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【2】疑い

「ふんふふ~ん」

 鼻歌を歌いながら、朝ご飯の支度をする。

 味噌汁に魚に、白いご飯。

 お漬物も並べてから、兄様を起こしにいく。


「兄様、朝ですよ。起きてください!」

「やだ……まだ眠い……」

 兄様ときたら、布団にくるまって全然起きてくれない。


「ほらほら起きてください!」

 掛け布団を取り上げて、無理やり手をひっぱって。

 それから大きな背中を押すようにして、上半身を起こしてあげる。

 

「んぁ……今日は、休むよ……」

「だから、そういうのはダメです!」

 上半身を起こしてあげても、すぐに布団へ逆戻りしようとする。

 まるでタコみたいに、ぐにゃりとして背骨をなくしてしまったみたいだ。


「もう! ボリス兄様!」

「シーナ朝から怒っちゃダメだよ? たぶん、寝不足だから怒りっぽくなるんだ。ほら、こっちおいで……」

 そんなことを言って手を引いてきたかと思うと、腕の中にとらわれる。

 兄様は、一見細身に見えるけれどかなり力が強い。

 一度こうなると、抜け出すのは難しかった。

 腕をまわされ、足を体に絡められてしまうと、身動きがとれない。

 抱き枕か何かと勘違いされていると思う。


 どうにか兄様を起こして、朝食の席につき、ご飯を食べて。

 それから出かける支度をする。

 まだ半分寝ぼけているので、着替えを手伝って、跳ねている髪の毛を撫でつけてあげて。

 

