Ⅳ
これで書き貯めていた分をすべて投稿しました。これ以降、投稿頻度が少なくなりますが、気長にお付き合いください。
晴輝と別れた後、一人図書室にはいった夏子は、どかっと椅子に座り込んだ。
「はあ…また大事な証人のがしちゃった」
いつものようにカウンターにいる司書の梢が夏子をなだめる。
「焦っちゃだめよ」
またいつもの癖が出たか、と梢は思った。夏子は魔術師としては有能だが、焦り始めると視界が狭くなる。人の扱いも雑になるし、今回のように怒らせてしまうのがおちだ。
「彼からなんとしても情報を引き出さないといけないのに…」
「それは『あの日』のこと?」
「そうですよ。かれは神前詩の弟です。重要人物でしょう」
夏子がむくれる。彼女は怖気づいた晴輝にもいらいらしていたが、一番は晴輝から情報を引き出すチャンスをまんまと逃してしまった自分に一番腹が立っていた。
(何やってんの、私…)
とりあえず明日まで待ってみましょ、と梢に言われ、ある程度いらいらが治まった夏子は、図書館の奥の部屋に向かった。ここからは一般の生徒は入れない。
扉を開けると、そこはお世辞にもきれいな部屋とはいい難い状況だった。分厚い本やメモ書きが散乱している。部屋の隅には望遠鏡、魔石などの類が置かれていた。
部屋には今は誰もいない。まあ授業中なのだから、当然だろう。
夏子が執拗に晴輝を仲間(というと語弊があるが)に引き入れようとする理由、それは3年前の真実を求めているからだ。
神前詩は、夏子の尊敬する先輩だった。
契約魔術師としての先輩でもあったため、魔術の使い方についてよく教えてもらったものだ。
だが、3年前、そんな日々は突然打ち破られた。詩が何者かによって殺されたのだ。
警察は事故として処理したが、夏子には分かった。彼女は魔術師の手によって殺されたのだ。
(一体誰が、何のために)
詩の死以降、夏子の周りは変化した。契約魔術師達の間に疑念が生じ、魔術師達は皆ばらばらになった。当然、夏子の周りからも人は離れて行った。夏子自身もよく図書室にこもるようになった。
(私は絶対に犯人を見つける)
そう決意したあの日から、3年が経つ。
そのためにも「神前晴輝」というファクターが、夏子には必要だった。
『実は私には弟がいるの』
以前一度だけ、詩から弟・晴輝についての話を聞いたことがあった。
『おとなしいけど、優秀でとてもいい子よ』
そう言った詩の顔は、とても穏やかだったことを夏子は覚えている。
家族愛とはこういうのを言うのだろう―と、ずっと一人身の夏子はぼんやりと考えた。
いや、正確には一人だったわけではない。
生まれてすぐ両親を亡くした夏子は、幼い頃施設で育った。そして夏子には 歳年の離れた兄・昭がいた。8年前までは。
兄は丁度今の夏子くらいの歳に突然失踪したのだ。
そもそも夏子が契約魔術師になったのは兄の失踪に関係しているが、その話はまた別の話である。
(とにかく、期限は今日…もう一度彼に会わないと)
そう決めた夏子の影で、あらたな魔の手が忍び寄っていた。
(契約魔術師―か)
夏子に図書室から締め出されてから、遅れて自分の教室に入る気にもなれず。晴輝は屋上のベンチに寝転がって空を眺めていた。
(魔術師なんて、そんなもの…)
姉が殺されてからというものの、晴輝は徹底的にトラブルを避けていた。
両親ともあまり関わらなくなった。
でも本当は気づいていたのだ。
(姉は魔力を操るものに殺された)
それを認めたくがないために逃げ回っていた。
(もう向き合うべきなのかもしれない)
意を決したように晴輝は起き上がる。
「それで本当にいいのか」
いきなり後ろから声を掛けられた。
振り返ると、どう見ても高校生には見えないスーツ姿の青年が立っていた。
「誰ですか」
「僕は刑事だよ」
そう言って青年は晴輝の方に近づいてくる。
「君、今朝うさんくさい悪魔祓いに連れ去られただろ」
「はい…どうしてそれを?」
「夏子が僕たちを呼んだからね。まったく、後処理が大変だった…」
「はあ」
「まあそんなことはどうでもいい。まだ後処理が残っているんだった」
青年は晴輝の首―丁度痛む位置に人差し指と中指を当てた。
「君の縁を切ってやろう」
「っ」
晴輝は首に鋭い痛みを感じた。一体何をしたんだ。
