食事
ギルドマスターの現役時代を知る者は皆、口を揃えてこう言う。
「あいつは世界最強の女だ」
それを証明するかのように、彼女には数多くの武勇伝が残されている。
神々の戦いを生き残った古代竜に単独で乗り込み、素手で鋼よりも硬い鱗を打ち砕き、死闘の末その首を引き千切った。
呪いにより雨が降り続ける土地で、拳を天へと振り上げ空を真っ二つに割り、雨雲を掻き消した。
その強さと類い稀な美貌を目当てにすり寄ってくる男の相手をするのが面倒になり、自分を倒した者と結婚すると言い放ち、一か月かけて自分を賞品とした戦いを繰り広げ、その全てを撃退し今も独身を貫いている。
等、嘘のような本当の話が数え切れない程、人々の間に伝えられている、生きる武神。それがギルドマスターだった。
現役から離れていたとはいえ、その腕は衰えることを知らず、技に関してならば未だに日々進化していると言われていた。
ギルドマスターが参戦するとの情報が流れた途端、兵士や冒険者の士気が上がり、恐怖に震えていた新米兵士の顔にも生気が戻る。彼女のカリスマ性は将軍や王を遥かに上回っている。
「まさか、ギルドマスターが」
無数の屍が転がる戦場で、ライトは腹を貫かれ血を垂れ流し続ける、ギルドマスターの物言わぬ躯を凝視している。
箱から飛び出した他の面子も目の前の光景が信じられないようで、何度も瞼を瞬かせているが現実が変わることはない。
「ほう、援軍が来たのか。ちいとばっかし、遅かったようだな」
見事な灰色のたてがみを備えた獅子の顔を持つ獣人型悪魔が、ニヤリと牙を剥き出し野蛮に笑う。体にはサイズが間違っているとしか思えない、今にも弾け飛びそうな燕尾服を無理やり着込んでいる。
「そのようですね」
体が完全復活したライトは、収納袋から相棒の巨大メイスを取り出すと、胸の前に突き出すようにして構える。
『な、どうなっていやがる! あれは、ギルマスかっ! まさかババアが殺られたのか!』
収納袋内に収められていたので、状況が理解できないエクスが喚き立てる。メイス内にいるその他の仲間も同様に驚きの声を上げているようだ。
「詳しい説明は省きますが、現在東の戦場です。状況は見ての通りですよ」
身長が三メートルを超える獣人姿の男を中心として、その周辺には見渡す限りの大地を埋め尽くす数の屍が転がり、闇属性の魔物が死体を貪っている。
死体の大半は人間で、魔物の死骸も幾つかあったようなのだが、仲間であるはずの獣型の魔物が殆ど平らげてしまったようだ。
国の兵士は全滅したわけではなく、一時撤退し戦場から離れ、遥か後方の門の前で陣取っている。
「この国の兵士は歯ごたえが無い。まあ、これだけは別格だったがな。ギルドマスターだったか、こいつは久々に楽しめた。おい、処理をして収納箱に放り込んでおけ」
獅子の獣人型悪魔がギルドマスターの死体を無造作に投げ捨てると、後方に控えていた二体のワニと凛々しいカバの顔を持つ獣人が、恭しく頭を下げ死体へ歩み寄り、ギルドマスターの衣服を脱がしてく。
「おい、てめえ、何やってんだ……ギルマスに何やってんだっ!」
いきり立つファイリが飛び出そうとするのを、ライトが腕を上げ制す。
怒りで我を失いかけていたファイリはライトをきつく睨みつけるが、表情がすっと消えたライトの顔を見て言葉を失う。
「貴方は、ギルドマスターの遺体をどうしようというのですか」
冷たく、感情のない声がライトの口から漏れる。
ライトを良く知っている仲間たちが、いつもと違う雰囲気に息を呑む。
「ん? んなもん、食うに決まっているだろ」
当たり前のことを聞くなと言いたげに半眼でライトを睨みつけると、頭から飛び出ている二本の角の右側を鋭く尖った爪で掻いている。
「人を食うというのか」
「何驚いているんだ? てめえも悪魔……いや、魔族か。てめえら一族も味方の魔力吸って強化するんだろ。何が違う。人間だってそうだ。魔物を殺して食うじゃねえか。てめえはやっておいて、自分たちがされる立場になったら文句を言うってか」
わざとらしく肩をすくめ鼻から息を吐くと、憐れんだ視線を向けてくる。
相手の言い分を聞き、咄嗟に言い返すことが出来ない一同だったが、ライトだけはその言葉に何も感じることなく、一歩更に前へと踏み出す。
