銀色の欠片。
繁華街に取り残された一人の男と二人の女。
一人は未成年なので、大人である慧一郎が送ることになった。清子は一人で帰ると主張したが、それを宥めて二人で女子高生を送ることにしたのだ。
「あの、お姉さん。どうしてあんなおじさんの言うことを聞くんですか?」
駅周辺に戻り彼女の家を目指していると、女子高生が重い沈黙を破る。
(よくぞ聞いてくれた)
(なんて直接的な)
慧一郎とヒューの思いは正反対。
言いなりになっている理由は気になったが、彼女の様子から聞かないほうがいいと慧一郎は考えていた。
案の定、彼女は顔色をさらに青ざめさせて、答えようとしない。
「何か秘密でも握られているんですか?」
が、女子高生の追及は止まれなかった。
「あの、延長さんって言ったかな。これは大人の問題だから」
「大人ってなんですか?」
慧一郎が追及をやめさせようとしたが、間に入った彼を女子高生が睨む。
「ホテルに連れ込まれようとしたんですよ?お姉さんはそれでいいんですか?無理やりそういうことされても平気なのが大人なんですか?」
「そ、そんなことはないけど!」
何も答えない清子に代わって慧一郎が答える。
女子高生の言葉は真っすぐで、当事者でもない彼が狼狽えるくらいだった。ヒューは彼女に代言してもらっているのか、終始うんうんと同意する思いが慧一郎に伝わってきていた。
「……わ、私は会社をクビになるわけにはいかないんです」
震える唇で清子が、女子高生の勢いに押される形で言葉を漏らす。
「クビ?どういうこと?」
聞くつもりはなかった。
だが、「クビになるわけにはいかないんです」とまでいう清子の言葉が気になり聞き返してしまった。
あとからしまったと思い、彼女の表情をさりげなく窺う。
女子高生はだまったまま、ヒューもおとなしくしていた。
清子は数秒の沈黙の後、小さく息を吐き再び口を開いた。
「……あの、私。友達の手伝いでホステスのアルバイトをしてしまって」
「ほ、ホステス?!」
真面目なOLそのものの彼女の姿と、ホステス像はあまりにもかけ離れていた。
(ホステスとは?おお、なるほどな)
ヒューが同化するときに得た慧一郎の情報を消化して、頭の中で納得する。
それがちょっとうざいと思いながら、慧一郎は清子の次の言葉を待った。
「ああ、それで、あのおじさんがその姿を見て、お姉さんを脅したってわけですね!」
が、次の言葉は女子高生が紡いだ。
清子はこくんと頷き、再び俯いてしまった。
ホステスのバイトをしていることが会社にばれれば、解雇になる可能性は確かに高かった。
(なんて卑怯な)
慧一郎の言葉を代言するようにヒューが怒りを表す。
人事にセクハラのことを訴えると、係長が清子のホステスのバイトをばらすことは間違いはなかった。
清子の心情は理解できたが、打つ手が浮かばず慧一郎は黙ってしまう。
(奴を殴り飛ばしておけばよかったのだ)
悔しそうにヒューがそう思念を伝えてくるが、殴ってしまうと慧一郎が今度は解雇の危機に陥る。
「お姉さん。そのバイトはまだしているんですか?」
「していないです。たった一度だけだったんです。友達に頼まれて。
だから母も知らなくて。そのために……もしクビになったら私……!」
今まで我慢してきた思いが弾け飛んだように、清子ははらはらと泣き出す。
「荒居さん……」
こういう時は抱きしめてやる。
それが定番の行動のはず。
が、女性慣れしていない慧一郎はどうしていいかわからない。狼狽える彼同様、いや、ヒューの場合人間慣れしていないので、彼の中で戸惑うしかなかった。
行動に出たのは女子高生だった。
清子を抱きしめ、その背中を優しくなでる。
「会社が一回くらいのホステスのバイトでクビにするわけがないから。セクハラのこと、きちんと会社に訴えてください。あんなおじさん、逆にクビ
たらいいんだからね」
そうはっきり断言した彼女の言葉はなぜか無責任には聞こえなかった。
清子は、彼女の自信ある発言に頷く。
こうして、慧一郎ではなく、女子高生に慰めら清子は落ち着きを取り戻した。
「お姉さん、本当に大丈夫だから。あのおじさんを訴えて」
目的地に到着するまで、彼女は清子にそう言い続けた。
★
「有香!」
大きな邸宅の前の立派な門構え。
そこに立っていた上品な女性は女子高生の姿を見つけると駆け寄ってきた。
「お母さん!」
「有香。こんな時間まで。連絡もしないで!」
「ごめんなさい」
慧一郎たちの存在を無視して、女性はただ女子高生――有香を叱り飛ばす。
(ああ。しまった。電話させればよかった)
(電話?そうだな)
有香の勢いに押されその存在が薄くなっていたヒューは、彼の思考を読み同意を表す。
係長への怒り、清子の告白、有香の発言などで慧一郎は頭がいっぱいになっていて、有香の親御さんに連絡という初歩的なことを忘れていた。当然宇宙人のヒューがそんな考えにいたるわけがない。
