寝坊した私がバス停でエスパーに出会った話
爽やかな春の風がそっと肌を撫でた。暖かな光に包まれながら、目を閉じる。
「バス行っちゃった……」
長いため息をついて、鞄の中に手を突っ込む。プリントや教科書で膨れ上がった鞄のどこに何が入っているのか、持ち主の私ですら把握しきれていない。
「あぁ……漫画も小説も入ってないや」
時間を潰せる物がない。次のバスが来るまで、あと一時間近くあった。携帯も家に忘れてきてしまったし、本当にすることがない。ぼうっと目の前に広がる畑を見つめる。
「隣よろしいでござるか」
「えぇ、あ、どうぞ……」
今時語尾に「ござる」なんてつける人いるんだ。私は面を食らいがら、ベンチの端に座る。隣に腰掛けた「ござる」の人を横目で見てみると、右手にゾウのパペット、左手にライオンのパペットをつけていたのが目に付いた。服装は剣道の人が着ている様な、暗い色のシンプルな袴だった。真っ黒な髪の毛を一つに纏めていて、背筋は定規か何かでも入れたように、真っ直ぐに伸びていた。
この人、凄くキャラが濃い。両手はサファリパークだし、服装も独特だし。
「名は佐伯でござるよ」
「え」
まるで「ござるの人」と勝手によんでいた私の心中を見透かされたみたいだった。私は内心びっくりしながら、ぎこちなく頷いた。
「あなたの名前は?」
「えぇ?」
急に知らない女の人の声が聞こえて、きょろきょろと視線をさまよわせる。声の主を探していると、佐伯さんの右手のゾウのパペットが、嬉しそうに手をぴょこぴょことさせた。
今の声は佐伯さんが出したのか。腹話術かな。
勝手に納得して、佐伯さんの技術に感心していると、ゾウが首を傾けて「腹話術じゃないよー」と言った。
「腹話術じゃないからねー。私喋れるのよ?」
ゾウが体をのけぞらせる。心なしかドヤ顔をしているようにも見えた。
私は何もかも見透かされたような気分になって、恐怖を感じた。もしかして、この人はエスパーなのだろうか。
「エスパーじゃないぜ」
次は左手のライオンが喋った。小学校低学年の男の子みたいな、声変わりのしてない高い声だった。
エスパーじゃん‼ と叫びそうになった。
「あぁ。こらこら、人前ではぬいぐるみのふりをしていろと言ったじゃないか」
ははははと佐伯さんが高らかに笑った。何なんだこの不思議な人。今まで出会った人の中で断トツに変人レベルが高い。私はバスが来るのを心待ちにしながら、ひたすら黙っていた。話すと何が起きるか分からない。
佐伯さんは足を組むと、大きく深呼吸をした。
「いやぁ。この辺は自然が多くていい空気でござるなぁ」
「そうね。私はこんな田舎より都会の方がいいけど」
ゾウがはーっと肩を落とすような動きをする。
「僕はここ結構好きだな」
ライオンが嬉しそうに左右に揺れる。
勿論どちらも佐伯さんが動かしている。佐伯さんは満足気に何度も頷いた。
「おや」
佐伯さんが私の方を見て首をかしげる。うわ、絡まれる。そう思った私は、無意識に体に力を入れていた。
「お嬢さん学校はどうしたでござるか」
「……あ、いや、ちょっと寝坊してしまって」
佐伯さんは驚いたように目をぱちくりとさせると、大笑いした。田舎道のバス停で気持ちのいいくらいの笑い声が響く。
「寝坊、寝坊、はっはっはっ」
「そ、そんなに笑わないで下さいよ」
「おっと、そろそろバスが来るでござるな」
佐伯さんがそう言うと、本当にバスが来た。バスが来たことにこんなに喜びを感じたのは、初めてだった。
やっとこの不思議な人から離れられる、そう思うと、何だかほっとした。
バスが目の前で停まった。私がバスに乗り込もうと鞄を手に取って立ち上がると、佐伯さんが目の前にバスが来たのにも関わらず動かないことに気が付いた。
「佐伯さん、乗らないんですか?」
「あぁ。ちょっと歩き疲れたから座って休んでいただけでござる」
「そうだったんですか……」
ゾウとライオンがぴらぴらと手を振った。
「じゃあねー」
「学校頑張ってねー」
「あ、ありがとうございます」
私も小さく手を振ると、佐伯さんがにこっと笑った。
私は座席に座って、今日は朝から変な人にあったなぁと苦笑した。
窓の外には遠い青空が広がっていた。