「確かに仰る通りかもしれません。ですが、仲間を殺され食われそうになっているのを見て、憤るのは人も魔物も同じでしょう。返してもらいますよ、ギルドマスターを」
ライトは黙々と歩み続ける。後方でライトに制止を促す声が聞こえるが無視をする。
「まあ、そうかもしれん。だが、大事な食料をみすみす渡すわけにはいかんことも、わかるよな。こいつらみたいに、服ごと噛り付いたりしねえぜ? ちゃんと綺麗に洗って、皮を剥いで、肉と骨と内臓を切り分け調理した後に、余すところなく美味しく頂いてやるのが、殺した者の責任ってもんだろうよ。ちいと歳はくっているが、身も引き締まった最高のご馳走だ。てめえに分けてやる義理はねえな」
自分の発言が相手の神経を逆なですることを理解したうえで、獣人型悪魔はわざと挑発している。武器を一切所持せず、無手の状態で腕を組み、近づいてくるライトを楽しそうに見下ろしている。
ライトは巨大なメイスを所持しているので、それなりにリーチはあるが、獣人型悪魔の三メートル近い身長から伸びた手足は長く、間合いに差はそれ程ないだろう。
『上半身強化』『下半身強化』
金色の光を全身から吹き出させ、無防備とも呼べる状態で真っ直ぐに悪魔へと進むライト。その姿に獣人型悪魔は目を細めると、口元を嬉しそうに歪める。
「てめえら、手出しは無用だ。暇なら、こいつ以外と遊んでおけ。こいつは俺の獲物だ」
獣人型悪魔は舌なめずりをして、配下のワニ、カバ型悪魔と周辺で食事を楽しんでいた魔物たちへ指示を出した。
指示を聞いた魔物たちは食うのを止め、口元から血を滴らせながらファイリたちを取り囲む。
「おい、てめえ、ライトアンロックで間違いないか」
「そうですが何か」
「やっぱそうか! ならば、名乗らせてもらおう。俺の名はザリーフォン。てめえの噂は聞いているぜ。数々の上位悪魔を撃退してきたそうだな。あの双子と陰険なやつも死んだって言うじゃねえか! すっとしたぜ。いずれ俺が殺すつもりだったが、それは、まあいい」
話など殆ど聞いていないライトは黙々と歩き続け距離を縮めると、メイスが届く範囲にまで接近して、ザリーフォンを見上げる。
「聖職者にしておくには勿体ない、いい目つきをしているじゃねえか。多くの死を見てきた冷たい眼光してやがる」
ライトは右手で握りしめていたメイスの先端を地面に落とす。先端の鉄塊が地面にめり込み、柄が夜空へと向く。
「おい、何のつもりだ。あの婆さん確か格闘家の頂点に立つ女だったんだよな? それを素手の勝負で打ち負かした俺に、武器を使わねえだと。てめえ、正気か?」
「どうでしょうか。最近自分でも疑問に思うことがあります」
「舐められたもんだ。しゃあねえな、てめえが本気になるまで、俺も半分程度の力で対応してやるよ」
余裕の笑みを浮かべるザリーフォンの顔に一瞬だけ視線を向けるが、興味がないようで更に二歩踏み込み、お互いが素手でも届く間合いへ侵入する。両者が睨み合い、その状態でただ時だけが流れていく。
周囲では無数の魔物と獣人型悪魔二体を相手に、ライトの仲間たちの激しい戦いが始まっており、ライトの戦いを注視する余裕がない。
黒鎖により首を刎ねられた魔物の頭が、ライトとザリーフォンの眼前を通り過ぎようとしたタイミングで、両者が動く。
ザリーフォンは腕組みを解くことなく右足を振り上げ、ライトの顎を蹴り砕こうとしたが、ライトは避けることも捌くこともせず、両手の指を絡ませ強く握りしめると、その足へ振り下ろした。
「なっ!」
全力で振り下ろされた手甲に包まれた手と、様子見で放たれた燕尾服の布一枚でしか守られていない脚がぶつかり、ザリーフォンの脚は本来向いてはいけない方向へと折れ曲がる。
「てめえっ!」
ライトは相手が組んでいた腕を離すより早く、体を支えているもう一本の脚を狙い、前蹴りを叩き込む。
膝小僧に脚甲の踵がめり込み、巨体を支えていた軸足の関節が無残に破壊される。
両足を破壊され大地に両膝を突き、上半身が前のめりに倒れ込むのを両手で何とか支える。
このままではやばいと判断したザリーフォンは腕を曲げ、腕立て伏せの要領で勢いよく体を仰け反らせ、腕の力だけで後方へ飛ぼうとするが、
