記録は記憶から
中央線の中は白かった。実際に白い色という訳では無く、生き物が同じ空間に居るフィーリングが無い、と言うのが正しいだろう。体臭から漂う肌色なタンパク質の臭いのみが俺の鼻孔に突き刺さる。普段通り、何も変わらないはずなのに、違う世界に来たみたいだった。
オレンジ色と茶色のチェック模様で彩られたシートには多くのモノが座っている。誰もが皆同じ顔だった。外国人の顔を区別できないような感覚。自分と同じモノのはずなのに、どこか遠くのモノを見ているように感じられる。
昨日まで見ていた世界は普通だった、と改めて感じた。違いは無い。違いは無いのに違う世界に居る。ガタンゴトンと電車の中で揺られながら、俺は間違い探しをするようにモノを見て考えていた。
すると、二十四の瞳が一斉に俺を捕らえた。どうして瞳の中の俺は濁されているのか――
「うおおおおおおおおおおああああああ!!」
帰路の途中だったが、俺は新宿駅で中央線から逃げ出していた。キセル下車で自動改札機を突き破り、通行人の奇特な視線を無視していつか電車の中からちらりと見えたメンタルクリニックへと駆け込んでいた。
◆◆◆
「城田さん、安心して下さい。ただの疲れですよ。新学期が始まったばかりで緊張していたのでしょう。ほら、最近流行の、ラブプラス。あれも最初は恥ずかしくて緊張するでしょう? でも、慣れてくれば人前でタッチペンを加えてカノジョとキスしてもなんら恥ずかしくない! あれ、最近の若者はこれに夢中なんじゃないの? ……とりあえず様子を見ますので、睡眠薬を出しておきますね。この青い薬がハルシオンと言って――」
どうやら疲れているらしい。精神科の先生がラブプラスについてどうこう言うなんてあり得ない。幻聴だろう。少量の青い睡眠薬を貰った俺は足早に帰路へ付き、周囲に目を向けないようにしながら帰宅した。
早めに寝よう。
家に到着した俺は青い薬を水道から出るぬるま湯でかっ込むと、足早に私服のままでベッドへと向かった。青い薬は俺の意識をぼんやりさせていく。湖を漂う波がだんだんと消えるように、俺の頭は穏やかな気持ちに包まれていった。不安も薄れていき、心地よく眠れそうだ。
夢の中だろうか。意識は割とはっきりしているが、辺りは薄暗い。小部屋の中に居るようだった。シーツの乱れたベッドが周囲に六床、床に貼られたタイルの目に沿って、丁寧に並べられている。正直、ここまで神経質にベッドを並べるならシーツも神経質に整えれば良いと思う。シーツの中には何かのチューブが散乱していた。ここはどこかの病院なのだろうか。
乱れたシーツを整えようと足を踏み出した瞬間だった。ふと、俺の頭上から赤い光が降り注いでくる。振り向いてみると、アシタカの腕に絡みついたタタリ神の様にうねうねとした光源が天上すれすれに浮かんでいたのだ。
少し不気味だったが、夢なら仕方がないだろう。赤い夢は感情をコントロールできていないときに見るとどこかで聞いたことがあるし、疲れ気味な俺の心が表れているのかもしれない。
「ちょ、話を聞いて、こっち見たんなら話を聞いて、私を見て……」
ふと、赤く照らされた小部屋の中に女性らしき声が響いた。心なしか、あの赤いゴンズイ玉から発せられているような気がする。赤い玉をぼんやりと眺めると、マリモのようにふわふわと宙を漂っている。それを目で追っていると、突然ゴンズイ玉がこちらへ勢いよく近づいてきた。
「城田丈助、お前はもうすぐ殺されるのおおおおおおおおおおお!!」
……静まれッッ! 静まれッッ! おあああああああああああああああああああああああああああ!!
夢の中は何故か声を出しづらかった。大声を出したはずなのに音が聞こえない。俺に出来ることはタタリ神に許しを請いつつ、部屋の中を逃げ回るしかなかったのだ。ベッドの下へ逃げれば、ベッドをすり抜けて襲いかかってくる赤い玉。殺傷能力があるかは解らないが、物騒なことを叫びながら近寄る赤い光はただただ恐ろしくて仕方がない。
狭い部屋では逃げるスペースもなく、俺は部屋の隅へと追い込まれていた。赤い光は俺が隅から逃げないよう、左右に揺れながら俺に近づいてくる。そして、その時がやってきたようだった。
「あなたは殺されるのおおおおおおおおおおおおお!!」
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!