「えっと、こちらの方は?」
「あ、えっと詳しいことは後で説明するけど、こっちの加納さんは絡まれてたところを助けてくれた人で、あのお姉さんは加納さんの同僚なの。遅い時間だから送ってもらったの」
「それは本当にありがとうございます。このような時刻のため、自宅に招くことはできませんが後日お礼をしたいと思います。加納様、そして……」
女性は清子に優し気な視線を向ける。
「あのお礼なんて。私はただ付いてきただけなので」
目を少し腫らした清子は大きく首をかぶり振る。
「お母さん。大丈夫。二人の連絡先はあるから。お姉さんはアライさんだったよね?どんな漢字を書くんですか?」
「えっと荒波の荒に、居間の居です」
「うん。わかった。さあ、お母さん。家に戻ろう。お父さん帰ってる?」
「ええ」
有香は母親の肩を両手で掴み、背中を押す。娘のせかすような様子に女性は戸惑っている。
慧一郎と清子も同様だ。
「加納さん、お姉さん。お礼は必ずするから。お姉さん。絶対にあのおじさんを訴えてね」
「有香?あの礼儀がなっておらずすみません。後日お礼に伺いますから」
娘にせっつかれながらも母親はぺこりと頭を下げる。
有香は首を傾げる慧一郎たちに、ウィンクをして手を振った。
そうして二人が大きな門に消えていき、二人は取り残される。
「……帰りましょうか」
「はい」
(おお。これは欠片のことを聞くチャンスだな)
二人っきりになり邪魔者はいない。ヒューの言う通りなのだが、慧一郎は言い出せずにいた。
沈黙のまま、駅にたどり着く。
(ええい。カノウケイイチロ!)
(ヒューさん!)
しびれを切らしたヒューが慧一郎の静止を振り切った。
「君。君は昨日銀色の欠片を拾ったな?」
ふいにトンチンカンなことを尋ねられ、清子は目を丸くして彼を見る。
(ヒューさん!)
「あの、なんでもない。ごめん」
このような状況の清子に聞くべきことではなかった。
(どうしてなのだ?君はずっと私と一緒にいたいのか?)
(そうじゃなくて。後で聞くから。ヒューさん。黙っていてください)
納得がいかないというヒューの気持ちは伝わってきたが、勝手に体を動かすことはなかった。
「あの、これのことですか?」
「え?」
清子はポケットから銀色の塊をとりだし、慧一郎に見せる。
(それだ!)
ヒューが食いつきそうな勢いでそう言う。
「これがどうかしたんですか?」
「えっと、昨日、新居さんが拾っているのを見て、」
「昨日。加納さんも見たんですか?隕石でしたよね。すごく綺麗だったから拾ってしまったです。でも騒ぎにもなっていなかったので、そのままもらってしまいました」
清子は石を手の平に乗せ、片方の指でころころと転がす。
(カノウケイイチロウ!)
(わかってます)
「あの僕、隕石にすごく興味があるんです。だからその石を譲ってくれませんか?」
(言った。タイミング悪いな……)
(よく言ったぞ!)
清子は少し考えているようだった。
数秒経ってから、言いずらそうに口を開く。
「いいです。でも係長のことを人事に話してからでいいですか?」
「新居さん?!」
「私、勇気を出すことにしたんです。会社を信じてみることにしました。で、それでだめだったら……。でもやっぱりもう我慢するのは嫌です」
「新居さん……」
(よく決心したな)
慧一郎とヒューの心が重なる。
「この石。持っていると元気になる気がするんです。だから、このことが終わるまで、持っていたいの。いいですか?」
「もちろん!」
欠片はヒューの一部だ。
しかし彼女はそれを知らない。拾ったのは彼女だ。だから欠片を慧一郎に譲るかどうかは彼女の意志だ。そのタイミングも。
(さすがに私の一部。元気を与えるとはな)
ヒューは清子の言葉が嬉しかったらしく、渡される時期については気にしていないようだった。
「……ありがとう」
「こちらこそ。ありがとう。ごめんね。変なこと頼んで」
「ううん。今日、加納さんと、あの子。有香さんに会ってよかった。じゃないと私、」
ホテルに連れ込まれそうになった時を思い出したらしく、清子の瞳に再び涙が溢れる。
「会社でも助けてもらったし。本当にありがとう」
清子はまた泣き出してしまった。
(ほれ。カノウケイイチロウ。あの子がやっていただろう。君もやればいい)
(ええ??)
ヒューに急かされ、慧一郎は恐る恐る泣いている清子を抱きしめる。
彼は小柄だが清子よりは背が高い。
清子の頭は彼の腕の中に包まれる。
(どうした。すごい動悸だぞ)
(黙っててください)
さすがに背中をなでることはしなかった。清子はしばらくすると自分から離れた。
「ごめんなさい。本当に」
「えっと、僕もごめんなさい」
ヒューに急かされ、とっさに抱きしめてみたがおかしな行動だったと、慧一郎は赤面していた。
それを見て清子はふふと笑う。
初めて見た笑顔はとても儚く綺麗で、彼は見惚れてしまった。