『動くな』
体の芯に沁み込むような冷たい声に反応し、腕が曲がったまま伸びることなく停止してしまう。
気合で何とか頭を動かし、地面に向いていた顔を正面へと向けると、そこには白く輝く巨大な鉄塊があった。
爆発音が戦場に鳴り響き、周囲で戦っていた者たちが一斉に爆心地へ顔を向ける。
砂塵が吹き荒れ、視界が砂で埋まり何も見ることができないどころか、押し寄せてくる爆風に耐えるので精一杯だった。
弱い魔物たちは吹き飛ばされ宙を舞い、ファイリは聖域で凌ぎ、近くにいたイリアンヌとメイド長もその中に逃げ込んでいる。
ロッディゲルスは黒鎖を地面へ突き刺して体を固定し、シェイコムは大楯を地面に深々と刺し、盾の陰に隠れ何とか耐えているようだ。
風が収まった戦場には、ライトの仲間と二体の獣人型悪魔が残るのみで、他の魔物は攻撃の余波に耐えきれず吹き飛び、多大なダメージを負っている。
残った獣人型悪魔を警戒しつつ、仲間たちは爆心地へ視線を向ける。
円形に抉れた大地の中心にメイスを振り切った体勢のライトがいて、少し離れた場所に首を仰け反らした格好のザリーフォンがいた。
「あれを凌ぎますか」
「ギリギリもいいところだがな」
口の端から煙を立ち昇らせ、ザリーフォンは口元を歪める。
メイスが顔面に迫った瞬間、回避を諦め口から高威力の魔力砲を放ち、何とか相殺して今に至る。まさに紙一重の攻防だった。
「奥の手である獅子咬破を使う羽目になるとはな。しかし、婆さんと戦った疲労が思っていた以上に残っていたようだ。まさか、ここまで追い込まれるとは正直驚いているぞ」
言い訳のようにも聞こえるが、それが事実であることをライトは良く知っている。ギルドマスターに教えを乞うた過去に、何度も言い聞かされてきた言葉が脳裏に浮かぶ。
「ライトよ。強者との戦いは目に見える傷だけではなく、疲労に気を付けろ。強者との戦いは鍛錬とは全く違う。練習と全く同じ動きをしたとしても、実戦で、それも相手が強者となれば一手一手で精神が削られ疲労は蓄積されていく。それを当人が自覚しない内に畳み掛けるのも立派な戦術だ。覚えておけ」
練習着が泥と汗にまみれ、ボロ雑巾のような姿のライトを見て、悪戯っ子の様に楽しそうに笑うギルドマスターの顔が思い出される。
見てわかる怪我はないようだが、ギルドマスターとの戦いが終わったばかりの状態で疲労していない訳がないと、休む暇を与えず連撃を叩き込んだのが功を奏し、後一歩のところまで追い詰めることができた。
「まあ、ここで無駄話をして貴方の回復を待つつもりはありませんので」
圧倒的に有利な状況が変わったわけではなく、一時的に攻撃を回避できただけのザリーフォンに勝機は無いように見えた。
「ったく、せっかちな人間だぜ。おい、お前ら来い!」
ファイリたちの相手をしていたワニとカバの獣人型悪魔が、ファイリの神眼を以てして何とか追うことができる俊敏な動きで、瞬時にザリーフォンの隣へ移動する。
「何だ、今の動き! 実力隠していやがったのか」
自分たちと戦っていた時とは比べ物にならない速さで動いた獣人型悪魔二体を、ファイリは神眼で改めて注視する。
内包されている魔力量のみで判断するならAランク上位に匹敵する。だが、今の動きを見る限りSランクに届いていると見た方が良さそうだと、ファイリは相手への認識を訂正した。
大地に胡坐をかいているザリーフォンを庇うように、二体の獣人型悪魔が立ち並ぶ。
「おう、済まねえな。ちいとばっかし、厄介な状況になっちまってな。悪いがてめえら――喰わせてもらうぞ」
ザリーフォンはそう言うと背を向けている二体の背中に手刀を突き刺し、貫通した指が胸の中心部から飛び出す。二体の獣人型悪魔は抵抗を一切見せず、攻撃を受け入れ闇の粒子と化した。
その粒子が大きく開かれたザリーフォンの口内へと吸い込まれていく。
どう見ても碌な結果にならないと判断したライトが、『聖光弾』を素早く発生させ投げ込む。
闇の粒子を飲み込み終えたザリーフォンは満足そうに口元を拭うと、迫りくる聖光弾に対し、再び大きく口を開け光の弾に噛みつくと、そのまま飲み干した。
