喜び
「これすごくおいしい、なんていうの?」
「ただのトウモロコシだろ。それすら知らないのかよ。いったいなに食ってたんだよ」
彼女の食事は一度みたことがある。そのときはカレーだったが、他になにを食べていたのかは知らなかった。
「ん~分かんない。出される料理の名前は全然知らないものだから」
そうか、コイツはそもそも名前が分かっていない。
「この前食べていたのはカレーだ」
「あの茶色いヤツ?へーカレーって言うんだ」
「今やってんのはバーべキュウーだ」
「うん。ところでフリーちゃん」
相変わらずこのあだ名はやめていなかった。
この女は、最初であったときとはまるで違うな。
「水着姿の女の子を膝に乗せるのはどんな気分?」
コイツはまた俺をからかっている。明らかにそう言う顔だ。
「重い」
「こら!女の子に体重のことは絶対言わない!」
クソ!この女!どうしてそういう余計な知識は身についている!
「どう、私の水着かわいい?」
俺の顔を見ながら彼女は質問してきた。
小悪魔の笑みだ。
「なんとも思わない。かわいいってそもそもどういうことなんだ」
「ええ?さすがは無感情のロボット君どうなってんのその頭」
すると彼女は俺の頭のほうによじ登ってきた、重い、それと顔が近い、暑い。
「邪魔だ。どけ」
「うーん、やっぱりここが落ち着く」
勝手に落ち着くな俺の膝の上で。
「今日はここで寝かせて」
「ここで寝るな」
「いい話を聞かせてくれるならどいてもいいよ」
「なんだ、俺にヒロシマの話でもさせるつもりか。それ以外ないし別にいいが」
正直もうこの女に振り回されるのは慣れた。どうせ帰ったら任務がある。ヒロシマの話くらいならできる。
「その話はいいよ」
「いや話させろ」
「分かった。聞かせてくれる?」
ため息をつき、口を開いた。
俺の名は昔『天谷 終夜』という名前で生まれてきた。母の名は『天谷 零夜』。父は生まれてすぐ亡くなったので分からない。
俺は昔から自閉症という心の病に罹っていて知能の低下、自傷行為、破壊行為が散々あった。
俺の自閉症は、いろんなものを壊した。知り合いのもの、学校のもの、いろんなものを、母はそれをすべて弁償してくれた。どれだけ迷惑をかけていただろうか。
俺は毎日学校でいじめられていた。自閉症による知能低下が原因だろう。毎日泣いて帰っていた。
そんな中母は俺を救ってくれた。慰めてくれた。今はもういないが感謝している。
そしてあの日。1945年8月6日、午前8時15分。その日は晴れていた。雲ひとつない普通の青空。いつものヒロシマの空だった。だが、あの爆弾がすべてを奪った。
原子力爆弾、あれにほとんどの人間が殺された。
俺は、守られていた。母に、また迷惑をかけていた。母は俺の目玉が飛び出ないように中指、薬指、小指で俺の目を押さえ、音を聞かないように、親指で耳をふさいでくれていた。また体の臓器が取れるのを避けるため、俺におなかを押さえてなさい、と何度も警告した。
何も見えない、何も聞こえない中いつの間にかそこは地獄に変わっていた。
死んだ人間の死体は赤くなり、顔もぐちゃぐちゃ。生き残った人間も化け物のようになっていた。
自閉症の影響でこういうときどうすればいいのかまるで分からなかった。だから母の死体を見ていた。
そして息絶えた。
「気づいたらドット・N・フリーズとして生まれてきていた。それがすべてだ」
「...」
珍しくこの女はちゃんと降りて聞いていた。ただ黙って、被爆者の体験を聞いていた。
「なんか、いやなことを思いださせちゃったかしら」
「いや気にするな」
もう昼か、P38の整備をしないと。
「ああああまたP38のところに行こうとしてる、少しは遊びなさい」
ガキかお前は、本当に18歳かコイツ。
しかし、逆らえない。今のは命令として認識したのだろうか。呪いが発動していた。
「あまり、向こうへは行くな。手錠が効いて俺の仕事が増える」
「分かっているわよ。あなたには極力迷惑をかけたくない」
すでに大迷惑だ。勘弁してくれ。
「あの鳥は、なんていうの?」
「カモメだ、海によくいる鳥。というかさっきから会話がまるで親子だ、気持ち悪い。後で本を貸すから自分で調べろ」
バシャ!と水をかけられた。人の話を聞かず、小悪魔みたいに笑って俺をからかう。
彼女は本当に面倒くさい。
だが俺を牢獄から救ってくれた、唯一の人間。クソみたいな世界で、唯一輝いている人間だった。
「お前、少し調子に乗りすぎだ」
「へへへ、でも楽しいでしょ」
フッ。コイツはまったく。笑わせてくれる。
楽しい。そう思った。自分でも気づかぬ間に俺は人間になっていた。
殺戮兵器は笑った。自分を救ってくれた少女に。
「ああ、これが。喜びか...」