Ⅲ
どこかで誰かが泣いている。
(…誰だ)
幼い男の子の泣き声だ。
―痛い、痛いよ―
そう言って泣いている。
(どこにいるんだ)
しかし、視界には誰も映らず、周囲には闇が広がっている。
『もう大丈夫よ』
今度は別の人物の声だ。
(これは、姉貴の声?)
―おねえちゃん―
さっきの男の子の声だ。
(じゃあ、この男の子は…子供の頃の、俺?)
『おねえちゃんが、治してあげる』
男の子の泣き声が止んだ。
―おねえちゃん、まほうつかいみたい―
(俺、そんなこと姉貴に言ったことあるっけ)
ぼんやりと、晴輝は考える。
『そうよ。あたしは魔法使い。』
流れ星の悪魔と契約した、契約魔術師。
目を覚ますと、見知らぬ部屋にいた。
「痛っ…」
いすに両手足を縛られた体制のまま、晴輝はあたりを見回す。さっきより首の痛みがひどくなっている。
目の前には、十字架の祭壇があった。
(そうか、あの悪魔祓いに連れてこられたのか…)
ずいぶん手荒なことをする悪魔祓いだ。
「おや、お目覚めかな」
「お前…」
男は薄気味悪い笑顔を浮かべて近づいてくる。
「全く、騙せるとでも思ったのか、この魔術師が」
「違う、俺はそんなんじゃ…」
「黙れ」
男は晴輝を怒鳴りつける。
「お前も契約魔術師なのだろう!!星の子の気配がぷんぷんするわ」
「それは、今は魔物に憑かれているかもしれないけど、契約なんてしてない」
男は晴輝の首をつかむ。
「私には見える…そこに忌々しい六芒星が刻印されているはずだ…」
「はあっ!?六芒星!?」
晴輝は椅子ごと横に倒された。
「うわあっ」
「…っ、どこだ…絶対にあるはずだ…」
「ないわよ」
ふと、別の人物の声がした。
声のした方を向くと、昨日であった少女が立っていた。
「貴様…なんで勝手に入ってきてるんだ…」
「別に。外で物音がしたから、ちょっとなんだろーと思って入ってきたら、案の定犯罪現場見ちゃったってところかしら」
「違う、これは悪魔祓いだ…こいつは悪魔と契約している…」
「ふーん。でもその人、魔術師じゃないわよ」
「何を根拠に…っ」
男は怒りをあらわにして少女を睨みつける。
「だって、契約魔術師である私が言うんだから、信憑性おおありでしょ」
そういって、少女は左袖を腕までまくった。
そこには、真紅の六芒星が描かれていた…というより、タトゥーのように刻まれていた、といった方が正確か。
契約魔術師の証―契約痕。
晴輝もどこかで聞いたことがあった。契約魔術師は契約時、身体のどこかに六芒星が刻まれる。そしてそれがどこに彫られるか、そしてどの色になるかは人それぞれだと…そしてその六芒星の色によって、扱える魔術の種類が変化するとも。
「お前…忌々しいものを見せおって!!」
男が懐からロザリオを取り出し、詠唱を始めた。
「効かないっての」
少女は何かを唱えると、男の持っていた十字架が木っ端微塵となった。
「小娘が…っ」
男は冷静さを欠いている。どこからともなくナイフを持ち出して少女に襲い掛かる。
「危ないっ」
晴輝は叫ぶ。しかし少女は表情ひとつ変えない。
ナイフがあと少しで少女に届く寸前、男の動きが急に止まった。
「…っ」
男の足元には、禍々しい赤色に輝く魔法陣が展開されていた。
「あんたさあ、悪魔払いか何か知らないけど、詠唱下手くそだし、動き遅いし、そんなんでよくやってこれたわね」
少女はそう言い放ち、男の額を人差し指で突いた。倒れる悪魔祓い。
「君…いったい何をやったんだ」
「気絶させただけよ。あとあんたに関する記憶も消した。危ないところだったわね」
そう言って少女はてきぱきと晴輝の縄をほどいていく。晴輝は助けがきたことにほっとしていたが、しかし同時に、
(…なんか女の子に助けられるって…ぱっとしないなあ)
若干不甲斐ないきもちがあった。
「でも、君、学校は?」
「ん?」
少女はとぼける。
(おい…)
「今日はこの悪魔祓いを捕まえるから休んだの。なんかごめんね、利用して」
「いや…俺はたまたま捕まっただけだし、なんかこっちこそ仕事の邪魔してごめん」
「…ふふっ」
少女はしばらくの間きょとんとしたが、突然笑い出した。
「…ははっ、あなた偶然この事件に巻き込まれたとでも思ってるの…っ!!」
どうやら少女の話によると、晴輝はこの少女に利用されたらしい。
「昨日あんたの前に現れたのは、あの男に君が魔術師と関係あるってことを見せつけるため。気づいてた?あの男、昨日もいたのよ」
