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次はセクハラ。

 駅を降りて、会社への道を歩く。

 朝食を食べる時間はないが、遅刻は免れそうだった。


(気配がする)


 ヒューの言葉に、早足で歩いていた慧一郎は足を止める。


(気配?欠片の気配ですか?)

(そうだ。このまままっすぐ歩いてくれ)

(はい)


 見つけるのは至難の業、無理かもしれないと思っていた慧一郎は嬉しくなって、ヒューに従う。


(そこを右に)

 

 伝えられる指示に忠実に歩いていると、自分の会社が近いことに気がつく。


(あのビル、君の会社だな。あのビルに入ってくれ)

(僕の会社?なんで)



 疑問は沸いたが、欠片を早く見つけたい。しかも出勤もする必要もある。

 ある意味一石二鳥かと思い、彼はビルに入る。


(あの角の部屋の中だ)

 

 ヒューが指定した部屋は資料管理室だった。

 使わなくなった資料などが保存してある。守秘義務にかかわる書類も多いため、通常は鍵が掛かっている。鍵は係長管理だ。


 念の為、ドアノブに手を掛けたが、やはり鍵が掛かっていた。


(ヒューさん。何かの間違いじゃなんですか?ここ資料管理室ですよ)

(間違いはない。この中だ)


 ヒューは確信を持っていて、慧一郎は係長からどうやって鍵を借りようかと思考を巡らせる。

 考えているうちに、なぜか急に視野が急に低くなった。床が見えたかと思ったら、一瞬暗くなり、すぐに視野が元の高さに戻った。

 しかし場所は変わっていた。

 背後にドアが立ち、前方には棚に並べられた資料が広がる。


(資料管理室?)

(そうだ。体を軟体化させ、ドアの下から部屋に入った)


「?!」

「やめてください!」


 慧一郎が驚きの声を上げるより先に、悲鳴に近い女性の声がして、彼は動きを止める。


「いいじゃないか」


 その次に下卑た男の声が聞こえ、慧一郎は反射的に体を書棚の間に滑り込ませた。


 書棚の奥に椅子とテーブルが置いてあり、そこに男女の姿が見えた。


(係長に、荒居さん?!)

(顔見知りか?なぜ隠れるんだ?隠れたいなら、書棚にでも変化しようか?)

(え、遠慮しておきます)


 知らないうちに軟体化していた。文句を言いたいところだが、ぐっと堪えて状況を分析する。


(欠片を持っているのは荒居という女人だ)


 どうしてここにいるのか、という疑問について考えていた慧一郎にヒューは本来の目的を伝える。


(そうだった。欠片を探すためだった。でも今の二人の間に入り込むのは無理だな)


 係長は荒居清子の肩を親しげに撫でて、顔を近づけている。


「嫌です。やめてください!」

「本当に?」


(カノウケイイチロウ!荒居は嫌がっているぞ。あれは先ほどの痴漢という奴ではないか?)

(痴漢ではないです。あれはセクハラというもので……)


 係長が清子のことを気に入っているのは傍から見てもわかった。しかし既婚者であり、係長だ。部下に手を出すなどは考えていなかった。

 清子が嫌がってなければ、セクハラには当たらないだろう。いわゆる不適切な関係……。が、清子は明らかに嫌がっていた。

 セクハラ断定だった。


(助けなくてもいいのか?)


 係長は清子と慧一郎の直属の上司だった。その人に逆らってもいいことはないだろう。清子もそれがわかっているから、このような密室に一緒に入ったのだ。

 係長は興奮しているのか、少し薄くなった額に汗が光る。肩を掴み、カサカサした唇を清子の白い頬に近づけた。


「や、やめてください……」

 

 ぽろりと彼女の瞳から涙がこぼれる。


(カノウケイイチロウ!)


 慧一郎は動いた。

 ヒューの意志ではない。彼自身の意志で動いていた。

 係長の体を押して、二人の間に割って入る。


「な、なんだ。君はいったい。加納!貴様か!」


 いいところを邪魔された係長が、羞恥と怒りで顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げる。


(あ、僕。へ、ヒュー??)