「くはーっ! 聖属性はこの刺激的な喉越しがたまんないぜ。げふっ」
ゲップをして立ち上がったザリーフォンは、足の怪我など始めから存在していなかったかのように爪先で地面を小突き、脚の感覚を確かめているようだ。
「味方の命を喰らい、魔法まで飲み込みますか」
「俺にとっちゃ、この世界の物は全て食いもんだ。闇の贈り物『悪食』に食えねえ物はあんまねえぜ」
「悪食……初めて聞く贈り物ですね」
ライトは仲間の誰かが知っているかと後方に振り向いたが、誰もが首を左右に振り知る者はいなかった。
「だろうな。邪神からのみ与えられる贈り物だ。口にしたものを全て己の力に変換し、強化されていく夢のような力だぜ。今は非常時だから、あいつらの魔力を強引に喰らっちまったが、本当は調理して、全て喰らった方が効果はたけえんだがな」
舌なめずりをしてライトたちを見るザリーフォンの目には、貴重な食材として映っているのだろう。
「さて、困りましたね。問題は何をどこまで食べられるかというところですが。魔法も食べられるのが厄介すぎますよ」
「ライトそれは考えすぎだろ。何でも食えたとしても、あいつの口は一個しかねえんだぜ? なら答えは簡単だ『聖滅弾』」
「そうだな『黒鎖』」
ファイリの両手から二十もの光の弾丸が発射され、ザリーフォンの側面に回り込んだロッディゲルスは十の鎖を操り、同じタイミングで当たるように攻撃の速度を調整する。
ザリーフォンを取り囲むように全て方角から光と闇の魔法が同時に迫り、逃げ場など何処にもなく、空間を埋め尽くした光と闇が着弾する。
ライトの前で活躍できたことを自慢するかのように、決め顔を向けるファイリとロッディゲルスだったが、着弾地点から視線を外さず、鋭い目つきをしているライトの表情を見て、慌てて顔を戻す。
そこには、上半身の衣類は吹き飛んでいるが、素肌には一切の怪我もなく雄々しく立っているザリーフォンの姿があった。
「「「「「中々の美味だったぞ。あいつらと今の攻撃で完全に傷は癒えた。ご馳走してもらって悪かったな」」」」」
何人ものザリーフォンが同時に話したかのように声が重なって響いてくる。
その違和感に目を凝らしてその姿をまじまじと見つめるライトたちは、違和感の正体に気づき思わず息を呑む。
「「「「「喰らったものは全て俺の力になるといっただろ。好き嫌いなく骨も歯も残さず食べているお蔭でな、こうやって全身に口を出すことも可能なんだよ。ちいと硬いが歯は咬み応えがあって、骨より濃い味がして珍味だぜ」」」」」
ザリーフォンの全身には様々な種類の口が浮き出ている。人の唇から、動物、魔物。無数の形が異なる口が、ザリーフォンの話に合わせ同時に口を動かしている。
魔法が吸収され相手が完全復活したことを告げられ、ライトたちはファイリとロッディゲルスに視線を飛ばすが、二人は瞬時に夜空へ視線を向け誰とも視線を合わせようとしない。
「取り敢えず遠距離からの魔法攻撃は控えた方が良さそうですね。後は、硬い物は何処まで食べられるかですが……試しにイリアンヌの短剣、あの口に放り込んできてください」
「嫌よ! これは私の物よ! 万が一にでもなくなったらどうしてくれるのよ。あんたのメイスで試したらいいじゃないの!」
いきなり話を振られたイリアンヌが激しく拒絶している。
「お断りです。私の大事な相棒が齧られたら、暫く立ち直れなくなる自信があります。イリアンヌ。人の嫌がることをしてはいけないと、幼少時に習いませんでしたか?」
「あんたが言うな! あんたが!」
「「「「「おい、いい加減にしろ。攻撃してもいいのか」」」」」
大声を張り上げ合いの手を入れるイリアンヌと、それを軽く受け流しているライトのやり取りを黙って眺めていたザリーフォンが痺れを切らし、声を掛けてきた。
不意を突いて仕掛ければいいものを、律儀に待っていたようでゆっくりとライトに歩み寄ってくる。
全身に浮かぶ口が意味もなく何度も口を開閉させ、カチカチと歯の鳴る音が耳に残る。
異形の化け物を見続けてきたライトが見た目で委縮することはないのだが、その体から溢れ出る威圧感に晒され、額から流れ落ちる汗を拭う余裕もなく相手を見据えた。




