【1】兄様
「やーい鬼子、赤鬼シーナ!」
「ちがう! 私は鬼なんかじゃない!」
からかってくる男の子たちに声を荒げる。
これはいつものこと。
黒や茶の髪や目の色をしているのが当たり前のこの国で、私は異質な見た目をしていた。
肌は彼らより少し白く、赤い目に赤い髪。
みんな私を赤鬼なんて言って、バカにする。
「嘘つけよ。鬼だから鬼の場所が誰よりも早くわかるんだろ!」
「名家の出でもないくせに。生意気なんだよ」
口ぐちに彼らが、私を小突く。
この国には鬼と呼ばれる化け物が出る。
私や彼らは、それを退治し国を守る退鬼士の見習いだ。
退鬼士は国の役人の一つで、高給取りでもある。
才能を見込まれた子供や、家が退鬼士を生業としている子供たちが、この塾には集まってきていた。
「兄様、兄様……助けて……」
好きでこんな色合いの髪や目をしているわけじゃない。
どこにも行くところがないから、ここにいるだけだ。
兄様が、迎えに来るまで。
迎えにきてくれるまでの辛抱だから。
そう自分に言い聞かせる。
父も母も私にはいない。
物心ついた時、私はすでに一人で。
退鬼士になるのに必要な霊力が高いからと、この塾に引き取られていた。
でも、私には兄様がいる。
両親が亡くなって後、私とは別々に引き取られた、顔も知らない兄様が。
いつかかならず一緒に暮らそう。
一度だけ兄様がくれた手紙には、そう書いてあった。
「お前に兄なんているわけないだろ。拾われっこのくせに」
「鬼に家族はいないだろ」
男の子たちは口ぐちにそう言って、しゃがみこんだ私を囲みこむ。
「私は鬼じゃない! 父様も母様もいないけど、兄様は本当にいるんだよ! 手紙だってくれた! いつか必ず迎えに来てくれる!」
いつもおまもり代わりにしている手紙を取り出して、見せつける。
けれど、男の子達は私を嘲笑った。
「お前まだそれ信じてたのかよ。それさ、俺たちの悪戯だって」
騙されてるのに、可哀想な奴だと男の子達がバカにする。
男の子達はいつだって意地悪で……嫌なことばかり言う。
「違う! これは本物だよ!」
「偽物だよ。その証拠にお前の兄ちゃん、一度でも会いにきたか?」
「遠くの国にいるから会いに来れないって書いてあるもの!」
「だ・か・ら、それはお前をからかうための嘘だったんだって。大体さ、遠くの国から手紙を送ってるのに、消印がないのはおかしいだろ。気づいてるくせに、見ないふりすんなよ」
付き合ってられないと、男の子たちはわざとらしく肩をすくめる。
「本当に兄様はいるもん……」
唇をかみしめる。
誰も信じてくれなくても、たとえ消印がなくても。
兄様は――きっといる。
いるんだと、心の中で何度も繰り返す。
そうじゃないと、私は一人ぼっちだ。
それを認めるのが怖くて、暗闇の中に立ち尽くしてるみたいで。
ぎゅっと自分の体を抱きしめる。
男の子達は全員名家の子で。
年下で女の私に、成績で負けてるからおもしろくないだけだ。
だからこんなひどいことを言う。
気にしちゃダメだと、自分に言い聞かせる。
泣いたら、兄様がいないって認めたみたいだ。
だから、泣いちゃダメだ。
けど喉の奥から塊がせり上げてくるようで――。
「君たち、何やってるの?」
ふいに声がした。
軽やかな声は、男の人のものだった。
ざっと砂利を踏みつける音がして、影が私の上にかかる。
うつむいていた顔をあげれば、男の人が私を庇うように立っていた。
「女を苛めるなんて、男のすることじゃないよね。目障りだから、さっさと消えてくれないかなぁ?」
男の人の髪は、薄っすらと紫の混じる赤い色。
思わず目を奪われる。
「おい、あいつシーナと髪の色が似てるぞ!」
「なんだよ本当に兄貴がいたのか!?」
「いやそんなはずは!」
男の子達が焦りだす。
その様子を、ただ唖然と私は見ていた。
「あれ? 聞こえなかった? ボク……去れって言ったよね?」
柔らかなのに冷やかに響く声には、どこか迫力があって、男の子達がびびって逃げていく。
助かったことより、男の人のことが気になってしかたがなかった。
どうして、わたしと似た髪色をしてるのか。
なんで、助けてくれたのか。
もしかして……私の兄様じゃないのか。
