第十四話 俺、悩む。
フィノとの邂逅から、数日が経った日の事。
獣人との関係は、あれから全く進展していなかったが、それとは別に、俺にはやらなければならないことがあった。
「全然だめだったよ、メアリさん……」
男たちの獣染みた笑い声が、耳朶を打つ。今はまだ昼だが、もしかしたらすでに酒が入っている者も、いるのかもしれない。
俺は今、クエストの中途報告を行うために、商業都市〈エエムンアビチ〉にある冒険者ギルド内、受付前カウンター前でギルドの受付嬢と向き合っている。
「〈イアナッコの森〉の中を色々と見てきたんだけど、確かに魔物や魔獣の、喰い散らかされたような死体はあったんだけど、ドラゴンが実際に住み着いている場所、っていうのは分からなかったよ。……碌な情報を手に入れられなかった」
クエストを受けてから、一週間。
俺なりに色々と探ってみたが、ドラゴンの住処は見つからなかった。
もしかしたら既に違う場所に移動しているのかも、とも思ったが、魔物の死体は確かに放置されているのだ。
人間がやったものでは無く、大きな咢で一噛みされたような、不気味な死体だったから、間違いない。
「ご主人さまは確かな実力があるものの、冒険者としては駆け出しです。トントン拍子で上手くいくわけは有りませんよ。また、次の報告時に良い知らせがあることを祈っています」
俺のことをご主人様と呼ぶのは、微笑みを湛える美女、メアリさんだ。
俺が一切有益な情報を持ち帰ることができなかった、というだけの報告を受けても、こちらを励ますようなことを言ってくれる。だがそれが、今の俺には素直に受け入れられなかった。
「そんな駆け出しに、S級冒険者しか受けられないようなクエスト任せちゃって、大丈夫だったの?」
「上司にはとても怒られてしまいました……それはもう、こっぴどく」
どこか遠くを見ながら、メアリさんは弱々しく呟いた。
「でも、大丈夫です。ご主人様なら、きっと何とかしてくれると、私は信じているので」
「……なんで、たった一回だけあった人間を、そこまで信じられるんだ?」
俺の質問に、メアリさんは目を瞬かせてから、少しだけ逡巡した後に、
「……あれ、なんででしょうね? ……恋、でしょうか?」
などと言ってきたのだが、綺麗なお姉さんにそんなことを言われてしまうと、ついつい顔がにやけてしまう。
目が合った。彼女はにっこりとほほ笑む。俺は、とろけるような感覚でにやけてしまった。
このままじゃいかん、そう思い俺はメアリさんに耳打ちをする。
「ねぇ、メアリさん」
「何でしょう、ご主人様?」
「教えてほしいことがあるんだけど……個室とかって、ないかな?」
俺の言葉に、メアリさんの瞳の色が変わる。
「ございますよ。それでは、場所を移動してから詳しいことを伺いましょうか?」
「うん、お願い」
「それでは、個室のカギを取ってきますので、少々、そのままでお待ちくださいね」
受付カウンターから立ち上がり、メアリさんは奥へと姿を消した。
そして、数秒後に手にカギを持って現れたメアリさんが、カウンターのこちら側へ現れた。
「さて、それでは案内しますので、ついてきてください」
俺は頷いて、メアリさんの後に続く。
どうやら、個室は二階のようだ。
階段を上り、右手に曲がってすぐの部屋。
メアリさんは鍵を開けて、その室内に俺を招き入れた。
「どうぞ、お好きなところに腰掛けてください」
案内されたのは、簡素な部屋であった。
正面には、明かりを通す窓。
そして部屋の中央にはテーブルが有り、そこに左右3脚ずつの計6脚のいすがある。
俺は左側の中央の椅子に、腰掛けた。
「どういった要件だったのでしょうか?」
メアリさんも、俺の前の椅子に腰掛けてから、そうして話しかけてきた。
「獣人と人間の関係を教えてほしいと思って」
俺の言葉に、メアリさんは目を細める。
「ご主人様。まさかと思いますが、獣人と何らかの接触をしたのでしょうか?」
その表情は、真剣そのもの。返答を誤れば、何かしら罰則が科せられるのかもしれない、と感じた。
俺は、出来るだけ無難な返事をすることにした。
「いや、実際に遭ったわけじゃないんだ。ただ、ロゼに言われてさ。獣人には気を付けろ、って。でも、俺にはその獣人が分からないんだ。出会ったときに、どう対処するべきか考えておきたいから、メアリさんに聞いて情報を収集しておきたかったんだ」
俺の言葉を、どこまで信用したかは分からない。ロゼやシーナ、ディアナに聞いても良かったのだが、王国所属の人間では、客観的な判断が難しいこともあるかもしれない。
でも、メアリさんならば、客観的な情報を教えてくれるのではないか、と思っている。
だけど、メアリさんは追及をせずに、俺の質問に答えてくれた。
「ご主人様は、記憶喪失でしたね。それならば、僭越ながら私が獣人と人間の関係を、かいつまんで説明させていただきます」
「お願いします」
俺は、メアリさんに頭を下げた。
「まず、獣人の由来についてです。森や山など、豊富な魔力が充満する場所に長く住んでいた人間が、特異な変化を遂げるようになった。その人々が、今の獣人の祖先と言われています」
「もともとは同じ生き物だったというわけか」
