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初めての食事。

「この報告書。ミスだらけだったぞ。やり直すように」

 

 しばらくして立川係長がやってきたので、何かと思うと昨日提出した報告書を持っていた。

 渡された書類を見直すと、赤ペンでかなり修正されていた。

 よくよく見ると間違いではなく、自分好みの文章に修正されたりしていたのだが、逆らうわけにはいかない。


「はい。了解しました」

 

 そう素直に返事をして、昨日作ったはずのファイルを探す。

 ところが、保存していた場所を探してもなく、ゴミ箱を開けてみたが何もなかった。


「どうした?今日中に終わらせて、私の机の上に置いておく様に。明日朝一で確認して提出する。今度は間違いがないようにな」


 立川の分厚い唇が斜めにあがり、笑みを浮かべているように見える。

 

(係長が消したんだ)


 その表情で慧一郎は確信する。


(なんだと、卑怯な男だな!)


 自分の拳がきゅっと握られ、慧一郎は慌ててもうひとつの手でそれを止める。


(ヒューさん。何もしないでください)


「なんだね。加納。何か言いたいことがあるのか?」

「いえ、何も。本日中に仕上げて印刷したものを机の上に置いておきます」

 

 念のためにソフトを自分のアドレスに送っておこうと決め、慧一郎はそう返事した。


 ふんと鼻で笑い、立川は席に戻る。

 斜め横の席だ。

 苛立ちを覚えながらも慧一郎は冷静になろうと試みる。


(カノウケイイチロウ!なぜ何も言わないのだ。辞めさせられるが怖いのか?)

(うん。そうです)


 ヒューの言うとおりで、慧一郎は迷いなくそう返事をする。

 奨学金を払って、親にも仕送りして、彼の生活は余裕がないものだった。


 我慢できるものは我慢する。小さいときからそうして生きてきた彼はかなり我慢強くなっていた。



(カノウケイイチロウ。戻ってきたぞ)


 一時間ほど経過してから、ヒューが慧一郎にそう伝える。

 あれからヒューは黙っており、その存在を忘れそうになるくらいだった。なので声が聞こえたときはちょっとだけ驚いて、書類を落としてしまった。

 

 その書類を拾っていると清子が姿を現す。

 しかし慧一郎とは視線を合わせようともしなかった。

 

(欠片のことを)

(わかってます)


 係長が席から離れたのを見計らって、清子に話しかけようとする。


「あの、荒居さん」


 清子のキーボードを叩く指が止まる。しかし視線はパソコンの画面を向いたままだ。表情は強張らせ、見えないバリアを張っているように思えた。

 その強固な態度に慧一郎は臆する。

 

(何をしているのだ。早く聞かないか。それなら私が聞こうか)

(それは止めてください!)


「あの、昨日なんですが、」

「荒居くん」


 慧一郎の言葉を遮り、係長の声が割って入る。

 部屋に戻ってくるなり、清子を呼んだのだ。


「はい」

 

 立ち上がり、俯きながら彼女は返事をした。


(奴め。またおかしなことをする気だな)


 すっかり立川係長を敵視しているヒューは、勝手に動かすなと念を押しているのにも関わらず、慧一郎の拳を握り締める。

 自分の意志に関係なく体を動かされるのは嫌なのだが、今回ばかりは同じ気持ちなので、慧一郎は黙ってされるがままにした。


「午後は神田屋さんの所に行く予定だったな。あそこの担当の木村さんは時間に厳しい。絶対に遅刻しないように」

「はい」


 予想に反し上司らしい言葉に、慧一郎は拍子抜けする。清子は俯いていたが安堵の表情を見せ、頭を下げると席に着いた。


(……どうするのだ)


 係長が席に戻り、慧一郎は清子に声をかける機会を失った。


(どうしようか)


 そう悩んでいるうちに、昼食時間がやってきた。


「昼食に行ってきます」


 清子がそう言い、慧一郎は後を追おうと席を立つ。


「加納。悪いがこれを会計係の増田に渡してくれ」


 しかし、係長に仕事を言いつけられ、彼女の姿を逃してしまった。ヒューを宥めながら、務めを果たし社内食堂に行くと清子の姿を見かける。

 慌てて本日のランチセットB――カツ丼と味噌汁を頼み、彼女の側に近づくが、既に席を立とうしていた。


「君、」


 慧一郎の意志に反して唇が動く。


 (ヒューさん!)


 彼は勝手に暴走しようとする同居宇宙人を呼ぶ。

 

(何をしている。今尋ねるのだ。彼女が持っているのは間違いない)

(わかってます。わかってますから)


 思念で必死にそう答え、慧一郎は自分の意志で再び口を開こうとした。


「す、すみません」


 しかし、泣きそうな顔をすると彼女は彼の側を風のように走り抜けてしまった。

 幸運なことにそんな男女の様子を気にするものがいなく、安堵するが彼の中の宇宙人は不満を漏らしていた。


(何をしているのだ。君は私とずっと一緒にいたいのか?)

