第二十三話 俺、後悔してた。
〈根源の巨竜〉ことボブと別れてから、俺は再び森の中を疾駆した。
数分の後、人間と獣人が残る場所へと戻ってきた。
生き残っている彼らは、皆緊張した面持ちで空を見上げていたが、ある一人の少女が俺に気付き、声をかけてきた。
「お、お前! 〈根源の巨竜〉が飛んでいったから、どうしているかと思っていたけど、無事だったんだにゃ!」
その少女、フィノが猫耳をピンと伸ばしながら、駆け寄ってきた。
「ああ、無事だった。心配してくれてたのか?」
「当たり前にゃ! あんな化物と戦うなんて、正気とは思えにゃいにゃ! 一体、僕がどれだけお前のことを心配したと……っは! にゃ、にゃんでもにゃい!」
涙目で俺のことを心配するフィノを、ニヤニヤと眺めていたところ、彼女ははっとした表情になり、ブンブンと首をふって誤魔化した。
……やっぱり可愛いな、フィノは。癒される。
俺はいつまでもその照れた表情を見ていたいところだったが、周囲の状況を確認し、一時我慢することとした。
「他の皆は無事か?」
「怪我人はいない。ミコが、回復魔法を皆にかけてくれたおかげだな」
俺の質問に答えたのは、フィノのあとに付いてきていたロゼだった。
未だ顔色が優れてはいないが、命に別状はなさそうだ。
「……でも、死んだ人はいるんだろう?」
「ああ。だが、〈根源の巨竜〉と対峙したにしては、極僅かな被害に収まっている。ミコが皆の傷を癒してくれていなければ、ここに立てているものはほとんどいなかっただろう……改めて礼を言う。ありがとう」
ロゼの真摯な瞳に見つめられ、俺は目をそらしてしまう。
……俺が怖気づかないで、最初から〈根源の巨竜〉と戦っていれば、そもそも被害などなかったかもしれないんだから。
「それで、巨竜のことなのだが……」
何も答えない俺に、ロゼが再び問いかけてくる。
「そう、それにゃ! あのデカブツ、お前の攻撃で倒されてどっかに落ちたあと、にゃんかまた飛んで行っちゃったけど、どうにゃったのにゃ?」
フィノも真剣な表情で問いかける。
「……もう、大丈夫だ。安心してくれ」
「そうか……やったにゃ! さすがミコ、僕に勝っただけはあるのにゃ!」
フィノは破顔して、俺の髪の毛をワシワシ触ってきた。
「ん。ミコが言うのなら、心配は無用か。はやく皆に伝えなければ。それにしても……。もしや、とは思っていたが。ミコとフィノは、知り合いなのか?」
ロゼは、じゃれる俺とフィノを見比べながら言った。
あ、そういえば、まだ言っていなかった。……まぁ、これはあまり大声では言えないことだしな。
なんと言っても、前回フィノと会ったのは、彼女がこちら側に偵察に来ていた時だからだ。
どうしようか、そう思ってフィノを見るのだが、知らんぷりをして無視を決め込んでいるようだった。
フィノちゃんや、君が口を滑らしたからこうなったんだろう?
……ま、ロゼには言っても、大きな問題になることはないだろうし、大丈夫かな。
「え、あー。まぁ、うん。以前、この森の中で知り合った」
俺はぼんやりと答える。
ロゼは俺とフィノを交互に見てから言った。
「……そうか。安心してくれ、ここで問題にするつもりなどない。これ以上は何も聞かない。彼女は、私たちとともに戦ってくれた、仲間だからな」
「にゃーんだ! お前もやっぱりはにゃしが分かる奴だにゃ」
にゃっはっは、とお気楽な笑い声で答えるフィノ。なんだこいつ、めっちゃ可愛いぞ!