「これも、確実な話ではないのですが。魔力によって優れた身体能力を手に入れた獣人。魔力を操り、高度な魔法を開発していった人間。お互いがお互いの優位性を主張し、どちらがより優れているのか……そんな下らないことで、戦争は起こったそうです」
一人二人の言い合いではなく、互いの種の主張という事なのだろう。
「戦争は、幾度として行われてきました。勝利した方が敗者を奴隷にし、虐げ。そして敗者が革命を起こし、虐げてきた者を、虐げ返す。幾度もこのような戦争が繰り返し起きていました。……そんな繰り返しに終止符が打たれたのは、300年前のことでした。当時、とある危機がこの周囲の国に襲い掛かったのです」
「その危機っていうのは、一体何だったんだ?」
俺の問い掛けに、メアリさんの瞳が鋭く光る。
「数千年以上の眠りから目覚めた、最強の古竜。〈根源の巨竜〉の出現でした。空腹から目覚めた〈根源の巨竜〉は、人間と獣人の国を襲い、多くの命を奪いました。その爪痕は、生き物による被害というよりも……〈天災〉と呼んだ方が正確でしょう」
「その〈根源の巨竜〉が、神に対抗しうる竜の〈上位種〉ってわけか」
「その通りでございます」
ゆっくりと頷くメアリさん。
「人や獣人の味を覚えた〈根源の巨竜〉は、幾度も人里を襲い、被害を拡大させたそうです。こうなっては、戦争どころではありません。人間と獣人。種の垣根を超えて、手を取り合い、最大戦力で〈根源の巨竜〉を討伐することになったのです」
共通の敵を得ること。それが、他人と上手くやっていくための方法。
それは、現代日本の高等学校でも、似たような話があるよな。と、俺は皮肉に口を歪める。
「〈根源の巨竜〉は、莫大な生命力と無尽蔵の魔力。巨大な体躯と山すらも穿つ膂力を持った正真正銘の化物と言われています。そんな化物を退治するのには、数千……あるいは数万を超える犠牲者が出たと言われています。……そうしてやっとのことで〈根源の巨竜〉を退治した人間と獣人は、減りすぎた互いの種をこれ以上減らさないように、と。無用な争いを避けるための協定を結びました。また、強大な危機を共に乗り越えたことで信頼関係も生まれていたのでしょう」
それは、分かる話だった。強大な敵に立ち向かい、友を得るのは王道と言える。
「そして、人間は獣人に魔法を教え、獣人は友好の証に自らの祖先が眠る〈イアナッコの森〉の半分を、人間側に譲ったのです。そうして、互いの種は友好の道を歩んでいきました。しかし、それもやはり長くは続きませんでした」
「と、言うと?」
「今から100年程前のことです。いくつかの人間の貴族が、貧しい獣人を奴隷として【飼う】ようになっていました。それが露見し、大きな問題となったのです。……それまでも、主の違い、信じる神の違い等から生じていた諍いなどもあったのですが。とにかく、この一件がきっかけとなり、これまでにもあった問題が、まとめて表面化したのです」
そうして、またもや互いを恨み、憎悪の対象としていったのだろう。
「あとは、ご存じのとおりです。数十年間、大小問わず様々な諍いが起こり……そして現在。開戦の火蓋が切って落とされようとしている状況なのです」
そうして、メアリさんは話を締めくくった。
……え?
「そうなの? もう、戦いが始まりそうなの?」
「ええ。一触即発の状態です。その状態でご主人様が不用意に獣人と接触していたら……もしかしたら大変なことになってしまいます」
「そ、そうだったのか……」
俺は、呆然と呟いた。
そこまで切迫とした状況だったのか。……もしかしなくとも、この間のフィノは開戦前の情報収集を行っていたのだろう。
俺が真剣に考え込んでいたことに、メアリさんが心配そうに顔を覗き込んできた。
そして、彼女の両手が俺の手を包み込み、胸元にあてがった。
「ふぇ、ぇぇぇぇえ!?」
俺が動揺すると、メアリさんが柔らかく笑った。……その笑みは、どこか不安そうでもあった。
「ご主人様がお強いのは存じています。それでも、不安なのです。私がS級クエストを依頼しなければ、こんな面倒ごとに巻き込まれることもなかったでしょう……。申し訳ありません」
メアリさんは、俺に謝罪の言葉を口にした。
「謝らないでよ、メアリさん。俺は、自分の意思でこのクエストを受けたんだ。ドラゴンのことも、獣人のことも。きっとうまくやってみせるよ」
俺はメアリさんに微笑みかける。
「優しいのですね、ご主人様は……」
俺の両手を離してから、メアリさんは俺の髪の毛をくしゃくしゃと撫でた。
その手は、優しさに満ちていた。
☆
「それじゃ、俺はまたドラゴンの情報を集めてくるよ」
個室から退出し、ギルドの階段の元で、俺はメアリさんに言った。
「はい。ご主人様の道のりに、幸多からん事を」
柔和な笑顔を向けてくれるメアリさんに手を振り、俺はギルドから退出した。
ギルドから出ると、町の往来を多くの人間が行き来しているのが目に入った。
皆、生き生きとした表情だ。この町の様子を見て、もうすぐ戦争が起こるかもしれない、とは到底思えなかった。
だけど、思い出す。最後に見た、フィノの痛切な表情を。
「……一体、俺に何ができるんだろうな?」
俺の呟きに答える声はなかった。




