表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

48/62

side 逃亡


 辺りは既に暗く、森に住まう夜行性の動物や魔獣以外が寝静まった頃。

〈イアナッコの森〉の獣人族の居住区の一角、周囲の風景に全く溶け込んでいないプレハブ小屋の中。

 一人の幼女が、寝床から体を起こした。


 彼女は窓から差し込まれる月明かりに照らされた、同居人の間抜けな寝顔を見て小さく微笑んだ。

「……短い間ではあったが、悪くは無かったぞ」


 そう言って、彼女の頬を軽く撫でる。

 

 ヨージョはそして、プレハブ小屋から出て、夜の暗い森をたった一人で歩き始めた。


 ☆


 夜の森は、言うまでもなく危険が多く潜んでいる。

 深く茂った木々が、月や星の灯りを遮る。人間であるヨージョは獣人とは違い夜目が利かない。どれだけ暗闇に目が慣れたとしても、昼間のようには行動ができない。

 そのため、必然的に彼女の歩みは慎重的になる。

 

 彼女の耳に、がさごそという草木が擦れる音が届いた。そして……。

「っ!?」

 その慎重に歩を進めていたヨージョの目前に、突如一匹の狼が茂みから姿を現した。

 ヨージョは、びくりと肩を震わせる。

 

 そのヨージョに、唸り声をあげる狼は素早く襲い掛かる。

 開かれる咢、暗闇の中にあって、その牙は鈍い輝きを放っていた。


 相対するは、非力な幼女。

 本来ならば、叫び声を上げ、恐怖に涙を流しながら後退るところだ。

 しかし、ヨージョはそのどれもしなかった。


 ――軽く体を逸らして狼の突撃を避けた後、ただ一言だけ告げたのだ。


「去ね」


 その一言の効果は、大きかった。

 ヨージョに襲い掛かった狼は、そのまま彼女の横を通り過ぎてから、一目散に背を向けて去っていった。


 ヨージョはその背を眺めて、ホッと一息を吐いた。

 スキル〈絶対命令〉。対象にある程度行動を強制させる能力だ。

 魔力を持たず、耐性のないただの獣ならば、もしくは魔力量が少なく弱い魔獣ならば、今のように劇的な効果をもたらす。

 ただし、それなりに魔力を有する魔獣ならば、ここまでの効果はありえなかっただろう。

 効果がでるまでタイムラグがあるし、尻尾を巻いて逃げることもないだろう。精々動きを止めるのがやっとだ。

 

 今回は運よく、無事でいられた。

 今出会っていたのが魔獣であったなら。

 もしくは狼の群れであったならば。

 こうして生きていられたかは、分からない。


 ヨージョは自らの頬を両手で打った。

 油断はできない。目的地まではまだまだだ。

 せめて国境警備隊の拠点に辿り着くまでは、幸運が続くことを祈るのであった。

 

 ☆


 ヨージョは森を歩き続けていた。

 これまでに数度、獣や魔獣の襲撃を受けていた。

 しかし、幸運なことに魔力を持たない、単独行動をする獣や、動きの鈍いオークとの遭遇だったために、こうして今も無事でいられているのだ。


 プレハブ小屋から出発してから、それなりの時間が経過していた。

 しかし、道のりは半ばにも達していないことだろう。

 もちろん油断はできない。いつ獣に襲われるか、分かったものでは無い。


 ……なぜそんな危険を冒してまで、なぜヨージョは獣人の居住区を抜け出し、国境警備隊の拠点に向かっているのか。

 

 ヨージョは辛かったのだ。

 自らに向けられる、悪意無き笑顔が。


 ヨージョは怖かったのだ。

 いずれ戦わなければならぬ彼らに、情が移ってしまうことが。


 だから、逃げたのだ。

 無事で済むかも分からなかったが、あのまま獣人と共に過ごすことは耐えられなかった。


 だから、ヨージョは歩みを止めない。

 自らの危険を省みずに。


 ☆


 どれくらいの時間が経過したのか。

 どれほどの獣や魔獣を退けたのか。

 そして目的地まで、あとどれ位の距離があるのか。

 ヨージョには分からなかった。


 時折木々の隙間から覗く空を仰ぎ見れば、未だ星が瞬き月が顔を出す夜なのだという事が分かった。

 

 幼い体には、ここまでの獣道を歩くのはきつい。確実に疲労が蓄積されている。

 そして、先の見えない暗がりの森を周囲に気を配りながら歩くのは、もちろん精神的にもきつい。

 これまでは運よく無事でいられているが、果たして今の状態で目的地に到着できるのだろうか? ヨージョの胸中に、不安が大きく息づき始める。

  

 心身ともに弱り切ってしまっていたためだろう、今のヨージョの注意力は散漫だった。

 だから、気付かなかったのだ。

 周囲を魔獣の群れに囲まれていることに。


 ☆


 ヨージョの目前に、一体の棍棒を手にしたゴブリンが姿を現した。

 最低のコンディション、ヨージョは慣れない舌打ちを一つした。

 しかし、ゴブリン一体ならば、退けることは容易い。

 そう思い口を開こうとする、のだが……。


「んなぁ!?」

 ヨージョは驚きの声を上げる。

 ゴブリンの背後から、続々と現れる武装したゴブリンたち。その数は、片手では数えきれない。

 これでは、対処しきれない。逃げよう、と思い背後を振り返る。

 

 だがまたしても、驚かされる。

 

 今度は、声も出ないほどに。


 そこには、十を超えたゴブリンがいた。そして、ヨージョの周囲を取り囲んでいたのだ。

 

 なんでこんな群れがここに? 人間一人にこの数のゴブリン? これは、妾をいたぶるつもりで……? 逃げ道は? いや、この数を相手に、スキルはどの程度通用する?

 

 ヨージョには、いくつもの考えが思い浮かんだ。

 しかし、そのどれもが、この危機を脱出できる機転では無かった。


 ゴブリンは狼狽えるヨージョを見て、嗜虐的に微笑んだ。

 そして、ゆっくりと彼我の距離を詰め、下卑た表情を浮かべて武器を振り上げる。


 スキル〈絶対命令〉を発動しようとするも……恐怖のためか、ヨージョは声を出すことができない。

 

 ――もう、ここまでか。


 ヨージョは諦観の表情を浮かべた。

 低俗で下劣と言われるゴブリン。相手がこいつらでは、楽には死ねないのだろう、と覚悟を決めた。

 その時だった。


 鮮血が宙を舞った。

 呆然と瞳を開くゴブリン。

 それもそのはず、自らの腕が、いつの間にか切り落とされていたからだ。

 自らの状況を把握しきる前に……痛みを知覚する前に。

 ゴブリンの胸が、華奢な腕に貫かれていた。


 ヨージョは、その光景を見て絶句した。

 この数日、共に過ごしたその闖入者の姿を見た。驚きを隠せない。


「何故、お前がここにいるのだ……?」

 目の前に突如現れたフィノに、ヨージョは尋ねた。


「話は後にゃ。まずはこいつらをかたずけにゃいとにゃ」

 問われたフィノは、牙を剥きだしにして好戦的な笑みを浮かべた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