無双
首都から離れること徒歩で三時間の距離にて両軍が衝突した。
その結果は見るも無残な戦いとも呼べぬ一方的な殺戮劇だった。蹂躙される側は――正規軍である。
魔物の姿を見るまでは兵士たちの士気も高く、いい勝負になるかとライトは淡い期待を抱いていたのだが、実際は戦いにすらなっていない。兵士が魔物の姿を直視した途端に戦意が失われた為だ。
全身に刃物が突き刺さった巨漢や、人間の手が無数に生えた魔物。その他にも見ているだけで精神が削られそうな外見の魔物がずらりと並んでいる。町の警備や近隣の獣型魔物としか実戦経験のない兵士にとって、その容貌に恐怖を覚えるのは仕方のないことだとも言える。
「ひ、ひぃぃぃ。化け物だっ! 魔物に人の腕がっ!」
「仲間が食われているっ! 離せっ! 離しやがれ!」
「い、嫌だあああっ!」
兵士の怒号と悲鳴が飛び交い、まだ敵と遭遇していない兵士は我先にと戦場から逃げ出している。
それでも、半数は何とか踏みとどまり交戦しているのだが、元々の能力差が圧倒的に魔物の方が高い状況で、連携を取ることのできない兵士に勝ち目などあるわけがない。
「馬鹿者! 貴様らは王国の勇敢なる兵士だ! 我らの背には多くの国民の命が乗っているのだぞ! ここで堪えるのだ!」
人将軍が檄を飛ばしているが恐慌状態の兵士たちには全く効き目がない。
日頃の訓練を全く生かすこともなく、無為に屍を重ねていく自軍の歯がゆさに、人将軍は血が滲む程、唇を噛みしめ、何かを決意した表情を浮かべ魔物たちを見据える。
「逃走する者は放っておけ! 戦意のある者は我に続け! 勝敗は決したが、むざむざやられはせん! 少しでも戦力を削り、時間を稼いで見せる!」
戦う気力が残っている生き残りの兵士たちが人将軍の周囲に集まっている。小将軍も兵士を連れ合流したのだがその数はかなり減っている。
後衛で魔法を放っていた小将軍とその配下の兵士は戦闘に入る前から、半数が逃げ出していた。魔法の才能がある兵士というのは武よりも知を重要視する傾向があり、戦闘訓練よりも魔法の研究を優先的に行う者が多い。そのような者がこの状況下においてまともに戦えるわけもない。
平和が長年続いたことによる弊害がこのような惨状を生んでしまった。
人将軍は剣を頭上に振りかざすと、全滅覚悟の特攻を命じようとし、剣を振り下ろす直前――魔物の群れが空へと吹き飛ばされる光景を目撃する。
生き残りの兵士たちを取り囲もうと半円状に魔物が集まっていたのだが、その右端の街道脇の林近くにいた魔物が数体空へと舞い上がる。
それは一度や二度ではなく次々と魔物が宙に浮いている。初めは飛行のできる魔物が動き出したのかと警戒したのだが、目を凝らしてよく見ると飛んでいる魔物の殆どが原形を留めていない。
上半身が消え失せているブラッドマウス。
身長が半分以下に縮められたグール。
飛び散る肉片と化し元が何か判断がつかない魔物の成れの果て。
無数の魔物の死体が吹き飛ばされ地面へと叩きつけられていく。
「何が……いったい何が起こっているのだ」
呆然とその光景を眺める将軍と兵士たち。隙だらけの状況なのだが、魔物たちが襲ってくることはなかった。つい先程まで兵士と戦いを繰り広げていた魔物たちが一斉に手を止め、兵士たちが見つめる方角に体を向け臨戦態勢を取っている。
目の前の兵士など存在しないかのように、ただ一点を見つめ警戒しているようにしか見えなかった。あり得ないことなのだが、兵士たちの目には闇属性の魔物が怯えているように映っている。
腹まで響く鈍い打撃音と地面を揺らす振動。その両方が徐々に大きくなり、強制的に空を飛ぶことになった魔物の姿がより鮮明になっていく。
この現象の源が西軍へと近づくにつれて、兵士の耳に届く破壊音に大声が混ざり始める。
「皆さん、離れないようにしてください! 一気に合流しますよ!」
「「「「はいっ!」」」」
「魔物がゴミの様だっ!」
「かーっ! ライトさん、マジ半端ねえ!」
聞き覚えのある声に、続く冒険者たちの感嘆の叫び。
人将軍は信じられなかった。もう、何が起こっているのか確かめられる距離まで迫っているというのに、目の前で実際に行われている戦いだというのに、現実として受け入れられないでいる。
ライトは魔物の群れに何の躊躇いもなく突入し、巨大なメイスを一振りすると、魔物たちが熟れ過ぎた果実のようにいとも簡単に弾け飛ぶ。
