110 会談
「ラスタバン議長殿、魔人族の領内通行に関して、快く了承くださったばかりか色々と便宜を図って頂いて感謝しておりますわ。」
まずはエトワールがラスタバン議長に御礼の言葉を述べる。
「気にしなくてもいいさ。これからは色々と助け合えるような間柄になれればと私は考えているんだ。当然のことだよ。」
ラスタバン議長の返答に、エトワールとロッテは明るい表情を見せる。
「はい。まさにそうなれればと私も思います。」
非公式な会談は、和やかな雰囲気の中始まった。
その頃、会談に参加しなかったナナ達は建設中の街を散策していた。
「ナナちゃん、私から離れたら駄目だよ?ちゃんと手を繋いで…、ミケちゃんとクルルちゃんもだよ?迷子になるといけないからね?」
ジルは一生懸命、問題児である一人と二匹に注意喚起を行っている。
「ジル、落ち着け。ナナだってちゃんと言って聞かせてやればいきなりいなくなったりしないだろ?」
アランはどこか楽観的だった。
「ジル、あたしは良い子の見本のような女なんだぞ?知らない人について行ったりするようなアホの子じゃないんだぞ?」
ナナはジルと手を繋いだまま、自信たっぷりに返答している。
「しっかし賑やかなのはいいが、どこもかしこも建設作業だな。街と言うより工事現場だ。」
アランは何処に行っても似たような光景に遭遇し、すでに退屈していた。
「プリン屋どころかお店自体がまったく見当たらないぞ?ジル、ここは街じゃないのか?」
「これから街になるんだよ。今はまだ街を造っているところだから…。」
どうやらナナも退屈してきたようだ。
「ナナちゃん、それなら私達も要塞に行ってみよう?」
ドランメル要塞はこの辺りで唯一の大きい建物であり、その威容はかなり目立っていた。
難しい話を嫌がったナナだったが、当然、その建物自体は気になっている。
「探検だな!?あたし得意だ!ジル、あたしに任せておけ!」
ナナは途端に駆け出し、ジルは手を繋いでいるので当然引っ張られる。
「ナナちゃん、落ち着いて…。要塞は逃げないから…。」
要塞まではまだまだ距離がある。
ジルはナナを宥め、周囲の作業の邪魔にならないように注意しながら要塞へと歩き出した。
「なるほどね。ブリーズランドではそんなことが…。実に興味深いね。」
ラスタバン議長はセロ達からブリーズランドでの出来事を一通り耳にすると、何か気になるような感じの表情になっている。
かなり細かい部分まで情報を求められたので、結構な時間がかかってしまった。
「そのアルカンシエルの老師だけどね、魔人族を東に送り込むことを目的としてそれを達成したようだけど、おそらく考えていることはそれだけじゃないだろうね。」
「デアボリカさんに他にも目的が?」
セロ達は自分達が気付かなかったことだけに、ラスタバン議長が何に気付いたのか気になるようだ。
「簡単な話だよ。その老師が言うには魔人族の東進は人族の成長の為なんだろう?ならいっそ亜人族だって東進させるべきじゃないかな?」
デアボリカはアルタヤ・カナン氏族国の代表の一人だ。
なら亜人族の氏族会議をそっちの方向に誘導することだって可能かもしれない。
「闘争による変革計画、そんな計画を彼らは推進しているんだよね?それなら当然、亜人族もよい闘争相手になるんじゃないかな?」
ラスタバン議長はそのまま続けて自身の見解を語る。
かつて亜人族はウートガルド大森林に侵攻して、森の魔女に酷い目に遭った。
そのように老師が言ったのなら、亜人族の東進ルートは森からではなく一度南下しての砂漠越えを考えているのだろう。
亜人族のブリーズランド侵攻も、それが理由となる。
軍勢を東へ送るにはブリーズランドが邪魔なのだ。
「今回の結果は、亜人族の東進の前準備の意味も含まれているのかもしれないね。」
確かに亜人族が東進するにあたって、その障害となるであろう魔人族はすでにない。
「言われてみれば、その可能性も確かに否定できない気がする…。」
亜人族がブリーズランドに侵攻する目的がいまいち不明のままだったが、来るべき東進の為、ということであれば一応の理由にはなるかもしれない。
「その場合は、魔人族の亡命の開始と同時にベルフェン氏族は用済みになるのかな?」
セロは気になったことを素直に尋ねる。
「いや、私の推測では、老師はベルフェン氏族もまた、闘争の駒の一つとして数えているんじゃないかな?」
亜人族との交易が無くなり、生産層であった各氏族が東へ向かった以上、ベルフェン氏族単体ではおそらく生活が成り立たない。