「君に降りかかったここ3日間の出来事を無にしたんだ」
ここ3日間…悪魔に憑かれ、空蝉夏子とかいう魔術師に憑き纏われた3日間のことか。
「そ、そんな…」
「無にした」と言われても、まだ晴輝の記憶にはこの3日間のこと記憶に新しい。
「まあそのうち記憶は消えていくさ」
青年は踵を返す。
「…こっちの世界に足突っ込むやつらなんて、もうこれ以上増やしたくなんてねえよ」
最後にこう言い残して、彼は去っていった。
・
夕方。
靴箱の前で、一人の女子生徒が溜息をついていた。
「はあ…」
今朝、母親に言われた言葉を思い出す。
『今度のテスト、学年一位じゃなかったら軽音楽部、やめさせますからね!!』
(ほんと、なんなの…)
部活を辞めるなんて、願い下げだ。そのためにも、明日のテストではいい点を取らなければいけない。
(どうすれば…)
暗い顔のまま自分の靴箱をみると、なにやらノートが入っていた。
「なにこれ…私ノートなんか忘れてきたっけ」
(そのノートはサクセスノート)
突然、頭の中に自分以外の声が響いた。
「誰?」
辺りを見回しても、だれもいない。
(そのノートを開きなさい)
少女はいつの間にか吸い込まれるようにノートを見つめていた。
(あなたのなりたい自分になれる方法が、そこには書かれている)
(まったく、次から次へとなんなんだよ)
晴輝は悪態をつきながら帰路に就く。
昼間あった男は、一体何者なのだろうか。
彼自身は『刑事』だと名乗ったが、どうやら魔術と関わっている節がある。
とにかく、ここ3日間に晴輝に降りかかった出来事―魔物が憑いたことや契約魔術師の夏子と出会った事、そしてエクソシストを名乗る不気味な男にさらわれたこと―をなかったことにしてくれたらしい。
(…ということは、俺は今まで通りの身体に戻ったってことか)
今まで通りに戻ったということは、もう魔術師や魔物に狙われることはないのだろう。
よくよく考えてみると、朝までは見えていた霧がもう見えなくなっている。
あの男によれば晴輝自身の記憶も、時間がたつごとに消えてしまうらしい。
そう考えると、少し寂しい気もする。
(って、いや、何考えているんだ)
そう、さっきまで自分は面倒ごとに巻き込まれたくない…と思っていたはずだった。
でもどうして記憶をー魔術に関する出来事全てを忘れることに抵抗を感じている?
(なんでだ…)
あの記憶の中に、なにか大切なことが混じっていたような気がする。
(まあ、いいか)
そう思った晴輝の頭には、ここ3日間の出来事の9割が失われてしまっていた。
「まったく、どこ行ったのよ、あいつは」
晴輝が全てを忘れて帰路についていたころ、夏子は彼を探して学校を走り回っていた。
(タイムリミットは明日なのに…)
教室にも図書室にもいない。もう帰ったのだろうか。
(明日の朝出直すか…)
そう思ったとき、夏子のスマホに着信が来た。
「なに、誰よ…」
そこには、驚きの相手の名前が書かれていた。
翌日。
晴輝がいつものように教室に行くと、クラスメートの森本奈央がある噂話をしていた。
「ねえ、サクセスノートって知ってる?」
どうやら、この学校内でとある“ノート”が出現しているらしい。それは「サクセスノート」と呼ばれており、なんでもそのノートを手にしたものの願いが叶う方法が書かれているらしい。
「なんだそれ」
同じクラスの秋山優があきれ顔でそういった。
「最近になって学校内で噂になり始めているのよ、なんでも願いが叶うノート、ってね」
そう語る奈央の瞳は爛々と輝いている。
「なんでも願いが叶うノートなんて、あるわけないだろ」
晴輝も優に同調する。
「えーなんか二人ともつまらない」
奈央がふてくされる。
「いくら魔力が認められるようになった社会だからって、そんなノート作れる奴なんかいないよ…まあ魔術師っていうのが本当にいるなら別だけど」
「あれ、神前君、一昨日会ったんじゃなかったっけ」
奈央がきょとんとした顔をする。
「はあ?」
「だって、一昨日の朝に『魔術師っているのか』っていやに真剣な表情をしてきいてくるものだから『どうしたの』って聞いたら『魔術師に会ったかも』って…」
晴輝は身に覚えがない。そもそも魔術師に会った事なんて、あったか?
