宇宙人ヒュー。
ぽつぽつと、街に明かりがついている。
街灯、コンビニ、スナック、バー、カラオケ、居酒屋……。
田舎というには明るすぎ、都会というには賑やかさが足りない。
そんな微妙は夜の街を、慧一郎は歩いていた。
上下黒色のスーツを着込み、同色の鞄を片手に抱えて、心なしか早足だ。
重たそうな黒髪はサラリーマンにしては長めで、前髪が眉を隠し、耳半分は髪で覆われている。
会社帰りの彼は夕食を買うためにコンビニに向かっていた。
時間は午後八時。
人ごみを嫌う彼は会社帰り時間をつぶして、ラッシュアワーを避けて帰るのが日常になっている。
朝もしかりで、彼の朝は早い。
夕食もとらず、漫画本に読んでいたらこんな時間になっていた。
お腹は食料が欲しいと先ほどから唸り声を上げていた。
近道をするため、公園を横切り目的地に急ぐ。
いつもなら外灯がぼんやりと点いているのに、今日はまったく明かりがなかった。
管理の人が付け忘れたか、はたまた電球切れたのか、そんなことを考え空腹から気を紛らわそうと、小道を歩く。
暗くてもいつも通っている道なので、迷うことはない。
何かの音が不意に聞こえた。
慧一郎は足を止め、声のする方向――空を見上げる。
晴れている空に星がまばらに光を放っている。
外灯の明かりがないため、今夜の夜空はいつもよりは綺麗だった。
その音が再び上から降ってきて、慧一郎は夜空に一段と明るい星を見つけた。
「え?!」
星は光を増していた。
豆粒からピンポン玉級、バスケットボール級と劇的に大きさを変化させる。
「に、逃げないと!!」
隕石だ、そう気が付いた時は既に遅かった。
真っ赤に燃える物体が彼の頭上に迫っていた。
竦む足を必死に動かそうと試みる。が、宇宙から飛来した物体は慧一郎の頭部を直撃した――
幸い、惨状の目撃者はおらず、音も派手になることはなかった。
真っ暗な公園の、森林部分――そこに頭の半分以上が破損した慧一郎の体が横たわっている。
遺体といっても過言でないその傍に、ヒューは立っていた。
宇宙からやってきた生命体――銀色の人型の宇宙人ヒュー。
作りは人と同じ、一見銀色のマネキンのようだった。
目の部分は窪みのみ、鼻部分はとがったものがあるが、口と耳はついていなかった。
『ああ、なんてことだ。頭部がぐちゃぐちゃだ。でもまだ少し動いているか』
ヒューは血肉を散らして倒れている慧一郎の様子をすべて確認して、溜息をついた。いや、実際に息などは吐いていない。地球の常識に照らし合わせると溜息のような様子を見せたのだ
声を出すわけではなく、テレパシーのように言葉を紡ぐ。
ヒュー達はお互いの体に触れ、会話をする。声などは使わない。息なども吸う必要はないし、食料も必要としない。
『この惑星の生命体の自己治癒力は低かったな。そうなると、このままでは死ぬか。……同化するしかないのか。私の不注意だから仕方ない。だが、まず本人の意思を確認してみよう』
ヒューは冷静に考えをまとめると遺体となりつつある慧一郎の体に向き合った。
『地球人よ。お前はもうすぐ死ぬ。まだ生きたいのか?』
突然の質問。
死にかけている慧一郎。脳も破壊されているので思考能力がなかった
ぐわんぐわんと頭の中で鐘が鳴り響いている状態。
目も機能しておらず、視界に映るものはすべてが形を成していない。ピントが合わすことができない状態で、物の境界線がわからない。ぼんやりとした世界の中にいた。
『勿論。生きたいか。それは当然だな?』
そんな状態の慧一郎にヒューは確認作業を続ける。返事もないのに、いや、できるはずもないのだが、ヒューは勝手に結論を出した。
『私と同化してもらう。そうすることで完璧に体は元に戻る』
慧一郎には言葉が伝わっていた。だが、まったく理解できていない。
それはそうだろう。脳が破損しており、思考能力などなかったのだから。