しかもそのまま魔都に居座っていてはどちらにしろベルフェン氏族に未来はない。
亜人族の南下に対して、老師の言葉が嘘でなければその戦力に抗することはできないのだ。
つまり、ラスタバン議長はベルフェン氏族もまた、東へと移動するだろうと考えているのだ。
「ベルフェン氏族は高い確率で砂漠を東進する魔人族を追撃すると思われます。」
ベアトリス陸将はラスタバン議長の推測を補足する。
「だろうね。自分達に従えばよし、そうでなければ略奪の対象とする。どちらにしろ黙って逃がすことはないだろうね。」
ラスタバン議長は確実にそうなると自信を持って断言している。
セロは自分達がざっくりと話しただけのブリーズランドの情報から、自分達が考えもしなかった部分にまで思考を巡らす二人に戦慄した。
(すごいな、この人達…。俺はそんなところまで考えが及ばなかった…。)
「セロ様、魔人族を守らないと…。」
エトワールは焦ったように口にする。
「大丈夫だよ。王女殿下。逃亡中の魔人族がベルフェン氏族の追撃で被害を受けるという状況は老師の目的に反することだ。」
ラスタバン議長はこの推測にも自信があるようだ。
「逃亡する下級魔人である各氏族と、ベルフェン氏族。老師が両者に求める役割はまったく別種のものだろう。」
亡命した魔人族は、やってきた新たな勢力として王国に根を下ろし、その数を増やすという本来の役割を。
ベルフェン氏族は闘争によって他者に脅威を与える外敵としての役割を。
「つまり両者共に役目があるんだ。私の予想ではベルフェン氏族の追撃は防ぐだろうが殲滅はしないと見たね。」
まず間違いなくアルカンシエルの護衛戦力が魔人族に同行しているとラスタバン議長は予想しているようだ。
「私もそう思います。その老師という方の目的が嘘でないのなら、その護衛はベルフェン氏族もまた必要以上に傷付けずに逃亡を成功させるでしょう。」
ベアトリス陸将もラスタバン議長に続いて発言する。
(つまり多くの勢力を王国へと送り込むことで互いに争わせるということかな?これはサーレントさんの闘争による変革の為の行動…?)
帝国や連邦との停戦が実現しても、まだまだ争いの種が消えたわけではないことを改めて確認するセロ。
「亡命目的の魔人族はともかくとして、ベルフェン氏族や亜人族が東進してきた時には安全保障に基づいた援軍を要請する可能性が高いだろう。」
その時はよろしく頼むよ。とラスタバン議長は笑いながら口にした。
どうやらラスタバン議長は西からの脅威をまったく恐れていないようだ。
(何でだろう?議長はベルフェン氏族や亜人族の侵攻の可能性を自分で口にしておいて危機感を感じていないかのように見える…。)
ラスタバン議長の見解を大いに参考にしつつも、セロは議長の本心が分からずに何となくもやもやしたものを感じていた。
「どうやらブリーズランドの状況は完全にその老師という人物の支配下にあるようですね。残念ながらセロさん達は躍らされてしまったようです。」
ベアトリス陸将は悩ましい表情のセロを見ながら発言する。
そしてそのまま自身の見解を語った。
「セロ君、私が思うに、魔王ブロア、ベルフェン氏族、サンドラ、その他の魔人族、そして北の亜人族。その全てが老師の望む通りに誘導された結果が今の現状なんです。」
全ての黒幕は老師ことデアボリカであり、ブリーズランドの各勢力や様々な事象は彼女のコントロール下にある。
老師にとってのイレギュラーは空の魔王の来訪と、それを追ってやってきたセロ達だけであると言い切った。
「まず魔王ブロア。彼は老師の用意した魔王の傀儡。そしてベルフェン氏族の役割としては他氏族を冷遇し、それを維持することでしょうか。」
他氏族を東への逃亡へと誘導する為の冷遇措置であり、それを止めると言う選択肢は存在しない。
逃亡先は北と東の二択。
これを東一択とする為に亜人族の侵攻という情報が流布された。
「しかしサンドラは東へ逃亡するではなく、ベルフェン氏族と魔王の打倒を選択しました。当然これも誘導せねばなりません。」
そのためにブロアのレベルを偽って強者を装い、空の魔王の情報を流した。
「え?ティータさんの情報をサンドラに流すことが逃亡へ誘導することになるの?」
「最初に王国へ派兵された五千の精鋭はベルフェン氏族以外で構成されていたと言いましたね?それはつまりその五千はサンドラの戦力とサンドラが今後味方に出来得る戦力の混成ということです。」