兵士たちが全力で振るう剣を跳ね返した強靭な肉体を持つ魔物が、全て一撃で粉砕されていく。
魔物たちも無防備で突っ立っているわけではない。ライトがメイスを振り切った隙を狙い攻撃を仕掛けてくるのだが、その一撃はライトの元へ届くことはない。何が起こったのかも理解できぬまま、全身を鎖に貫かれているからだ。
「ライトは攻撃に集中してくれ。守りは気にするな。思う存分暴れるがいい」
付き添うように背後を走るロッディゲルスが魔物の接近を許さない。
「頼もしいお言葉ですよっ!」
全幅の信頼を寄せている仲間の援護を信じ、ライトは先端に巨大な鉄塊が付いたメイスを魔物へと叩きつける。
敵が密集している個所には聖光弾を放ち、立ち塞がる敵には容赦のない一撃を喰らわせる。ライトを先頭とし、ひと塊となり魔物の群れを突っ切る冒険者たちの勢いに、魔物は完全に呑まれていた。
兵士たちを虐殺していた魔物たちが一転して、今度は狩られる立場へと入れ替わる。
「嘘だろ。俺たちがあんなに苦戦した敵がいとも簡単に」
「あれが、ライトアンロック。本当に人間なのか……」
CランクどころかB、Aランクですら相手にならないライトの戦いぶりに、冒険者や兵士は畏怖を覚えると同時に魅了されていた。
「人将軍、ご無事で何よりです」
無傷で正規軍へとたどり着いたライトの姿を小、人の両将軍はぼーっと眺めている。
「どうしました。何処か怪我でも? 治癒が必要でしょうか」
両将軍を心配してライトは声を掛ける。その声に我を取り戻した両名は頭を振ると、一度大きく深呼吸をした。
「いえ、大丈夫です。助力感謝いたします。正直、もう駄目かと諦めかけていたところに、ライト殿の姿を確認し、我が目を疑いましたよ」
「うんうん、今も信じられない」
人将軍の言葉に同意し、小将軍が頭を上下に激しく何度も振っている。
「積もる話は後にしましょうか。状況が状況ですので」
ライトたちが言葉を交わしている間も戦いは続いている。
ロッディゲルスの指から放たれた二十もの黒鎖が、近づく敵から優先的に葬っていく。だが、魔物の数が多すぎて全部は捌ききれず、何体かは黒鎖の包囲網を抜け、飛びかかってくるのだが、味方の冒険者たちが冷静に対応している。
頭が少しは回る魔物が側面や背後に回り込もうとするのだが、黒い一陣の風が吹いたかと思うとその首に一筋の線が走り、鮮血を撒き散らしながら頭だけが地面へと落ちる。
「背後なんて取らせるわけないでしょ。甘い甘い」
まさに目にも留まらぬ速さで駆け回るイリアンヌの姿を、敵味方問わず捉えることができないでいる。
「ここは我々に任せてください。皆さんは負傷者を引き連れて一度撤退してください。イナドナミカイ教団の回復係が後方に控えていますので。冒険者の皆さんは彼らの護衛をお願いしても良いでしょうか」
「「「「了解!」」」」
ライトの強さを目の当たりにした冒険者たちは、まるでライトの従順な部下のように、指示に対して反論や意見を口にすることなく従う。
「我々には反論する余地もありません。貴方の指示に従います。情けないことですが、ライト殿に後を託します。ですが、危なくなったら迷わず引いてください。貴方はここで死ぬような人ではありません!」
「兵を再編成したら、戻ってきます。必ず生き延びてください!」
両将軍は素早く兵をまとめると、振り返ることなく撤退する。
何体かの魔物が後を追うが、黒鎖と黒い風に行く手を遮られ、物言わぬ体を大地に晒す。
「さて、これで周囲に気を遣わず思う存分、暴れられますね」
メイスを背中に取り付け、軽い準備運動とばかりに軽い足取りで魔物の群れに飛び込む。自由になった右手で近くにいたブラッドマウスの頭を掴み、そのまま握り潰す。
「……まさか、潰せるとは」
何となく軽い気持ちで握ってみたのだが、本当に潰れるとは当人も思っていなかったようで、結果に驚いている。
「Bランクの魔物の頭握り潰すって、どんだけよ。そろそろ人類名乗るのやめたら」
呆れ顔でライトを眺めているイリアンヌだったが、誰もその顔を確認できないでいる。時折、残像が少し見える程度で実体は何処にいるのか。声はすれど姿は見えず。
ただでさえ、尋常ではない速度で動けたイリアンヌが永遠の迷宮で鍛え上げられ、その動きはこの世界において最速を名乗っても大げさではない高みにまで上り詰めている。
「自覚はないようだが、イリアンヌも人の事は言えないぞ」