聞きたいことがいっぱいあるのに、声にならない。
「ほら、泣かないの」
振り返ってしゃがんだ男の人と目が合う。
その瞳の色までも、私と似ていて。
戸惑う私なんて気にすることもなく、しかたないなぁというように、優しく立たせてくれる。
「あのね、少し前から見てたんだけど、あの子たち相手にするほど付け上がるタイプだよ? 泣いたら喜ばれるだけだから、あれくらい適当にあしらわなきゃ」
少し叱るような口調でそう言って、袖の端で私の涙を拭ってくれる。
そんなふうに気遣われたのは――初めてで。
気づけば涙が、溢れていた。
「相当な泣き虫だね。あいつらの雰囲気からして、いつものことって感じがしたんだけど……そうやって泣いてばかりいるの?」
呆れたような口調の男の人に、ふるふると首を横に振る。
兄様かもしれない男の人に、弱い妹だと幻滅されたくなかった。
「これは違う……兄様が迎えに、きてくれたのが、嬉しくて」
ぐっと男の人の服を掴んで、見上げる。
異国風の服は変わった形状をしていて、詰襟で裾がひらひらとしていた。
「ずっと、ずっと一人で、待ってた。兄様が迎えにきてくれるのを、ずっと待ってたの。その髪と目の色……私の兄様なんでしょう?」
「兄様って……ボクのこと?」
勇気を振り絞って尋ねれば、男の人は驚いた顔になった。
この人は……私の兄様じゃないんだ。
何も知らないその様子に、悲しくなって俯く。
「ふっ……えっぐ……」
一度期待してしまったから、余計に苦しくなって。
勝手に嗚咽が漏れてくる。
「なるほどね……そんなに寂しかったんだ? ごめんね、長い間一人にして」
優しい声と共に、頭を撫でられた。
見上げれば細められた赤い瞳と目が合う。
「どうしてそんな情けない顔してるの、シーナ? ボクのこと、待っててくれたんだよね?」
にこっと男の人が微笑む。
「どうして……私の名前……」
「それくらい考えたらわかるでしょ?」
思わずぞくりとするような妖艶な笑みを浮かべて、男の人がなぞなぞのように、逆に問いかけてくる。
「私の、兄様……なの?」
戸惑う私の頬を、男の人の指がなぞる。
「うん、その兄様っていうの、いいね」
うっとりとしたようすで、男の人は満足げに口にした。
「ボクね、ずっとそうやって呼ばれたかったんだ。でも――絶対それは叶わないって、諦めてた。こんなところで妹が見つかるなんて、思いもしなかったよ」
とても嬉しそうな声を出して、男の人が抱きしめてくる。
「……兄様」
「なぁに、シーナ?」
甘さを含んだ声で、男の人が答えてくれる。
「……っ。兄様、ずっと待ってた。会いたかった……会いたかったの!」
「うん、ボクも会いたかったよ」
胸の奥が震えて、その肩に顔をうずめる。
背中を優しくさすられるたびに、口から嗚咽が漏れて止まらなかった。
「ねぇ、シーナ。兄様によく顔を見せて?」
涙でぐちゃぐちゃな顔を見られるのは嫌だったけれど、私も兄様の顔をちゃんと見たかった。
だから素直に従う。
兄様はとても整った、甘い顔立ちをしていた。
「くりくりした目が可愛い。顔立ちはあまりボクと似てないね」
確かに兄様のいうとおりだ。
顔の系統がまるで違う。
それに兄様の髪も瞳もよく見れば、赤というよりも赤紫と言ったほうがいい色合いだった。
「兄様は……」
――本当に、私の兄様?
確認しようとしてやめる。
違うと、否定されるのが怖かった。
「でもこの真っ赤な瞳は父さんに、髪は母さんの色にそっくりだ」
面白いなぁというように、兄様は笑う。
肩まである私の髪を指先で弄ぶ。
「父さんと、母さん……?」
「あぁ、そうだよ。ボクたちの両親。ちなみにちゃんと生きてるからね? 兄弟もいっぱいいるよ。シーナ以外は、全員男だけど」
くすくすと兄様は楽しそうだ。
「あの、兄様……」
「ん? どうしたの、シーナ?」
おずおずと話しかければ、兄様が首を傾げる。
「兄様の……名前は?」
「ボク、名乗ってなかったっけ?」
首を横に振る。
手紙にさえ、兄様は名前を書いていてくれなかった。
「ボクの名前は、ボリスだよ。よろしくね、ボクの可愛い妹ちゃん!」
自己紹介して、ぎゅっと兄様が私を抱きしめる。
その日から、私は兄様と一緒に暮らすことになった。




