見てこちらも情報を奪い取る。
ラズンからすればそもそも実験当日の脱出は確実に罠であり、絶対に成功しないだろうことは火を見るよりも明らかだ。
(というか俺達が脱出を画策していることは管理側も掴んでいる。本来ならちょっと王が出張って脅して終わりだ。)
わざわざ情報を餌にラズン達の行動を誘導してまで、実際に脱出を決行させようとしている。
当然、何か目的があるのだろうが、罪状を付加する為、くらいしか推測できなかった。
「ラズン、今朝メランさんが来てたよ。実験は三日後、場所は地上密林。ビフレストの北東にある広場でやるってさ。」
ラズンが頭を使い過ぎて疲れを見せ始めた頃、ジーセックは重要な連絡事項を思い出したかのように告げた。
待ち望んでいた実験についての連絡は予想よりずっと早くもたらされた。
(三日後までにできるだけの準備を済ませておかないとな。彼らの裏をかくにはそれなりの準備が必要だ。)