「ほら行きますよ、兄様!」

「ん……」

 兄様の手を引いて歩く。

 目を離すと別の方向へ行こうとするし、つまずきそうで危なっかしい。

 ……まったく兄様ときたら手がかかる。



 兄様が私の目の前に現れてから、もう十年の月日が流れていた。

 私は八歳から十八歳になり、兄様は出会った頃の十六歳から二十六歳になったはずなのに、見た目はあの頃と何も変わらない。

 おかげで私のほうが姉に間違われてしまうくらいだった。


 十八歳になった私は学校を卒業し、この国お抱えの「退鬼士たいきし」になった。

 退鬼士とは、この国に出没する鬼と呼ばれる化け物を退治する職業のことだ。

 鬼は姿形もばらばら。この世界とは別の空間に生息していているのだけれど、時折この世界へと現われては人に危害を加えていく。

 それを退治し、鬼の影響が残る場所の整備をするのが退鬼士の仕事だ。


「それじゃあ、また帰りにね」

 職場に着けば、兄様が手を振って建物の奥へと消えていく。

 兄様もまた退鬼士なのだけれど、私とは格が違った。

 十年前この国にやってきた兄様は圧倒的な才能で、数年も経たないうちに王様付きの退鬼士になってしまったのだ。


 兄様は最強と名高い。

 この間なんて、今までやってきた中で一番強いとされている鬼が出たとき、それを誰の力も借りずに一人で倒してしまった。


 退鬼士になんてならなくても、ボクが養ってあげるよと兄様は言うけれど。

 私はそんな兄様の隣に、堂々と並んで立てるような妹になりたかった。

 だから退鬼士の勉強も頑張って、通っていた塾を一番の成績で卒業した。

 いつかは、兄様の相棒にふさわしい、そんな人間になれるように。



●●●●●●●●●●●●●●●●●●


 退鬼士は二人で一組。

 今日の仕事は貴族からの依頼で、屋敷に侵入した鬼を退治することになっていた。


「……っ」

 屋敷に近づくにつれ、頭が痛む。

 空間の歪みが近くにあると、いつもこんなふうに頭が痛くなる。

 おそらくはこの屋敷の中に、空間の歪みがある。

 それはつまり、この屋敷の内部で鬼が発生したということを現していた。


 都の中心は王お抱えの退鬼士によって、鬼避けの術が張り巡らされている。

 本来ここは鬼が発生しないはずの場所だ。

 そこに歪みが発生しているということは、誰かが故意に鬼を呼び出したということ。

 正直……またか、という思いが強かった。


「シーナ、この屋敷の中に空間の歪みがあるんだね?」

 現在の相棒である東雲しののめが、私の変化に気づいて尋ねてきた。

 頷けば、にぃっと楽しそうに笑う。


 困ったことに私の相棒である東雲は、厄介事を好む傾向にあった。

 きっと頭の中では、気位の高い貴族をどうやって絶望に叩き落としてやろうかと考えていることだろう。

 周りはこいつのことを正義感の強い男だと思っているみたいだけれど……絶対そうじゃないと断言できる。

 ただ単に、性格と意地が悪いだけだ。


 その証拠に、こいつが選んでくる依頼はいつだって裏があるものばかり。

 叩けば埃が出てくるような、そんな貴族からの依頼しか受けない。



 遙か昔、この国は鬼であふれかえっていた。

 その鬼を龍神様が別の世界へと封じ、今のこの国がある。

 この国に住む者なら、子供でも知っていることだ。


 鬼が封じられた世界とこの世界は近く、三つの扉で隔てられていて。

 奥の扉にいくほど強い鬼が封じられている。

 この国に出現するのは、国との境目である一番目の扉周辺に住まう弱い鬼達ばかりで、奥の扉は堅く閉ざされている……はずだった。

 

 しかし、何百年もの時が経ち。

 最近では、二番目三番目の扉に封じられているはずの、強くて厄介な鬼も出現するようになっている。

 その原因の一つが鬼を利用して、私利私欲を満たそうという輩の存在だった。

 鬼はあまり知力がなく、術者の実力次第で従えて、操ることもできた。

 そのため強い鬼を従えて、自らの力にしようと考えたり、よからぬことに利用しようとする者がいたのだ。


 貴族の間では気にくわない相手に鬼を送り、さらにそれを送り返すというのがまるで風習のようになってしまっていた。

 見えないところで行われる争いは加速し、もっと強い鬼を相手に送りつけてやると、二番目三番目の扉の向こうにいる鬼をこぞって呼び出そうとする。そのせいで封印が弱まってきているのだ。


 国はこのことに危機を感じているみたいなのだけれど、貴族達はあまりことの重大さをわかっていない。

 お金を払って、どれだけ強い鬼を呼び出せる退鬼士を雇うか。

 鬼を仕向けられても、返り討ちにできる退鬼士を雇っているか。

 それが一種の格式のようになっていて。

 東雲が選ぶ依頼は、そういう事に躍起になっている貴族からのものばかりだった。


「……ほどほどにしてくださいね、って言っても無駄なんでしょうけど」

「ははっ、よく分かってるね! 理解がある相棒を持って幸せだ」

 気位の高い貴族の鼻っ柱を折るのは、東雲の趣味みたいなものだ。

 相手に逆恨みされることすら楽しむこの男は、はっきり言って変人だった。



●●●●●●●●●●●●●●●●●●


「今回探し出すのは、毒色御前どくいろごぜん百足ムカデような見た目をした鬼だ。音もなく人に忍び寄り、毒を体内に注入して殺してしまう。一刻も早く捕まえてくれ!」

 屋敷に着くなり、必死な形相でそこの主人が縋りついてくる。

 このままでは殺されてしまうと、怯えているようだった。


「自分たちで呼び出しておいて、都合がいいですね。一体その毒色御前を呼び出して、何に使う気だったんですか? 僕達も暇じゃないんですが」

 東雲が爽やかな笑顔で毒を吐く。

 やっぱり今回も穏便にはいかないようだ。


「なっ、なんと無礼な! 私が自分で鬼を呼び出したとでもいいたいのか!」

「毒色御前は呼び出さない限り、自分でこの世界にやってこない種類の鬼なんですよ。鬼の世界の奥の奥、扉の三番目に封じられてるはずですからね。毒色御前の毒は証拠が残らないとされているみたいで、呼び出すくそ貴族が多くて辟易へきえきしてるんです」


 真っ赤な顔で怒鳴る屋敷の主人に、臆することもなく東雲が言う。

 東雲は外面がいいので、からめ手を使うこともあったけれど、今回は直接的に行くつもりらしかった。


「私は毒色御前を差し向けられた被害者なんだぞ!」

「扉をこちら側から無理矢理こじ開けた場合、影響を受けて空間が歪むんです。僕の相棒はそれを関知する能力に長けてるんですよ」

 淡々と東雲が告げるけれど、貴族は自分は悪くないと言い張るばかりだ。


「そうですか、言いたいことはわかりました。シーナ」

 東雲が私に目配せしてくる。

 遊びを楽しむ子供の顔だ。

 彼とは長い付き合いで、塾にいたときからもう六年近く相棒をやっているため、何を求められているかはわかった。


「失礼しますね」

「こら、ちょっと待て!」

 頭痛の感覚が強くなるほうを目指して、ずかずかと屋敷の中を歩いて行く。

 裏の庭を抜けて森へ入れば、いっそう屋敷の主人が慌てた形相になった。

 

