死者の街 防衛戦
闇を纏う魔物の大軍団が死の峡谷にいる魔物たちを蹂躙しつつ、死者の街を目指し行軍している。長く伸びた群れの先頭が石橋を渡りきり、死者の街への入口へとたどり着く。
そこには黒い鎧を纏い同色の大剣と盾を装備した首なし騎士が二体、閉じた門の前で大剣を交差させ、魔物の軍団への警告を口にする。
『闇の魔物が何のようだ! ここは死を司る神に選ばれし魂のみが通ることができる。キサマらのような輩を通すわけにはいかぬ! 我らの目の黒いうちは!』
顔が存在しないというのに、雄叫びのような大声を上げ魔物たちを威圧するが、怯える様子もなく進行を続ける。
『ならば我ら門番を倒して進むのだな!』
交差していた大剣を大群へ向けると、軽く手を振るかのように大剣を横薙ぎする。
三日月状の巨大な黒い刃が大剣から飛び出し、魔物たちをいともたやすく両断していく。黒の刃は首なし騎士が剣を振るう度に発生し、魔物たちを次々と切り裂いていく。
『何を血迷うて、死者の街へ襲いかかっているのかは知らぬが、我らの首が欲しくば、全力でかかってこい!』
首なし騎士は啖呵を切るが魔物たちは何の反応も見せず、それどころか自分の意思は存在していないかのように、仲間の屍を乗り越え、飛翔する黒い刃を恐れずひたすらに前へ前へと進んでいる。
『これだけの魔物を相手にしおると、目も回る忙しさじゃ。額の汗を拭う暇すらないのぉ』
そこに存在しない頭の位置に手の甲を移動させると、汗を拭う仕草をする。
『しかし、これは時間の問題じゃの。街の連中に情報を伝えておくか』
いつもと変わらぬ朝を迎えるはずの死者の街に、けたたましい警報の音が鳴り響く。
まだ早朝と呼べる時間なので、多くのものは眠りについていたのだが、街中に轟く音量の大きさに住民は飛び起きる。
住宅の窓が開けられ、住民は音の源を探っているがどうやら上空から音声は届いているようだった。
『あー、皆すまぬ。早朝から騒がしかったかの。この街の門番をやっている首なし騎士じゃ』
騒音が止み、代わりに聞こえてきた声に――村人の罵声が被せられる。
「てめえ、人がいい気持ちで寝ていたのによっ! 夢の金髪美女を返しやがれ!」
「ちょっとぉ。無理な起床はお肌に良くないのよっ!」
「私の金貨風呂はっ!? ねえ、私の金貨風呂っ!」
ちなみに、目立つ怒鳴り声を上げているのは、上から、エクス、キャサリン、イリアンヌの順番である。
『すまんな。苦情は後にしてもらえるか。ちょいと冗談ではすまぬ事態なのでな。現在防戦中じゃが、大量の闇の魔物がこの街へと押し寄せてきておる。数は正直わからぬ。少なくとも万単位じゃろうな』
そこまでを聞いた町の冒険者の殆どが窓際から立ち去ると、一斉に武具の確認をし始める。
『門前のそれ程、大きゅうない足場じゃから何とかなっておるが、突破されるのは時間の問題じゃ。すまんが後はよろしく頼む』
首なし騎士の声がそれ以上、響いてくることはなかった。
早い者は声が止む前に住居から飛び出し、入口の門を抜けて直ぐの空白地に集まり始めている。戦闘員ではない住民は好奇心を抑えきれない者を除き、死者の街奥へと避難する。
続々と集まり始める冒険者の背後では、町の大工や職人たちが冒険者たちを取り囲むように半円状のバリケードを築いている。
巨大な設置型武器であるバリスタや投石器も、民家の屋根や物見台に設置されているようだ。
「皆さん迅速にお願いします! 我々はこの街では死なない体ですが、倒されないように気をつけてください! 死を司る神からの伝言があります『死を回避してください。嫌な予感がします』とのことです! 倒されそうになったら無理をせず後方へ退いて、治療を受けてください!」
