正しい対処法
門を出て直ぐの庭の中心にライトは立ち、相手を待ち構えていた。
「ねえ、ライト。本当にあの条件でいいの?」
「ええ、構いませんよ。私が勝てば、さっきの金貨一袋を貴方への報酬とし、暫く同行してもらい、情報収集や雑用に道場の人を借りることができる。負けた場合、あの金貨の袋と透明の箱は全て差し上げる。間違いありません」
暗殺者でありながら結構な金額の月謝を取り、門下生から一割の報酬を取っていると聞き、金絡みで押せば何とかなるのではないかと目論見、押し切ったライトの策が上手くいったようだ。
「そっちの条件じゃなくて、父さんとの戦いの内容よ。武器防具は何でもあり、相手が降参するか、動けなくなった時点で勝ちってルールどうすんのよ」
父親が提示したルールは公平のように見えるが、イリアンヌは父親の性格を把握しているので何か裏があると見ている。
「きっと、父さんは痺れ薬とか毒使ってくるわよ……ってああ、そっか」
「はい。私に毒や状態異常を促す薬は殆ど効果ありませんよ。それに殺したら負けですしね」
幼少の頃より母親に毒の耐性をつけさせられていた為、ライトにそういった効果の薬は殆ど効き目がない。ましてや、殺した時点で負けというルールなので強めの毒は使えない筈だ。
ちなみに、殺害を禁止というルールを付け加えたのはイリアンヌである。ライトの身を案じ――た訳ではなく、父親が死なないようにという配慮だった。
「だったら、大丈夫かな。父さんは凄腕の暗殺者だけど、冷静に判断したらライトの方が間違いなく強い。少し悔しいけどね」
暗殺者にしては過保護なところがある父親を面倒だとは思っているが、嫌っていないイリアンヌは苦笑する。
「父さんも準備ができたみたいね、じゃあ、私も離れて見ているから……あー、ええと、あのさ……頑張って」
少し顔が赤らんだ状態で走り去るイリアンヌの背にライトは「任せてください」と小さく答える。
だだっ広い庭にライトを取り囲むように、観戦者の門下生たちが並び、その人垣からイリアンヌの父親が歩み出る。
「待たせて済まなかったな。もう一度ルールの確認をするぞ。武器防具は何でもあり。相違ないな?」
「はい、間違いありません」
「今確言を取ったぞ、今更変更は効かん。じゃあ、俺の武器はこれだ」
父親が右手を上げると、周囲を取り囲んでいた門下生と講師陣が一斉に武器を構える。
ライトは微動だにせず、じっと父親の顔を見つめている。
「卑怯だと罵倒するかい? 暗殺者の下っ端は上の者の手足であり武器だ。それが暗殺者の常識。それを知らないお前さんが愚かだったのだよ。うちは暗殺だけじゃなく、諜報活動も仕事の内だぜ。お前の情報は仕入れている。毒や薬に耐性があり、体も頑強らしいな。だが、お前さんも人間だ。切られれば血も流れ、血を失えば倒れもするだろう。これだけの暗殺者相手に、どれだけ出血を抑えられるか楽しみだぜ」
小悪党のような台詞を口にして笑う姿が結構似合っている父親を、ライトは薄い笑みを張り付けたまま、冷めた目で眺めている。
父親の策はライトの弱点を的確に突いている。攻撃力が尋常ではないが、防御力に関してはそれ程、高い訳ではない。防具も頑丈な繊維で作られているとはいえ、所詮、法衣である。刃物で切れば裂け、体を傷つけられれば血も出る。痛みを感じない体であろうが、血を失えば当然、気も失う。
これが殺害も可であるなら、傷をつけられる前にライトの圧倒的な力で敵を粉砕し、相手に恐怖心を植え付け、残りの戦意を失わす事も可能なのだが。
「父さん、それはズルすぎる! 無効よこんなの!」
どう考えても無理やりすぎる詭弁にイリアンヌが憤るが、ライトは驚く素振りすら見せず、他人事のように周囲を見回している。
「いえ、何でもいいと承諾したのは私ですから。構いませんよ」
平然と構え、狼狽えた様子が全くないライトを訝しげにイリアンヌの父親が見ている。
「じゃあ、そろそろ始めようか。確か、勝負開始の合図はお前さんがするのだったよな」
「はい、それも事前に決めていたことですからね。あ、一つ忘れていました。少し待ってください」
「おいおい、往生際が悪いぜ、今更何を……お!?」
