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フヨフヨ  作者: 猫田一誠
10 廃棄場
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過ぎ去りし七色 05

オルガンと虹鬼の戦闘は、一方的なものとなっていた。


虹鬼はオルガンの打撃を受けても大きなダメージになっていない。

さしたる脅威ではないと判断しているのか、虹鬼は防御や回避よりも攻撃を優先している。


ただし、頭部への被弾だけは避けていることから、知性を破壊された下級鬼であっても戦闘に関しての本能は残留しているようだ。


実際には頭部というよりも、唯一の弱点である角への攻撃を忌避しているのだが、この時のオルガンはそれに気付くことはできなかった。



鋭い爪によって切り裂かれた箇所からの出血によって、相対するオルガンはすでに血まみれだ。


今のところは深い傷はなく、なんとか戦闘を継続できている。

同行していた狩猟隊に一人だけ含まれていた付与術士による速度強化の付与術がなければとっくに致命傷を受けていたかもしれない。



「俺はこいつの相手で手一杯だ!残りの人害は任せたぞ!」


今は分散した狩猟隊がそれぞれ残り二体となった害人を足止めしている状態だ。


これまではそこにオルガンが参戦し、害人を仕留めていたが、虹鬼の相手でそれどころではなくなった。

その為、そのまま援護に参加していない狩猟隊のみで対応し、可能ならば始末しろ、ということだ。



中型種との遭遇でもほとんどの場合撤退を選択する狩猟隊の戦力で、大型種相当とされる害人を処理する。

これはかなりの無理難題と言えた。


しかし狩猟者達が害人を処理できなければ、下手をすれば害人がビフレストへ向かう可能性もある。



「お前達は足止めを継続!!ビフレストに残っている狩猟隊もじきに来るはずだ!」


オルガンは部隊長に叫ぶ。


現状では数で押し切るしか選択肢はない。

オルガンはそのように判断した。


援軍はすでに呼んである。

耐えていれば害人の処理に関しては事態は好転するはずだとオルガンは考えていた。


(畜生。せめてもう一人いりゃあ勝機も見出せるんだが…。)


オルガンは自分に並ぶ戦力として、かつてのビフレストの支配者であったケルトスのことを思い出していた。


楽園行きとなった者がビフレストに帰還することはない。

これまでがそうだった為、それは廃棄場の人間にとっての常識となっていた。


研究の為と双方を行き来しているエルンストなどは特例中の特例と言えるだろう。



オルガンは浮かび上がったケルトスの幻影を振り払い、改めて虹鬼に集中する。


ビフレストに迫る脅威の排除。

それを成す為には援軍が来るまで狩猟隊が自分抜きで害人を足止めせねばならない。

援軍として狩猟隊が増員された後も、害人を始末できるかは未知数。


しかし害人を始末して狩猟隊が自分の援護に来てくれなければ眼前の虹鬼の前にいずれ膝を屈することになるのは明白。


(なんかこう…、もっとうまい作戦はねえのか!?ここにラズンがいりゃあもうちっと…。)



そもそもオルガンは考えるのは苦手だ。


考える前に殴る、そして殴った後に考える、それでも分からなければまた殴る。

そのような単純な行動原理で動くのがオルガンという男だった。



そんなオルガンであっても、自分が虹鬼を抑えておくことが全ての作戦の前提であることは理解している。


「今は耐えるしかねえ…。」



オルガンと相対しているのは下級鬼。

知性を持たない鬼は、周囲の状況などお構いなしにただ襲い掛かって来るだけだ。


相手がただの獣であることが、オルガンにとって最大の幸運であったのかもしれない。



オルガンは紙一重で虹鬼の攻撃を捌きつつ適度に反撃を加えていく。


(考えるのはやめだ。こいつに集中しねえと、俺がやられたら全てが瓦解しちまう。)


