side 闘争
ゴブリン達は、突如現れた敵に対し、警戒心を露わにした。が、数秒後には怒り狂ってフィノに突撃を始めた。
前後左右から、同時に迫りくる二十匹近いゴブリン。
フィノは、冷静に敵を見据える。
「僕からはにゃれるにゃよ」
「え?」
フィノが呟く。
ヨージョはまともに答えることができないまま、それは始まった。
前方から迫るゴブリンが、無骨な棍棒を振り下ろした。
後方から槍を携えて突撃するゴブリン。
左側からは戦斧を横薙ぎに振るうゴブリンが。
そして右側からは小振りな直剣を突き刺そうとするゴブリン。
それぞれの攻撃は、決して不可避のものでは無い。
だがそれが同時に繰り出されるとなると話は別だ。途端に躱すのは至難となる。
それを受けるのが、尋常の者ならば、だ。
フィノは軽く腕を振るった。ただ、それだけだった。
それだけで……彼女を囲んでいたゴブリンの頭部と胴体が離れた。
剣の如き切れ味の爪。それを用いた一撃だ。
噴水のように吹き出る血液。ごとごと、と音を立てて落下する頭部。
フィノは、指先に付いた血液に、嫌そうに眉根を潜めた。
周囲のゴブリンに、どよめきが走った。
動揺が広がるが……しかし、単純なゴブリンは、それもすぐに直情的な敵意へと変えるのだった。
少し離れた位置で、弓に矢をつがえ、放とうとするゴブリンがいた。
フィノは、地面に落ちていたゴブリンの頭部を拾い上げてから、それを投げつけた。
それは真っ直ぐに進み、矢を放とうとしていたゴブリンの頭部に直撃した。
ぐしゃ、という不気味な音が耳に届く。
地面に落ちたザクロのように、二匹の頭部が脳漿を撒き散らし、ぐちゃぐちゃに潰れていた。
直線的な攻撃の数々をいなす。
ゴブリンたちは何事かをわめきながらも、再びフィノに向かっていこうとする。
「ちょっと、本気出すにゃ」
フィノはゴブリンたちを迎え討つためにその場から駆けだした。
叫び声をあげるゴブリンたちの動きは、フィノのそれに比べてあまりにも遅々としたものだった。
フィノはそれを蹴った。
それはまるで硬さを持たないかのように、軽々と胴体を抉られる。
フィノはそれに爪を立てる。
それは剣による一撃の如く、ゴブリンは両断される。
フィノは屠る。
数多くの、愚かで狩られるだけの存在であるゴブリンを。
……ゴブリンたちが物言わぬ肉塊と成り果てるまで、そう時間はかからなかった。
☆
ゴブリンの群れを、フィノが屠ったその後。
惨状と呼ぶにふさわしい光景が、ヨージョの目の前には広がっていた。
広がる血の海。分断された四肢。臓物が周囲に撒き散らされ、悪臭が鼻を付いた。
苦しげに目を見開かれる、ゴブリンの死相……。
ヨージョは呻き、その場に膝をついた。
(フィノがここにいなければ、今この場で転がっていたのは……妾だったのか)
疲労がピークに達し、諦観に占められていた時には感じもしなかった恐怖が去来する。
心臓が早鐘を打つ。
喉が渇く、息が吸えない。
自分がどこに立っているのかが、分からなくなる。
自分の意志に反し、涙がこぼれる。
空気を求めて、口を開くが……上手く呼吸ができない。不自然な呼吸音が、静かな森に響いた。
苦しい、苦しい、苦しい……。
ヨージョは胸を押さえて体を折った。
「大丈夫、落ち着くにゃ」
不意に、ヨージョは温かさに包まれた。
矮躯を抱くフィノは、安心させるようにヨージョの背をさする。
ゴブリンを殺戮していたその時とは、全く異なる声音。
自らを抱くその温もりに安心したためか、ヨージョの呼吸は次第に落ち着く。だからと言って、死の恐怖が過ぎたわけではなかった。
ヨージョはフィノの胸に頭を押し付け、泣いた。
身分など関係なく、ただの幼女のように。泣きわめき続けたのだった。
☆
しばらくの後。
目を赤く泣きはらしているものの、随分と落ち着きを取り戻したヨージョと、フィノは互いに向かい合って木の根元に腰掛けていた。
「どうしてお前はあの場にいて、妾を助けたのだ?」
ヨージョの問い掛けは、至極当然のことと思われた。