ロッディゲルスは魔族である自分が一番人間離れをしていないと密かに思っている。
第三者から見れば似たり寄ったりで、三人は既に人の範疇を軽く超えているのだが。
「残り何体ぐらいなのかなっ」
ヘッドハンドの腕を切り落とし、額へ短剣を突き刺しながらイリアンヌがうんざりした口調で疑問を口にする。
「何だかんだで、百体ぐらいは軍の皆さんが倒してくださったようですが……我々はここに来るまで百は倒している筈なので、残りは八百を切るぐらいでしょうか」
メイスの一撃で魔物を同時に四体薙ぎ払うと、新たに近づいてきた魔物の顔面に前蹴りを放つ。鈍い音と共に顔面が陥没し、後方へ吹き飛ぶ魔物が周囲の味方を巻き込んでいく。
「少々面倒ね。あんたたち魔法使えるんでしょ。広範囲攻撃魔法とかないの?」
「広範囲か。ふむ、やってみるとしよう。我が両手に集いし漆黒の鎖よ。我が前に立ちはだかる愚かなる者共を貫き、蹂躙せよ! 即興魔法! 『黒鎖蛇咬撃』」
ロッディゲルスが両手の指を開いた状態で前に突き出すと、その指一本につき二本の鎖が飛び出すと、まるで意思を持った蛇のように鎖をくねらせ魔物へと襲い掛かっていく。
黒鎖の先端は蛇の牙のように少し湾曲した円錐状で、一度魔物たちの体内へ潜り込むと魔物がどんなに暴れようと引き抜くことができないでいる。
先端に魔物が突き刺さった状態で、鎖は周囲を暴れまわりロッディゲルスの前方にいる敵が一掃されていく。
「おー、やればできるじゃないの……ってこれ、いつもの黒鎖だよね!」
「即興魔法だからな。鎖を使った攻撃は広範囲攻撃にはあまり向いていないのだよ」
鎖の届く範囲までの敵であるならば黒鎖で充分対応できるのだが、これ程までの数がいるとその程度の範囲では心もとない。
「じゃあ、ライト! あんた何かないの」
「広範囲攻撃魔法ですか。ないですね。私の唯一無二の攻撃魔法はこれのみです『聖光弾』」
ライトは右手を上空に掲げ魔力を集める。小さな光の弾だった聖光弾が徐々に巨大化し、限界まで魔力を注いだ結果、光の弾は直径十メートルもの大きさにまで膨張している。
頭上に小型の太陽を作り出したかのような巨大な光の弾に、ライトは五指をめり込ますと眼前に広がる魔物の群れに投げ込んだ。
頭上を覆う一面の光に魔物たちが押し潰されていく。魔法抵抗力の弱い者は光に触れた瞬間に蒸発しているが、ランクの高い者や抵抗力が高い種類の魔物は、どうにか耐えようとしているのだが、あまりに莫大な量の聖属性の塊に成す術もなく、その身が無情にも光に削られていく。
聖光弾の着弾地点で光が暴発し、吹き荒れる光の奔流が周囲の魔物も呑みこみ、範囲外にいたはずの魔物が深刻な痛手を受けている。
舞い上がった砂塵が収まった後には、地面に大きく穿たれた跡があった。
「広範囲魔法も覚えたかったのですが、才能がありませんでしたので」
「え、いや、もうこれ、広範囲攻撃魔法でしょ」
「我も同意するぞ……」
聖光弾一発で五十体以上もの魔物が跡形もなく消滅し、その周りにいた魔物百体以上が何らかの傷を負っている。
「じゃあ、この調子でがんがん撃っちゃって!」
「申し訳ありませんが、もう一発撃ったら魔力が空になります」
「……え、何で? あんたいつも身体強化魔法で放出系の魔法を長時間使っているじゃないの。ってことは、魔力容量が人より多いってことでしょ?」
現在も定番の上半身強化、下半身強化を継続中である。放出系の魔法ということは魔力を常に垂れ流しているということになる。人よりも魔力容量が多くなければ直ぐに枯渇してしまう筈だ。とイリアンヌは考える。
「私の魔力容量は人並み……いえ、それ以下でしたよ。今でこそ、容量が少しは増えていますが、それでも少ない方でしょうね」
ライトたちは戦場の真ん中で呑気に会話しているが、周囲の魔物たちは聖光弾の一撃に警戒しているようで、距離を置いたまま未だに攻めてこようとしない。
「それっておかしくない? じゃあ、何で放出系の魔法を継続していて魔力が枯渇しないのよ」
「理由は二つあります。一つは、身体強化魔法は熟練度を上げ威力を抑えれば、消費魔量がかなり少なくて済むのですよ。そして、もう一つ。魔力容量は少ないですが、生まれつき回復力がかなり高かったのですよ」
そもそもの容量が少ないので魔法の連発はできないのだが、異様なまでの回復力の高さにより放出系の魔法とは相性が良かった。幼少の頃から母に筋肉に負けない身体の回復力と耐久力を上げるために、様々な鍛錬や怪しげな食物を摂取させられてきた影響により、魔力回復力も更に伸びることになったのも大きかった。
