作戦
「で、お前は何しているんだ」
ホールでライトたちが待つこと二時間、先に二階から降りてきたファイリがホールを見渡し呆れた声を出す。
ライトが座っているテーブルの周囲に力自慢の冒険者たちが転がっている。
転がっている男たちは全員が呻き声を漏らしながら右腕を擦り、怯えとも尊敬とも取れる表情でライトを見ている。
「いえ、彼らが私の力を見たいとおっしゃるので、わかりやすく腕相撲で勝負と相成りました。さて、まだ挑戦する方はいらっしゃいますか?」
ライトが周囲に視線をやると、床を転がっていた冒険者たちは一斉に這いずりながら後方へと下がっていく。眺めていただけの冒険者はライトから視線を逸らしている。
「ファイリ、申し訳ないのですが皆さんの治療をお願いできますか。私がやってもよいのですが、皆さんが何故か遠慮なさるので」
ファイリが肩をすくめると、正面へ手をかざし『広域治癒』と唱える。ホール全体の床が白銀に染まるとキラキラと光の粒子が床から立ち上る。その粒子に触れた冒険者たちは抑えていた腕を離すと、恐る恐る動かしている。
「お、お、お、肘と腕の痛みどころか古傷まで治っているぞ」
「長年苦しんでいた腰痛まで消えているなんて……」
ライトに腕をやられた者だけではなく、ホールにいた全ての者が怪我や体の不調が完治していく。
「これから大仕事だからな、特別サービスだ有難く思え」
「これが回復系を極めた者にしか扱えないという『広域治癒』ですか。普通の怪我だけではなく、あらゆる体の不調を治すというのは大げさではなかったのですね」
ホールにいた聖職者たちが尊敬の眼差しを、仮面をつけたままのファイリへと注いでいる。その視線が心地よいらしく、威張るように無い胸を張っている。
「それで、話の方は終わりましたか?」
「ああ、その事についてなんだが……ここでは話せないか。ちょっと上まで来い。シェイコム、サンクロスも付いてこい。あと、そこにいるイリアンヌもな」
イリアンヌは一人カウンターに腰かけ、搾りたて果汁を並々と注がれたコップを傾け、美味しそうに飲み干していた。
高ランクの冒険者ばかりがいる場だというのに、イリアンヌの存在に気づいていたのは特別な贈り物所有者である、ファイリとライトだけだ。それ程までに見事な隠蔽術だった。
「その眼やっぱりズルいわよ。完全に気配を殺している筈なんだけどなー」
文句を言いながらも足音を立てずにライトの傍へと歩み寄ると、一緒に階段を上っていく。二階のギルドマスターの部屋へノックもせず入り込むと、疲れた表情のギルドマスターと隣に立つロッディゲルスがいる。
「よう。まあ、予想通りの展開だ。勿論、悪い方のな」
「やはり、打って出ることになりましたか。上層部の無能さをあげつらうのも一興ですが、時間の無駄なので止めておきましょう。そうなると、今後の展開は」
ライトの質問に対しギルドマスターは黙って用紙を差し出す。そこには走り書きで今後の作戦が書かれていた。ライトは対面のソファーに座り、その用紙に目を通すと眉根を寄せる。
「すみません……字が汚くてさっぱりなのですが」
「悪かったな。口頭で説明するぞ。無能共の作戦によると、戦力を三つに分け各自で対応させるそうだ。まず、東へは国の兵士四万とCランク以下の冒険者百名とBランクからも何人か送り込む。国の斥候と腕利きの盗賊が調べた情報だと、敵の戦力は二万。誤差があったとしても上下千程度らしい」
「千匹が誤差というのも大概ですね。単純計算なら数で勝っているのですが、問題は後方に控えているであろう悪魔の存在ですが」
ライトが一番危惧しているのがそこになる。上位悪魔が包囲網の何処にいるのか、それによって対応がガラッと変わってくる。
「あ、それか。ちょっと待て――ちっ、残念な知らせだ。東、南、西から膨大な闇の魔力をもつ存在を一体ずつ感じる。北を除く三方位に上位悪魔がいるとみて間違いない」
ファイリが目を白銀に輝かせ、その場に立ち上がるとぐるっと全身を一回転させる。そして、渋い表情を浮かべ状況を伝えると、荒々しくソファーに腰を埋めた。