じゃなくて、こいつは緊張感がないな。
「そうだ、ロゼ。折角もらった服を台無しにしちゃってごめんな」
俺はそう言ってロゼに謝る。
「いや、気にしないでくれ。そもそもが、私のお下がりなのだから。それに、私たちを助けるために、そうなったのだろう」
「うん。……ありがとう。あ、それともう一つ」
「何だ?」
「髪の毛、また纏めてくれないか? 自分じゃどうしても上手くいかなくて」
そう言って、俺は〈物質創造〉で想像した髪ゴムを手渡した。
ロゼは、くすりと小さく笑ってから、
「それ、今言う事か? ……良いか。一番頑張ったミコの頼みだ。無下にはできん」
と言って、俺から髪ゴムを受け取った。
俺の髪の毛を手櫛で梳いてから、ロゼは手際よく纏め始める。
「それにしても、〈神語り〉の力は凄まじいな。まさか、あれほどとは……」
ロゼの言葉に、「何のことだろう?」と首をかしげていたのだが、訝しむような彼女の視線を受けて思い至った。
そうだ、俺は〈神語り〉と誤解されているんだった。
「ああ、自分でも驚いた」
俺は、曖昧に笑みを返して答えた。
「神の奇跡、とくと見せてもらった」
ロゼは満足そうに呟いた。
……神の力でも、スキルによるドーピングが成功していなかったら、負けていたんだけどな、とは口にせず、俺は視線を逸らして頬をかく。
「これで、良し。可愛くできているよ」
ロゼがそう言って、俺の髪をクシャりと撫でる。
俺も左側で結ばれたポンポン、となでてみた。
うん、ロゼがやってくれた仕事に間違いはないだろう。
俺は、満足してロゼに告げる。
「ありがとう! これだけ可愛いなら、皆の前に出ても恥ずかしくないな。それじゃ、俺これからちょっと行ってくるわ!」
「恥ずかしくない……って、行く? どこへ?」
ロゼの言葉に、俺は空を指さした。
「上だよ」
疑問の表情を浮かべるロゼとフィノに、俺は空を指さしながら答えた。
「へ、上って……」
フィノが言い終わる前に、俺は勢いよく跳躍。
頂点に達したところで、回復し始めていたMPを消費し、透明な足場を魔法で創った。……あ、やべ。下からパンツ見えちゃうか?
俺はスカートを抑えながら、下を見て声をかける。
「みんな~! こっちにちゅうもーく!」
俺の大声に反応し、多くの者が頭上を見る。
一人、また一人と視線が俺に向くのがわかった。
不安そうな表情でこちらを仰ぎ見る人たちの顔を見渡してから、口を開く。
「〈根源の巨竜〉は、住処に帰った! だから、もう安心だぞ~!」
――〈根源の巨竜〉が去った? ――じゃあ、助かったのか? ――いや、まだ帰ってくるかも知れない。安心はできん。――そもそも、あのちびっこは誰だ? ――あれ、あいつは俺たちを助けてくれた〈神語り〉じゃ……。――あ、本当だ! ――なら、本当に俺たちは、助かったってことか?
俺の言葉に、様々な言葉が飛び交う。不安そうにする人々に対して、俺はもう一度言った。
「……気づいている者もいるみたいだけど、俺は〈神語り〉だ! だから、神の奇跡によって巨竜を退治することができた。……今度こそ。安心するんだな!」
〈神語り〉のネームバリューを利用する形ではあるが、一から十まで説明するよりも、よっぽど説得力があるだろう。
最初はその言葉に戸惑っていた人々も、思惑通り俺の言葉を信じ、そして。
――ウオオォォォオ!
地鳴りのような声。
勝鬨が挙がったのだった。
喜びの声を上げる者。放心してその場に座り込む者。生き残った幸運に感謝し、神に祈り始める者。
中には、獣人と人間の種を越えて抱擁し、喜びを分かち合っている者までいた。
――流石は〈神語り〉。死を覚悟したってのに、万事解決たァ頼もしい限りだぜ。――あのちびっこがいなくっちゃ、俺たちは今頃死んでいるな。――実際、俺はあの子の回復魔法で傷を治してもらったんだ。命の恩人だぜ。――しかも、ちびっこだが可愛らしい顔をしてやがる。俺は、一生をあの少女に尽くしても構わないねぇ! ――おおとも、私も同じ意見だ!
