Ⅰ
薄暗い路地を、必死に駆けていた。
「…っ、姉貴…」
路地の奥につく。
地面に流れる赤い液体。
「なんなんだ、これ…」
そして、その先には…
「―っ!!」
目を覚ますと、そこは自分のいつもの見慣れた部屋だった。
(あれ、昨日流星群をベランダで見ていたんだっけ…あまりよく覚えていないな…)
ぼんやりと晴輝は考える。
まあいいや、と気持ちを切り替えて学校へ行く支度をする。
(今日は金曜か…)
今日学校に行ったら、明日は休みだ。といっても、一人暮らしの晴輝にとっては休日でもあまりすることはなかったのだが。
疲れているのか、とさして気にも留めず歩くことにした。
学校に着き、いつもの教室に入る。
「あ、神前君おはよう」
クラスメートの山崎奈央が声を掛ける。
「おはよう」
「あれ、なんか顔色悪くない?」支度をしていると、ふと首の後ろに痛みを感じた。
(寝違えたか…)
鏡で確認しても、特に腫れているといった症状は見られなかった。
(まあいいや)
とりあえず学校に向かう。
街に出ると、心なしか空気が淀んでいるように見える。
(霧?こんなに晴れているのに)
奈央が怪訝そうに晴輝の顔を見つめる。
「え、そうかな」
「うん」
「たぶん寝不足かな…寝違えちゃったし」
晴輝は笑う。
「大丈夫?」
「大丈夫大丈夫、ちょっと首が痛いだけだから」
そう言って首のあたりをさする。
「ふーん…お大事にね」
「ありがとう」
その日一日中、晴輝の首の痛みはしつこく残っていた。
―図書室。
カウンターで一人の女性―桜木梢が、本を整理している。
「ふう…今日も平和ね」
すると、前の席に座っていた少女が振り向いた。
「そうでしょうか」
赤みがかった髪が揺れる。
「ん、今日はまたどうしたの?夏子ちゃん」
夏子と呼ばれた少女―空蝉夏子が答える。
「なにかがこの学校に入り込んでいるわ」
「まあ…魔物かしら」
「いえ」
そうして夏子は立ち上がる。
「しばらく調査が必要です」
「あの二人には?」
梢が尋ねた。
「…まだ言わないでください」
夏子は図書室のドアをあけた。
「…私は、ちょっと友人に会ってきます」
夕方、授業が終わった晴輝は家路を急いでいた。
(体がだるい…早く帰って休もう…)
しかし朝よりも街の霧が濃くなっている。
(なんなんだ、この霧…しかも俺にしか見えないなんて…)
奈央に今日の霧の事を尋ねたが、『そんなのなかったよ?こんな晴天の日に霧なんてあるわけないじゃん』と笑われてしまった。
(やっぱり昨日の夜の流星群を見たときに何かあったのか…)
「…うっ」
そこまで考えたとき、急に頭が痛くなった。
――晴輝…――
(この声…昨日も聞いた…)
――あたしに何があっても、生きるのよ――
一瞬、脳裏にフラッシュバックした記憶。
――あんな死に方をするなんて――
――ありえない――
――契約魔術師の存在が――
「…っ!!」
頭痛はますますひどくなる。
(何だ、この記憶…)
それからしばらくして、頭痛は治まった。
(まったく、なんだったんだ…)
それにしても、と晴輝は先ほどの頭痛の中で聞こえた声の主について考えた。
(あの声…誰だっけ)
ひどくな懐かしさを感じる声だった…。
(昔、というか最近まで聞いたことのある声だ)
でも、その先を考えてはいけない気が、晴輝にはしていた。
(これ以上考えると、危ない予感がする…)
その時、先ほどとはまた別の声が聞こえてきた。
『そうだ、忘れろ』
『忘れてしまえ』
『忘れた方が楽になるぞ』
「また…もう今日はなんなんだ…」
早く帰ろう、と早歩きで歩く。
「待ちなさい」
ふと、後ろから声を掛けられた。
「いい加減に…って、うちの高校!?」
振り返ると、一人の女子生徒が腕組みをして立っていた。
「君、神前晴輝くん?」
「え、そうですけど…」
何か用ですか、と怪訝な顔をして答える。
「ふうん…やっぱり君のようね」
「え、何が…」
「こっちの問題よ」
それより、と少女は続ける。
「あなた、そのままでいいの」
「そのままって…」
「そのまま、何も考えずに“日常”を送ること」
「それのどこがいけないんだよ」
すると少女は晴輝の目の前に立ちふさがった。
「あなたは、真実を知りたいと思わない?」
「真…実」
「そう。この世界の、真実」
例えば、と少女は話す。
「この霧、一体何が原因だと思う?」
「え?」
辺りを見ると、一面は闇に包まれていた。
「なんだよ、これ…!!」
「この世界は、かつての世界とは違う」
「は!?」
少女はそういうと、呪文を唱えた。
足元に展開される、赤い魔法陣。
「ほら、来たわよ」
すると、目の前からどす黒い生き物が現れた。
「これは…魔物」
「そう」
少女は魔物と闘いながらも、話を続ける。
「かつては、こんなもの存在しなかった」
「それは…ずっと昔の世界の話か」
「そう。かつては“魔力”という力が存在しなかった」
少女は胸元の制服のリボンを外した。
「人々は魔力・魔術の類を“迷信”とし、世の中に埋もれさせていた」
少女はそのリボンを赤い弓に変貌させる。
「その名残は今でも残っている―そして君も見事にその名残に引きずられている」
赤い弓から次々と魔物に向かって、矢が放たれる。
「どういう…ことだ」
「あなた、大事なこと忘れているわよ」
「へ、何を…っ」
また頭痛が始まった。
「そういえば、あなた」
少女は振り返ってにやりと笑う。
「どうして、一人暮らしなのかしら」
「え?それはもちろん…」
(家族が…)
いないから。
「っ…痛っ…」
頭痛がますますひどくなる。
(そもそも…なんで家族がいないんだ?)
考えようとすると、前の方で赤い光が光った。
「あー倒しちゃった」
少女が呟いた。赤い弓も消えている。
「もう…この魔物の魔力を利用して記憶引き出そうとしたのに…」
あなた、ほんと鈍いのね、と少女は溜息をつく。
「あれ、頭痛が…」
いつの間にか治まった頭痛に、晴輝はなんだか不思議な気持ちになった。
「今日はこれまでか…あいつ、簡単だとか言ってたくせに、けっこう難しいじゃないの」
少女はまだ愚痴を言う。
「あの…、で、結局君は何がしたいの」
すると少女はギロリと晴輝を睨む。
「う…」
こいつ、いきなり話しかけてきてほんとなんなんだ。
ちっ、と少女は舌打ちを打つ。
「これ以上瘴気をそのままにしておくと危ないわね…まあいいわ、これまでにしておいてあげる」
そう言って少女は姿をくらました。
「あれ、おい…って、どこ行ったんだ?」
少女がいた場所には、一枚の赤いカードが落ちていた。