冒険者ギルド職員が魔道具の拡張器を使い、冒険者や協力者へ指示を出している。
「これは緊急事態です! 戦闘能力のない野次馬はとっとと逃げてください! 正直、邪魔です!」
冒険者ギルド職員に食ってかかる血の気の多い者もいるのだが、それは極少数で殆どが大人しく従っている。
非戦闘員が右往左往しているが、冒険者たちは落ち着いたものだ。死者の街の巨大な門が軋みを上げている状況を、ただ黙って見つめている。
集まった冒険者の数はざっと見積もっても、七百は下らないだろう。
「お、スゲエ壮観な眺めだな。しっかし、何で魔物がここを襲って来るんだ」
簡易のバリケード上部に立ち、門周辺を眺めているエクスが首を傾げている。
「さっき、ここの古株に聞いたのだけど、陰の日に暴走した魔物が門へとやってくることはあったが、それも全て門番が撃破しているそうだよ。二百年ここにいるが、こんな経験は初めてだそうだ」
眼鏡の鼻当てを人差し指でくいっと押し上げ、ロジックは来る途中に得た情報を披露する。口調は軽めだが、レンズの奥に見える瞳は真剣な光を宿している。
「これは尋常じゃないわね。門の先には本当に万単位の魔物がいるわ。魔力の大きさから見積もって、主戦力はランクD~Bってところかしら」
体に密着した法衣を身に纏う美しい女性――ミミカが金色の瞳を輝かせ凝視している。
「んだよ、そんなもんか。二万ぐらいいたとしても、ここの冒険者は千を超えてたよな。だったら一人頭、二十ぐらい潰せばいいのか。楽勝楽勝」
肩に担いだ大剣で、肩当てを軽く何度も叩いている。エクスは獰猛な笑みを浮かべ、この先の戦いが待ち遠しいと体で語っている。
「いざとなったら味方ごと広範囲爆撃魔法で掃除するから、二、三千なら残してもいいよ」
表面上は冷静さを装っているロジックだが、本音はエクスと同じなようで、戦いが始まるのを今や遅しと待ち構えている。
「あんたら好戦的過ぎるでしょ。一つ忠告しておくけど、魔物との戦いで全力は出さないで、ちゃんと余力残しておきなさいよ。馬鹿げた量の魔力を内包している個体がいるわ。それも二体。Sランクは確実に超えているでしょうね」
珍しく表情を引き締め、視線の先を睨みつけているミミカの横顔にエクスとロジックの二人は息を呑む。日頃の酔っ払った顔とは別人かと思う程の凛々しい顔つきに、思わず見とれてしまった。
「お、おう。Sランクがいるのか。一体は俺たちで余裕だとして、もう一体も街の上位ランクで余裕だろ。まあ、油断をする気はさらさらないが」
一瞬とはいえ、ミミカに見とれた自分が許せないらしく、頭を左右に激しく振ると冷静さを取り戻した顔で、エクスは意見を呟く。
「そうだね。様子を見ながら戦うことにしよう。ミミカはどうするんだい。治療部隊として後方支援に回るか、一緒に戦うのか」
何かを誤魔化すかのように、ロジックは眼鏡のレンズを手持ちのハンカチで拭くと掛け直し、ミミカを見る。
「その質問が無駄だとわかって言っているわよね。イクに決まっているでしょ」
二人を嗜めてはいたが、ミミカも既に戦闘へ気持ちは傾いている。
三英雄が戦闘参加の意思を固めていたのと、ほぼ同時刻にキャサリン、イリアンヌ、ミリオンは今後の対応を話し合っていた。
「いたいたー! イリアンヌ、キャサリンさんがいたよー!」
頭上の大きなリボンを揺らしながら両手を振りつつ、バリケードを築いているキャサリンに走り寄る姿があった。その背後には露出度の高い服を着た細身の美人が付いてきている。