「三体ですか。厄介どころの騒ぎではありませんね。となると、東への戦力も考え直さないといけないのでは?」
「いや、無理だな。その説明をしたところで、余計に町へ近づけるなと焦り出兵が早まるだけだ。なら、東は私が受け持とう。久々に戦場へ立たせてもらおうか。くっくっく、楽しみだ」
犬歯を剥き出しにし凄みのある顔で、心底楽しそうにギルドマスターが笑う。
ギルドマスターになってからというのも、余程のことがない限り戦いの場に立つことを許されなくなり、鬱憤が溜まっていたのだろう。笑顔を保ったまま、掌に拳を何度も打ち付けている。
「天をも素手で割ると言わしめた伝説の格闘家。その姿が見られるわけですね。ならば、安心して東は任せられます。となると次は」
「南か。そこは俺から話そう。そっちはイナドナミカイ教団が担当となる」
ファイリが説明の後を継ぐようだ。
「敵は不死属性のスケルトン、ゾンビ、ゴースト系らしい。数は約五千。それに対し、イナドナミカイ教団は助祭、司祭、神官戦士、聖騎士の一団、総勢三千で迎え撃つ。俺もそっちに参加することになる。サンクロス、シェイコムも一緒に来てもらうぞ」
「御意!」
「わかりました!」
胸に片腕を当て二人は敬礼をする。この二人に守られているのであれば、余程のことがない限り安全だろう。上位悪魔に対しての不安は拭いきれないが、それは東に向かうギルドマスターも同様である。ライトは安心を口にしたが、実際は嫌な予感がしてならない。
「となると、必然的に西は残りのBランク以上の冒険者となるわけですね」
「ああ、だが流石にあいつらだけでは対応しきれないだろうからと、兵士五千とイナドナミカイ教団から回復役を五十名、回してくれるそうだ」
敵千未満に対し五千以上の味方。数だけ聞けば圧勝なのだが、この場にいる全員の顔に浮かぶ表情は晴れなかった。
Bランクの魔物を倒す場合、念の為に一個小隊――つまり十名前後で当たるというのが常識になっている。兵士の強さというのもピンからキリがあり、新兵と呼ばれる者たちは冒険者ランクで言うところのE、Dランク程度。中堅ベテランがC、才能があるもので一部B程度の強さしかない。将軍クラスとなると流石にAランク相当の実力はあるのだが。
この国には五指将軍と呼ばれる五人の将軍が存在している。
「ちなみに西へ将軍は参戦されるのですか」
「ああ、小と人が加わると聞いている。残りの、親中薬は全員東担当だ」
五指将軍とはその名の通り、指になぞらえて、小、薬、中、人、親と呼ばれている。五指将軍の役職に就くと本名で呼ばれることは殆どなくなり、小の地位にいる将軍であれば「五指将軍の小」もしくは「小将軍」として認知される。
「小と人将軍ですか。二人とも中々の実力だと噂では聞いていますが」
「冒険者ギルドの一員であれば、仲間に恵まれればAランク取れるかどうか、といった実力だな。まあ、ランクは単純な武力だけではないが」
ギルドマスターは暗に期待はするなと言っているのだろう。Cランクの敵を全て兵士たちに回したとして、残りのBとAランクの数。そして悪魔を誰が対応するのか。
「となると、やはり西は私の出番でしょうか。どう考えても手駒は出尽くしていますし。他に適任もいないようですからね」
ライトがやれやれといった感じで大きく息を吐くと、表情を引き締める。
担当さえ決まれば、あとはいつも通り相手を叩き潰すだけとなる。常に戦場に身を置いてきたライトからすれば、無駄に悩むよりも戦っている方が正直、気が楽なのだ。
話し合いは終わったとライトは腰を浮かせようとしたのだが、一切口を挟まなかったロッディゲルスがずっと胸に秘めていた疑問を口にした。
「話が終わったところに悪いのだが、悪魔は何故この時期に攻撃を仕掛けてきたのだろうか。それに集団転移させるなら、町中にすればもっと簡単に制圧できる筈なのだが」
これからの戦いには直接関係ない事なので黙っていたようなのだが、ずっと気になっていたらしい。ライトは再び腰を下ろすと、ロッディゲルスへ説明を開始する。