それで、晴輝が今日狙われると予期して待ち伏せしていたら、案の定晴輝が捕まったのを見た。
「つまり俺は囮ってことか…」
「そういうこと」
そういってにっこり笑う。
「よし、後は警察に任せて退散しましょ」
少女は空蝉夏子、という名らしい。
「君は2年B組だっけ?あたしはA組なの」
二人は学校に向かって歩いていた。授業には受けないが、図書室に用があるらしい。「君も来て」と夏子に言われたので、晴輝もしかたなくこの女子高生の後に付いていくことにした。
学校までの途中、夏子からいろいろな話を聞いた。
“魔力”は本当に存在すること。
そしてその魔力を利用する魔術師も実在すること。
「それがあたしたち契約魔術師」
契約魔術師は、強い想いや願いを持つ者にのみ資格が与えられる。
そして『トワイライト』と呼ばれる夜、魔物―星の子と契約するのだ。
「そしてあなたも選ばれた」
選ばれた者には3日間の猶予が与えられる。一般人のままでいるか、魔術師となるか。
「魔術師にならないことを選択すれば、あなたから魔物は消える。魔術に関わる記憶も全て消えるわ。でももし魔術師になることを選択すれば、もう元の生活には戻れないわよ」
この町には魔物もいる。魔術師同士で争うこともある。
「契約魔術師達は皆それぞれの想いを持っている。でもその想いが対立してしまったら―争うしかない」
夏子は愁いを帯びた瞳でそういう。彼女にもいろいろあったのだろうか。
「まあ大体は魔物退治なんだけれど」
魔物を退治すると、魔石と呼ばれる石を落とすらしい。
「魔石は結構価値のあるものだから、高く売れるのよ」
それで生計を立てる魔術師もいるという。
「私も両親がいないからそのお金で暮らしてる」
そんなことを話しているうちに、二人は図書室の前に来ていた。
「あなたが契約するというなら、この扉を開けて入りなさい。ならないのなら、好きにして。ただし、この部屋には入らないでね」
「そんなこと言われても…」
困る。だいたい自分んがどうして選ばれたのかもよくわからないのだ。
「素直じゃないのね。あなたも本当は気づいているのに」
夏子がはあと溜息をつく。
「気づいているって、何を」
「あなたのお姉さんは、殺されたわ」
魔術師にね。
「な、なにを…」
「そしてそのことにあなたも薄々気づいていて、犯人を見つけたいと思っている」
「そんなこと…」
「でも犯人の手がかりは警察に聞いても全然見つからない。それはそうでしょう、犯人はこの裏社会に生きる“魔術師”なんだもの」
さあ、どうするの、と夏子が迫る。
「そんな…」
「せっかく昨日思い出させたのに」
「そんなの、頼んでない…そもそも俺を囮にするために巻き込ませたんだろ、俺を」
晴輝は夏子の事にいら立ちを覚えた。改めて考えると、むちゃくちゃだ。
「それはそうだけど、ぶっちゃけあれはおまけみたいなもの。あなたに思い出してほしいのよ、あの日の記憶を」
「なんでだよ…お前には関係ないだろ」
わざわざ出会ったばかりの他人の為に過去のつらい記憶を引っ張り出すなんて、ばかげてる。
「関係あるの。わたしもあの事件については気になっているし」
「そんなのただのこじつけだろ。もういいよ、ほっといてくれよ」
そういって晴輝は夏子の元を去った。もうなんなんだよ、あいつ。魔術師というのは、皆あのような性格をしているのか。
晴輝が去ったあと、夏子は小さく舌打ちをした。
「いくじなし」
その頃。
晴輝が襲われた教会には、警察が到着していた―はずだったが、来たのは一人の刑事と、一人の少女だった。
「まったく、派手にやらかしたな」
刑事は床に伸びている自称悪魔祓いの男に手錠をかける。
「10時30分、確保」
やれやれ、と刑事は溜息をつく。
「なにやってる」
刑事は少女に声を掛けると、少女は振り向いた。
感情の映らない瞳が光る。しかし光ったのは右目だけ―左目は黒い布で覆い隠されていた。
「この魔力の気配」
「あー分かってる。あいつだよ、あのおてんば娘だ…一瞬で分かった」
「違う」
そう言って少女は刑事の元へ歩いてくる。
「かすかに“クロウリー”の気配を感じる」
「“クロウリー”…“クロウリーの六芒星”か…」
「そう」
「まったく、これは偶然なのか、はたまた必然なのか…」
少女は答えない。
「心配だな」
「おそらく彼女も気付いてる」
「だろうな」
さて、片付けて応援でも呼ぼうかね、と刑事は言う。
「余計なことはするなよ、空蝉夏子」
その一言を残して。