『本当にすまない。計算違いだった。まさか石がぶつかってくるなんて思っていなかった。しかし、これもいい経験だと思ってくれ』
ヒューはそう慧一郎に伝え終わると体の形状を変えた。体を液体化させ、横たわった彼の体にアメーバのように取りついた。そしてあっという間に体に溶け込む。
「おお。これが地球人の体。新鮮だな。だが気持ちが悪い」
血を垂れ流していた慧一郎の唇が言葉を紡ぐ。
すると脳や血管、骨、皮膚が意思を持っているかのように動き始めた。早戻しを見ているように頭部が再生していく。
ものの数秒で頭部は元通りになった。
「よし。完了。ケイイチロウ、カノウケイイチロウっという名前なのだな。カノウケイイチロウ。もう理解できるだろうか?私はヒューだ。よろしく頼む」
ヒューは慧一郎の体を使い、腕を組み、笑顔を作ってみせる。
「………」
思考能力を取り戻した体の本当の持ち主は状況を理解しようとしていた。
勝手に動く体、口から出される誰かの言葉。
「まだ理解できていないか」
仕方ないなという言葉と、顎を指で触る感覚が慧一郎に伝わる。
「結構理解力が低いのだな。説明してやろう。私はヒュー。君たちに言わせると宇宙人という奴だな。この惑星――地球というのだな。そう地球を訪ねてきたら、美しい青色に見惚れてしまった。そうしていたら、石が飛んできて、衝突され翼が割れた。割れた部分が地球に落ちたため、それを追いかけていたら、重力に引かれて落ちてしまった」
そこでヒューは一旦言葉を切った。
(な、何?)
脳がやっと機能し始めたようだった。慧一郎は今の状況を把握しようと試みる。
(えっと、僕は会社の帰りにコンビニ行こうとしていたんだ。それで隕石が降ってきて……、そうぶつかったんだ!)
「ご名答!頭の傷治ってきたんだな」
そう言った声はまさに自分自身のものだった。感覚も戻りつつあった。視界も回復し、今森の中にいることがわかってきた。
「カノウケイイチロウ。私はヒューだ。よろしく頼む」
軽やかに挨拶されたが、それは自分の声だった。
慧一郎の意志を無視して、口が勝手に動いている。
「気持ち悪っつ!」
慧一郎の思いが発せられ、自分の唇だと若干安心する。
ついでに口を手で押さえてみる。
「気持ち悪い?」
しかしすぐに口を再び動き、口を押えていた手も降ろされた。
「!?」
「修復完了だな。完全回復だ」
戸惑う慧一郎だが、その唇は楽しげに言葉を放つ。
「カノウケイイチロウ。しばらく君の中に住むことになる。まあ、死に掛けていた体を治したのだから当然の礼だろう。他にも協力してもらうことがあるので、それもよろしく頼む」
言葉の意味は理解できた。
しかし、彼の疑問は解決していない。
第一宇宙人、宇宙人が自分の中に住むのだ。
宇宙人といえばエイリアン。
慧一郎は大昔に両親と見た映画を思い出す。
体にエイリアンが入り込み、成長してお腹を食い破って……
「カノウケイイチロウ。君は何か勘違いしてる。私はそのような宇宙人――エイリアンではないぞ。君の体を治すために同化した。それだけだ」
「それだけって、本当?」
口が勝手に動くのは気持ち悪いが、状況を知るためには会話は必要だった。
(あれ、でもさっき、言葉に出さなくても通じていたよな?)
「そう。私は君の考えていることがわかる。君も私の考えがわかるはずだ」
そう指摘されて、慧一郎は試してみる。
(カノウケイイチロウ。わかるか?)
「あ!聞こえた」
「そう。わかったか」
(だったら口に出す必要はないよね。自分の口が勝手に動くのは気持ち悪い)
(そうか、そういうものか。我々は口というものを持たない。だから、声を発することもない。だから珍しくてついつい声を使って喋ってみた。気持ち悪いのであれば、これからはこうして君に話しかけよう)
(そうしてくれると助かります。あの、ヒューさん)
(ヒューさん?さんというのは敬称か。君は私を尊敬するのか?)