記憶をさぐればさぐるほど、もやがかかっていくような気分になる。
「なあ、晴輝、大丈夫か?」
優が心配そうに尋ねる。
「うん、大丈夫だ。そういやそんなこともあったかな…気が変わったんだよ」
「ふうん」
朝礼のチャイムが鳴っても、晴輝の中に生じたひっかかりは消えなかった。
昼休み、廊下に出ると、少女が一人腕を組んで晴輝をまちかまえていた。
「やっほ。神前晴輝君」
誰だこいつ。晴輝はこんな女生徒に全く身に覚えがなかった。
「誰ですか?」
「はあっ?ちょっと待って、あたしよ、空蝉夏子」
空蝉夏子…聞き覚えのあるような、ないような…。
「人違いだと思うよ、たぶん」
そういって晴輝はやり過ごそうとしたところ、彼女に腕をつかまれた。
「ちょーっと待ちなさいよ」
「へっ?」
振り返ると、夏子は無表情で晴輝の腕をつかんでいる。
「あんた、昨日知らない誰かに会ったでしょ」
「知らない誰か…?」
覚えがない。
「じゃあ言い方を変えるわ。あなた、昨日警察の人間と会ったでしょ」
「警察…?」
(どうして俺が警察に…。なにかしただろうか。)
「くっそ」
夏子が舌打ちをした。
「じゃああなた、流星群の日のことは覚えている?」
「流星群?…ああ、3日前の…」
そうだ。あの日だ。
(確か『トワイライト』といったか)
待てよ、と晴輝は思った。さっきからのひっかかりの糸口が見つかるような気がした。
(『トワイライト』って、誰から教えてもらったんだ…?)
何か、何か大切なことを忘れている気がする。
夏子が何か言いかけようとしたとき、
「おーい!!」
優と奈央が教室の中から晴輝に声を掛けてきた。
「…まあ今はいいわ」
夏子は諦めて去っていった。
「なんなんだ、あいつ」
晴輝は首をかしげて、再び教室へと戻っていった。
「…ほんと、最低」
そう呟きながら夏子が向かったのは、屋上だった。
「新藤刑事」
屋上にいたのは、昨日晴輝も出会ったはずの、あの男だった。
「その新藤刑事っていうの、やめてもらえないかなあ」
へにゃっと男は笑ってベランダの手すりにもたれかかる。
それを無視して、夏子は続けた。
「神前晴輝に何をしたのですか」
「…さすがに耳が早い」
新藤と呼ばれた男―新藤哲は真剣な表情になって、言った。
「彼の3日間の記憶を消させてもらった。…いや、正確には『封印』といった方が良いか。それに加えて彼を侵した魔物の時間進行を封じた」
「…一応、理由を聞いてもいいですか」
「これ以上君の独断行動で犠牲者を出すのはよろしくないと思ってね」
夏子は拳をぎゅっと握りしめる。
「もういい加減過去の事を考えるのはやめろ。契約魔術師なんて、ロクなもんじゃないぜ」
「あなたには関係ありません」
夏子は冷たくあしらう。
「だから、俺にも関係あるから言っているの」
「…兄の事は、自分で何とかします」
哲はそれになんの反応も示さず、しばらく二人の間で無言の時間が流れた。
じゃあひとつ提案しよう、と口火を切ったのは哲の方だった。
「これ以上彼に関わらないと約束してくれるなら、あいつの―空蝉昭の居場所を教える」
哲は夏子に耳打ちする。
「…ではこうしましょう。私は神前晴輝には一切何の情報も与えない。その代り、彼が自身で記憶を取り戻し、果ては契約を望むならば、それを受け入れる、と」
「まあいいだろう。…彼が記憶を取り戻すとは考えにくいが」
「私は信じていますから。彼の『想い』を」
あいつの居場所は後で送ってやる、と言い残し、哲は去っていった。
そして、時を同じくして、学園でとある事件がおこるようになった。
「失神?」
晴輝がその噂を聞いたのは、夏子の謎の訪問からおよそ2週間たった頃だった。
「そう。最近この学校で失神事件が頻発しているらしいのよ」
例のごとく、あの奈央が持ってきた噂である。
「しかも、失神する生徒には共通点があって、最近絶好調な人が失神にあってるんだって」
なんでも、最近成績が急上昇したり、コンテストで優勝したり、恋人ができたりといったことが起こった生徒に限って失神を起こして倒れ、未だ目覚めた者はいないのだという。