◆◆◆
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
俺は勢いよくベッドから転げ落ちていた。声が、出る。ケツが、痛い。右腕は、うるしにかぶれていない。どうやら、あれは疲れ気味だった俺の心が生み出した幻覚だったらしい。昨日貰った青玉のことも嫌いになりそうだ。それでも、よかった。俺は地面に寝転がりながら、安堵のため息をつく。
「だから、もうすぐ殺されるって言ってるでしょおおおおおおおお!」
「……うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!」
俺は駈けだしていた。身だしなみを一切整えずに、裸足のままで玄関を飛び出す。心なしか、視界には赤みが掛かっているような気がした。昨日見た白とも相まって、肉肉しい色をしている。
俺の精神は狂ってしまったのだろうか。
相変わらず外はモノで溢れかえっていた。この世に存在するはずのないモノが動いている恐怖。何処へ逃げても、それは這うように俺の背後から近づいてくる。逃げたい……逃げたい……。
「落ち着いて! 城田丈助! あなたはもうすぐ殺されるのおおおおおおおお!!」
そんなことを言われて落ち着ける人間が居るだろうか!? この赤色に殺されるのが気狂いになった俺の終点なのだろうか!?
落ち着いて、俺は逃げる。終末が近いのなら自分で終わらせてやろうと、中野駅の自動改札をキセル乗車で通り抜ける。そして、他人に迷惑が掛からないよう使用頻度の少なそうな『武蔵小金井行き』の中央線を発見すると、階段を駆け上り、俺は飛び出していた。
「Fly Away!!!!!!!!」
俺は他人に迷惑を掛けないように、赤と白の全てから逃げ出した。目の前には銀色とオレンジ色も見える。無機質な世界だった。あらゆるモノが制止していく。這いつくばるような死の臭い。じわりじわりと近づいてくる青白い感覚は、近づかなければ解らない恐怖の臭いを放っていた。
恐ろしく、避けようがない、青色の世界。そこに、赤い音が遥か遠くの空まで響いているような気がした。
「だから、二十歳になったら殺されるって言ってるでしょおおおおおおおおおおお!!」
そんなこと、言ってましたっけええええええええええええ!?
ゆったりとした意識から、バンジージャンプのゴムで引っ張られるように引き戻されていた。中央線のボディが音を立てながら、まるでペーパークラフトを分解していくように崩れていく。俺の身体を避けるようにして、板の集まりになった中央線は背後へと飛んでいった。勿論、中の乗客も俺の背後へ吹き飛んでいく。残った車輪は枕木の上をコロコロと転り、しばらくしてからパタンと倒れた。結果、俺の身体は中央線にミンチにされることなく、ドスンと音を立ててホーム下へと落下したのであった。
◆◆◆
俺は駅員に連行された。俺が「Fly Away」と言って線路上に飛び出した途端、中央線と乗客がFly Awayした。トリックこそは知りようがないが、状況だけ見ればだれが見ても俺が怪しいと思うだろう。その後、事件の重要参考人として任意同行を求められた俺は近所の警察署へと行き、今は一人で小部屋の中に入れられている。警察官に事件についての話を色々と聞かれたが、は虫類と会話をしているような気分だった。それに、言えることは何も無い。
一人になった俺はぼーっと灰色の天井についた雨漏りらしきシミをぼんやりと眺めていると、再び視界が赤く染まっていった。
「落ち着いた?」
赤い光は、心なしか太陽のような暖かさを俺に感じさせてくれた。周囲を見渡しても、狭い小部屋に人は俺しか居ない。やはり、この声は俺の頭から聞こえてくるようだった。
お前は誰だ?
