もう一つの可能性
イミャルの攻撃は激しさを増し、支援魔法を掛けられたシェイコムを前衛に、何とか耐えている。サンクロスは味方の一人に引きずられ、少し離れた場所で治癒を受けている。
周囲の精鋭部隊は、弱体化したとはいえ圧倒的に数が上回る魔物たちを駆除するのに必死でファイリたちの援護に回る余裕などない。ファイリたちの邪魔にならぬよう魔物を排除し、思う存分戦える場を提供するので精一杯だった。
「ファイリ様、私が死んだら本棚の一番下の右から二冊目、人のからかい方全集に挟まっている日記を、処分していただけますでしょうか」
メイド長は上空から豪雨のように降り注ぐ髪の毛を、最小限の動きで躱している。まるで遺言のような事を口にしているが、その動きにはまだ余裕があるように見える。
「その日記も気にはなるが、日記よりも、その本を燃やしたくて仕方ないんだが」
ファイリは永遠の迷宮で鍛え上げられた肉体の能力を十分過ぎるほど生かし、無数の髪の毛を踊るように跳んで躱す。神眼で事前に来る場所を予想し、攻撃が届く数秒前には避け終わっている。
「シェイコム、まだ耐えられそうか!」
「はい、全然余裕です!」
ファイリが声を掛けると、シェイコムは盾で攻撃を防いだまま振り向いて、元気に平然と答える。それは無理をしている感じではなく、本当に全く堪えていない様に見えた。
「鎧も盾もボロボロだというのに、シェイコムに大きな怪我はないよう見える。神体の頑丈さは予想以上だな。だからこそ、勿体ないとも言えるのだが」
「そうですね。ですが、ライト様は決して、それを望みませんよ」
「わかっている……わかっているさ。っと『聖光流滅』」
先端が錐の様に束ねられた髪が話を遮るように飛び込んでくるのを、ファイリは横目で確認すると得意魔法で相殺する。
「こちらは防御には優れていますが、これといって決め手に欠けています。これではジリ貧ですね。こちらの魔力が尽きた時が終焉の様です」
相手の魔力は勢いよく吹き出し続け、減る気配が一向にない状態で持久戦は無謀すぎる。それはメイド長に言われるまでもなく、ファイリも理解している。
だが、守りを疎かにして攻めに転じたところで、攻め切ることが出来ず、こちらが壊滅するのは火を見るよりも明らかだ。
つまり、手詰まりであった。
「あと二人、いや一人でもいいから、同程度の攻め手が欲しい……ライト」
未だに戦い続けているだろう、来る筈もない男の名を――ファイリは無意識の内に呟いていた。
「北西の方角から何者かが、こちらに向かってきています!」
周りで魔物を抑えていた聖騎士と魔物の間をすり抜け、飛び込んできたメイドの一人が慌てた様子で報告する。
ファイリはその報告を聞き、一瞬ライトの顔が頭に浮かぶが、タイミングが出来過ぎていると願望を頭から振り払う。
「それだけではわかりません。敵なのですか味方なのですか」
メイド長の指摘を受け、荒い息を整えたメイドは情報を伝える。
「敵を蹴散らしこちらへ向かっているので味方だとは思うのですが……」
「どうしたのですか、続けなさい」
何かを言い淀みはっきりしない態度のメイドを促す。
「それが、馬に乗っていまして。かなり距離があったので正確な情報とは言い切れないのです。かなり巨大なワイルドホース一騎の背に二人の女性が」
人の手により育て上げられたワイルドホースを騎馬や馬車馬として利用するというのは、珍しい事ではない。だが、ライトが来たのかと期待したファイリにとってそれは、素直に喜べる情報ではなかった。
「女性二人ということは、ロッディとイリアンヌの可能性が高いな。よっし! あと少し耐えれば頼もしい仲間が来る! それまで意地でも凌いでみせるぞ!」
大声を張り上げ味方を鼓舞すると、戦闘に集中する。
ライトの事が気にはなったが、心配よりも信頼が勝り、どうせ定番の神力開放後の休憩中に違いないと頭を切り替える。
神眼で確かめようにも、イミャルから目を離すのは自殺行為にも等しい愚行。安心して気を緩めた時が一番危険なのはファイリも承知している。
「凄まじい速度で迫っています! もう少しでこちらに到着するようです!」
二人目のメイドが叫ぶように状況を伝えると、ファイリの耳に地響きにも似た馬蹄の踏みしめる音が届く。
北西――ファイリから見て右後方の魔物が吹き飛び、巨大な影がファイリの体を覆う。
「来たか、ロッディ、イリアンヌ」
振り返ることなく、確信をもって後方にいるであろう二人に声を掛ける。
