託されるもの
「では、フォールさんと御三方はミリオンさんの足止めを任せて良いでしょうか。我々は彼らを――救いたいので」
ライトの救うという言葉に反応して、ファイリたちが一斉に期待に満ちた顔をライトへ向けるが、その顔に浮かぶ苦渋の表情を見て、彼女たちは救うという言葉の意味を読み取った。
「わかった、任せてくれたまえ。妹の大切な相手のようだし、身内としていいところを見せておかなければ。何なら君達が来る前に倒しておいても構わないかね……と言いたいところだが、油断できない相手のようだ」
ライトが召喚された者と会話をしているのを、ミリオンは行儀良く邪魔しないように待っていたわけではない。
相手の陣営が整っていないうちにと、何度も攻撃を仕掛けようとしていたのだが、その都度、空間の裂け目から現れた灰色の手に妨害されていた。その手を操っていたのが、フォールだった。
「隙を見つけたら、倒すつもりで妨害行為を行ったのだが、全て軽くあしらわれてしまった。彼と同じく上級魔族らしいが、本気の力をぶつけないと無理なようだ。三人とも言いたいことはあると思う。だが、恩人であるライト君の手助けをしたい。後でどんな報復でも受けよう。だから今だけでいい、力を貸してもらえないかい」
フォールはちらりと実験体であった三人に視線を向ける。
操られていたとはいえ、彼らの体を改造した責任者はフォールなのだ。恨まれていてもしょうがない。フォールは罵倒や命を要求される覚悟はできていた。
実験体であった三人は顔を見合わせると、声に出すことなく目で会話し全員がフォールへと顔を向ける。そして、三人を代表して百一が口を開いた。
「正直な話、恨みがないと言えば嘘になるが……あんたは、ロッディゲルスさんの兄貴だしな。それに操られていたんだろ? だったら俺たちが報復するのは目の前にいる悪魔共だ。あんたじゃねえ」
百一は吹っ切れた表情で口を笑みの形に変える。
追随して百五、百八も口元を緩める。
「ありがとう。これで戦いに集中できるよ。では、見せつけてやろう。貴様らに操られ愚かな駒と化した男の意地を!」
フォールが足を打ち鳴らすように大地へと叩きつけると、足元の影から無数の灰色の手が飛び出し、ミリオンへと向かっていく。
「俺たちも始めるぞ! ライトさんとの戦いでは見せられなかった、コンビネーションを見せつけてやろうぜ!」
「了解」
「ああ、筋肉が高ぶるな!」
百一が大きく腕を広げると、背中から灰色に染まった鳥の翼が現れる。その翼は二度大きく羽ばたくと、百一の足が地面から浮かび上がる。
そのまま空中で前傾姿勢になると、弾丸のように飛び出していく。
「援護は任せて」
百五がスカートの裾をつまみ、膝を軽く曲げると、スカートの中から二枚の三角形の頂点を合わせた、落書きで描かれた蝶のような物体が現れ、ふわふわと百五の周囲を漂っている。その数は二十。
「リボンたち、お願い『闇弾』」
その物体は灰色のリボンらしく、リボンより少し離れた位置に闇が凝縮し、作り出された拳大の闇弾が全弾射出される。
「沸れ、我が肉体! 迸れ、熱き血潮! 筋肉賛歌っ!」
特に意味のない言葉を叫びながら、百八が暑苦しい笑みを浮かべ、胸の前で手を組み合わせたポーズのまま、ミリオンに突っ込んでいく。
「舐めないでよっ! ちょっと計画とは違うけど、あんたたちをさっさと蹴散らして、挟み撃ちにでもすればいいだけの話なんだから。って、そこの筋肉だるま! キモい笑顔とテカテカした体で近寄るなっ!」
ミリオンが顔を歪め睨みつける先には百八がいる。さっきとはポーズを変え、今度は頭の後ろに両手を移動させている。その体勢で足だけが素早く動き上半身が全くぶれていない動きが、ミリオンの不快感を煽っているようだ。
「何を言う! 肉体美は見せつけてこそ輝くのだよ! 貴様のような根暗なヤツは筋肉を鍛えれば全てが解決だ! 肉汁旋風筋!」
ミリオンは、フォールと百五の遠距離攻撃を障壁で防ぎながら、右側面から先端が螺旋状に伸びているヤリで攻撃を仕掛けてきている百一を、闇を纏い巨大化した腕を振るい防いでいる。そんな余裕のない状況で真正面から両腕を大きく広げ回転し、脂ぎっている雫を撒き散らしながら百八が突っ込んでくる。
「く、くるなぁぁ! きゃあああっ! 障壁に何か掛かった、ヌルヌルしてる! 汗臭い汗臭い!」
触れたくもないようで、咄嗟に障壁で回転を続ける百八を防いだのだが、その障壁の表面に摩擦抵抗がないかのように、くるくると回り続けている百八から風が送られてきている。