「目覚めないっていうわけじゃあないのよ。一応目は開いているのだけれど、なんていうか、こう…虚ろなんだって。何もしゃべらないし、生きる屍みたいになっちゃっているらしいのよ。魂を抜かれたみたいにね」
奈央はそう言った。
「この間の『サクセスノート』の一件といい、このごろ不穏だな」
優はそう言った。
「そう、その『サクセスノート』とこの事件、何か関連があるんじゃない?」
奈央がふとそういった。
「だって失神している人はみんな最近いいことがあったんでしょ?それがサクセスノートの仕業だとしたら…」
「待て待て待て」
晴輝は遮った。
「どうしてサクセスノートありきで話が進んでいるんだよ。まずあれが存在するかどうかわからないじゃないか」
「もう、神前君話の腰を折らないでよ」
奈央がむくれる。
「まあまあ。たしかに森本のいう事も一理あるぞ」
珍しくも奈央の話に乗ってきた。
「分かったよ。で、何が言いたい」
「たぶん犯人は『サクセスノート』を探しているんじゃないかしら。だから最近いいことがあった学生―つまりサクセスノートの所有者を襲っているのよ」
「もし仮にそうだったとして、どうして襲う必要があるんだ?ただ奪えばいいだけだろ」
「まあそれは…顔を見られたんじゃない?」
「それにしても凶暴な犯人だな」
サクセスノートに、連続失神事件。優の言った通り、最近何か不気味な事件が起こりすぎな気がする。晴輝はぼんやりとそう思っていた。
(俺なんか、それに加えて―あれ?)
俺だって、それ以上に不気味な経験をした―そこまでたどり着いたところで、ふと我に返る。
(それ以上に不気味な体験って―何だ)
まただ。この頭のつっかかり。しかしその時、
『神前晴輝君、至急生徒会室まで来てください』
放送がなった。
(なんで、俺が呼び出し…?)
取りあえず晴輝は呼び出された場所に向かう。
「失礼します」
晴輝が中に入ると、生徒会室の奥に据えられた大きな事務机に、生徒会長・焔悠亮がひじをついて座っていた。さすが学校一のイケメンと言われているだけあって、顔立ちが整っている。
その横には眼鏡をかけた少年―萩谷柊が立っている。たしか彼は書記だったはずだ。
「突然呼び出してすまない」
悠亮が口をひらく。
「いいや…何か用ですか」
悠亮とは同学年のはずだが、ついつい敬語調になってしまう自分がいた。
「君も聞いたことがあるだろうが、『サクセスノート』についての噂についてだ」
「はあ…」
今更『サクセスノート』について呼び出されるとは、晴輝は思ってもいなかった。ずいぶん時間もたっているし、なにより晴輝は『サクセスノート』の噂を聞いただけなのだから。
「そう、それでね、その『サクセスノート』を渡している者が君だという話を耳にした」
「はあ!?」
晴輝は意味が分からない。
「君がテストのカンニング方法やなんかをノートに書き、密かに他の生徒の靴箱に入れたりしているところを見たという生徒も数人いるんだよ」
「ちょっと、なんなんですかそれ…!他人の空似です」
ふん、そうか、と悠亮は考え込む。
「だが、それが他人の空似だと証明する手段がない」
「ちょっと、俺を疑うのか…!?」
「このままだと君は不正行為とみなされて単位をはく奪されかねない」
「はあ!?」
なんなんだ、と晴輝はひとりごちる。最近どうも運が悪いような気がする。
それに、と悠亮が付け加える。
「俺達はこの『サクセスノート』の一件と最近頻発する連続失神事件を関連したものとして調査を進めている」
「はあ」
「『サクセスノート』を他人に渡し、その後口封じに生徒を失神させたんじゃないのか」
「だから僕は犯人じゃないんだよ…っ」
何だこの展開。こんな展開俺は望んでいないぞ。
平穏な学園生活がどんどん遠ざかって行っている気がする。
「じゃあ証拠を持ってこい。期限は一週間だ」
悠亮はそう言い、晴輝を帰らせた。
(どうすればいいんだ…)
晴輝は午後の授業中もさっきのことで頭がいっぱいだった。
(こうなったら…誰かを頼るしかない)
しかし、そう思ってみたものの頼る相手がいない。