ライトは収納袋の中に腕を突っ込み、何かを探しかき回すような動作をする。腕が収納袋の中をぐるぐると二回転したところで、目当ての物を探り当て一気に引き抜く。
その手が掴んでいたのは、聖騎士の鎧には似ているが、何処か歪な形をした白銀の全身鎧だった。その鎧に見覚えのあるイリアンヌは、はっと息を呑んだ。
「それって、西で戦ったガルフォリオとかいう悪魔が着ていた鎧! あれから探しまくったのに無いと思ったら、あんたが取ったのか!」
「はい、そうですよ。捨てておくのも勿体なかったので、回収してキャサリンさんに修復と調整をしてもらいました。丁度、大きな魔石も手に入ったので」
左わき腹付近に大きな穴が開き、使い物にならなくなっていた鎧を、ギルドマスターの遺品である魔石を使い製作者の手で修復された鎧は、新品の様に磨かれて返ってきた。
「おいおい、聖騎士でもないのに鎧を着るのか?」
「今回だけとはいえ、法衣を脱ぐのに抵抗はありますが、武器防具何でもありだと仰っていたので」
法衣を脱ぎ去り、全身鎧を身に着けていくライトを父親は忌々しげに見ていた。これで、小さな傷を負わすことすら難しくなったのだが、全身を覆う鎧の重さは尋常ではない。それを日頃着なれていない者が着こなせる訳がないと、身軽なことを生かし速度で翻弄する作戦に切り替える。
「大変、お待たせしました。では、勝負開始と参りましょうか」
ライトの開始の合図をかわきりに、まず暗殺者側が遠距離から攻撃を放つ。その鎧の強度と関節部分を狙った投擲なのだが、その全てが棒立ちのライトに弾かれてしまう。
壊すどころか傷一つ付いていない鎧の強度に暗殺者たちは驚愕するが、感情を押し殺し戦闘に集中する。
「凄いですねこの鎧。本当に硬いですよこれ。いやー、対戦していた時は厄介でしたが、自分で使うとなると頼もしいですね」
肩をぐるぐると回し、動きを確かめているライトは感嘆の声を漏らす。
その後も、遠距離攻撃が続いたのだがその全てを鎧で受けきり、暗殺者たちは武器を接近戦用に持ち替える。
「うーん、やはり動き辛いですね。普通の鎧に比べたらかなり楽なのでしょうが、法衣に慣れていると、どうしても些細な部分の引っかかりが気になります」
ぶつぶつと感想を呟いているライトへ、至近距離まで跳び込んできた四人の暗殺者が四方から短剣を突き出す。その狙いは関節部へ集中していた。
狙われている部分がわかりきっている攻撃など、ライトに通用する訳もなく、軽く振られた腕に武器が弾かれ、威力を落した蹴りが相手の脚を刈る。
背後を除く、右、前方、左の暗殺者たちの脚が払われ、まるで手足を風車の羽に見立てた様に体が横回転しながら、前方へと吹き飛ぶ。そのまま、後方に控えていた仲間へとぶつかり、蹴られた本人と巻き込まれた数人が再起不能になる。
「あー、力加減を間違えましたか。済みませんが、殺したら負けなのであまり耐久力のない方は近寄らないでもらえますか?」
角の様な形をした歪な兜からくぐもった声が聞こえるが、相手はそれどころではなく、吹き飛ばされた者への救済に回っていた。
「おいおい、何だお前……本当に聖職者、いや、人間か?」
「何故か対戦される方が皆、そんなことを言うのですが、ごく普通の一般的な聖職者ですよ」
「お前が一般的なら、この世界は一晩で聖職者に征服されるぜ」
ライトを除いた全員が同意を示し、激しく頭を振っている。一番、大きく何度も振っているのがイリアンヌだということが、納得いかないライトだった。
「やはり手加減が難しいですね。あまり硬くない武器で対応しますよ」
収納袋の中から次に取り出したのは、罠解除に利用した丸太だった。その丸太に指を突き刺し片手に一本ずつ構える。試しに、数回素振りをすると、庭の砂塵を巻き上げ、轟々と風の鳴る音がする。
ライトを囲む円の内側に立っていた暗殺者の髪が、素振りの風圧で後ろに流れる。
「これなら、少々強く殴っても死にはしないでしょう。では、皆さん順番を守ってどうぞ」
鋭い棘の生えた全身鎧に守られ、両手には巨大な丸太。それを軽々と操るライトに挑む勇気がある者はいないようで、譲り合いが始まっている。
「お、お前行けよ」
「馬鹿言うな! あんなのどうやって倒すんだよ! あ、教官、ああいった敵の倒し方の見本をお願いします!」