もしかすると『もう一人のボク』のように念じるだけでコミュニケーションが取れると思い、俺は頭の中に言葉をイメージする。すると、赤い光は俺の目の奥で点滅しながら答えてくれた。
「私は誰だか知らないけれど、少なくとも自分が二十歳になった途端に殺された事は解っている。そして、私もあなたと同じように誰かの声を聞き、死を回避しようと試みたけれど、結局は殺された。他の記憶はない」
自分も今の俺と同じ体験をして殺されたから、俺も同じように殺されると思っているのだろうか。『紫鏡』じゃああるまいし。繰り返し生まれ変わると言うことは、俺の前世なのだろうか? にわかには信じがたい話だが、俺は這いつくばるかのような恐怖を感じていた。
なぜなら、俺は明日二十歳の誕生日を迎える。朝起きて、飛び出して、警察署に閉じ込められて、今は何時だろう。この部屋には時計も窓も無く、時間の確認は出来ない。携帯も腕時計も持たずに家を飛び出したために自分で時間を確認することも出来ない。もしも、いつの間にか夜を迎えていたら、日が変わった途端に突然殺されるのだろうか。まるで血液から恐怖を心臓へと送っているように、自分の鼓動が早くなっていくのが解った。
どうして電車が吹き飛んだんだ?
疑問をかき消すように念じると、赤い光は目の奥でユラユラと動きながら再び答えてくれた。
「おそらく、二十歳になったら死ぬ運命だから、逆に二十歳になるまでは死なないのだと思う。だからといって、電車がバラバラになる力を及ぼしたのが何かは解らないけれど」
つまり、俺達には想像も付かない、宇宙や神の様な力で運命が決められているのということなのだろうか? 電車をバラバラにするなんて、街のミニチュアを破壊する子供の視点。神の視点でなければできないだろう。
他には何か知っていることは無いか?
再び念じると、赤い光は次第に輝きを失っていく。かと思えば、突然黄色く光り出したり、紫色に光り出したりと、落ち着きのない様子だった。これ以上は何も知らないのだろう。
もう一つ、昨日から視界に違和感があることとこれは関係があるのか?
こちらも状況から判断すれば原因はどう考えてもこの赤い光だろう。もしかしたらこいつも俺と同じ体験をしたかもしれないのだ。しかし、赤い光は何も答えない。さっき言っていた通り、自分が生きていたときの記憶は無いようだった。
あ、最後にもう一個だけ。なんで最初はあんなにハイテンションに迫ってきた? スプラッタ映画かと思ったぞ。
俺がそう強く念じると赤い光は動きを止め、淡い光を放ちながら答えた。
「私も突然あなたの頭の中に居て慌ててたから」
ああ、さいですか。天然クール系ですか。しかし、これで解ったことがある。突然現れたと言うことは、俺の前世じゃない可能性も高いという事だ。何代も前の前世から続く因縁、と単純に考えるのは早計なのかもしれない。
◆◆◆
今は夕方だろうか、夜だろうか。長い間警察官に放置された気もするが、もしかしたらまだ数分しか経っていないかもしれない。依然俺は光のささない小部屋に閉じ込められている。小部屋の中は内蔵を思わせるようなピンク色に染まり、血液を送る鼓動のような揺れを身体に感じていた。俺は赤い光に念じる。
気がついたことがあるんだが、記憶がないのに他殺だって事は解るのか? 自然災害や病気じゃあなく、他殺で二十歳の時に死んだと。そう自信を持って言えるのか?