「そこにはいない! お前達は私を警護して、毒色御前を仕留めてくれればそれでいいんだ!」

「ここに根本的な原因があると、僕の相棒が言ってるんです」

 迷わず突き進む私を止めようとする主人を、東雲が除ける。

 さらに歩いていけば木が枯れて、まるで分厚い瓶の底を通して見たように、ぐにゃりと風景が歪んだ場所があった。


 地面にうつぶせになっているのは、おそらく鬼を召喚した者だろう。

 儀式の道具もそのままそこに残っていた。


「間違いないですね。有罪です」

「それだけはやめてくれ。お金はいくらでも払おう!」

 今度は下手に出た貴族を、東雲はハエでも追い払うかのように押しのける。


「おとなしく、言うことを聞け。そうでないと、お前が二度と働けないように圧力をかけるぞ」

「東雲の家に圧力をかけて、つぶされるのはそっちだと思いますけど?」

 脅しに出た貴族に、東雲がひるむことはない。

 こう見えて東雲は、王の信頼の厚い家の出だった。


 公正で厳格といわれる東雲家は、国の裁判事を取り仕切っている。

 東雲というだけで周りから一目置かれる存在だけれど、私から言わせれば彼らは皆変人ばかりだ。

 家に招かれて、東雲の両親や兄弟に会ったことがあるのだけれど……どれだけの危険を冒して、高い位置にいる相手に屈辱を与えたかを楽しそうに語る、東雲二号や三号がそこにいた。


「そこの術者は、毒色御前を従えようとして失敗したみたいですね。鬼は呼び出した場にいた者を狙う習性がある。自分が狙われている自覚があるということは……あなたはその場に居合わせたんでしょう? なら責任取っておとりになってもらいましょうか」

 東雲が術を使って、貴族とその従者を拘束する。その顔は恍惚としていた。


「な、何をする! や、やめてくれっ!」

「ははっ、悲鳴は遠慮なくどんどん上げてくださいね。怯えを感じ取って、獲物が近づいてきますから!」

 怯えた声を貴族が出すほど、東雲は笑う。

 相変わらず鬼畜だ。

 楽しそうで何よりだと、心にも思ってないことを考えながら、毒色御前を仕留めるための罠を仕掛ける。

 この貴族には悪いけれど、こうやって呼び寄せた方が早いのは事実だった。



●●●●●●●●●●●●●●●●●●


「はぁ~楽しかったね!」

「それ東雲だけだと思いますけど……」

 仕事が終わって、すっきりとした顔の東雲に一応ツッコミを入れる。


 おびき寄せられた毒色御前をあらかじめ用意した罠で仕留め、東雲が弱らせて、鬼の世界へと送り返した。

 毒色御前の毒は厄介だけれど、腕っ節が強い鬼というわけではないので、そんなに手間はいらなかった。

 ただ、貴族は間近で見る毒色御前にびびって、可哀想なほどに取り乱して。最後は失禁した上に気絶してしまった。


「何で私は、こんな性格の悪い男と組んでるんでしょう……早く兄様と組みたい……」

「僕を相棒に望んだのは、シーナのほうだったって記憶してるけど?」

 確かに東雲の言うとおりだった。

 性格はこんなんだけど、東雲の腕はいい。

 新人ではありえない成果を得ているのも、わりと無茶が効く東雲が相棒だから。

 一刻も早く兄様に近づきたくて強い相棒を望んだら、東雲になってしまったのだ。


「ねぇ、シーナ。僕さ、シーナのこと気に入ってるんだよね。最高の相棒だと思ってる」

「そうですかそれはアリガトウゴザイマス」

「もの凄く棒読みだね。そういうところも好きだな」

 ははっと楽しそうに東雲は笑う。


 茶色のさらさらとした髪に、甘い顔立ち。

 女性からもてるらしく、一緒にいる私は時折嫉妬を受けることもあるくらいだ。

 しかしその顔立ちも性格も強さも、何一つ兄様の足下にも及ばない。

 よって微笑まれても、全くときめくことはなかった。

 