獣人の居住区から離れたこの場所、そしてこの時間。フィノがたまたま周辺にいて、たまたま助けに入れた……などという事は、絶対にありえない。
「ついてきていたにゃ、お前があの小屋から出てきたときから、ずっと。弱っちい魔物や獣が相手の時は、大丈夫そうだったから手を出さにゃかったけど、流石にさっきのゴブリンの群れを一人で相手にするのは無理だったみたいだにゃ」
平然とした表情で、フィノは言った。
ヨージョは、その意味が分からなかった。
「妾が逃げ出していたのを見ていたのならば……なぜその場で捕まえなかった? なぜこれまで黙ってついてきた?」
「にゃぜ、って……。お前がにゃにか思いにゃやんでいるのは気付いていたからにゃ。このまま僕たちの集落にいさせるよりかは、自分の意志で戻りたいと思ったのにゃら、そのまま帰らせるのが良いと思ってにゃ」
「み、みすみす逃がすつもりだったのか? いや、それにしても、逃がすだけならここまでついてくる必要はないはず。なぜ、わざわざここまでついてきたのだ?」
フィノは、その言葉を受けて意地悪く微笑んだ。
「心配だったからにゃ。お前のようにゃちびっこが、夜の森を無事に突破できるとは思っていなかったからにゃ。ま、こうして目の前に現れちゃったからにゃ、人間の警備隊の近くまで送ってやるにゃ」
フィノはそう言って、ヨージョの手を取ろうとしたのだが……。
「助けるつもりだったのか、妾のことを?」
どうやらヨージョにはフィノの言葉のほとんどが聞こえていなかったようだった。「心配だった」という一言に、彼女は心底驚いたのだ。
「……ふえぇ!? ち、違うにゃ! 別にそういうつもりではにゃかったのにゃ! た、たまたまなのにゃ!」
フィノは大慌てで弁明するものの、ヨージョの方は照れくさそうに、そして驚きを秘めた瞳で彼女を見た。
「にゃ、にゃんにゃその眼は! この~」
照れくさいことを誤魔化すように、フィノはヨージョの頭を乱暴に撫でた。
フィノの体温が、ずっと近くに感じられた。
その手の温もりは、幼き時ともにいた、一人の女騎士を思い起こさせた。
いつもそばにいて、自分を守ってくれた、強く凛々しく、美しかった彼女。……今も大好きな彼女と、フィノはどことなく似ていた。
種族も風貌も異なる二人。
だけど、自分を安心させてくれる、温かな存在。その一点が、2人に共通しているのだ。
自分が王女になって以降、誰かに弱さを見せることなどなかった。
お飾りだとはいえ、一国の王女。民に、臣下に弱みを見せるなど……あってはならぬと気を張り続けていたのだ。
だが、それももう限界だった。
自分を取り巻く環境の変化。
自分自身の心境の変化。
そして、今しがた経験した、死に対する強い恐怖。
幼いヨージョがそれに耐えきれず弱みを見せてしまうのは、仕方のないことだと言えた。
「にゃ、どうしたのにゃ、ちびっこ?」
動揺するフィノ。ヨージョは彼女の胸に飛び込み、そして抱き付いたのだった。
「……王女などと言っても、妾は何の力もない。人間と獣人の争いを止めることなどできないのだ。だから、辛いのだ。苦しいのだ。怖いのだ」
自らの胸に引っかかっていたものを、ヨージョは吐き出した。
「しょうがにゃいにゃ、ちびっこ。お前は意外と、甘えん坊にゃんだにゃ。言っている意味がよくわからにゃいけど……僕がついていてやるから、大丈夫にゃ」
ヨージョが王女だという事をこれっぽっちも信じていないフィノは、ヨージョの話を聞いても、怖い思いをして混乱をしているだけなんだろうなぁ、としか思っていなかった。
だからフィノはそう言って、ヨージョを安心させるために彼女の身体を固く抱きしめた。
「ちびっこではない。妾のことは、ヨージョと呼ぶのだ。……フィノ」
ヨージョはフィノの胸から顔を上げ、頬を朱に染めながら告げた。
「そっか。それにゃらヨージョ。これからどうしたいにゃ?」
フィノは、自らの腕に抱えるヨージョへ向けて問いかける。彼女の意思を、あくまでも尊重するために問いかけたのだ。
「妾は……フィノと一緒に、帰る」
上目遣いで告げた言葉。
ヨージョのその言葉に、フィノは快活な微笑みで応えたのだった。
 




