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サヨナラ。

 翌日、早い時間帯に電車に乗り、公園で朝食をとる。

 甘い缶コーヒーを口に含む度に、幸せというヒューの気持ちが伝わってきて、慧一郎まで幸せな気持ちになった。


(今ちょっと私がいてくれて楽しいと思ったな)

(……思ってません)


 言葉と違って気持ちは嘘をつけない。

 わかっているが慧一郎は認めたくなくて、ヒューにそう返した。


「加納さん」

「新居さん?!」


 清子が目の前に突然現れて、慧一郎は食べていたパンを思わず落としてしまった。彼女の表情は、昨日よりも幾分も明るい。


(もったいない。まだ食べられるか)

(食べられません)


 思念でそう返して、彼は座っていた長椅子から立ち上がる。


「パン。ごめんなさい。驚かせてしまったみたいで」

「ううん。もうおなか一杯だったから大丈夫」


(嘘だな。まだ足りない)


 パンも甘い菓子パンだった。

 甘味大王は未練たらしく彼の脳裏で騒いでいた。

 それを無視して慧一郎は清子に目を向ける。


「加納さんは、いつもここで朝食食べてるんですか?」

「うん。雨の時はもちろん違うけど」


 彼がそう答えると清子は黙ってしまった。 

 ヒューはパンについて、うだうだと文句を言い続けている。


「……あの、今日人事の人に言うつもりです」

「そう、そうなんだ」

「だから午前中は加納さんに迷惑かけるかもしれないけど、ごめんなさい」

「ううん。気にしないでいいから。あんな風に言いなりになることはないと僕も思うから」


(何かあればこの私が助けてやろう)

(助けは必要ないですから)


 ようやく興味がパンから清子に移ったようだ。慧一郎は半ば呆れながら清子の代わりにきっぱりと断る。


「じゃ、私。先に行きます。加納さんはゆっくりしててください」


 ぺこりを頭を下げて、清子は彼に背を向けた。


 一緒に出社するということも考えたが、呼び止める手を押さえて、慧一郎は残りにコーヒーを煽った。


 会社のビルに入り、自分の席についてパソコンを立ち上げる。


 清子と係長の姿はなかった。

 昨日提出した書類はまだ机の上にある。


 係長は今日は休みかと思っていると人事から呼び出しを受けた。


(喧嘩か?)


 にこりともせず、硬い表情の人事の人の姿を見て、ヒューが勝手に手を動かし、拳を握る。


(ちがいます。勝手に動かさないでください)


 拳を下させ、彼はできるだけ低姿勢に呼び出しに応じることを伝える。


 人事課に入り、小部屋に通される。

 そこには清子と係長の姿があった。


 係長は余裕の笑みを浮かべており、対する清子は泣きそうだ。

 部屋に入ってきた慧一郎にごめんなさいと頭を下げる。それを見て彼はある考えに至った。


(昨日の女子高生のことだ!)

(何?!)


 「その様子じゃあ、加納くんは呼び出された理由に見当がついている様子だね」


 係長の斜め向かいに立っていた人物ーー八木に彼は見覚えはなかった。しかしその笑みを含んだ表情から察するに、彼は係長側の人間だった。

 清子はきゅっとハンカチを握りしめ、俯いたまま。心なしか震えているように見えた。


(僕はもういい)


 彼は覚悟を決めた。自分の意志で拳を握り締める。ヒューは慧一郎の意志を悟り、傍観を決めた。


「僕は確かに昨日、女子高生と一緒にいました。でも僕は、立川係長が新居さんを無理やりホテルに連れ込もうとしているのも見ました」

「な、なんだね。それは」


 係長が立ち上がり、彼を睨む。


 そんな係長に慧一郎は怯むことなく、視線を返した。

 彼らしくない。

 しかし、彼の体はヒューの意志ではなく彼自身の意志で動いていた。

 


「昨日の業務時間も、立川係長は新居さんを無理やり資料管理室に連れ込んでセクハラをしてました」

「それは、本当かね。立川係長?」

「い、いえ。違います。確かに資料管理室にはいましたが、私がそんなことするわけがない」

「立川係長は新居さんの体に触れてました。あれは明らかにセクハラです」

「加納!」


 恫喝にもとれる大声で名を呼ばれた。

 しかし慧一郎は静かに係長を見つめたままだった。


「証拠はあるのかね?」


 八木は明らかに清子と慧一郎の側ではなかった。当事者ではなく、第三者が証言している。しかし信じようとしない。


(だめだな。私の出番だ)

(だめです。そんなことしたら思うつぼだ。クビになって終わりです)


「邪魔するぞ」


 ふいに野太い声とともにノックもせずにドアが開けられた。

 

 部屋全員の視線が入ってきた男に集中する。

 身長は百八十センチ近く、白髪交じりに貫録のある男。


 それはこのノベナガファーストの社長だった。



                ★

 