(そ、そんなことありませんよ!)

(それであれば早く彼女に聞くべきだろう)

(わかってます!)


 慧一郎も早くこの状態から脱したかった。しかし、なぜか彼女に対してうまく行動が起こせなかった。


(カノウケイイチロウ。私が代わりに聞こう)

(そ、それはやめてください!)

(君に任せていたらいつまでたっても埒が明かない)

(そんなことないです)

(まあ、君がこの状態でいたいというならば仕方ないがな。私も君のことは嫌いではない)

(な、何を言って!)


「すみません。座るんですか?」

 

 傍からみればトレイを持って立ちすくんでいる慧一郎。後ろから歩いてきた他の社員が訝しげに声をかけた。


「す、座ります。すみません」


 ひとまずテーブルにセットランチを置き、椅子に腰掛ける。


(僕が聞きますから。絶対に)

(それならばいいが。ところで、昼食が食べないのか?私は食事というのをとったことがない。とても興味があるのだが)


 同化している分、感覚も共有する。

 先ほど欠片といっていたはどこの者か、ヒューの興味はランチセットにあるようだった。


「いただきます」


 朝食抜きのお腹は悲鳴を上げている。

 理解不能だと思いながら、慧一郎はカツ丼に手をつける。


 甘い触感が口の中に広がり、一瞬幸せが訪れる。

 それはヒューも同じようで、言葉にはできない彼の感動が慧一郎に伝わった。


(……よかったですね)

(ああ、食べるという行為はこんなに快楽なのだな)

(快楽?)


 疑問に思ったがヒューが幸せそうなので、彼はもくもくとカツ丼を食べ続けた。



 昼食終了から戻ると珍しく係長が先に席についていた。慧一郎は嫌な予感を覚えパソコンの画面を見る。

 ファイルがまだそこにあって多少安堵する。

 早々に報告書を仕上げようとするのだが、係長がここぞとばかり雑用を押し付けてきた。

 会議で必要な書類のコピーを終わらせ、部屋に戻ると清子の姿は消えていた。


「荒居は外回りだぞ」


 彼の視線を追って、係長が嫌味口調で答える。

 ヒューが暴走しそうになるのを押さえ、慧一郎は席に着いた。


 午後四時になり、慧一郎はやっと報告書に再び手をつけることができた。

 係長の指示通りにそのまま文字を打つのが無難だと思え、作業を続ける。しかし、読みづらい文字で修正されていたため、何度か係長に尋ねる。そのたびに嫌味で返され、ヒューを押さえるのに苦労した。

 午後五時に係長が定時帰宅し、慧一郎は正直安堵する。

 午後六時にすべての文書を打ち終わり、二度目の確認作業を終わらせてから、慧一郎は少し休憩を入れる。

廊下に出て缶コーヒーを購入してから、近くの椅子に座る。

 文字の校正は時間を置いたほうが、冷静になり、間違いを発見しやすい。それがわかっているので、缶コーヒーのタブをあけ、煽って飲む。


(ああ)

 

 コーヒーの甘さに浸るヒューに、慧一郎は苦笑する。

 甘いものが好きなのだなと同居宇宙人の嗜好について考える。


(甘いもの、そうなのか。食物を吸収するのは初めてだからわからないな。しかし、飲むと食べるはこんなに快楽なのだな)

(快楽?)


 またしてもその言葉に首を捻るが、今日はかなり我慢してもらったと、聞き流す。


(それより明日は彼女に聞くようにしろ。まあ、君が私とずっと一緒にいたいなら構わないが)

(違います。明日はちゃんと聞きますから!)


 缶コーヒーを飲み終わり、空き缶入れに捨てて、部屋に戻る。

 誤字脱字がないのを確認してから、報告書を印刷し、係長の机の上に置いた。

 建物を出るころには時間は既に午後八時近くだった。


(今日はまっすぐ帰るかな)

(食事はどうするのだ?)

(コンビニで買います)

(甘いのか?)


 甘い=美味しいと思っている宇宙人にまたしても苦笑しながら、慧一郎は駅へ向かう。


(プリン。プリンというのは甘いのか?)

(はい)


 デザートにプリンを奮発して買おうと思ったら、ヒューがそれを聞き逃さず問いかけてくる。


(甘味大王)

(甘味大王。なんだ。それは。甘いものが好きな奴のことか。そうか、甘味大王)


 そんな理解でいいのか、いや自分の脳がそんな知識しかないのか、そんなことを思いつつ、慧一郎は電車に乗りこんだ。

 帰宅ラッシュからはずれ込んだ時間帯。しかし座る椅子はない。手摺につかまり、宇宙人と思念で会話する。


 内容は甘いものについてだ。


(カノウケイイチロウ。気配がする)

(え?!)


 ふいにそう伝えられ窓の外を見る。

 暗くて何も見えない。

 電車が駅に着く。


(まだ気配はしますか?)

(ああ)


「降ります」

 

 慧一郎は断ることなどないのに、自分に発破をかける意味で声に出して、下車した。

 


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