(私ではない。君の意志だ)


 慧一郎は反射的に飛び出しており、そんな行動をとった自分自身に驚いていた。

 背後の清子はよほど怖かったのか、きゅっと彼の服の袖を掴んでいる。


(カノウケイイチロウ。怖くないぞ。何かあれば私が助ける)


 頼もしいような、頼もしくないようなそんな宇宙人の言葉を受け、慧一郎は係長を見据える。


「係長。今のは明らかにセクハラですよね?荒居さんは嫌がってました。人事課に報告してもよろしいでしょうか」

「ふん。何をたわ言を。荒居は自分の意志でここに来たんだ。私は強制などしてはいない」


 係長の言葉に清子は震えていた。


「報告すればいい。人事が信じるとも思えないがね」

 

 そんな彼女を一瞥して、脂ぎった中年は笑った。


「私は先にいくぞ。二人とも遅刻扱いにはしないでおこう」


 自分が不利の立場にあるにも関わらず、不敵な態度で係長は慧一郎たちに背を向けた。

 そして部屋を出るとき鍵がちゃんと掛かっていることに首を捻りながらも、悠々と部屋を出て行った。


「大丈夫ですか?」


 部屋が静まりかえり、背中の清子に尋ねる。


「だ、大丈夫です!」


 青ざめた顔のまま、彼女はそう言って脱兎のごとく、逃げていった。


「な、何なんだ?」


 自分だけ取り残されて、慧一郎は口をへの字に曲げる。


「欠片のことを聞きそびれたな」


 そんな彼に追い討ちをかけるように、唇が勝手に動く。


(だから、勝手に唇を動かさないでください!)

(あ。すまないな)


 軽く謝られ、朝から慧一郎は完全に消耗してしまった。

 しかも席に戻って係長と顔を合わすのも気まずい。

 足に鎖で重石をつけられたような暗い気持ちを抱えながら、慧一郎は部屋を出て行った。


                   ★

 

 慧一郎はノベナガファースト株式会社の営業宣伝部の営業課に所属している。社交的ではない彼が営業課とはお笑い草なのだが、この会社では新人はまずこの課に入ることになっているので仕方がない。

 そのため、営業課に第一営業係と第二営業係の二つが存在する。第二は予備戦力で、新人がまず所属する係である。

 セクハラ中年の立川健二は期待もされていない中堅社員で、新人教育もできるのか、どうか不明だが、第二営業係の係長で、慧一郎と清子の上司だった。

 慧一郎が営業課に足を踏み入れると、そこにいたのは清子と第一営業係の数人だけだった。

 立川係長の姿が見えず、彼はほっと息をつく。


 係長の机の側、清子の真向かいに座り、鞄を机の下に置く。パソコンに電源を入れて、清子の様子を伺うが表情は無表情だった。ただ目が赤く充血しており、慧一郎は先ほどの立川の行動を思い出し、嫌な気分になった。


「あの、」

 

 係長の行方を聞きそうになり、彼は言葉をとめた。


(なぜ聞かない?あの男はどこにいったのだ?)

(聞けないですよ。泣きそうじゃないですか)

(泣きそう?どこがだ?)


 ヒューに説明しても無理だろうと、慧一郎は自分の仕事に集中しようとした。

 リストを印刷し、片っ端から電話をかける。新人の仕事は電話営業から始まる。冷たくあしらわれることが多く、傷つくことも多い。

 だが、なんとかアポを取ることが重要なので繰り返し電話をする。


「忙しいって言ってるだろう。もう電話かけてくるな!」


 5月から8月まで通算3回しかかけていないのだが、そう怒鳴られ慧一郎は重い気持ちで受話器を下ろす。


(なぜあんなに怒っているのだ?たかだか数分のことじゃないか)

(僕にもわかりませんよ)


 とりあえず、ここは要注意と黒ペンで斜線を引き、リストから消しておく。怒鳴られておきながらまた掛けてしまうような馬鹿なことは避けなければならない。

 

(ところで、私の欠片のことは聞くべきだと思うが)


「!」


 そうだったと、顔を上げるが向かいにいたはずの清子の姿は消えていた。


(先ほどいなくなったぞ。追いかけて聞いてみるか?)

(それなら早く言ってください!)


 この人はおちょくってるんだろうかと慧一郎は思う。


(おちょくる?そんなことはないぞ。君が集中して仕事していたから黙っていただけだ。邪魔はよくないだろう)


 そんな思いにヒューは律儀に答え、慧一郎は大きくため息をついた。


(とりあえずどこにいるかわかりますか?)

(わからんな。気配はまったく感じない)


 ヒューが欠片の気配を感じるのは半径一キロ以内だ。ということは、欠片を所持しているはずの清子は半径一キロ以内にいないことになる。


(お昼にしては早いし、どこかの会社にいったのかな)


 係長には訪問予定の会社のことを連絡する義務があるが、同僚の慧一郎には必要ない。それは潜在的顧客リストがお互いにかぶらない様に、二分しているからだ。


(まあ、そのうち戻ってくるか。その時に聞こう。ヒューさん。彼女の気配がしたら教えてください)

(ああ)


 同居宇宙人の返事を本当かなと疑いつつ、慧一郎は仕事に戻った。



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