奈央や優は…友達としては好きだけど、頼りになるかといわれるといまいちだ。噂好きの奈央が使えるかどうか、といったところだろうか。
(まったく…どうして俺がこんなことに)
廊下を歩いていると、前から見覚えのある人影を見つけた。
(あれって…今朝来たよくわからない女子生徒じゃないか)
確か、空蝉夏子とか言ったっけ。
赤みがかった長い髪をなびかせながら、すたすたと歩く少女は、表情一つ変えず晴輝の方へと近づいていく。
晴輝はその姿に、どこか懐かしさを覚えていた。昔の記憶の断片が蘇る。
―晴輝は、私が守るわ
(何か、やっぱりおかしい)
そう考えているうちに、夏子は晴輝の横を通った。
すれ違いざまに、耳元で囁かれる。
「明日、5時、図書室」
驚いて振り返ると、彼女はそのまますたすたと廊下を歩いて行った。
(はあ…?つくづく分からない相手だなあ)
「言われたとおりにしたぞ」
晴輝が去った後の生徒会室に、3人の生徒がいる。
焔悠亮、萩谷柊、そして空蝉夏子の3人だ。
「ありがとう。感謝するわ」
「ふん…全く、おとなしく新藤さんに従っておいたほうがよかったんじゃないのか」
悠亮はつれない表情だ。
「神前晴輝。高校2年B組の生徒―夏子さんの隣のクラスですか」
柊がパソコンをいじりながら言う。
「そうよ。2度ほどクラスに突入したけど、だめだったわ」
「まあ、そうだろうな。特に今は記憶を失くしているし」
でもね、と夏子がにやりとする。
「まあこれだけ手筈を整えたころだし、あの人には負けないわ」
「さあ、どうだかねえ」
柊が溜息をつく。
「ちょっと、あんた、後輩の癖に生意気よ」
「まあまあ、と悠亮はなだめ、それから「ひとつ言っておく」と告げた。
「俺は神前晴輝をこっちの世界に引きずり込むのは反対だ」
「でも仕方がないじゃない。あの子は『トワイライト』で星の子に選ばれた」
「だから新藤さんに任せておけばと…」
「そんなの気休めにしかならない」
一呼吸おいて、夏子は言った。
「あの子には自分でも気づいていない強い『想い』がある。その『想い』が消えない限り、あの子は一生心のひっかかりに悩まされるわ」
「…」
悠亮も柊も何も言わなかった。
「…まあいい。あとはお前の領分だろ。せいぜい頑張れ」
晴輝は帰宅する。
(まったく・・・どうしてこうよくわからない災難が次から次へと・・・)
自分は何もしていないはずなのに、厄介事のほうが自分に近づいてくる体質は昔からだったが、それにしても最近はひどすぎる。
自分の部屋に入るやいなや、ベッドに倒れ込む。
(あげくの果てに生徒会長に呼ばれるとは…)
そういえば、明日空蝉夏子とかいった生徒にも呼び出しをくらったんだ。
「はあ…」
晴輝は思い溜息をついた。
(あの胡散臭い生徒…果たして、信用していいものか)
いつの間にか、夢を見ていたらしい。
『出して・・・出して』
夢の中で、どこかで聞いたことのあるような声を聴いた。
『ねえ、ここから出して・・・主様』
(誰だ)
『ねえ、出してよ・・・聞こえているんでしょう、晴輝』
「・・・はっ!!!」
目覚めると、辺りはすっかり暗くなっていて。
時計を見ると、よる12時だった。
(結局帰ってから何もしてないな)
何か変な夢を見ていた気がする。
帰ってから何も食べていなかったからか、空腹感を感じてベッドを抜け出したその時、インターホンが鳴った。
(こんな時間に、誰だ)
恐る恐るドアを開ける。
そこには、1人の女子生徒ー晴輝のクラスメートだーが立っていた。
「君は…」
「神前君」
彼女の目は虚で、どう見ても正気とは思えない。
「あたしなら、貴方の悩みを解決できる…あなたを、救ってあげられる」
少女は自分の手で、晴輝の首を締めようとする。
「そうしたら、貴方はきっとあたしを好きになる」
しかし少女の手は、晴輝の首の中にまで入り込んでくる。
「なっ…お前、何を…っ」
息が苦しい。やがて少女は晴輝の首の中に何かを見つけたようで、物体を取り出そうとしている。
「あった」