「無茶を言うな。人殺しの技は教えられるが、あれは無理だ」
門下生や講師陣さえ戦いを挑もうとせず、遠巻きにライトを見つめるしかできないでいる。イリアンヌの父親が檄を飛ばそうとするが、自分ですら勝てると思えない相手に挑ますのは無謀すぎると諦める。
「魔王に挑む勇者ってのはこんな気持ちなのかね」
「あなた、最後までお供します」
「すまねえな。こんな俺に付き合わせちまって」
命を捨てる覚悟で強大な敵に立ち向かう冒険者のような台詞を吐き、夫婦は顔を見合わせ頷くと同時に左右から切りかかる。
結果、夫婦そろって丸太と抱き合う羽目になった。
丸太と激突し気を失った夫婦を丸太ごと地面に寝かせると、ライトは残りの面々へ兜越しの視線を向ける。
「さて、まだやるなら、とことん付き合いますが……どうしますか?」
全員一致で武器を手放し、この戦いの幕は呆気なく下りた。
「かーっ、参った参った! やるじゃねえか、ライトアンロックさんよ」
「本当に素晴らしいですわ。ささ、もう一献」
意識を取り戻したイリアンヌの両親は手の平を返し、宴の準備を始めると、ライトの同意も得ずに屋敷の大広間に連れていかれた。
長い巨大なテーブルの真ん中に問答無用で座らされ、次々と料理が運ばれてくる。
父親が左の席に、母親が右の席に陣取り、イリアンヌはライトの対面の席に仏頂面で座っている。
「あの、さっきから料理や飲み物から薬物の味がするのは突っ込んでいいのでしょうか」
食事から微かに漂う香りや、口内に広がる独特の酸味が昔懐かしい母の味を思い出させる。毒物から母の味を連想するのはどうなのだろうか。でも、毎日微量ながら毒物を混入されていたのだからしょうがないと、自問自答するライトだった。
「いやー悪い悪い。本当に毒物効かないようだな。毒に頼らないで良かったぜ」
「そうね、お父さん。でも良かったわ。こうやって娘が立派な男性を連れてきてくれて。これで我が一族も安泰ね」
「な、な、何言ってるの母さん! そもそも、うちは暗殺者を引退しないと恋人を作るのも結婚するのも禁止って決まりでしょ!」
テーブルに両手を叩きつけ、身を乗り出し文句を口にする娘から両親は目を逸らし、小声で話し合っている。
「どうしよう母さん。娘が、あの話を真に受けているよ。まさか、この歳まで言いつけを守るとは」
「父さんが、悪い虫がつかないように嘘ついたのでしょ。そのせいでこのままでは、行き遅れそうなのだから、ちゃんと謝りなさい」
「でも、普通気づくだろ。姉たちはみんな二十代前半か十代で結婚しているのだから」
「それもそうなんだけど、昔からこの子は抜けているところがあったから。やはりここは、ライトアンロックさんに押し付け……もとい、責任を取ってもらわないと」
暗殺者特有の話す者同士がぎりぎり聞こえる声量で会話をしているのだが、神聴の所有者であるイリアンヌの耳は鮮明にその声を捉えていた。
「えっ、嘘だったの! そんな、信じて頑なに守っていたのに! どうしよう……私、この歳で恋愛経験もないのに!」
「じゃあ、貴方が一番親しくしている誰かさんに、付き合ってもらうしかないわね!」
「アアソウダナ」
身振り手振りを交えた、大げさな芝居がかった動作と口調で三人は話し合う。
そんなことを大声で暴露されても、とライトは困り顔で親子の会話風景を眺めている。
イナドナミカイ教が浸透しているこの国において、女性は結婚するまでは一人の相手に対して愛を貫き、恋人であろうと体を開くことなく、結婚するまで純潔を守り通すというのが一般的な常識となっている。
だが、それは表面上の建前であり、普通は何度も恋愛をし、そういった関係になることが普通だった。
イリアンヌは特殊な環境で育ち、両親の言いつけを正す人もいなかったので、それを真に受けてしまい今に至ってしまう。
何故か、チラチラっとイリアンヌと両親がライトへ視線を向けてくるが、ライトは気付かない振りを続け、毒物のスパイスが効いた食事を黙々と平らげている。
「さてと、食事もいただいたことですし、そろそろ、誓約について話しませんか」