「敵が町中に転移しなかったのは、しなかったのではなく、できなかったのです。まず、大きな町というのは転移系魔法が使えません。町の随所に埋め込まれた魔石が転移系魔法を阻害する為です。理由は町への不法侵入を防ぐ目的です。町に入るには南、西、東の門をくぐるしかなく、そこで身分証の提示をさせて犯罪者が外部から入れず、中から逃がさない仕組みになっています。大きな町に必ず一か所はある転移陣でしか、魔法での移動は許可されていません。転移系の魔法で大きな町へ行きたい場合は、城壁から少し離れた場所へ移動するしか手がありませんので」
その説明で納得したらしく、ロッディゲルスは感心したように何度も頷いている。シェイコムとイリアンヌも知らなかったらしく、同様に頷いている。
「敵の進軍に関しては憶測でよければ話せますよ」
「それで充分だ、頼む」
敵の対応に追われていて、そこまで頭が回らなかったファイリとギルドマスターも実は気になるらしく、黙って耳を傾けている。
「では、何故この時期かというと、まずは私の故郷で邪神の欠片である腕が蘇り、残りの邪神の欠片が三つとなり、一気に強引な手段を取り始めたというのが考えられます」
自分で考えるのが苦手なシェイコムは理解しているかどうかも怪しいが、瞬き一つせず真剣な眼差しでライトの説明を一言一句聞き逃さないように、意識を集中している。
「ですが、私の予想では死者の街が壊滅したのが大きな要因と考えています。数年前に今回のような強引な手段を取り、首都を壊滅させたとしましょう。そうすると、首都での戦いで優秀な冒険者や兵士が何人も死ぬこととなります。では、彼らの魂はその後何処へ行くのでしょうか」
ライトは一旦、そこで言葉を区切ると視線をファイリへと向ける。
ライトからの問いかけだと判断し、ファイリは頭に浮かんだことをそのまま口に出す。
「そうか、死者の街へ行ってしまうのか」
「正解です。優秀な人材が死者の街に流れ、戦力が強化されてしまうのです。あそこには一番重要な邪神の頭が眠っていますので、そこの守りが強固になってしまうのは、どうしても避けたかったのでしょう。なので、死者の街をまず、どうにかしなければなりませんでした。ミリオンを潜り込ませ、最も強かった冒険者チーム『天と地』が成仏したのを確認すると、次に厄介なエクスたちを封じ込める手段を発動させ、あの結末です」
そうして、死者の街を壊滅状態に陥れた事により、ようやく首都への攻撃が可能となったと、ライトは考えている。
話し終えたライトが静かに立ち上がると、それにつられるようにギルドマスターを除いた全員が立ち上がる。
「では、各自持ち場に散りましょうか」
「ああ、俺たちは南に行くぜ。久々に、教皇モードに……入ることにしますね。サンクロスさん、シェイコムさん、か弱い私に力をお貸しください」
「勿体ないお言葉です。この命、自由にお使いください」
「はっ! 命を懸けてお仕えします!」
口調、表情をガラッと入れ替え、まるで別人が乗り移ったかのような優しい笑みを浮かべるファイリが、二人を連れて部屋から出ようとする。
「ライトさん。またお会いしましょう」
「必ず」
振り返ることなく掛けられた言葉に、ライトは力強く答えた。
その返答に満足したようで、ファイリは口元を緩ましたまま階下へと去って行った。
「じゃあ、私も行ってこようかな。一番近くまで来ている北の敵をささっと殺ってきまーす」
「頼んだぞ、イリアンヌ。腕利きの盗賊も向かわせるので、同士討ちだけは勘弁してくれ。全員に奇襲を伝令しているからな。外壁上部からの遠距離攻撃が止んだ後に、各個撃破。施設へ逃げ込んだ敵には施設内の防衛機能を利用して殲滅。孤児院のファイニーが手を貸してくれて本当に助かった」
北の魔物を取り仕切っていたと思われるゴーリオンが死に、命令系統に乱れが生じている魔物には逆にこちらから奇襲を仕掛ける手筈になっている。
邪神の眠る欠片を監視していた施設の責任者であるファイニーの全面協力により、施設内の防衛機能は全て手の内にある。青と黄色の通路はあえて鍵を解除してあるが、出口の扉は何をしても開かないようになっている。
