再び遭遇。
最寄りの駅よりつ五つ手前の駅。
改札を抜けて街に降りる。
そこはまだ会社のある繁華街の周辺に当たり、賑やかな通りが広がっていた。
飲食店、服飾店が軒を並べ、スーツ姿やお洒落に服を着こなした人々が歩いている。
(どこですか?)
(左側に向かって歩け)
ヒューに指示されたように、左手に足を向ける。
店が立ち並ぶ場所ではなく、街頭の少ない道に入り、慧一郎は少しだけ不安に駆られる。
(恐れることはない。私がいる)
同居宇宙人にそう勇気づけられるが、あまり効果はない。体を自由に変化させること以外、能力があるように思えないし、もしそういう所を人に見られたら大変なことになる。
不安を増大させながら、前に進む。
「離して!」
かん高い声がして、三人の男女の姿が見えた。一人は女子高校生、あと二人は私服をきた男たちだ。
「ちょっと付き合ってって言ってるだけでしょ。悪いことはしないからさあ」
(あれは痴漢か?セクハラか?)
一日で三回もこういう現場に出くわすことは、偶然にもほどがあった。ヒューが何かを悪い運でも運んできているのではないか、そんな疑問が慧一郎の脳裏をよぎる。
(どういう意味だ?それよりも助けないでいいのか?嫌がっているぞ)
ヒューの言葉に思わずため息が漏れる。
慧一郎は正義感などが強い方ではない。しかも喧嘩などもしたこともない。女子高生に絡んでいるのは若い男で、彼よりも上背がある。
(私に任せろ。カノウケイイチロウ)
(え?)
慧一郎が止める暇はなかった。
宇宙人パワーを使い、気が付くと男たちの前にいた。
(ヒューさん!)
「君たち、彼女に絡むのはやめろ」
「なんだ?あんた?」
慧一郎は小柄で、草食男子の代表というべき穏やかな顔をしていた。だから男たちは突如現れた彼に驚きはしたが、恐れるわけがなかった。男の一人は薄笑いを浮かべて慧一郎の胸倉をつかむ。
「え、と」
男の乱暴な行動に慧一郎は肝を冷やす。しかし同居人は違った。
「離せ!」
口と手が自分の意志を無視して、動く。
慧一郎の目の前で、男の体が宙を舞っていた。
「な、なんだ?!」
身長百七十センチ程の男の体がいとも簡単に飛ばされ、背後の柵に激突する。
その信じがたい光景に驚きながら、もう一人の男は慌てて飛ばされた男に駆け寄った。
「な、なに?」
胸倉をつかんだ男の手を掴み、投げ飛ばす感覚は慧一郎にも伝わっていた。
(ほらな。すごいだろう?)
行動を起こした手を驚いて見ている彼に、ヒューは自慢げだ。
(え、っと)
勝手に体を使ったことに憤りを感じているのだが、それ以上に自分の手が男を投げ飛ばしたことに驚いていた。
「この野郎!」
投げ飛ばされ、男たちは戦意を喪失するどころか、怒りを増大させている。
(まずい)
(しょうがないな)
狼狽える慧一郎に対して、ヒューは楽しげだった。
喧嘩の仕方など知らないし、今までそのような状況に陥ったことがない慧一郎。
ヒューに体を勝手に動かされるのは嫌であるが身を守るためにはしょうがないとあきらめた。
数分後、覚えてろよと敗者の決め台詞を吐き、男たちは逃げ出した。
(ああ、終わった)
初めての喧嘩の感触、しかも自分の意志ではない。妙な感覚で、決して楽しいものではなかった。相手が逃げてくれて慧一郎は心の底から安堵する。
(ふん。もうちょっと遊んでもよかったのだがな)
だが、同居人は面白くなさそうにぼやく。
(ヒューさん!)
「あの、ありがとうございました」
もうやめてほしいとヒューに説教をしようとした慧一郎は、女性の声に止められる。
それは今まで存在感が皆無だった黒髪の女子高生だった。
「二度目なので、絶対にお礼をさせてください!」
なんと助けた女子高生は今朝痴漢にあっていた女性と同一人物だった。世界はなんと狭いことか。
慧一郎は頭痛を覚えながら、女子高生に説明する。
「お礼なんていらないから。ほら時間も遅いし、家に戻ったほうが」
お茶でもご馳走させてくださいと言われたが、慧一郎は丁重に断り、自宅に帰るように促していた。
時間は九時を過ぎていた。
日中でもサラリーマンと女子高生の取り合わせは人目を惹く。それが夜の九時だったら、不適切な関係を疑わるのは間違いなかった。
「本当にお礼なんていらないから。ね?」
「……それじゃ私の気がすみません。別の日にでもいいので、お昼をご馳走させてください」
「……君も強情だね」
「はい」
嫌味で言ったはずなのに、女の子はにこりと笑う。
ヒューは関心がないらしく、無言を決めていた。
(まだ気配はしますか?)