振り下ろされる爪は当たり所によっては一撃でオルガンの戦闘継続能力を奪いかねない威力だ。

それがオルガンの皮膚をかすめ、薄く切り裂く。



「ふう…。」


オルガンは息を吐き、目の前の虹鬼に意識を集中させる。


(大丈夫だ。こいつらだってこれまで密林の狩りを生き延びてきた奴らだ。きっとうまくやる。)



周囲の状況を思考から切り離し、オルガンは虹鬼との戦闘に埋没していった。





「それにしても、思い切った真似をしたものです。貴女のような方は個人的には嫌いではありませんよ。そのドス黒い輝きも魅力的です。」


そこはエルンストが研究所という名目で使用している倉庫だった。


(こいつ、私がやったことを分かっている!?いえ、そんなはずはないわ。これは誘導。きっとそうよ。)


木製の質素なテーブルには果実水が置かれ、その前には椅子に座ったメリューンがいた。


「しかしビフレストへの侵入は無能な外民の禁忌ではありませんでしたか?」



ビフレストの内部にいたはずの目の前の男はどうやってか分からないが、メリューンが外の騒ぎの元凶であることを確信しているようだった。


(この場はとぼけておいて、次に接触した男を私の付与魔術でこちらの味方に引き込む。そして私を自分の妻だと証言させれば…。)


「さっきから何をおっしゃっているのかよくわかりませんが…?その、ドス黒いとか、ちょっと失礼なのではありませんか?」


メリューンは平静を装いながらも、如何にしてこの窮地を脱するか、それにひたすら思考を費やしていた。


向かい側に座っているエルンストを篭絡すれば話は早いのだが、何故かこの男には付与魔術が効果を発揮しないのだ。

さっきから何度も付与を行っているのだが、エルンストには何の変化も見て取れない。



「クフフ…、失礼。そうですね、ドス黒いという表現はともかく、貴女が無能な外民であるというのは失言でした。」


エルンストはにっこりと微笑みながら果実水を口に含む。


「外では結構な騒ぎになっています。これが一人の人間の手によって引き起こされたというのですから、大したものです。」


外の騒ぎについての情報が入ってきているのは分かる。

報告の伝令が次々とビフレストに飛び込んでいく姿はメリューンも目にしていた。


「無能にできる芸当ではありませんからね。それと先程から私に何か魔術干渉をされておりますが、無駄ですよ?」


このエルンストという男が如何にして騒ぎの原因を確信しているのかが分からない。

それに加えて、メリューンが何度も行使している付与魔術がまったく効果を現さない理由も分からない。


(これはとぼけても無駄ね…。小細工もするべきではない。私がするべきことは…。)



「ふぅ…。」


溜息をついたメリューンは観念したかのように表情を崩した。


「貴方は何?そこまで分かっていて私を捕縛せずに会話を選択した理由は?」


「私が貴女の敵ではないからですよ。ですが今は味方でもありません。私達の関係がどうなるか、それは貴女次第ということですね。」

「なら私は貴方が味方につけるに値する人物なのかを知りたいわ。先にそちらが情報を開示して。」


メリューンから飛び出した強気な発言に、エルンストは微かに驚いて見せる。



「クッ、クッフフフ!命乞いでもするのかと思っていたのですが、実に面白い人ですね。いいでしょう。」


エルンストは自身について語り始めた。



「私は楽園からこちらに出向している研究者ですよ。つまり私は貴女をビフレストどころかその先の楽園へと導くことのできる人材ということになりますね。」


その言葉はまるで安息を求めるメリューンの望みを分かっているかのようだった。


(この男を私の傀儡にできれば話は早かったのに…。)