そして、〈神語り〉である俺を褒め称える言葉が、あちこちから聞こえてきた。その声に耳を傾けているときに、俺の視界に何かが映る。
それは、動かなくなった死者たちの骸がだった。
勝鬨を挙げる者たちの傍で、原型を止めないほどに押しつぶされた兵士。
炎に焼かれ、骨しか残っていない獣人。
彼らをもう一度目の当たりにして、俺の心は揺らいでいた。
ボブには、ロゼたちが無事なら恨むことはないと言った。それは、今でも変わらない。
だけど、彼らの命を、俺ならば救えた……。その事実の重さが、俺の心にのしかかっていた。
――やめてくれ、俺をそんな目で見ないでくれ。ビビって戦うことから逃げ出して、後から駆けつけた意気地なしなんだ。……もしかしたら、誰も死なずに済んでいたかもしれないんだぞ?
俺は自己嫌悪に陥っていた。
人々の声を聞きながら、魔法を解除して足元を失くし、そのまま地面へと降りる。
このまま、誰もいないところで一人になりたかった。
「どこに行くつもりだ、ミコ?」
だけど、そう都合良くはいかなかった。
声に振り返ると、そこには寂しそうな表情でロゼが立っていた。
「……悪い。今は、一人になりたい」
俺は、そう言って踵を返して森の奥へと歩こうとした。
だが、後ろから足音が聞こえ、そのすぐ後には俺の体は背後から抱きしめられた。
「貴女のせいじゃない」
背中から伝わる、ロゼの体温。
その優しさに、身を委ねてしまいたかった。……だけど、俺はそうしてはいけない。救えなかった人がいるのに、俺だけが救われてはいけない。
良いはずがなかった。
「俺、本当は逃げたんだよ。……巨竜が怖くて、逃げ出したんだ。もっと早くからあいつに立ち向かっていれば、人も、獣人も死ぬことはなかった。……獣人が大切にしているこの森も、ここまで荒らされることはなかったのにっ! ……全部、俺の心の弱さのせいだっ!」
俺は、溢れる感情が押さえつけられず、ロゼに言葉をぶつけていた。こんなことをいまさら言っても、どうしようもない。
そんなこと、分かっているのに。
「貴女が、自分を責めるのはお門違いだ。いくら強くとも、死は恐ろしい。だから、逃げ出すこともあるさ」
ぎゅ、っと俺の体を抱きしめる力が強まった。
だけど、ロゼの言葉はどこまでも優しいものだった。
「でも、今こうして多くの者が手を取り、喜び会えているのは、紛れもなくミコのおかげだ。……貴女が、戦う意志を持ってくれたから、今私はここにいるんだよ。だから、君がそんな顔をしてはいけない」
ロゼは、俺を振り返らせた。
視線が交差する。彼女の暖かな瞳に、吸い込まれそうになる。
その優しい眼差しは、今の俺にとって耐えられるものではなかった。
いつしか、俺の瞳からは涙が溢れ、頬には涙の筋が出来ていた。
「泣いちゃ、ダメじゃないか……。可愛い顔が台無しだよ」
そう言って、ロゼが俺の目尻からこぼれた涙を、指で拭い微笑みかけた。
「……そう、だな。俺は可愛いんだから。笑顔で、皆を幸せにしなくっちゃ」
俺は頑張って、口元に笑みを浮かべようとした。
だけど、できなかった。
自分の笑顔で、皆を笑顔にする。それが、俺を何回も救ってくれた〈アイドル〉という存在だ。
力を持った〈神語り〉でも、〈偶像〉でもなく。
俺がなりたいのは、やっぱりアイドルなんだ、って今再確認した。
だから、俺が泣いちゃいけないのは、わかっているんだ……。
「だけど、ちょっとだけ……」
「なんだい?」
ロゼの落ち着いた言葉が耳に届いた。
「泣いても、いいかな?」
拭ってもらったばかりの目尻から、涙が溢れ出していた。
それを見たロゼは、再び拭おうとはしなかった。
「うん。私のことは気にせず、泣いてごらん」
ロゼはただ一言そう告げて、俺を自らの胸に抱いた。
俺は、ロゼの胸のなかで、子供のように泣きじゃくっていた。