「間に合ったか。ここまで二時間と少し、思ったより早くて助かったぞ、ナイトシェイド号」
「神速温存できたのは大きいわね。ファイリ元気してた?」
思った通りの声にファイリは安心と共に、少しの失望感を覚える。
「無事で何よりですよ、ファイリ」
続いて聞こえてきた、予想外でありながらも期待通りの声に、思わずファイリは振り向いてしまう。
そこには、優しい笑みを浮かべたライトが、ナイトシェイド号と呼ばれたワイルドホースの背に――うつ伏せ状態で括り付けられている姿があった。そのライトの背にロッディゲルスとイリアンヌの二人が跨っている。
ライトが助けに来てくれたという喜びは一瞬にして吹き飛び、ファイリは半眼の冷めた視線をライトに突き刺している。
「……二人の尻に敷かれて、何やってんだ?」
「これには深い理由がありまして。詳しい話は後程。私は戦力にはなりませんので、ナイトシェイド君と後方に控えていますよ。お二人頼みます」
「了解した。ライトは回復に努めるがいい」
「ほいほい。まっかせなさい」
先にライトの背から飛び降りたロッディゲルスは、挨拶代りの『黒鎖』をイミャルに向かって放つ。黒鎖と同じ太さの三つ編み状に編み込まれた髪が正面からぶつかり、空中でせめぎ合う。
力が拮抗しているようで、押し込まれては押し返すを繰り返している。
続いて飛び降りたイリアンヌが『神速』を発動させ、瞬き一つする間に、イミャルの右側面に回り込む。
「死角を狙うのは基本よね」
そのまま首筋に剣先を突き刺そうとするが、髪の数十本が即座に反応して刃を弾き、防御に回らなかった髪が左右からイリアンヌを挟み込むように伸びてくる。もう片方の短剣で髪を捌きながら後方へ滑るように退避すると、距離を空ける。
「シェイコム。良く踏ん張ってくれた。あとは俺たち三人に任せてくれ。代わりに動けないライトを守ってもらえるか。メイド長も下がってくれ」
「はい! 了解しました!」
「承知しました」
ロッディゲルスの黒鎖とイリアンヌの牽制により、狙われることなくライトの元まで無事にシェイコムとメイド長は下がることができた。
「ライトさん、大丈夫でありますか!」
「はい、反動で暫く動けませんが、体に問題はありませんよ。シェイコム君、皆を守っていただき、本当にありがとうございます」
「はい! 頑張りました!」
謙遜する訳でもなく、満面の笑みで返すシェイコムをライトは微笑ましく思う。
馬の背に縛り付けられたままのライトの傍にメイド長が並び立つと、すっとライトの耳元に口を近づける。
「ライト様。助けに来てくださると、信じていましたわ」
「こんな格好ですけどね。彼女たちが間に合ってよかったですよ本当に」
「こちらのご立派なお馬さんはどうしたのですか?」
「神力の反動で動くことすらできなくなり、どうしようかと悩んでいた時に、以前お世話になったマースさんがナイトシェイドで駆けつけてくれまして。私が落ちない様に括り付けられて、こうなりました」
両親を失い生活に困窮していたマースに首都での仕事を紹介したのが、思わぬところで役に立ったようだ。
ただ、物事に動じないライトでもこの状態には思うところがあるらしく、力なく笑っている。
「そんなお姿になってでも駆けつけてくださった……それだけで充分です。もう少し感動の再会を楽しみたいところですが、この様な状況ですので。ライト様、反動が消え動けるようになるのは何時頃になりそうですか」
何とか動く首を傾け、ライトは体の感覚とここまでの時間をざっと計算し見当をつける。
「向こうで戦闘後少し休憩して、直ぐにこちらに向かったので二時間半が経過したというところでしょうか。体感では半分以上は回復が終了しているようですので、あと一時間から二時間でしょう」
神力開放後に倒れるを何度も繰り返してきた御蔭と言うべきか、どれぐらいで復帰できるのか何となく感覚でわかるようになってきている。
ここでの戦いには回復が間に合いそうにないと、ライトは戦況を見守るしかない歯がゆさに、そっと唇を噛みしめている。
「このように無力な身ですが、少しでも役に立つ策が思い浮かぶかもしれません。どんなに細かい事でも構いませんので相手の情報や、これまでの経緯を教えてもらえませんか」
馬に縛られているという間抜けな体勢ではあるが、ライトの顔は何時になく真剣だった。