「あら、ミリオンちゃんじゃないの。ここは戦場になるわよ。大丈夫?」
「門が壊れたら速攻で逃げるからー。大丈夫、大丈夫。あ、それでね、キャサリンさんにもこれ渡しておくね」
それは赤い魔石がはめられている、手のひらサイズの魔道具だった。
「まあ、これって通話機じゃないの? いいのかしら、これってお高いんでしょ?」
「古代人の遺産ならかなりの金額するんだけどー、これは私のオリジナルだからねっ! 三英雄とか主要メンバーにも渡しているよ」
「んま、凄いじゃない! 多くの魔道具技師が研究しているにもかかわらず、成功例が全くないんでしょ、通話機って。それを独学で作り出すなんて、天才じゃないのっ!」
「褒めて褒めてー。もっと褒めてー」
腰に手を当て、大きく胸を反らし、鼻高々といった感じで決め顔をしているミリオンにキャサリンが喝采を送る。
「楽しそうなところ悪いのだけどさ、そんな余裕ないんじゃ?」
疲れた表情で二人へ忠告したイリアンヌは、今にも破壊されそうな門扉へ視線を向ける。
門扉が内側へと歪み、扉の開閉を防ぐ錠である金属製の閂は今すぐに壊れても不思議ではないぐらいに折れ曲がっている。
「あらまあ、これはちょっと危険ね。ミリオンは早く逃げて。私はうちの可愛い子たちと頑張るから」
収納袋から出した両刃の斧と巨大な鉈のような武器を取り出し、キャサリンは愛おしそうに頬ずりしている。
「わかったー。一息つける状態になったら連絡よろしくね。あっ、イリアンヌはどうするの?」
「一応参戦するわよ。かく乱と偵察ぐらいはやっておかないとね。いざとなったらこの足があるから何とでもなるし」
短パンから剥き出しの素足を軽くさすると、自信有りげに笑う。
イリアンヌは当初、逃げるつもりでいたのだが土壇場になって参戦を決意した。命を賭けるまでの義理はないのだが、何か手伝いたいと思えるぐらいは、死者の街を気に入っている自分に少し驚いている。
「そっか、そっかー。おおっ、レアキャラ発見! 後方に土塊さんもいる! ちょっと挨拶と写真お願いしてくるー!」
吟遊詩人の土塊を見つけたミリオンは手を振りながら、走り去っていく。
この状況下においても元気さを失わないミリオンに、二人は苦笑いを浮かべている。
「さてと、イリアンヌちゃん。貴方は結構な修羅場も経験してそうだから、忠告は必要ないと思うけど、一応お姉さんからのアドバイス。危ないと判断したら迷わず、この街から逃げてね。そして、何が起こったのかできるだけ正確にライトちゃんに伝えてもらえるかしら」
いつも慈愛溢れる笑みを浮かべ、母性を感じる優しさを振りまいているキャサリンが、一転して男らしい真剣な表情をしている。
「あんたは、かなりヤバイと判断したみたいね」
「ええ。ここにかなり長くいさせてもらっているけど、こんなことは初めてよ。死者の街にいる限り不老不死だと油断していた住民も、死を司る神さまからの忠告で目つき変わっているでしょ。古株であればある程、現状の異常性に気がついているはずよ」
イリアンヌはこの街でウエイトレスをやっているので、結構な人数の冒険者と顔を合わせてきたが、酒場での彼らは馬鹿みたいに騒ぎ、楽しそうに酒を酌み交わしていた。その彼らが今までに見たことがない表情をしている。意気込みが見ている者にも伝わってくるような顔つきで武器を構えている。
どの顔にも油断という文字は一切浮かんでいない。
「へえ、みんな結構いい顔するじゃないの。今度店に来たら一杯ぐらいはタダで提供してあげようかな」