赤い光の話は理解の及ばない、不思議な点だらけだが、この点に関しては不自然だ。自分の名前すら知らないのに、死んだ瞬間の年齢と死因を覚えている。まるで何か意図して覚えさせられているように。俺が念じていると、赤い光は抑揚の無い音で答えた。
「自分が殺されたと、私は自信を持って言える。記憶がないのに、確かに不自然だと思う。良く気がついたね」
これでも伝奇活劇ビジュアルノベルが好きでね。
「伝奇活劇ビジュアルノベルとは何」
余計なところを拾われてしまった。ともかく、死因が他殺に限定されているならばこの警察署内は寧ろ安全だと言えるだろう。
「何故安全だと言い切れるの」
赤い光は俺が頭の中で考えることは何でも拾えるらしい。おちおち考え事も出来なかった。しかし、いちいち言葉を話さなくても意志が伝わるのは楽かもしれない。
警察署だから危険な人間は入ってこられない。この小部屋には窓が無いから狙撃もされない。扉は一つだから一方向だけに注意を向けていれば、仮に危険な輩がここに侵入してきても何とか対応できるかもしれない。二十歳より先の時間を生きた場合どうなるかは解らないが、少なくともみすみす殺されるよりはマシだろう。
「なるほど。確かに、中々安全の様な気がしてきた」
赤い光は目の奥をビュンビュンと勢いよく飛び回っていた。しかし、まだ油断はできない。二十歳になる時間より早く警察官が戻ってきて、俺をこの部屋から出す危険性もあるからだ。そう考えた途端だった。部屋に一つしかない扉がゆっくりと開かれた。
「すまない、遅くなってしまった。こちらも中央線が分解だの、大勢の乗客が飛んで行くだの、訳の分からない事が多くて調査にてんやわんやなんだ。君からももう少し話を聞きたいんだけれど……どうだろう」
気の弱そうな、いかにも流され系主人公と言った男性警察官が部屋に入ってきた。他に人の姿は見えない。警察官の腰ベルトにはいかにも使われていなさそうな、ピカピカの拳銃がホルスターと一緒にくくりつけられていた。俺は警察官に話しかける。
「ええと、話せることは何も無くて……あ、そういえば、今は何時ですか?」
仮にこの物体が襲いかかってきたとしても、二十歳になるまでは安全だろう。それは今朝の電車の例で証明されている。警察官は少し考え込んでから時間を答えた。
「ええと、確か、午後の九時くらいだったかな。帰りが遅くなってしまって本当に申し訳ないね」
午後六時。俺が二十歳になるまで、まだ六時間もあった。つまり、今はまだ安全なのだ。そう思うと、赤い光の輝きも穏やかになったように感じられる。
「ああ、いえ、別に良いんです」
俺が安心してそう答えた時だった。俺が目を向けるよりも早く、警察官の拳銃がいつの間にか火を噴いていた。突然の危機。赤い視界の色は急激に褪せていき、一瞬のうちに青色へと姿を変えていた。
まるで走馬燈を見ているように、時間が遅くなっている。まだ六時だから、俺の命を奪うことはない。中央線の時のように、不思議名現象が発生して助かるだろう。頭は冷静だったが、放たれた球はどんどん俺の腹部へと向かって回転しながら飛んでくる。
「もしかしたら」
赤い光が黒っぽい光を煌びやかに放ちながら、俺に言っていた。
「即死を迎えるときだけしか、助ける方向に大きな力は働かないのかもしれない」
拳銃の弾が俺の腹部へと埋まっていく。赤い視界がますます赤くなったような気がした。ああ……なるほど。何か大きな力は俺を助けるためではなく、俺をじわりじわりと包囲して殺害するために、警察官に、この世の全てにまで干渉して襲いかかってくるのだ。
◆◆◆
「うぐおおおおおおおおおおおっ!!」
拳銃の弾が俺の横っ腹を突き抜けていた。背後には血の花がほとばしる。致命傷ではない分、余計に痛みが感じられた。拳銃を放った警察官の表情は、何というか普通だった。昨日から違和感を感じている普通ではなく、人型ロボットのような血の通わない表情をしている。
「大丈夫?」
赤い光が目のすぐ後ろまで大きく感じられた。お前は焦らないんだな。初めて見た時はあんなにも騒いでいたのに。
ラブプラスもまだやってないのに殺されてたまるかっつーの!!
俺は痛みに耐えながら警察官の拳銃をひったくった。警察官は何故か動かない。どうぞお取り下さいと言わんばかりに拳銃を奪われていた。そして、それ以降はぴくりとも動くことは無かった。
「まだ危ないかもしれない。離れた方が良いと思う」
その通りだった。拳銃の音はおそらく部屋の外まで響いただろう。騒ぎを嗅ぎ付けた警察官がこの部屋に何人も来るはずだ。それで助けられれば良いのだが、さっきの警察官を見ているとどうもそうはいきそうにない。助けるつもりで駆け寄った警察官が途端無表情になり、大勢で俺を拘束する。そして、二十歳になる頃に失血死、なんて最低最悪のバッドエンドが想定してしまう。
「逃げるぞおおおおおおおおおおおっ!!」
俺は自分を奮い立たせるように叫び、痛みを無視して走り出す。ここは確か、警察署の六階。扉を出ると廊下に飛び出していた。前方には横一面に並んだ窓、そして右と左には長い長い通路が通っている。しかし、景色は赤黒くいびつに歪んでいた。そこに居るのは、数人の警察官。おそらく、皆拳銃を持っているのだろう。
「階段まで逃げ切れるのか」
赤い光が何事も無かったかのように語りかけてきた。お前もちょっとは考えろよ!