メイド長はライトの凛々しい横顔に見とれてしまい咄嗟に言葉が出なかったが、大きく息を吐き、何かを決意した表情を浮かべると、ライトの頬にそっと手を当てる。
「ライト様。始めに謝っておきます。今まで黙っていて、申し訳ありませんでした。私が得た情報の全てを貴方様へ」
二人がそんなやり取りをしている間にも、女性四名による激しい戦いが繰り広げられている。
「しっかし、頑丈で無駄に伸びる髪ね。はっ、カツラ業者に売り込むってのはどうよっ!」
イリアンヌは妙案が思いついたとばかりに手を打ち鳴らし、隣で黒鎖を操っているロッディゲルスに顔を向ける。イミャルから視線を外し隙だらけの行動に見えるが、神聴を最大限に生かしているのでわざわざ見る必要もないようだ。
「そんな決め顔を向けられても困るのだが。相手の実力も大体は掴めた。そろそろ、終わらせないか」
ロッディゲルスが操っている二十もの黒鎖は、均衡していた筈の髪の威力に、今は一歩上回っているように見える。
ファイリも今までと違いかなり余裕が出てきたようで、時折、聖光弾を放ち相手の動きを邪魔する程度に収め、相手の動きをつぶさに観察していた。
「そうだな。あの迷宮で鍛え上げた俺たちの」
「実力と連携をばっちり見せつけて」
「後ろで心配そうに見ているライトを安心させるとしよう」
イリアンヌがその場で軽く飛び跳ねると、三度目の着地と同時にその姿が掻き消える。
イミャルの直ぐ傍でしなる髪の毛と、黒い風が何度もぶつかり火花が散る。
「四、二十一、三十二」
目を白銀に光らせ、今までの行動パターンや相手の癖を完全に読み切っているファイリは、攻撃の際に生じる防御の甘い箇所を見抜き、予め決めていた番号を口にする。
「鬱陶シイ、鬱陶シイゾオオオオオオッ!」
防御のやりづらい箇所にタイミングを見計らい、見えない攻撃を仕掛けてくるイリアンヌへ苛立ちが限界に達したようで、髪の毛を一斉に逆立たせ黒い針の塊になる。
「こんな形をした海の生き物がいるらしいな。確か、ウニだったか」
黒い巨大なウニの様な形状に変化したイミャルに黒鎖を飛ばしてみるが、鋭く尖った針状の毛を掻い潜ることはできなかった。
「かなり面倒な防御態勢だな」
「そうか? 髪をあれだけ広げたら、一点集中の火力には弱いだろ『天罰』密集バージョン!」
闇夜だというのに上空が光り輝き、空から一条の聖なる光がイミャル目掛け射し込んでくる。極太の光が針状の髪を溶かし貫き、イミャルの全身が光に包まれる。
「ギイアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
光の中で絶叫を上げるイミャルは、咄嗟に残っている頭髪を全身に巻き付け光を遮断すると、地面に両手をつけ四つん這い状態で懸命に耐えている。
天から注ぐ光が消えた後には、全身から白煙を立ち昇らせ小刻みに震えている、髪の毛に包まれた黒い人型の物体があった。
「弱っているところに済まないが、一気にやらせてもらう『獄苦鎖流破』」
「何か毎回、魔法名が違う気がするんだが」
事実、ファイリの指摘は間違っていない。ロッディゲルスが得意とする『黒鎖』は『具現化』という魔法で発生した形状であり、黒鎖を利用した魔法の全てが実は魔法名を必要としないからだ。
ロッディゲルスが口にしている魔法名っぽい言葉は必要ではないのだが、何となくカッコいいからという理由で、勝手に命名した技名である。
ファイリの鋭い突っ込みを完全に無視して、ロッディゲルスは魔力操作に集中する。
同じ属性同士の魔法というのは攻撃側が不利になる。それを熟知しているロッディゲルスは鎖の先端を両刃の剣に似た形状に変化させ、鎖の側面も鋭い刃状に尖らせる。そして、本体へ痛手を与えるのを目的とせず、体の周りを覆う髪の毛を削ることだけに専念する。
「悪いが丸裸にさせてもらう!」
鎖を突き刺すように動かすのではなく、相手の体表にこすりつけるように操作する。合計二十もの黒鎖が宙を舞い、何とか立ち上がったイミャルの髪の毛を切り刻んでいく。
髪が舞い散り、イミャルの肌が徐々に露わになっていく。
ナイトシェイド号の背中から戦場を見守っていたライトの目が突然、横合いから伸びてきた手に塞がれる。
「あの、見えないのですが」
「申し訳ありませんが、ここから先は殿方にはご遠慮願います」
露わになるイミャルの裸には無数の古傷が見える。傷跡のない素肌の方が少ないという痛々しく凄惨な裸体を、女として男性には見られたくないだろうという、メイド長の配慮だった。