どうやら障壁には物理的攻撃や魔法を防ぐ性能は備わっているのだが、空気はそのまま通すらしい。流れてくる風には男の臭気がふんだんに含まれており、ミリオンに精神的苦痛を与えることに成功している。
「あれはきっついからな……」
「うん……」
その威力を経験したことがある二人は顔を顰め、同情するような視線をミリオンへ注いでいる。
「締まらないが、効果があるなら問題なしかな。じゃあ、この調子で攻めてみようか」
フォールの呆れたような声に三人は頷くと、更に攻撃を続ける。
ミリオンから離れ、死者の街の住人である五人の元へ駆けつけたライトたちは、横目でフォールたちの戦闘様子を窺っていたのだが、大丈夫そうだと判断する。
「あっちの戦いを眺めていたい気分ですが、そういう訳にもいきませんね。では、こちらも始めましょう。覚悟はよろしいでしょうか」
ライトの言葉に味方の女性陣が静かに頷く。
「すまねえ、ライト。またお前に全てを託すハメになっちまった」
両手剣を油断なく構え、ジリジリと間合いを詰めてくるエクスが話しかけてくる。
「操られているのではないのですか?」
完全に支配されていると思っていたライトは、少し眉根を寄せ疑いの眼差しでエクスを見ている。
「体はな。だが、首から上は支配からまぬがれている。ミリオンが言うには、俺たちは抵抗力が高すぎて完全な支配下におけなかったそうだ。この街に住み闇の抵抗力が上がっているのも原因の一つらしいっ!」
謝罪と説明を続けながら、一気に踏み込んでくるとエクスは大剣を上段から振り下ろす。ライトはその一撃を、左へ軽く跳ぶことにより寸前で避ける。
「すまんライト! 抵抗しようとはしているが、体の動きを止められないっ!」
斬り下しから剣先が跳ね上がり、下からライトに襲いかかるが、それも難なく躱してみせる。
「斬りつけながらの謝罪とは斬新ですが、勘弁願いたいところですね。手を出そうにも、後ろで控えている二人が驚異ですし。味方は――」
ライトが仲間へ視線を向けると、イリアンヌが全力でキャサリンから逃げている場面を目撃する。
「逃げないで、イリアンヌちゃん! アナタのために作った、この戦闘服着てみてよ。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけでいいからぁー」
「あんた、操られてないでしょ! 絶対操られてないわよね!」
「そんなことないわよ。私の意思に反してイリアンヌちゃんを追いかけてしまっているもの。本当は強引な手段なんか取らずに、普通に説得して着せたかったのっ! でも、しょうがないわよね……体が勝手に動いちゃうんだもの!」
黒く艶のある戦闘服らしきものを両手で掴み、腕を伸ばして戦闘服を見せつけるような格好でイリアンヌを追走している。
「嘘だー! 絶対に嘘だー!」
二人の駆け回る姿を横目で確認しながら、激しい攻防を続けているライトとエクスは何とも言えない表情を浮かべている。
「あ、まあ、意識して体を動かしているわけじゃないから、本能が相手の嫌がる攻撃を判断して優先されたようだ……シリアスって何だろうな」
頭上へ落ちる大剣を、手甲を交差させ受け止めた状態でライトはため息をつく。
「こういうのが我々らしくて良いのでは。悲痛に顔を歪めた戦いなんて似合いませんよ」
「違いねえなっ!」
接近していた二人にエクスの後方から魔力の弾丸が降り注いでくる。二人はその場から飛び退き間合いを広げる。
「すまない、ライト君。口が自由になるので、詠唱が必要な大魔法や発動時に魔法名が必須な魔法は放つことができないのだが、簡単な魔法なら魔法名を口にしなくても撃ててしまうのだよ。今日ほど、自分の才能が恐ろしいと思ったことはないよ」
そう言いながらも、少し自慢げな顔に見えるのはライトの気のせいなのだろうか。
今の情報が嘘でなければ、ライトたちはかなり有利な状況になる。高威力の魔法は実質上、使用不可であり、魔法名を言わずに無詠唱で放つ魔法というのは、本来の威力より劣るからだ。
お返しとばかりに、ファイリが聖滅弾を発動させるのだが、聖属性の弾は全て灰色に輝く壁に防がれてしまう。
「ファイリは強くなったわね。今の聖滅弾もかなりの威力だったわ。こうやって敵に回ってしまったけど、貴方の成長が見られて本当に嬉しい」
灰色の壁が消えた先には、ファイリの記憶と寸分違わない笑みを浮かべる姉の姿があった。