そうなるとティータはサンドラの虎の子の戦力を一撃で吹き飛ばした危険人物、ということになる。
本来であればサンドラは空の魔王を恐れ、警戒し、味方につけるなどと言う選択は存在しないはずだった。
「あ…、もしかして俺のせい…?」
セロは自分がその原因となったことに気付いた。
ティータを味方に出来れば、などと言う自分の発言も憶えている。
ベアトリス陸将はセロに微笑み、そのまま頷いた。
「つまりここでセロ君達とその行動が老師にとって無視できないイレギュラーとなったのではないでしょうか?」
「その可能性は高いね。だからこそ老師はセロ君達の下層区の砂塵公主での行動の後に中層への山門を開き教会に招いたのだろうね。」
ここまでのベアトリス陸将の推察を肯定し、ラスタバン議長が言葉を引き継いだ。
「イレギュラーである君達を自らの支配下に置く為の招きであるというのが最も適切だろう。」
セロ達の来訪の理由とその目的を把握し、改めて自分の目的に沿うようにその思考と行動を誘導するということだ。
(そういえば確かに…。)
セロはデアボリカの言動のいくつかを思い出す。
その時は特に違和感を感じなかったが、言われてみれば、と思う程度には誘導されていたようだ。
「おそらくその老師はアルタヤ・カナン氏族国でもかなり上位の存在だ。亜人達を意のままに動かすことが出来るくらいにはね。」
ラスタバン議長は老師自身についての考察を披露する。
まず、魔王とその氏族が亜人族に対する抑止力になっているというのは偽り。
ブロアやベルフェン氏族に対する反逆を抑制する為の架空の設定。
「この設定によって、逆に亜人族の侵攻が上位魔族への反抗に対する抑止力となる。」
セロ達にこれを口にしたのは、なまじ高い戦闘力を持つが故にブロアの直接的な殺害などを考えないようにとの配慮だった。
次に、亜人族の侵攻は完全なブラフ。しかし老師には実際に侵攻させることも可能。
少なくとも現時点では侵攻があるという情報のみで各勢力を誘導し望む結果を出している。
「少なくともブリーズランドに侵攻する意味は皆無と言ってもいい。すでにどちらの勢力も老師の支配下にあるのだからね。」
亜人族の東方遠征時にはその通行を妨げないようにと老師が指示を出せば終わりだ。
「侵攻がいずれ来るとして情報を流し、警戒させる。亜人族の戦力を知ればそれがブリーズランドの最後となることはすぐに分かる。」
魔人族の心を東への脱出に傾ける大きな要因となることが予想される。
実際に亜人族が東に侵攻する時にはブリーズランドを経由させることでその情報は真実となる。
「さらに言えば、亜人族の侵攻のタイミングも完全に老師のさじ加減一つだろう。」
情報を流すことに始まり、氏族国の宣戦布告や先遣隊の上陸、そして実際に派兵。
老師はその全てを自身の判断で実行することが可能であり、それぞれの段階をうまく演出して状況を操作する腹積もりだった。
「このくらいの権限は持ち合わせていたはずだよ。老師の望む結果を引き寄せるには当然必要になることだからね。」
最後に対処不可能なイレギュラーである空の魔王。
おそらくは放置以外に取り得る手段はなかっただろう。
「情報から判断するなら、潜伏していたのは中層区の何処か。下層区であればサンドラの捜索ですぐに発見されていただろうしね。」
接触が叶わなかったティータについての情報は少ない。
ラスタバン議長も魔都での潜伏場所にあたりをつけるのがせいぜいだった。
(そうだ…、俺はサンドラの捜索範囲が下層区に限定されていることを知っていた筈だ。なのに中層区は通過するだけでその調査は怠った…。)
もしもセロがきっちりと調査を行ってさえいれば、未来は違ったものになっていたのかもしれない。
「長々と話してしまったが、どうだったかね?かなり真実に近しい推論だと思うのだが。」
そうは言いつつも、ラスタバン議長は自身の推論を近しいどころかほぼ真実だろうと考えている。
そしてそれを否定する者はいない。
「ラスタバン議長、ベアトリス陸将、色々聞かせてくれてありがとう。とっても勉強になったよ。」
二人の語った内容は、全てセロが持ち込んだ情報から構成できるものだった。
セロは高い能力を示した二人に感服すると同時に、自分にこれが出来ていれば、と考える。
ブリーズランドについて、デアボリカについて。
今の理解に早い段階で至っていたならもう少し違った対応もできたかもしれない。
セロが自らの至らなさに落胆している間に、会談も終了の時間がやってきたようだ。
そろそろ二人は業務に戻らねばならないそうだ。