そんな無責任の同居宇宙人に慧一郎は半ば投げやりに質問する。
(ああ、近い)
「近い?!」
「近いって?」
思わず声に出してしまった彼は女子高生に聞き返された。
(ここで時間をつぶすわけにはいかない)
「あの、これ僕の名刺です。ここに連絡してくれたらいいから」
この場を早く治めるために、彼はポケットから名刺を取り出した彼女に渡す。
「はい。それじゃあ、電話しますね」
「うん。じゃあね。気を付けて」
用事は済んだとばかり、慧一郎はくるりと彼女に背を向けた。
(どこですか?)
(あそこだ)
くいっと顎を勝手に動かされ、嫌な気持ちになったが、方向を指すためなので仕方がないと、慧一郎は先を急ぐ。
「あの、……加納さん!」
彼が去ると同時にひらりと落ちる白いハンカチ。
女子高生は名刺で名前を確認すると、その背中に呼びかける。しかし既に意識が前に向いていて彼には聞こえていなかった。
諦めればいいのに律儀な彼女は彼の後を追う。
そんなことを知らない慧一郎は先を急いでいた。
★
薄暗い道から急に明るい場所に出る。
そこはネオンが眩い光を放つ夜の街。
スナック、バー、クラブ、ラブホテルが集まる夜のお水の世界が広がっていた。
あまりにも眩しい世界。
自分とはかけ離れた世界。
慧一郎は立ち止まり呆然としてしまう。
「加納さん!」
そんな彼に声が掛けられる。
振り向くとそこには今先ほど別れたはずの女子高生が居て、更に唖然とする。
「こ、これ落し物です」
息を切らせた彼女は白いハンカチを慧一郎に渡す。
「えっと、ありがとう。そうじゃない。君、こんな場所にいたら駄目だよ。帰らないと」
(こんな場所?どんな場所なのだ?)
脳裏で突っ込みを入れられ、彼は眩暈を覚える。
「とりあえず帰らないと。ご両親も心配してるはずだよ」
「はい。でもどうやって帰っていいのか」
「え?わからないの?」
「はい。加納さんの後を追ってきたらこんな場所に来てしまって」
(こんな場所?どんな場所なのだ?)
再度突っ込みを入れられ、慧一郎は黙っててくださいと思念で飛ばす。
「……しょうがない。僕が送っていくから」
「ありがとうございます」
このような場所で女子高生一人を放っておくことはできない。
少しばかりは正義感のある慧一郎は、欠片捜索を諦め先ほど来た道を戻ろうとする。
(……気配がすぐ近くだ)
「え?」
戻ろうとする慧一郎の体が再び前を向く。
「加納さん?」
方向を急に変えた彼を訝しげに女子高生が見る。
(ちょっとヒューさん!)
慧一郎は非難をするが、ヒューは勝手に体を動かすのをやめなかった。
(すぐ近くなのだ)
「いやです。やめてください!」
ヒューの思念に女性の声が被る。
視界に中年親父が無理やり女性をラブホテルの中に引き込もうとしている様子が入った。
「荒居さん、係長!」
中年は立川係長で、女性は清子だった。
「加納?!」
「係長!何しているんですか?そんなことしていいと思っているんですか?」
嫌がる女性を無理やりホテルに連れ込もうとする、そんな行為に堪らなく虫唾が走り彼にしては珍しく声を荒げる。
ヒューは自分より先に動いた慧一郎に対して、傍観を決め込んだ。
「ああ、まずいところを見られてしまったな」
しかし立川係長は反省する姿勢も見せず、彼を真っ向から睨み付ける。その隣の清子は俯いたままだ。
「気分が盛り下がってしまった。荒居くん、次回また誘うから」
「次回?!何言ってるんですか?係長!?」
清子は明らかに嫌がっていた。
誘うというよりも無理やりという表現が的確なくらいだ。
「係長。僕、人事に訴えますから。こんなこと絶対におかしい」
「ふうん。荒居くん。いいのかな?加納が人事に訴えても?」
立川係長は慧一郎の言葉を嘲り、清子に視線を向ける。
「や、やめてください。私は大丈夫ですから」
「荒居さん?!」
清子は涙ぐみながら、首を横に振り、彼はどうしていいのかわからなくなった。
(何をしているのだ。カノウケイイチロウ。奴を殴り飛ばしてもいいか?)
(だめです。ヒューさん!)
清子には何か秘密があるように思えた。それを係長が握っており、彼女は言うことを聞かざる得ない。
それがわからないうちは何もしないほうがよい、慧一郎はそう判断した。
「そういうことだ。加納。馬鹿なことはしないことがいいぞ。それより、君のほうが問題あるじゃないか?」
「はっ?」
気持ちを、ヒューを押さえ込んだ彼に、係長は再び嫌な笑みを向ける。
「君、女子高生とこんな場所で何をしていたんだ?」
「え?!」
背後にぴたりと黒髪の女子高生が付いていた。
「僕は、」
「君が人事に言うのは自由だ。が、君も覚悟しておくといい」
立川係長はそう言い放つと、慧一郎たちから背を向ける。
(どういう意味だ?奴は何を言っているのだ?)
状況はつかめていないヒューは、ただ係長の背中を見送る彼に苛立ちをぶつけた。
(何もしないでください。お願いします)
慧一郎は目を閉じると、ヒューに心からそう伝えた。