「だからさ、僕の嫁になってよ」

 なので次に東雲の口から出た言葉に、思わず眉をひそめた。

「嫁……? 東雲の? 何の冗談ですか。絶対にありえません」

「即答って酷いなぁ。僕なりに色々考えたのに」

 夕焼け空はどこまでも続いていて、長く伸びる砂利道が目の前にはあった。

 河原で遊ぶ子供達の声を聞きながら、横を歩く東雲を見れば。

 いつもとは違う、真剣な目と視線が合う。


「……シーナ、君のお兄さんに鬼である疑いがかけられてる」

「えっ!?」

 突然のことに声を上げれば、普段通りにしてというように目配せされた。


「これは東雲の家だけに入ってる情報だ。庇ってあげたいところなんだけど、そうもいかなさそうなんだよね。この前、三の扉から雷電双華らいでんそうかっていう鬼が現れて都を襲ったのは覚えてる?」

「もちろん」

 忘れるわけがない。

 その鬼はとてつもなく巨大で、鳥のような姿をしていた。

 首が根っこから二つに分かれていて頭が二つあり、そのてっぺんには花のようなとさかがあるその鬼は、強力な雷を操るため雷電双華と呼ばれている。


 都の空を我が物顔で飛び回り、雷を落とし。

 雷電双華は街を焼くだけではなく、強い退鬼士によって守られているはずの、王宮の一角を焼いたのだ。

 その後すぐに退治されたものの目撃者も多く、街はその話で持ちきりだった。


「君のお兄さん、雷電双華を誰も見たことがない技を使って……一人で倒しちゃったみたいなんだ。そんなことができるのは、鬼くらいだと誰かが言い出した」

 圧倒的な未知の力は、恐れられる。

 兄様はやりすぎたんだと、東雲は口にした。


「そんな……兄様は、都を守ったのに……?」

「前々から君のお兄さんには、鬼じゃないかという疑いがかけられていたからね。外国からの退鬼士なのに、すぐに王に仕えることになったことで妬みも買ってる。それに、この国にやってきて十年経つのに、見た目が変わらない」

 それも証拠の一つとしてあげられてるんだといいながら、東雲は足を止めた。


「お兄さんは二十六のはずだけど、十八歳のシーナよりも年下に見える。シーナだっておかしいと思ってるよね?」

 それは疑問の形は取っているけれど、断定の響きがあった。

 こういう時の東雲の目は苦手だ。

 自分に自信があって、間違ってないと思っているから、切り込むことにためらいがない。

 相手が暴かれたくないことだって、お構いなしだった。


「シーナはお兄さん……ボリスさんの本当の妹じゃないよ。シーナの親は、王家の分家筋だ。旦那と違う髪色の子が生まれて、不義の子だと疑われるのが嫌で捨てたらしい。調べたら歴代の王家には、シーナのような色合いの髪をした子がいたみたいだ」

「何で……そんなこと……」

「家の力を使って調べた」

 間違いないよと、間違いであってほしいことを東雲が口にする。

 

「シーナがボリスさんと無関係だって証拠は揃ってるんだ。だから僕の嫁になれば、東雲の力も使ってシーナだけでも助けてあげられる」

「聞きたくない!」

 耳をふさいで叫べば、東雲は大きく溜息を吐いた。


「このままじゃ、シーナまで鬼の扱いをされて一緒に向こうの世界へ送り返されるよ? あっちに行って、出てきた人はいないんだからさ」

 罪人の処刑方法の一つにも採用されてるくらいだからねと、東雲は肩をすくめた。


「私は兄様の妹だもの……そんなの、何かの間違いで」

「あ~悩むのそっちなんだ? 兄様兄様って、本当筋金入りだよね」

 混乱する私に、東雲が呆れたように溜息を吐いたけれど、それどころじゃなかった。


 東雲は嘘を言っている。

 私は兄様の妹だ。

 だって兄様は私を迎えにきてくれたし、髪の色だって、目の色だってよく似てる。

 立ち止まってしゃがみ込む。

 それは自分を守りたいときに、幼い頃からいつもやる癖のようなものだった。


 兄様がくるまで、誰も守ってはくれなかったから。

 丸まって縮こまって、震えることしか私にはできなかった。


「シーナ、遅いと思ったらこんなところで何してるの?」

 柔らかく私を呼ぶ声。

 顔をあげれば、しゃがんでこちらを見ている兄様と目が合った。


「兄様!」

「ちょっとシーナ、どうしたの? いきなり熱烈だね。嬉しいけど」

 思わず抱きつけば、尻もちを付きながら兄様が背中を撫でてくれる。


「まぁいいや。僕のやることは変わらないし。ちゃんと考えておいてよね」

 じゃあねと言って、東雲が去って行く。

「何かあったの?」

 兄様が不思議そうに尋ねたけれど、何でもないですと答えて。

 不安の胸の中からはじき出すように、兄様の香りをいっぱいに吸い込んだ。

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