「あら、それは素敵ね。みんな喜ぶわよ。じゃあ、ちょっと頑張っちゃおうかしら~」
キャサリンがバリケードを乗り越え、激戦が予想される地点へと意気揚々と乗り込んでいく。イリアンヌは遠ざかる背を見送ると、死者の街を取り囲む壁に張り付く。
「まずは、敵の正確な規模と指揮官を探ろうかな……ライト、早く来なさいよ」
最後にそう呟くと気配を完全に殺した。
「流石、死者の街を守る門番といったところかしら。結構時間がかかったわ」
死者の街の入口である巨大な門を見下ろせる位置に、白で揃えられた椅子とテーブルが宙に浮かんでいる。その椅子に腰掛けているのは、大きく胸元の空いた灰色の夜会服を着こなし、こぼれ落ちそうな大きな胸をテーブルに乗せた女性だった。
オペラグラスを覗き込み眼下の様子を見ている姿は、まるでオペラや演劇を見に来た貴婦人のようだ。
外見で判断した場合の年齢は二十代前半に見える。髪は肩にギリギリ届かない程度の長さなのだが、髪の先端がまるで釣り針のように反り上がっている。
肌は浅黒く、楽しそうに歪んだ口が舌なめずりをしている。オペラグラスを外した目には本来あるべき眼球がなく、そこは闇が佇んでいるだけだ。
「全く厄介な街よね。腐っても神と言うべきかしら。信じられないほど強固な結界を張りやがって……っと、嫌だわ。つい口がお下品な言葉を。唯一の出入り口があの門なんだけど、思ったより頑丈よね。まだ破れないのかしら。って相槌ぐらい打ちなさいよ、ギンゼイル。まるで独り言の大きな寂しいやつみたいじゃないの」
女性が前を睨むと対面の席には女性と同じ顔つき髪型をした者が座っていた。顔だけなら見分けがつかないのだが、ただ一点全く違う箇所がある。
対面の相手は灰色の燕尾服を着ている。顔は美形であるが中性的なので性別の判断はつきにくいのだが、髪型は女性っぽいと言えるだろう。
「話は苦手だ。キンゼイル」
それだけを小声で伝えると、黙って座っている。
「あんたがそうやって、何にも話さないから私がお喋りになっちゃったのよ。わかる?」
「性格」
「ったくもう。まあいいわ、あんたとまともな会話していたら日が暮れるもんね。あっちは上手くやっているのかしらね。暗くてねちっこくて陰謀大好きな、あいつ」
「時間稼ぎ」
「単語以外も話せっての。あっちは腕の回収と時間稼ぎぐらい大丈夫だとは思うけど、まあ、人間にしてやられるなら生きる価値なしだし、どうなろうと構わないんだけど。こっちはやることが単純明快で有難いわ。ちょっと面倒だけどー。でも私って甘いのも好きなんだけど、歯ごたえのある肉も好きなのよね」
「同意」
極力話す量を減らそうとするギンゼイルを軽く睨むが、全く気にしていないようだ。
「だから……はぁ。あれよね、防衛対策を万全にするのも納得はしているのよ。上手く考えたものよね。敵ながら感心するわ。有能な死者の魂を集め、永遠の迷宮で鍛え上げ更に強化する。そうすることにより、この街の防衛機能を上げる。我らから守るために考え抜いた策なのでしょうね」
「天晴れ」
「まあ、そんな小賢しい策も、力でねじ伏せればいいだけの話。待ってくださいませ、我が愛しき主よ。早く、ご尊顔を拝謁しとうございます」
頬を赤く染め、恋する乙女のような熱い視線を眼球の失われた窪みから、死者の街へ向けている。ただし、その視線は死者の街を見ているのではなく、遥か地中へ注がれている。
それは永遠の迷宮の最下層。誰もたどり着いたことがない場所で眠り続けている。
目覚めの時を待ち、静かに眠る。
固く閉じられた瞼の奥で邪神は何の夢を見ているのか。
運命の時は刻一刻と迫っている