「ごめん。じゃあ、もしかしたら」
赤い光は色を変え、鮮やかなオレンジ色になってイメージ的には俺の脳内を動き回っていた。何かを伝えたいのだろうか。オレンジ色になった光は、俺に言う。
「さっきは致命傷にならなかったから怪我をしたけれど、確実に即死へと向かえば、二十歳になる時間までは助かる力が働くのかもしれない」
確実に即死。全面には窓ガラス。ここは六階。なるほど。俺が何をしたって言うんだろうか。
「私は助かりたい。あなたはどうなの」
愚問だった。感覚が普通を異常に感じるようになってから、何故か死には敏感になっている。それはつまり、死にたくないって事だろう。俺は拳銃を構えて、窓ガラスに向かって銃弾を放った。拳銃の震動が身体に染みる。窓ガラスには銃弾の丸い跡がくっきりと残っていた。
「いくぞおおおおおお!! 時でも何でもかけやがれってんだあああああ!!」
その跡目がけて、頭から勢いよ前進をぶつける。アクション映画の様に、俺の身体は外へ飛び出していた。月の光が身体に突き刺さる。それでも俺は止まらずに、前へと身体を突き出していた。思えば、今日はこうやって飛び出してばかりだと思う。
◆◆◆
飛んでいる。落下するはずの俺の身体が斜め前方へと新幹線のようなスピードで前進していた。落下しても即死しない場所に突っ込むのだろうか。
空から見る街はカラフルな色と肉々しい臭い、さらには空気を張り詰めているような高い音で満ちあふれていた。腹に感じる痛みですら、生クリームのような甘さと柔らかさが感じられた。心なしか、二十歳に近づくにつれて感覚がおかしくなっているような気がする。死が身近にあるというのは、あらゆる感覚が一体になることなのだろうか。
「大丈夫?」
赤い光がしれっと言う。今は赤色以上のものをそれに感じているような気がしたが、意識をすると感じられなくなっていた。
大丈夫なわけ無いだろう! 何だかケーキっぽいし!
「ケーキっぽいとは?」
念じれば解ってくれるのだろうか。ノリと直感で解って欲しい。
「大丈夫そうね。ところで、このままだとあなたは死ぬと思う」
俺の念を無視して赤い光が言った。確かに、どんなに逃げたところで、理解の及ばない大きな力は俺を殺そうとあの手この手で襲いかかってくるだろう。何かをしなければいけない。何か変化を及ぼさなければ、死の運命からは逃れられそうになかった。
そもそも、何故俺の身にこのような不条理が起こっているのか。きっかけは、やはり中央線での違和感だろう。いつもと同じはずのモノが同じに見えず、同じ人間という感覚がなくなってしまった瞬間。それが今や人、モノ問わずして自分の五感全てを刺激する、まさに違う世界を俺は見ていた。
「じゃあ、私はどんな風に見えているの」
それは、赤い光。いや、女性のような声? 見えているのか、聞こえているのか。目に見えて、手で触れて存在しているモノは何かしら俺に刺激を与えてくる。おそらく、今はその刺激が混線して様々な感覚と成って表れているような気がする。だけど、存在するはずのないモノのような何かはどのようにして俺に刺激を与えているのだろうか。
「つまり、私は存在している何かだからあなたに刺激を与えているということなの」
禅問答か? 藁をも掴め、スラッシュ禅問答。 俺も知らん。疑問を投げかけておいて放り投げる20世紀少年スタイルでいくしかない。
「じゃあ、これからどうするの」
そう、それを考えなければいけなかった。何か発想のきっかけになりそうな所はあっただろうか。昨日からの記憶を掘り起こしてみる。
そういえば、お前が初めて出てきたところって、病院だったっけ?