「加納君が一緒にいた女子高生は、私の娘の有香だ。娘から話は聞いている」


 社長は清子と慧一郎の救いの船だった。

 昨日有香が何度も清子に人事に訴えるように言っていたことが、これで納得できる。

 彼女は社長の娘で、二人の味方だったのだ。


 係長が清子の秘密――ホステルのアルバイトを暴露したが、一度くらいであれば面白い経験ではないかと一蹴された。

 それがとどめとなり、係長は顔色を失くして、うなだれた。

 解雇通告され、部屋を出るときは八木が体を支えなければならないくらいだった。

 セクハラで解雇とは行き過ぎた措置に思えたが、被害者は清子だけではなかった。

 それを八木がすべて握りつぶしていた。

 八木は解雇まではいかなかったが、資料管理課という新しい課に異動となった。事実上は解雇のようなもので、出世から遠ざけられ窓際に追いやられた形だ。


 社長に謝罪され、後日自宅に来るように誘われた。

 社長が去った後、人事課はてんやわんやで、二人は部屋に取り残される。


「とりあえず営業課に戻ろうか」

「うん」


(あの男はいい奴だった。うんうん)


 急な展開でついていけていないのは清子と慧一郎だけで、ヒューは落ち着いて社長についてコメントしていた。

 それを聞き流して、慧一郎は清子の隣を歩く。


 まっすぐ前を見て歩く彼女の表情が明るくて、彼はほっとする。


「……あの」

「?」


 立ち止まり、清子は慧一郎を見上げる。

 隣り合わせで見つめ合い、彼は思わず視線をそらす。


(動悸が早い。しかも体温も上昇してるようだな)

(ほっといてください)


「あの、石。課に戻ったら渡しますから」


(おお!)


 念願の欠片。

 そのはずが、喜んだのはヒューだけだった。


「加納さん?」

「あ、ありがとう」


 彼自身、自分の気持ちがつかめず、戸惑っていた。

 嬉しいような嬉しくないような。


(……寂しいのだな)

(そんなことはありません)


 脳裏で聞こえる声、変形する体。

 そんなものがほしいわけがなかった。


(この女人とのつながりがなくなることが寂しいのだな)

(そうです)


 清子のことは以前よりずっと気になる存在になっていた。だからそうであろうと、慧一郎は思いこんだ。


 席に戻り石を譲りうける。

 早く取り込みたいというヒューを抑え、慧一郎は仕事を続けた。


 係長が解雇処分ということで、最初はざわついていたが時間が過ぎるにつれて、騒ぎはおさまった。

 騒ぎの発端は清子と慧一郎であることは知られていた。しかし、セクハラということもあり尋ねてくるものはいなかった。


 午後五時に、明るい表情に戻った清子を見送り、慧一郎も帰り支度を始める。

 新しい上司が決まるまでは既存の業務ーー電話営業をつづけることになっていた。


(早く帰るぞ)

(わかってます)


 ちょうど皆が仕事を終える時間を重なったが、ヒューが騒ぐので満員電車ご我慢した。

 最寄りの駅に付き、自宅への道を歩く。


(カノウケイチロウ。短い間だが楽しかったぞ)

(は?)

(もう、私が離れても君は大丈夫だ)


 あの公園に近づき、ヒューは慧一郎に語り掛けると勝手に体を動かした。

 公園の奥へ進み、鞄から銀色の欠片を取り出す。


 それを飲み込むと、彼の体に異変が起きた。

 背中から銀色の翼が姿を現す。


(ヒュー、さん?)

(大丈夫。痛くはないだろう?)

(はい。そうですけど)

(もう飛べる。カノウケイイチロウ。さらばだ)


 戸惑う彼に構わず、翼は体を包むほどの大きさまでに伸びる。

 そして体から分離した。

 分離したその銀色の翼は人型をとる。

 背中部分から新たに翼を生えさせ、広げた。


「ヒューさん!」


 目はくぼみだけ、鼻のような存在はあっても口はない。

 表情などわかるかけがなかった。


「ヒューさん!」

 

 慧一郎の呼びかけにヒューが答えることはなかった。

 翼を大きく羽ばたかせ、空に飛び上がる。

それは鳥のように空高く舞い上がり、彼の視界から小さくなって消えた。


「行ってしまった」


 あっという間の二日間だった。 

 いつの間にか日は暮れ、空に星が瞬く。


「どの星がヒューさんのだろう?」


 頭上に広がる星空にそう問いかけるが答えるものはいなかった。


(もう少し色々聞いておけばよかった)


 そう後悔するがすでに手遅れであった。


 何事もなかったように夜を過ごし、慧一郎はいつも通り始業時間より二時間早く目覚める。

 時間の余裕はたっぷりで、彼は駅までの道をのんびりと歩く。

 昨日ヒューと別れた公園を通り過ぎようとした時、聞き覚えのある音がした。

 慧一郎は空を見上げ、走りだす。


 晴れている空に何かが煌いた。


 あの音が再び聞こえ、彼はますます足を速めた。


「いや、待って……」


 肉眼で確認できる距離まで隕石が迫っていた。

 いや、隕石ではない。

 銀色の人型だ。


「っていうか、また?!」


 激突した時の痛み、感触を思い出し、慧一郎は今度は落ちてくるそれから逃げようとする。


 しかし、また落ちてきたそれは明らかに彼を狙っていた。


「ヒューさん?!ええ!?」


 その、宇宙から飛来した物体は見事に慧一郎の頭部に直撃した。


「……ただいま。カノウケイチロウ」

「だから勝手に話さないでください」


 こうして、加納慧一郎の二度目の宇宙人との同居生活は始まる。

 

 ――空は、雲ひとつ浮かんでいない晴天。

 慧一郎は血で染まった黒色のスーツ姿で、青い空を仰ぎ、溜息をついた。


読了ありがとうございます。

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