ファイリは今にも飛び出して、抱きつきたくなる気持ちを、拳を握り締めぐっと抑え込むと、大きく深呼吸を繰り返し、冷静さを取り戻す。
「お久しぶりです、お姉さま。お変わり……あったようですね。何ですかその服装は。そんな法衣を生前は着ていなかったはずですよ。お姉さまは、いつも、こうおっしゃっていましたわよね「聖職者たるもの人の見本とならなければならない。服装の乱れは心の乱れ。どんな時でも恥じることのない服装でありなさい」と。何ですかその太もも剥き出しなスリットは! 法衣もサイズがおかしいですよね! その無駄にスタイルのいい体を見せつけてどうするというのですか、恋人もいないのに!」
半眼で凍てつくような寒さを付随した冷たい視線が、ミミカの胸を貫く。
「はうっ! で、でも、ファイリちゃん。ほら、私は死んでいるし。もう、何にも縛られなくてもいいと思うのよ。だから、ちょっとぐらいハメを外しても、いいんじゃないかしら」
ミミカの眼球がくるくると慌ただしく動いている。額とこめかみに、じんわりと汗がにじみ出てきているようだ。
「地方の村から出てきて、都会に染まった若者みたいな言い訳はしないでください! でも、だから、がついた文章なんて認めませんからね。自分が間違えてないと思うなら、言い訳をせずに正論で言い負かしてください!」
腰に手を当て仁王立ちをするファイリからミミカは完全に視線を逸らしている。勝敗は誰の目にも明らかだった。
「つ、強くなったわね、ファイリ」
項垂れた状態で力なく呟くミミカは体の自由が効かないはずなのだが、肩も力なく垂れ下がっているように見える。
「……さて、もう一方の戦いはどうなっているのか」
ファイリやイリアンヌの戦いとは対照的で、話し声が一切聞こえてこないロッディゲルスの戦場に目をやる。
ロッディゲルスは距離を開けて土塊と向かい合っているのだが、両者とも一歩も立ち位置から動いていない。
時折、二人が立つ場所の中間地点で、バチッという音と共に火花が散る。常人には何をしているのかわからない速度で、二人は静かな戦いを繰り広げている。
「土塊さんは歌がなければ弱いかと思っていたのですが、まさかあれ程の使い手だとは」
足元をすくう様に放たれた横薙ぎを軽く飛び越え、ライトは感心している。
「だな。俺も土塊の戦いを初めて見るが、あいつ、鋼糸使いだったのか」
浮いた状態から体勢の低いエクスの顔面に、ライトの前蹴りが伸びるが、咄嗟に上半身を反らし、すれすれの状態で何とか避けきる。
二人の目が捉えたのは、黒鎖と目で確認するのが困難なほど細い鋼糸が高速でぶつかる映像だった。
「どうやら、こちらの方も暫くは大丈夫なようです。これで安心してやれますよ」
「ああ、そうだな」
死者の街では現在、四つの争いが勃発している。
ミリオン対フォール、百一、百五、百八。
キャサリン対イリアンヌ。
土塊対ロッディゲルス。
そして、エクス、ロジック、ミミカ対ライト、ファイリ。
ライト側の味方は足止めと時間稼ぎがメインなので勝つことが目的ではないが、手を抜いて戦える相手ではないので、本気で倒すつもりでやっている。
どの戦いも実力は拮抗しているように見える。ライトとしては自分たちの戦いに早くけりを付け、順次手を貸し倒していく予定だが、三英雄相手に余裕はない。
「ライトには悪いんだが、こうやってお前と戦えるのが少し嬉しい自分がいる。もう一度お前と真剣勝負をしたいと思っていたからな」
「それは光栄ですよ。私も本気を出せる相手との戦いは嫌いじゃないですよ。ですが、今は状況が状況ですので、そんなことも言っていられませんが」
守りに徹していたライトがそこで初めて攻撃に転じた。巨大メイスを肩に担ぎ、全身のバネを使いエクスの頭へ振り下ろす。
巨大な鉄塊が落ちてくる迫力は相当なもので、その攻撃を受け止める気など微塵も起こらなかったエクスは大きく後方へ跳ぶ。
ライトはその動きを見越して、メイスが地面へ叩きつけられる前に柄から手を離す。避けたはずの鉄塊がエクス目掛けて放たれる。
エクスは巨大な鉄塊を咄嗟に上げた両手剣で受け止めるのが精一杯だった。
「うおおおおおっ!」
飛び退き足が宙に浮いた瞬間を狙われたので体が踏ん張ることができず、鉄塊に激突した状態のまま後方で控えている、ロジックとミミカの元へ吹き飛ぶ。
「エクス、馬鹿、来るな! 『魔障壁』」
「え、ええと、こっちこないで『聖域』」