「使えないわね。連発できるならあと五発ぐらい撃っておけば、掃討完了だったのにぃ」
「このままでは無駄に時間がかかりますし、周囲を敵に囲まれているというのも厄介ですね。何処かこちらに有利な場所で戦いたいところですが」
身を隠す場所がなく、全方位を敵に囲まれて戦うのは力の差があったとしても無謀すぎる。正規軍を逃がす為に派手に立ち回ってはいるが、Bランク相手なら兎も角、Aランクの魔物が交ざっている相手を長時間、同時に数体相手にするのは愚か者以外の何者でもない。
「今はまだ力も魔力も余裕があるが、長期戦になることを考えねば成らんしな」
ライトは何か手がないかと辺りを見回してみる。
半円状に取り囲む見慣れた闇属性の群れが前方に広がっている。左後方には古びた外観の廃墟と化した民家や、地主の家だったであろう小さな屋敷が何件も建っている。
「どうやら廃村のようですね。あそこに敵を引き入れたいところですが、この場を離れると敵は首都に向かいそうですし、どうしたものやら」
ライトたちは戦いながら少しずつ街道から逸れ、廃村の方へと移動しているのだが何体かの魔物は街道から一定の距離以上遠ざかると、街道方向へと戻っていく。
「困りましたね。首都優先で襲うように命令されているのでしょうか」
『おい、ライト』
ライトが思案に暮れていると、メイスからエクスの声が響いてきた。
「すみません、くだらない冗談と猥談に付き合っている余裕はないので、後にしてもらえますか」
『ちげえええよ! お前、俺を何だと思っているんだ。いいか、よく聞けよ。土塊が敵を引き付けることなら可能だと言っている』
「本当ですか。いや、土塊さんが冗談や嘘を言うわけがないですね。ならば、お願いします。敵の注意をこちらに」
返事代わりに弦を一度だけ弾く音がする。
「イリアンヌ、ロッディゲルス。あの廃村まで引きますよ!」
ライトは二人の返事を待たずに街道から少し離れた場所の民家へと駆けていく。
「ちょ、ちょっと! 殿は俺に任せろ! とか言う場面じゃないのここは!」
文句を言いながらもイリアンヌが後に続く。
「魔物たちはどうするつもりだ。我々が逃げてしまえば、西軍の生き残りと首都が襲われることにな――」
ロッディゲルスの不安を掻き消したのは、メイスから流れてくる旋律だった。何処かで聞いたことがあるような懐かしさがあり、心の奥へと入り込むような音色でいつまでも聞いていたい、そんな風に思わせる土塊の演奏が辺りに響く。
その音楽が耳に届いた魔物たちが、一斉にライトの持つメイスへと視線を向ける。背を向け街道へと戻っていた魔物たちも振り返り、じっとメイスを見つめている。
だが、こちらへ意識が向いているだけで近寄ってくる気配はない。ライトが試しに少しずつ後退るが、付いてくることもなく見ているだけだ。
失敗か。ライトたちがそう思ったとき、演奏に合わせて済んだ声色の歌声が戦場に響き渡る。
『旅を続けし友よ。今、君は何をしているのだい。
僕は今もここで君を待っているよ。
君の心は今もこの大空のように澄み切っているのだろうか。それとも、厚い雲に覆われてしまっているのだろうか。
ああ、友よ。僕は待ち続けよう。君が最後にたどりつく宿り木であり続けるために』
故郷で待つ友人の想いが胸に沁みる歌詞が聞いている者の心を震わせる。
国に恐れられたという土塊の声は、言葉の意味がわからない魔物ですら、頭でなく心で理解させる魅惑の歌声をしていた。
「私、ちょっと実家に帰ってくる……」
目元を拭いながらイリアンヌがフラフラと首都の方角へ歩き出そうとする。ライトはその腕を掴み何とか引き留める。
「しっかりしてください。貴方が影響されてどうするのですか」
ライトは故郷に良い思い出もなく、友人もいなかったので土塊の歌に影響を受けずにすんでいる。
「ロッディゲルスも止めてください」
「虚無の大穴か……懐かしいな」
イリアンヌ程ではないがロッディゲルスにも効き目があるようだ。
魔物たちは歌声を求め、ふらふらと足元が定まらない歩き方でメイスを目指して進んでくる。
「上手くいったようですね。二人とも廃村へ急ぎますよ」
ぼーっとした表情のイリアンヌを肩に担ぐと、メイスを背負い空いた方の手でロッディゲルスの手を掴み、廃村へと引っ張っていく。