ライトがそう切り出すと「「「ちっ」」」という三人の舌打ちが聞こえた気がしたが、それもあえて無視する。
「そうだな。そろそろ真面目に話をするか。負けを潔く認め、我ら紅蓮流一同は貴方に従います。何なりとご命令を」
両親は椅子から立ち上がると、その場に膝をつき首を垂れる。料理を運んできていた使用人も揃って、同じ姿勢になり主に従う者のように、ライトの指示を待っている。
「そんな大げさにしないでください。私はお金を払い依頼を受けてもらう。貴方たちは依頼をこなす。これでいいじゃないですか。私は人の上に立つような人格者ではありませんよ」
そういった事が面倒で、教団との接点をできるだけ減らしているライトは、教団以外でこれ以上、厄介事を増やす気にはなれなかった。
「そうですか……じゃあ、やめるか! やっぱ、一度はこういうのしてみたかったんだが、柄じゃねえな。はははははははっ」
ころっと態度を変え再び椅子に座り、何が楽しいのか、ライトの背をバンバン叩いて笑い声を上げている。使用人も何事もなかったかのように立ち上がると、料理を片付け始め部屋から立ち去っていく。
「では、我々に頼みたいこととは何なのでしょうか」
父親と会話する時とはまるで違う、無表情な顔をライトに近づけ母親が質問してくる。
「まずは、質問なのですが。今の状況どれぐらい把握していますか」
両親は目配せをすると軽く頷き、声に出さずに意思の疎通をする。
表情が豊かだった父親が感情を殺し、如何にも暗殺者のような気配を漂わせる。
「悪魔が邪神復活を目論んでいて、大神殿の地下から飛び出したのが邪神の体だって話らしいな」
この国の暗部に多く潜り込んでいる門下生からの情報が逐一伝わってきているようで、国の上層部しか知り得ない情報を両親は掴んでいるようだ。
「その通りです。我々の経験してきた詳しい情報は後程、イリアンヌさんから説明しておいてください」
ライトに視線を向けられイリアンヌが頭を縦に振る。
「邪神の体は残すところ、あと二つとなっています。一つは、死者の街跡地にある永遠の迷宮最下層。そして、もう一つはおそらく――虚無の大穴です」
虚無の大穴。その名を聞いた両親とイリアンヌが表情を変える。
今まで明らかになっていなかった、最後の欠片が何処にあるのか、それは謎とされていたのだが、ライトは虚無の大穴が一番怪しいと思っている。
「生前、ギルドマスターにも伝え、腕利きに調べさせているらしいのですが、皆さんにも虚無の大穴に向かってもらい情報収集をお願いします。邪神の欠片が眠っているという、確証があるわけではないので、無駄足になるかもしれませんがご了承ください。そして、万が一、私の悪い勘が当たった場合、そこで働いている人々の避難誘導をしてもらいたいのです」
今や観光地となっている虚無の大穴には、数百人の商人と従業員、そして観光客がいる。ライトは人道的な意味合いだけで救助を願ったのではない。人が死ぬことにより、邪神へと魔力が吸収されるのを少しでも避けたい。何度も同じ轍を踏まされ続けているライトの些細な抵抗でもある。
「了承した。虚無の大穴には俺たちも向かおう。構わないかい、母さん」
「勿論です。何だか、夫婦水入らずの旅行みたいですね」
「おいおい、部下も連れていくのだから、二人っきりじゃないんだぞ。俺も残念だがな」
「わかっていますよ。でも、怪しまれないように仲のいい夫婦を演じるのは、ありじゃないですか」
「それは無理だろ……本当に仲がいいのに、振りなんてできない」
「もう、あなたってば」
子供と客人であるライトがいるというのに、目の前でいちゃつき始めた両親を見てイリアンヌがため息を吐いている。どうやら、見慣れた光景のようだ。
性格はともあれ、腕利きの暗殺者とその配下という頼れる味方を手に入れ、情報収集に関しては問題が無くなった。これで、イリアンヌを情報収集以外で頼ることができるようになる。
行動の幅が広がりライトは次の策を練ろうとするが、今日のところはこれ以上考えるのを止めることにした。
「今日から、せめて二日。誰にも邪魔されずにだらだら過ごしますよ」
書類と向かい合う日々で、日ごろ使わない頭をフル回転させ精神的に疲れ切っていたライトは、今度こそ休もうと独り言を呟いた。