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余鶴と終焉

 宝刀黒炎は平安時代より伝わる余鶴家家宝の刀である。

この刀の刀身は黒く染まり、刃先の部分の一部は炎を

表すような波が掘られている。

文献によればこの刀の誕生は西暦五六五年。

作られた当時は刃は黒くなかったようだ。

欽明天皇の時代に大きな飢饉や流行病が流行し、

民は自暴自棄となり、暴徒となって

互いに互いを蝕んで行った。

言葉などではどうする事も出来ず、

生き残る為にそうするしかなかった、地獄の時。

 余鶴家はその時代に蘇我氏に使えており、

伝来されたばかりの仏教を学びつつ

警護の任に当たっていた。

反乱の兆しありとして、暴徒となった

民を斬り伏せた。

それが物語になると悪鬼羅刹となっているが、

現実はそうしたどうしようもなくなった民と、

年貢を取り立てる偉い身分の者たちとの

生死を掛けた争いだった。

 宝刀黒炎はそうした人たちの血を

吸い続けやがて黒くなっていったという。

蘇我氏からその功績を称えられたものの、

やがて時が過ぎた後、仏教に身を投じ

斬った人々の霊を慰めるべく寺院を設立し

中央から身を引いたと言う。

 だが怨念と言うのは残るもの。

悪鬼羅刹もいつの時代もいるもので、

例え仏の道に行ったとしても

余鶴家はそうした役割から逃れられなかった。

朝廷や幕府から依頼を受けて、

そうした者たちを斬る事を生業と

していた。その為仏教としても

何処にも与する事無くしかし時の政府の

公認を受けて今日まで生き延びた。


 現代においても余鶴の名は知れ渡っており、

それが今代の康嗣にも受け継がれていた。

主に首都を闊歩する悪鬼を政府の依頼を受けて

斬り続け報告し続けている。

悪鬼は通常夜にのみ活動し人を襲う。

だがそれが昼間にも現れたとなれば、

それは世の地獄が迫っていると言う事。

康嗣は仕事をこなしつつ、それを時の政府に

報告書として例を挙げて記載し提出し続けた。

 やがで悪鬼は昼に人を襲うようになる。

狙いは弱い幼児や女性、老人だった。

物には飢えていなくとも、目に見えない病が

人の心に巣食い国をもむしばんでいく。

民は互いを疑い弱いものを攻撃し、

その弱いものは生きる為に牙をむくしかなかった。


 それでも康嗣はただひたすら

先祖代々の役割をこなし続けた。

事が起こった後でしか出来無くとも、

死んでいったものや生きる為に牙を剥いたものを

慰める為に。

 康嗣はその後仏教大学へ進学し、

僧侶となった。そしてそのまま任務もこなしている。

心に黒い浸みがない訳がない。

だが誰かがやらねばならぬ事。

そう覚悟しまた成仏を念じ刀を振り下ろす。

 結局彼が九十歳でこの世を去るまで、

こうした役割は続いて行った。

長く続く家だと言う理由で残されやらされている。


 いつかこの家から牙を剥くものが現れるかもしれない。

その時、悪鬼羅刹は誰なのか。

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