ライトアンロックの日常3
彼らが最初に目にしたものは、円錐状の突起物だった。
崖下からせり上がってきた突起物は一メートル程の長さをしていた。そしてその突起物の下から現れたのは巨大すぎる頭と、一眼だった。
「サイクロプス……」
誰かの呟く声が静まりきった空間に広がっていく。
サイクロプスとは額に一本の角を生やす、一つ目の巨人を指す。全長五~十メートルとされており、ずば抜けた怪力で有名なBランクの魔物である。
「サイクロプスなら、何とかなるな」
サンクロスは敵の顔を見て、少し安堵したようだ。
「いえ、この峡谷には普通のサイクロプスなどいませんよ。全て闇属性か不死属性ですから」
サイクロプスは巨人族と呼ばれる種族で属性は土となっている。通常ならこの闇の魔素が溢れる死の峡谷に存在しているわけがない。
「よく見ていてください、まだ全身が見えていませんよ」
顔の次に姿を現した部位は、異様なまでに長い右腕だった。それも、サイクロプスの巨体を支えるには少し頼りない細さの腕。
それに、サイクロプスの顔は浅黒い色をしているのだが、その腕は白や黄色や黒い糸が絡み合っているような配色をしている。
「あの腕変じゃないか?」
シェイコムがその違いに気づき顔を歪めている。
右腕の次に左腕が崖から這い上がってきた。その左腕も右腕と同様な形をしている。
「あの細腕、本来より弱い個体じゃないのか。どう見ても細すぎるだろ――おぉぉぉぉっ!?」
シェイコムの訝しむ声が、続いて現れた何かを見て絶叫に変わった。
右手左手に続いて同時に六本、同じような腕が崖から伸びてきたのだ。全身の姿を見た生徒一同は悲鳴を上げることもできず、その魔物から少しでも離れようと後退する。
サイクロプスの頭と体に細長腕が八本生えている魔物。その細腕は良く見ると無数の人間の腕一本一本が糸のように編みこまれ、魔物の腕を作り出していることがわかる。
「な、なんですかあれは! サンクロス教官!」
シェイコムに肩を捕まれ激しく揺さぶられるサンクロスだったが、返事をすることもできずに、ただ目の前の化物を凝視していた。
「あれは、ヘッドハンドですよ。授業で習いませんでしたか?」
代わりにライトがシェイコムに答える。
「え、いや、だってヘッドハンドは低級な魔物に殺された人々の腕が、殺した魔物の手足の代わりに八本生えている魔物ですよね!」
「五十点といったところでしょうか。詳しく説明をするとですね」
ライトはシェイコムに顔を向け説明を始めようとしたのだが、その行動を遮ったのはシェイコムの悲鳴に似た叫びだった。
「説明より後ろ! 後ろおおおぉっ!」
得体の知れない魔物が右腕の拳を握りしめ、大きく振り上げ轟音と共にライトの頭上へ振り下ろされた瞬間だった。
その光景を目撃した全ての人が、押しつぶされ見るも無残な姿になるライトの未来を想像した。
だが、ライトは全てが見えているかのように、焦りもせず口を開いた。
「説明の邪魔を――しないっ! 『聖属性付与』」
振り向きざまにメイスに聖属性付与をかけると、魔物の右腕に叩きつける。強烈な一撃が互いにぶつかり合い、地面さえ揺らすほどの爆発音が響き渡る。
振り下ろされた右腕は弾き飛ばされ、魔物は大きく体勢を崩す。
「ふっ、腕の一本が千切れ飛ぶ予定で振ったのですが、健在ですね」
予定と違う結果にライトは不満げに鼻を鳴らす。
それを目撃した一同は、驚愕に目がこぼれ落ちそうなほど大きく見開き、口を何度も開閉していた。あまりの常識離れした状況に声もでないようだ。
「説明の途中でしたが、まずこれをどうにかしましょうか」
ライトはメイスを地面に突き刺し、手を開いた右腕を天へ伸ばす。
『聖光弾』
そう唱えると、手のひらの先に光が収束し発光を始める。その光は初め握りこぶし程度の光る玉だったのだが、それが徐々に大きく膨らんでいく。直径五メートルはある光の玉が完成したところで、ようやく光の膨張は止まった。
その光の玉に五指をめり込ませ大きく振りかぶると、魔物へと投げつける。
唸りを上げ光の剛速球が魔物の頭部へ直撃すると、体勢が崩れていた魔物は更に仰け反ることになり、断崖へと落ちていった。
ライトは崖の淵まで歩み寄ると、身を少し乗り出し眼下を覗いた。
「結構下まで落ちましたか。これで説明の時間が稼げます。では、先ほどの続きですが、あれはサイクロプスが素体のヘッドハンドでして」
再び始まったライトの説明を誰も聞いていなかった。
絶体絶命の危機に見知らぬ魔物。それに加えて常識を逸脱した力を持つ聖職者に、見たこともない魔法。それを目撃した者の数名は、脳が現実を受け入れられずに思考を拒否したようだ。光のない死んだような目に、力のない笑みを浮かべている。