そして施設に入ったら最後、千体の予備がある魔導兵が現れ出迎える。
「敵も首都内部に潜入し騒ぎを起こす予定だったらしくて、全員深くフードを被った人型の魔物ばかりだから、こっちも真似しやすいしね。かき回して、施設内に誘導してやるわ。くっくっく、あっはっは!」
口元を邪悪に歪め、悪党のように笑うイリアンヌにライト以外は若干引いている。
笑い声を上げたまま、イリアンヌはその場から一瞬にして姿を消した。
「残る我らは西へと向かうか」
ロッディゲルスに促され、ライトも部屋から出ていく。
部屋の扉を閉め下へ向かおうとしたライトへ、扉越しに声が掛かる。
「ライト。お前はこの世界の希望だ。いざとなったら、逃げろいいな。そして、南に合流しろ。それがどういう意味か……お前ならわかるな」
「さて、何のことやらさっぱりですよ」
「惚けるな! お前が力を手に入れれば、邪神の復活を止められる筈だ」
ライトは扉に背を預けると、天を仰ぐ。室内なので目に入るのは薄汚れた天井だけだが。
「ギルドマスター。私は世界中の人々の命より、友人の命を取りますよ。見知らぬ人の為に賭ける命は持ち合わせていませんので。助けたい人だけを助ける。それが、私ですから」
それだけ告げると、背を扉から離し階下へと消えていく。
ライトの気配がギルド本部から遠ざかるのを確認すると、ギルドマスターはソファーへとその身を投げ出す。手すり部分に頭を置き、疲れたように弱々しい息を吐く。
「そう言いながらも、助けを求める人々を見捨てられないのだろう、ライトアンロックよ」
その呟きは誰に聞かれることもなく、ただ虚しく室内に響いている。
『ライト。俺たちに気を遣わなくていいんだぞ。首都の危機だ遠慮なく使ってくれ』
冒険者ギルドから離れ、目的地へ向かっていたライトが背負っているメイスから、珍しく神妙な声のエクスが話しかけてきた。
『ライト君はさ、きっと僕たちを召喚するのはミリオンを相手にする時だと決めているのだろ。恨みを晴らしてやろう。と考えてくれているのだよね』
『ライトちゃん、私なら準備万端だからいつでも呼んでくれていいのよ。そりゃ、ミリオンに一泡吹かせたいけど、それはきっとライトちゃんがやってくれると信じているから』
続くロジックとキャサリンの呼びかけにもライトは黙して語らず、ただ静かに歩み続ける。
『ありがとう、ライトさん。私たちは大丈夫。多くの人を救う為に召喚されるというのなら、聖女……いえ、三英雄として立派に戦って見せるから』
ミミカが最後にそう締めくくると、弦をかき鳴らす音が一度だけメイスから漏れる。それが土塊の意思表示なのだろう。
隣を歩いていたロッディゲルスは俯き気味に歩いているライトの様子が気になり、何か元気づけようと顔を覗き込んだ。
そこには目を見開き、しまったという表情のライトがいた。
「あ、えーとですね。そういえば……いましたね皆さん。静かにしていたので完全に存在を忘れていましたよ」
ライトのさらりと口にした爆弾発言により、耳が痛いぐらいの沈黙に場が支配される。
『おい、人が空気を読んで黙っていたらそれか!』
『酷いよ! 格好つけたのが台無しじゃないか!』
『久しぶりに聖女らしく振舞ったのに!』
『思い出したら恥ずかしくなってきたじゃないの! ライトちゃん責任とってよねっ』
激しくかき鳴らされる弦楽器の演奏をバックに、エクスたちの文句が一気に噴き出す。
ライトは後頭部付近で喚き立てるメイスを取り外すと、収納袋の口を開け中へ徐々に沈めていく。
『ぬおおおおっ、俺たちを黙らせても第二第三の三英雄が――』
『母さんとのお付き合いは絶対に認め――』
『ファイリにあること、ないこと、吹き込んで――』
『整備の時にハートのアップリケ付け――』
最後までしつこく何かを言っていたメイスが収納袋に消える。
ライトは何もなかったかのように、再び歩き出す。後ろからは呆れ顔のロッディゲルスが、何か言いたそうにしながらも黙って付いて行く。