同化した時に慧一郎の持っている情報と知識を取得していたが、消化と理解は遅れていた。
(初対面や親しくない人にはさんをつけるのが普通なのです)
(初対面……。そういうことか。わかったぞ)
(ご理解いただきありがとうございます。あの本題なのですが、これからヒューさんはずっと僕の中に住むのでしょうか?)
(私の翼の欠片が見つかったら出て行くつもりだ)
(欠片?)
そういえばそんなことを言っていたなと慧一郎は思い出す。
確か地球に見惚れていたら、石が衝突して、翼が割れたとか…… 。
(考えてみたらちょっと間抜け)
(……カノウケイイチロウ。間抜けとは失礼だな。君は私を怒らさないほうがいいぞ。今、私が出て行ったら君は確実に死ぬ)
(え?どういうこと)
(君の頭部は破損した。だが、私の体を使って治したのだ。しばらくすれば私の体も君の細胞になじみ、完全に同化するだろう。そうすれば私がいなくなっても、君は生きていける。しかし、今離れると元の状態に戻る。つまり、頭部が破壊された状態だ)
(え??)
(心配することはない。君たちでいうところ二日もすれば私は君の元を離れることができるだろう)
(そう。そうなんだ。よかった)
慧一郎は二日と聞いて安堵する。
(だが、この二日。君にしてもらいたいことがあるのだ。私の欠けてしまった翼の一部を探してほしい)
(……)
(やる気がないな。それなら今すぐ出て行ってもいいぞ)
(それは簡便してください)
(それでは、探してくれるのだな)
(……はい)
慧一郎には選択肢がなかった。
これといって心残りはなかったが死ぬのは嫌だった。
(どっちしても二日すれば、いつでも出て行ってもらえるし)
(……残念だが、欠片が見つからない限り私は出て行かないぞ。君には私を追い出す手段もないはずだ)
高らかに宣言されて慧一郎の気持ちは落ち込む。
しかし、ふと希望が沸いてきた。
(ヒューさん。欠片はこの辺にあるんじゃないんですか?あなたは欠片を追ってきたんですよね?)
(そうだが、この辺にはない。何も感じなかった。今も感じない。この近くにあるなら感じるはずだ)
(感じる?)
(ああ。体の一部が私の近く、そう地球で言う半径一キロ以内にあるなら、私は自分の体を感じることができる。でも今なにも感じない)
(え!じゃあ。どうやって探すんですか?)
(……それは考えていない)
(え、なんなんですか?その計画性のなさは)
偉そうな宇宙人。
しかし、その余りにも大雑把なところに慧一郎は眩暈を覚える
(カノウケイイチロウ。……ちょっと疲れたぞ。悪いがちょっと休ませてもらう)
(え?どういうことですか?)
慧一郎はヒューに思念で問いかける。しかし ヒューはそれっきりだんまりを決め込んでしまった。
「ヒューさん、ヒューさん!」
声に出して呼んでみたが、彼が答えることはなかった。
それならと刺激を与えたみたらどうだろうかと、馬鹿みたいに自分の頬を叩いたり、つねったりしたがヒューが反応を示すことはなかった。
真っ暗な闇の中。
一人でそんなことをしていることが馬鹿らしく、慧一郎はヒューを起こすことを諦めた。
とたん、お腹が悲鳴を上げる。
忘れていた空腹感が戻ってきたのだ。
腕時時計を見るが、壊れていて八時十五分で止まっていた。
それならばと鞄を探して、携帯電話で確認する。
時間は午後十一時。
いつもなら食事を終え、ベッドに横になっている時間だった。
自分の中にいるはずの宇宙人の気配は感じない。
しかし、血がついている服、壊れている腕時計が夢ではないことを証明していた。
「あー、服洗わないと。あと、これじゃ、コンビニは行けないな」
今夜の夕飯はアパートに置いてあるカップラーメンで決定だった。
疲れと空腹と混乱。
何がなんだかわからない状態で、慧一郎は帰路についた。