メリューンは息を飲むと同時にエルンストに付与魔術が効かなかったことを残念に思っていた。



「丁度助手が欲しいと思っていたところです。貴女の恩恵次第では楽園にお連れしても構いませんよ?」


「…何のこと?」


エルンストはメリューンのことを外民であるとすでに看破している。


通常であれば、恩恵を持たないかもしくは使い物にならない恩恵を宿した者、ということになる。

しかしエルンストに対して行われていた魔術干渉は、メリューンが何らかの魔術技能を持っていることを証明している。


「持っているんでしょう?恩恵を持たないただの女にこのようなことが出来るとは思えませんから。」


「…ええ。」


メリューンの返答に対し、エルンストは笑った。


本来ならば恩恵を宿した者は無条件でビフレストに招かれる。

しかし目の前の女はこのような騒ぎを起こしてまで潜入という手段を選んだ。


「よほど他人の目に触れさせたくない恩恵なのですね。実に興味深い。」


エルンストはそのまま笑いながら鑑定板をテーブルに置いた。


メリューンは目の前の石板を見つめたまま動きを見せない。



「楽園を管理しているのは教会という組織です。教会は壁の外の国家群それぞれに支部を持つ巨大組織。ここを管理しているのは光都教会という支部ですね。」


決心のつかないメリューンにエルンストは続けて語り始めた。


「私は教会において枢機卿という地位にあります。研究者というのは仮の姿です。」

「枢機卿とかって言われても分からないんだけど…。」


「教会の頂点である教皇猊下の次に高い地位にあるのが枢機卿です。私の他にも数人います。」


廃棄場で生まれ育ったメリューンには枢機卿という地位もいまいちピンとこないようだ。


「今は私がこの廃棄場においてあらゆる決定権を持つ者であると捉えて頂ければ。楽園の王ですら私の命令には逆らえないということですよ。」



メリューンはエルンストを見た。


その姿はただの細身の優男であり、お世辞にも強そうには見えない。


王どころか、鍛え抜かれた狩猟者とも比較にならない。

その辺の外民にも劣るのではないかとすら思える。


(けど嘘を言っているようには見えない…。)



「楽園をさらに越え、この廃棄場を囲う壁の外に広がる外界。廃棄場の者がそこに至るには王を打倒するか、その才を認められるか。」


メリューンが王を打倒できるなどとは両者ともに考えていない。

当然、メリューンが選べるのは後者となる。


エルンストはその才を認める権限が自分にあると言っているのだ。

ビフレスト、その先にある楽園、そしてさらには果て無き大壁の向こうにある外界にすら導くことができると。



「もしも貴女がこのままこの地獄で使い潰され朽ち果てるだけだった自分の人生を変革したいと望むのであれば、私にその恩恵を見せて下さい。」



(望むわ。望むに決まっているでしょう!だからこそ私はここに辿り着いたのだから!!)



メリューンは決断し、鑑定板に手を添えた。

エルンストの視線が石板に注がれる。



「ほう…。他者の精神に作用する付与魔法ですか。これは確かに大っぴらにはできませんね。」


エルンストは満足そうに微笑み、メリューンはそんなエルンストを窺うようにして問いかけた。


「私は…、合格でしょうか?」


「勿論です。このような希少な恩恵を見せられては文句のつけようもありません。」



エルンストの本当の身分については口外しない。

表向きには、メリューンはエルンストの妻であり、研究助手でもあるとしてそのように装う。


メリューンはこれらの条件を迷わず承諾した。


求めていた安全な暮らしが手に入るのだ。

断るなどという選択肢は存在しない。


エルンストが本当の身分を明かしたことからも、仮に断れば自分が始末されるであろうことは簡単に想像できた。

しかし了承した結果自分の望むものが手に入るのだから、断った場合のことなど考える必要はない。



「楽園に貴女の部屋を用意しましょう。暫くはそこで付与魔術の訓練と私の研究の手伝いをしていただければ。不自由のない暮らしは保証しますよ。」


「ありがとうございます。ところで私はエルンスト様のことを何とお呼びすればよろしいでしょうか?」

「ここでは私は一人の研究者です。皆さん私の事を先生と呼びますのでメリューンも同じように。」


メリューンは満面の笑みで返答する。



「わかりました、先生。」

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