「それでは議長殿。私達はそろそろお暇させて頂きます。」
「改めて、私達の我儘にご協力頂きありがとうございましたわ。」
ロッテとエトワールは今一度頭を下げてラスタバン議長の執務室を後にした。
「ラスタバン議長。最後に一つだけ聞いてもいいかな?」
一人残ったセロは、退室する前に一言だけ質問をぶつけてみることにした。
「いいとも。何を聞きたいのかな?」
「アルカンシエルの提唱する闘争による変革、これについて議長はどう考えているの?」
ラスタバン議長は平静な態度を崩さないまま、とくに悩むこともなく返答する。
「闘争の内容次第では賛成だね。ある意味ではシャルロッテ嬢の提案した通商協定も、闘争による変革と言えるだろう?」
三国の経済が本格的に交われば、そこに競争が発生し、様々な分野において発展を促すことだろう。
「私と同様にアルカンシエルのお歴々も歓迎しているんじゃないかな?」
つまりラスタバン議長も変革を求めているということになる。
「変革を求める、と言うよりも現状を改善したいという希望かな?少なくとも王国以外の国に暮らす者は大部分がそうだと思うよ?」
「闘争の内容次第っていうのは?」
「そうだね、無意味に死者を量産するような戦争はできれば御免被りたいね。アルカンシエルの変革計画だって極端な人口減は困るだろうしね。」
サーレントは人間の成長を促すことを是とする発言をしていた。
成長させるべき対象を極端に減らすことは望んでいないという推測が成り立つのだ。
(闘争を戦争ではなく、競争と捉えれば悪い考えではないとする意見かな…。)
「答えてくれてありがとう、ラスタバン議長。色々と参考になったよ。」
セロは正直な気持ちを口にしてから振り返る。
「正門までお送りします。」
そう言ってセロに同行するベアトリス陸将と共に退室した。
部屋の前で待っていたロッテとエトワールと合流して、ベアトリス陸将に続いて正門の方へと歩き出した。
「とは言っても戦争になるのは止められないんだろうけどね。脅威は西から、それだけとは限らない。まったく愚かなことだよ。」
執務室では、一人になったラスタバン議長が虚空に向けて呟いていた。
その頃、ナナは食べ物の匂いに誘われ、要塞内の厨房へと辿り着いていた。
「連邦プリンはないのか?」
ナナは勝手に中に入り、軍属の料理人にプリンを要求している。
「ナナちゃん!?お仕事の邪魔になるから中に入っちゃ駄目だよ!?」
ジルは慌ててナナを捕まえ、料理人に頭を下げている。
「お嬢ちゃん、迷子かい?お父さんかお母さんは?」
「あたしは迷子じゃない。父ちゃんと母ちゃんは一緒に来てないぞ?兄ちゃんがここで難しい話をしてるんだ。」
料理人はナナの説明で、少女はついてきただけで、その兄が要塞の誰かと作業の打ち合わせでもしているのだろうと考えていた。
「お嬢ちゃん、それならいい子にして兄さんを待ってないとな?プリンはないが代わりにこれをやるから兄さんの所に戻りな。」
ナナが料理人に渡されたのはいくつかのドーナツだった。
何かの果実のジャムが塗られており、甘そうな香りが漂っている。
「む!これはうまそうだ!おっちゃんはいい奴だな!ありがとう!」
もしゃもしゃとドーナツを頬張りながら、大人しくなったナナはジルに連れられて要塞の正門まで戻ってきた。
「これは何のジャムだ?初めての味だぞ?」
中庭でナナはミケとクルルにもドーナツを分けて、仲良く美味しそうに食べている。
「ナナ、俺にも一個くれ。」
アランもドーナツを齧り出す。
ジルは正門を視界に納めつつもナナから目を離さない。
セロ達と合流するまでは油断しないのだ。
「ジル、セロ達の匂いニャ。こっちに近づいて来るニャ。」
トラがセロ達の接近を知らせ、ジルは安心してほっと息をついた。
ナナ達がドーナツを食べ終わる頃にはセロ達も中庭に現れ、無事に合流を果たす。
「それでは私はこれで。道中お気をつけ下さい。」
ベアトリス陸将は要塞の中へと戻っていく。
「俺達も一度戻ろう。」
「セロ様、王都に戻ったら私、付き合って欲しい場所がありますの。」
セロは帰還を口にし、そしてエトワールは帰還後に行きたい場所があるようだ。
ルーシアは通常業務に戻っているので、護衛として来て欲しいのだろう。
「王都の貧民街を見ておきたいのですわ。」
エトワールはブリーズランドの地下都市の住民を見て、王都における貧民層を自分の目で確認しておきたいと思ったのだ。
「構わないよ。どうせなら皆で行こうか。」