「イミャル。もういいだろう。安らかに眠ってくれ」
ファイリは彼女が少しでも苦しむことがないようにと、最大まで威力を高めた『聖光流滅』を放とうとした、その時。一方的にやられていたイミャルに動きがあった。
全身を守っていた髪の毛を全て体から離し、残っていた髪の毛を逆立たせ、全ての髪の毛をファイリたちの方向へ発射したのだ。
頭皮から抜き出た針状の髪は、横殴りの黒い雨の様に、ファイリとロッディゲルスが立っている場所へと降り注ぐ。
「最後の足掻きかっ!『真・聖域』」
放つ予定だった『聖光流滅』を取り止め、咄嗟に聖域を二重に張る『真・聖域』を発動させる。不意を突かれたとはいえ、油断することなく最強の防御魔法で髪の毛で作られた飛び針を防ぎ切る。
「これで本当に手は出尽くしただろ――」
唯一の攻撃手段だった髪を全て放ったイミャルにもう手はないと、真・聖域を解除したファイリは驚くべきものを目にする。
その場から一歩も動くことなく髪の毛だけで戦い続けていたイミャルが、体毛が一切ない裸の状態でファイリへ向かい駆け寄っていたのだ。
意表を突かれ誰もが咄嗟に行動できずにいる。
「ヒガリノォォォガミィィィィッ! ギザマダゲワァァァァ!」
両手両足を使い、獣のように四つん這いで駆ける姿はまさに異様だった。
髪が一本もなく頭皮を剥き出しにした頭。
血走った眼はファイリの顔を凝視して瞬き一つしない。
光の神への呪いの言葉を吐き、その憎悪を全て、光の神を崇める者の頂点に立つ教皇へぶつける。
迫りくる恨みの塊にその身を晒され、ファイリは全身の毛が逆立つ。迎撃する為に魔法を唱えようとするのだが恐怖に身がすくみ、発動が遅れてしまう。
「あっ」
思わずファイリの声が漏れる。
血の涙を流し、口からは泡を吹き、憎悪を体現するかのような表情で大口を開け、喉笛に喰らいつこうとしているイミャルの姿がファイリの瞳に映っている。
間に合わないとわかっていながら、ロッディゲルスが黒鎖を放ち、イリアンヌが神速で追いかけその背を狙い短剣を投げつける。
誰もがファイリの死を想像して顔を逸らす中――たった一人、目を逸らさない者がいた。
『貴方は悪くない!』
ライトは神声を発動させ、イミャルに向かって大声を張り上げる。
ファイリの眼前で動きを止めたイミャルが鬼の形相を一変させ、今にも泣きだしそうな弱々しく無防備な顔をライトへ向ける。そして、単眼でライトの顔を捉えると少しだけ嬉しそうに口元を緩める。
何かを伝えたかったのだろうか。口をゆっくりと開いていくイミャルの顔が――鎖に貫かれ、背中に二本の短剣が突き刺さる。
「あ、ああ、あああ、あ……」
最後に何を言おうとしていたのか、それは誰にもわからぬまま、イミャルは黒の粒子となり夜風に流されていく。
呆気ない幕切れに呆然と突っ立っている面々の中で、いち早く我に返ったメイド長が、ライトへ話しかける。
「ライト様、さっきの一言は」
「ええ、貴方が私に見せてくれた彼女の過去を思い出し考えたのです。彼女は誰かに悪くないと言って欲しかったのではないかと。彼女は何の罪もないというのに生きることを否定され、虐げられる日々を過ごしてきました。誰かに、そんな自分を認めてほしかった。生きていいんだよ、貴方は悪くないと言ってもらいたかったのではないかと――私と同じように」
自分に母という存在がいなければ、彼女と同じ道を辿っていたかもしれない。ライトは別の可能性を見せつけられている気分だった。
「貴方は悪くない」あの一言にライトはありったけの想いを込めた。彼女ほどではないが、同じような経験をし、虐げられた者として。
彼女が最後に見せた、あの弱々しい姿。恨みを全て取り去った後に残ったのは、か弱い一人の女性だった。
「貴方が悪魔となり感情の赴くままに振るわれてきた虐殺、様々な行いは、決して許されるものではありません。ですが――生きたい。そう願うことは罪ではないのですよ」
記憶の中の彼女は何度も死を願い、自ら命を絶とうとした。だが、それでも、心の奥底には生への執着が残っていた。
邪神の誘いに乗った理由の大半は恨みと復讐。それは間違いない。だが、死への恐怖と生への願望が、彼女に最後の一歩を踏み出させた要因であるのも、間違いなかった。
「転生後の貴方に、穏やかで優しい日々が待っていますように」
死を司る神へ願いを込め、ライトは静かに目を閉じ、彼女の為に祈った。