「さあ。わたしは解らない」
赤い光はそっけなく答えた。やはり、コイツは何もわからないらしい。だけど、赤い光が俺が感じている何かなら、同じように病院のような部屋も俺が感じた何かだとしたら、わからなくて当然とも取れる。
もうその方向で考えるしか無いかも。病院っぽい所を探してみるしかないのか。だけど、どてっ腹に風穴が空いている状態で歩き回るなんて、できるわけがない。
「ところで、今更だけれど、落下するからって即死では無いと思う」
あ。ふと前を見れば、俺の目下には薄ら青い土の地面。どこかの公園だろうか。解らない。俺は頭から地面に頭突きをしていた。新幹線のようなスピードそのままで転がっていき、どこまでも、地面をかすりながら飛んでいく。もう、身体が痛いのかは解らない。口の中にはチョコレートのような甘さが広がっていた。
◆◆◆
多分、俺は救急車で運ばれていた。ピーポーという音がドップラー効果を効かせながら耳障りに近づいてきたのは何となく覚えている。目の前に広がっていたのは赤い光。酸っぱい味がする担架のようなモノに運ばれ、子宮の中みたいな暖かさの救急車のようなモノで病院に到着していた。俺の身体にはチューブが取り付けられ、命が注ぎ込まれている。目は開かなかった。この感覚だけが俺の現実……。
◆◆◆
「起きてるの」
うぐおおおおおお!! まだ二十歳じゃねえから死ねないってか!!
目が覚めると、あの時見た病院の天井だった。もう視界に入れなくても、臭いから伝わる質感だけでここにベッドが六床あるのがわかっている。あらゆる感覚が情報になって俺の脳内に流れてくるようだった。四角いベッドの臭い、細長いチューブの臭い、隣から感じる赤い光の臭い。
あれ、何だか赤い光の臭いがするんだけれど。
「ちょっと解らない」
いや、感覚で分かれよ! 一体化しているんだろ! お前居るって! 殺されてないって! 入院してるだけだって!
「じゃあ私は何」
じゃあ何って、それは、あー、甘い味と香り、柔らかい触感、規則正しい周波数の音とチカチカとした光。ああー、わかった。俺は目を閉じる。
「何を」
この世の生き物は死ぬと宇宙になるってことが。一つの意識に戻って、個々の記録が全て共有されているとか。それをアカシックレコードと言うらしい。過去も未来も、全てこの宇宙で一体になる。で、隣に居るお前は今十九歳で、あと一年経ったら死ぬんだけれど、脳死状態からチューブを外されて死ぬ。それが他殺ってこと。その記録が俺の意識と……その……たまたま混線して、似たような運命を辿ったってことらしい。共感覚っていうヤツで、混線しやすいやつがいるんだとか。
「なるほど、まるで自分の手帳を読んでいるみたい」
そりゃあお前が手帳自身だから! 俺はそれを読んでいるだけだから!
「それで、あなたはたまたまで死ぬの」
いや、それが、ファミ通の攻略本であるお前の記録を読んで攻略法がわかった。電車がFly Awayしたときがあっただろ。あれは二十歳で死ぬっていうお前の運命と異なる行動だから宇宙の修正プログラム? みたいなものが働いたらしい。だから、また運命を覆せば、修正プログラムが働いて今までのことは無かったことになる、らしい。
「つまり」
俺、あと七分二十秒くらいで二十歳になるんだけれど、その前に息を止めて自殺する。多分、それで上手く行くと思う。ラブプラスの話の所辺りまで戻るらしい。全部ファミ通の攻略本の情報だけど。でも大丈夫! ファミ通の攻略本だよ!
「そう。それは良かった。じゃあ、私が繰り返し殺されるってことは無かったの」
ああ、お前も混線しやすいヤツだったんだと。それで俺と混線してしまったわけだけれど。
「なるほど」
お前が納得してどうすんだよ! お前自身の事だぞ! ……じゃあ、あんまり時間も無いことだからそろそろ俺、息を止める。
「じゃあ、また」
一応これからお前の所に行くんだけどな! じゃあ、また。ああ、それと、今からでもおまえの運命は覆せるんじゃねえの。がんばれよ。