悲鳴を上げながら飛んでくるエクスと鉄塊に、恐怖を感じた二人は咄嗟に防御魔法を唱えてしまう。
「て、てめえらっ! ぐおおおっ」
鉄塊と防御魔法の板挟みになったエクスがくぐもった声を上げる。
「かつての仲間と戦うのは本当に心が痛みますよ。更に追い打ちの『聖光弾』をどうぞ」
まるで太陽のように燦々と輝く巨大な光の弾が、三人の頭上へ降ってくる。
「「「あっ」」」
醜い言い争いをしていた、三英雄が光に包まれ爆発する。光の奔流に飲み込まれた三英雄の姿は眩い光で遮られ見ることはできないが、まだ健在だろうとライトは予想する。
『聖光流滅』
光が消えない爆心地へ、ファイリからの容赦のない一撃が着弾する。
「これは酷い。操られているとは言え、もう少し優しさを見せても良いのでは? 『聖光弾』」
「優しいからこそ、早く皆を救ってあげたいんだ。あんな、お姉さま見ていられない『聖滅弾』」
「そうですか。身内である貴方の苦しみは私とは比べ物にならないですよね『聖光弾』」
「ライトだって付き合いは長いだろ。無理はするなよ『聖滅弾』」
「ありがとうございます、ファイリ『聖光弾』」
「礼なんか言うなよ。まあ、少しはお前が心配だからな『聖滅弾』」
「「「いい加減にしろおおおおおおおっ!」」」
叫び声と共に爆心地に漂っていた粉塵は吹き飛ばされ、そこら中が陥没した地面の上に三英雄がボロボロの状態で何とか立っている。
「こっちが攻撃を何とか凌いだと思ったら、防御を解く暇もなく攻撃を続けやがって! 会話に魔法を織り交ぜんなっ! あと、甘酸っぱい空気になんかさせんぞ!」
両手剣で体を支えている状態だというのに、怒鳴る元気は残っているようだ。
「そうだっ。死んでも目の前でイチャイチャなんかさせないからな」
「独り身のお姉ちゃんを差し置いて、許しませんからね!」
見当違いなことで怒っている三英雄をライトは薄い笑みは崩さぬまま、半眼で見ている。
ファイリは頬を赤く染め、ライトからそっぽを向いている。
「さて、ここまでにしておきましょうか。そこまで消耗した状態では、私の一撃を防ぐことは不可能でしょう。それに、皆さんが自分の力を押さえ込むのも、意識を保っていられるのも、そろそろ限界ではないのですか。三英雄の皆さん、何か言い残すことはありますか」
身体は戦闘状態を保ったまま、三人は顔を見合わせ小声で会話をする。
そして、ライトへ向き直り口を開いた。
「何だ全部バレていたのか。まあ、あれだ、俺自身は死後も楽しい人生だったぜ。思い残すことはただ一つ、ライト、この街の住民と俺たちの恨み晴らしてくれ。頼んだぞ!」
「はい、お任せ下さい」
ライトが揺るぎない声で断言すると、エクスは満足そうに笑う。
「虚無の大穴でも、ここでもライト君に頼ってばかりで本当にすまない。この街ではエクスとミミカと一緒に冒険ができて本当に楽しかった。生前より幸せな日々だったよ。本当は、この力を皆の役に立てたかったけど、そこまで望むのは贅沢だよね。さようなら、ライト君。後はよろしく」
「はい、全力を尽くしますので、安心してください」
ロジックは心からの笑顔を浮かべる。生前の虚無の大穴と、この街で何度も会っているロジックの無邪気に笑う顔を見るのは初めてのことだった。
「ファイリ、教皇になったらしいわね。おめでとう。でも、そんなに片意地張って生きなくていいのよ。辛くて辞めたくなったら、ライトさんに責任とってもらって寿退社って手もあるのよ。あと、少し目を閉じてくれる? ん、貴方にこれを託すわね。じゃあ、ライトさん、この子のことを宜しくお願いします。私は最後まで悪い姉で……ごめんね」
「そんなことない。そんなことない! お姉ちゃんは私にとって最高のお姉ちゃんなんだから! だから、だから、お姉ちゃん……行かないで。私を置いて逝かないで……」
「ごめんなさい。本当にごめんね、ファイリ。ライトさん、お願い」
「はい。皆さんに出会えたことは人生の宝ですよ。『聖属性付与』皆さん本当に、お疲れ様でした」
ライトは胸からこみ上げてくる熱い何かを堪え、三英雄の元に駆け出す。
笑顔で待ち受けている三人へライトは目を逸らさずに――メイスを振り下ろす。
恐怖も苦しみも一瞬で終わるよう、渾身の力で叩きつけた一撃は死者の街を揺らした。
衝撃で土砂が吹き飛び、陥没した地面の最も深い部分で、ライトは小さく祈りを捧げる。偉大なる三人の英雄が安らかな眠りにつけますように、と。