第十六話 俺、ビビる。
予告なしでタイトル変更してしまい、すみませんでした。
今後このようなことがないように、気をつけます。
7メータル級とは比較にもならない、圧倒的な巨躯を前に、俺は言葉を失っていた。
4倍……いや、5倍以上の体長。
俺を殺したアホ女神と対峙したその時と同じように――俺は死の気配を感じていた。
そんな風に、呆然と立ち尽くしている俺に、何処からか呼びかける声が聞こえてきた。
『もしや、と思い、巨大な魔力を感知して来てみたのだが。まさか竜ですらなく、か弱き人間の少女だったとは。吾輩が眠っている間に、世は随分と変わったものだ』
俺は驚愕した。なぜなら、目の前の竜が語り掛けてきたからだ。先ほどの7メータル級とは違う。
しかし、口を開いている様子は無い。頭の中に直接語り掛けてくるような感覚。これは……スキル〈言語理解〉か!?
俺は地へと墜ちたドラゴンに目を向けてから、滞空中の〈根源の巨竜〉に、問いかける。
「……なぜ、ドラゴンを殺したんだ? 同種、じゃねえのか?」
俺が問いかけると、巨竜は口を開いた。
7メータル級ドラゴンを喰いちぎった牙が、紅く煌めく。
『か弱き人間に負ける様な弱者を、吾輩は同種とは認めん』
ただ一言、静かに告げた巨竜は、俺を試すように見つめる。
「な、なんだよ……?」
『か弱き少女よ。己は何故吾輩の前にいる?』
「……何が言いたいんだ?」
『貴様には分かっているのだろう? 格の違いというものが。……なのに何故、逃げ出さないのか、と聞いている』
「は、はは。そういうことかよ」
俺は、弱々しく笑う。
ただ、そうすることしかできないのだ。
脂汗が体中の毛穴から吹き出る。
全身が震え、力が入らない。
……なんてことは無い。俺は逃げないのではない。
腰が抜けて、逃げられない。ただ、それだけの事だった。
俺の怯えを察したのか、巨竜は、
『なるほど。逃げられないだけ、か。他愛のない。どれだけその身に力を宿していようと、その程度の精神の持ち主では、吾輩が殺してやる価値もない、か』
その言葉に、俺はゴクリと喉を鳴らす。
『興醒めだ』
それだけ告げて、巨竜はそのまま俺の目の前から飛び去って行った。
「……助かった、のか?」
しばらくした後、俺は巨竜の再来がないことを確認して、ホッと息を吐いた。
そして、直ぐに自己嫌悪に陥る。
「力を手に入れて、良い気になっていただけ、か。結局俺は、いじめられていた生前から、何一つ変わっていない。力を手にして、自分よりも弱い奴を倒して、俺は強いんだと勘違いをして。……自分よりも強い相手には、ビクビク震えてそれでおしまいの、ただの負け犬じゃねぇか」
俺は、全てがどうでもよくなって、その場で目と耳をふさぎ、座りこんだ。
☆☆☆
森全体の木々が激しい風に揺られ、泣いているように葉が擦れる音が聞こえる。それは、自然現象ではなく、一つの生物によって起こされたものだった。
絶望が降ってきた。
国境警備を任務とする、屈強な兵士や騎士、腕利きの冒険者が、揃って呆けた顔で空を仰ぎ見ている。
その多数の視線の先には、一体の翼を広げる巨竜がいた。
黄色く光る眼球。赤く分厚い鱗に覆われた全身。爪も、牙も、尾も、翼も、存在感も。
すべてが人智を超えた巨大さであった。
――ああ、俺まだ酔ってんのかな?
一人の冒険者が、乾いた笑いと共に漏らした言葉。しかし、それも仕方のないことだろう。
夢か幻か、はたまた酔いによる現実の錯誤か。
そう思わなければ、目の前の情報を処理しきれないのだろう。
『小さき者どもよ。問おう』
突如として、多数の人間の頭に響く、重厚な男性の声。それが目の前で翼を広げる巨竜によるものだと気付くのに、そう時間はかからなかった。
『そう怯えるな……。知っていることを話せば、害する気はない」
巨竜はそう前置きをしてから、告げる。
『吾輩の愛しき妻は、何処にいるか、知っているか? 強大な力をもつ竜だ。……共に眠りに落ちたのだが、いやはや。つい先ほど長き眠りより目を覚ましてみれば、彼女はどこにもいないではないか。吾輩が起きるまでの間に、小旅行でもしているのだろうが……早く会いたいものだ』
巨竜の言葉は、切実な響きを含んでいた。
その言葉に返答する者はいなかった。
だがしかし、兵士や騎士、冒険者たちはとある昔話を思い返していた。
人間と獣人がともに立ち向かった、強大な〈根源の巨竜〉。……竜の寿命は長い。眠りから目覚めるまでの300年など、彼ら竜族にとっては、些細な誤差に過ぎないのだろう。
数十秒が経つが、一言すら発する者がいない。
巨竜は現状、誰も答えないと分かり、そして判断した。
『ふむ。答えぬか。ならば、貴様らに用は無い。……死ね』
そう言い放ち、巨竜は口を開く。
大気が揺れる。魔力が巨竜の体内に満ち、圧倒的な破壊を撒き散らそうとしているのが理解できた。
目の前のすべての人間に、死の足音が聞こえていた。
「ま、待て! その巨竜について、知っていることを話そう。だから、ここで暴れるのは、やめてくれ!」
一人の騎士が、巨竜に向かって叫ぶ。
『良いだろう。話すがよい。……一つ忠告だが。謀ろうとしたのが分かれば、その時点で皆殺しだ』
ドラゴンが先を促すと、
「あんたの愛するドラゴンは……300年前に死んでいる。今は、もういないんだ」
男の言葉に、巨竜は大きく翼を打った。
翼が起こす風により、大地が揺れ、屈強な男たちがその場に倒れる。
『……それが真だとして、何故だ?』
巨竜の問い掛けに、答える声は無い。
……人と獣人に害をなし、討伐された。
などと、眼前の巨竜に告げられる者は、誰ひとりとしていなかった。
『そうか、答えられぬか。……ならば、良い』
巨竜の言葉に、ホッと胸を撫で下ろす。
とりあえず、命は助かりそうだ。多くの者がそう思っていた。
だが、次の巨竜の一言によって、再び絶望を味わうことになるのだった。
『彼女がいない世界で生きるなど、吾輩には耐えられない。全てを壊し尽くし、それを餞としよう。……手始めに、まずは貴様らからだ。小さきもの共よ!』
ドラゴンに満ちる魔力と狂気。
それを止めるすべを持つものは、この場には……いや。
この世界のどこにもいなかった。