「な、な、な、な、なんですか今の魔法!」
いち早く正気を取り戻したシェイコムが、頭を振り乱しながらライトに詰め寄った。
「皆さんご存知の聖光弾ですが、何か」
「いやいやいやいやいやいや! 聖光弾というのは手のひらサイズの小さな光の球ですよ! あんな馬鹿でかいわけがないです!」
「と言われましても。ええと、貴方の名は?」
名を問われたことにより冷静さを取り戻し、シェイコムはどれだけ失礼なことをしているのかを理解したようだ。慌てて背筋を伸ばし敬礼をする。
「はっ、失礼いたしました。私は聖イナドナミカイ学園、三年一組神官戦士見習い、シェイコムと申します!」
「シェイコム君ですね。あの聖光弾は修練の賜物ですよ」
ライトの解答に全く納得できないようで、渋い顔をしている。
「オリジナルの魔法というわけですか。失礼しました」
シェイコムはライトの言葉を間違った方向に深読みし、勝手に納得したようだ。
「それでいいなら、別にかまわないのですが……あまり時間が取れなかったようです。全員もっと下がって。聖騎士は聖壁を生徒たちの前で構えて流れ弾や、不意の事故を防いでください。また、きますよ!」
生徒たちと教師は徐々に大きくなる地鳴りに、自分たちの置かれている状況を思い出したらしく、指示に従い少し離れた場所で守りを固める。
ライトもその場から後方へ飛び退くと、さっきまでいた場所に崖から飛び出してきた巨体が着地した。
サイクロプスの体を持つヘッドハンドは、その大きな単眼にライトの姿を捉えると八本の腕を器用に動かし、かなりの速度で迫ってくる。
ヘッドハンドの異様に長い腕が届く間合いに入ると、先ほどの攻防で学んだのか右腕一本だけではなく、右腕二本に左腕二本を左右から挟み込むように叩きつける。
『聖域』
ライトの周囲に発生した青白い光の六面体が、その攻撃を全て防ぐ。
ヘッドハンドは防がれた四本の手を聖域から離すと、左右の手を合わせて指を絡ませた。その腕を頭上へ振り上げ拳を上下に重ね、渾身の一撃を放とうとした。
ライトは聖域を解くと素早く魔法を二つ唱える。
『上半身強化』『下半身強化』
その魔法を聞いた生徒たちの表情が絶望の色に染まる。聖光弾よりも使い手がいない、初歩中の初歩魔法をこの緊迫した場面で聞いてしまったためだ。
上半身強化と下半身強化は、その名が示すとおり上半身の筋力増加と下半身筋力増加を可能にする魔法だ。使い勝手は悪くない魔法なのだが、この二つの魔法を無意味にする、魔法が存在する。『全身強化』という魔法だ。
この全身強化は筋力増加の値が上記の二つとほぼ同様なのだ。魔力の消費量も二つの魔法を合わせた量より少なく、全身強化さえあれば、上半身強化と下半身強化は無用の長物になってしまう。
ちなみにライトは全身強化を覚えられなかったため、この二つを使い続けていた。
二つの魔法を発動させたライトの体に異変が起こる。全身が燃え上がったのだ。それも普通の炎ではなく、白く輝く光の炎が全身にまとわりついていた。
「うらああああああっ!」
日頃からは想像もできない獣の咆哮のような声を上げ、持てる力の全てをメイスの一撃に注ぎ込む。
右足を軸足とし、左足を大きく一歩踏み出す。
踏み込みの勢いを腰の回転で相乗させ、力を上半身へと伝える。
限界まで捻っていた上半身を下部から流れてきた回転力に合わせ開放し、全ての力を受け取った巨大なメイスが全てを破壊すべく襲いかかる。
粉砕。
その一撃を表現するに相応しい言葉だ。
彼らの目には、光の炎が渦を巻き、光の竜巻となりヘッドハンドへ襲いかかったように見えた。その光の竜巻に触れた魔物は触れた瞬間、全身が光の粒子となり後方へと吹き飛ばされる。
空間が悲鳴を上げ、軋む音が遅れて鼓膜を激しく震わした。
吹き付ける爆風に巻き上がる砂塵。
吹き飛ばされないように地面に伏せ、懸命に耐えていた一行が顔を上げると、そこには誰もいなかった。
「サンクロス教官……なんだったのでしょうか」
地面がえぐれ円形の窪地になっている場所から目を逸らさず、シェイコムはたずねた。
「噂なんてものは、あてにならぬものだ。今日つくづく実感したよ」
シェイコムに答えたというより、自分へ言い聞かせるようだった。
「噂の内容が過小評価だったとは」
この日、現場に居合わせた生徒たちの大半は人外の力を持つライトに畏怖を覚えた。
だが、数名の生徒は人がここまでの高みへ到達できるものなのかと感動を覚え、自分もその高みへ一歩でも近づきたいと考えた。
「俺もそこまで行ってみたいっ!」
一番強い憧れを抱いたのは、シェイコムだった。
彼はこの日を境に日々の鍛錬を厳しいものへと変え、急成長を遂げる。いつかまた、ライトアンロックという名の聖職者に会うために。