嬉しそうな声を聴いた途端、電気が走ったような強烈な痛みが晴輝を襲った。
「やめろっ」
思わず女子生徒を突き飛ばす。
少女は少しの間うずくまっていたが、四つん這いになって晴輝の方へ這い寄ってくる。
「神前君・・・神前君」
ずっと持っていたのか、少女の手から一冊のノートが落ちて、そこから黒い煙がもくもくと上がり、辺りを包み込んでいく。
「かん・・・ざき・・・くん」
少女はノートを胸に抱えてよろけながらも立ち上がり、なおも近づこうとする。
辺りは煙で真っ暗になっている。
晴輝は声も出せないでいた。
「逃げなさい!」
少女の背後で、叫び声が聞こえたと思った瞬間、当たりが薄い膜のようなもので囲われ、晴輝の横を赤い矢が通り過ぎていった。
「うわっ…」
慌てて晴輝はよける。狼狽える女子生徒の背後から現れたのは、あの空蝉夏子だった。
「君は…」
「確保するわ」
そう言って夏子は晴輝を襲った少女を昏倒させる。
「あれ、ノートは…」
さっきのノートがどさくさに紛れてなくなっていた。
晴輝が玄関にへたりこむ。
夏子はそそくさとさっきの女子生徒を拘束する。
「まぁ事情を聞いたところで…記憶は無いでしょうけど」
そう言って夏子は晴輝の方に向き直り、表情一つ変えずに
「こんばんは。また会ったわね」
と言った。
「あ、あの…」
「いいから黙ってて」
夏子は自分の人差し指と中指を晴輝の首筋に当てた。
「なるほど…ノートの魔力にあてられて、結界が緩んでるわね」
すると、晴輝の頭の中で、バリンと何かが割れたような音がした。
晴輝の脳内に、ここ数日間の記憶が流れ込んでくる。
流星が降った夜、『何か』が晴輝の身体に取りついたこと。
『契約魔術師』と名乗る女子生徒―空蝉夏子に、出会った事。
「…っつ」
そして、姉・神前詩の事。
「あなたの姉は、契約魔術師だった」
しゃがみ込んだまま動かない晴輝を見下ろし、夏子は言った。
「あたしたちの世界に来なさい」
夏子が晴輝に向かって手を伸ばす。
逡巡した挙句、晴輝はその手をとった。
『オーケー。契約成立ね』
脳内で声が響いたかと思うと、辺りは眩い光に包まれた。
気が付くと、晴輝は見知らぬ駅に立っていた。
『晴輝君』
ホームの反対側に、姉が立っている。
「姉貴…じゃない、君はこの間の魔物か」
ふふ、と姉の姿をした少女は笑う。
『私と契約すれば、しばらくは私と会えないから、ね』
「それって…」
『次会うときは、キミが死ぬ時だから』
「…」
晴輝はなんともコメントし難かった。
『ま、そんなこと言われても実感わかないんだろうけど』
「なあ」
晴輝は唐突に聞いた。
『何』
「お前、本当は知っているんじゃないのか」
姉・詩の死の真相を。
『いい勘してるわね』
少女はにやりと笑う。
『そうね、霊子でしかない私たちはこの世界のどの時代にも、どの場所にもいる…。あなたのお姉さんのことも認知はしている。あなたが知らないようなこともね』
でも、それを教えることは不可能だ、と少女は言った。
それは世界の理を揺るがすことだから、と。
『真実はね、自分の手でつかみ取るものよ』
そう言い残して、少女は消えていった。
「…っ」
晴輝が目を開けると、そこはさっきまでいたはずの自分の部屋だった。
「契約成立ね」
振り向くと、夏子が腕を組んで立っていた。
「ふうん…君の契約痕は無色か…珍しいわね」
「契約痕?」
聞きなれない言葉だ。
「契約魔術師になると、魔物との契約の印として六芒星の痣がのこるのよ。それが契約痕。君はたぶん後ろの首筋に現れるはずだけど…。見えないよのね」
「はあ」
「ちなみに私は赤色の六芒星の痣が左腕にあるの。ほら」
そう言って夏子はシャツをまくり上げて痣を見せた。たしかに、赤色の六芒星が肌に浮かび上がっている。
「ちなみに契約痕の色は自分のパーソナリティといって、魔術形態にも関係するけど…あんまり気にしなくていいわ。…あとは人払いのカードが必要ね。あの人の所に行かないと…って、あれ?」
体力の限界が来たのか、晴輝は眠ってしまっていた。
「事後処理するのあたしだけになるじゃない…」
夜が更けていく。