母
黒い霧に視界を妨げられた状況でライトは無造作に腕を上げる。
液体の詰まった何かが弾けたような音が、何度も荒れ果てた森に響く。
「うわあああっ! 何か、ぶちゅって音がした! 何今の!? ねえ、ぶちゅぶちゅ音がしてるよ!」
布団を何重にも被り、その隙間から透明の壁越しに外を見ているマースが悲鳴を上げている。
「心配しないでください。魔物が弾けた音がしただけです。現在進行形で」
ライトが返事をしている間も、破裂音は止まることを知らない。一体どれほどの魔物が襲い掛かり、撃退されているのか。ライトは数えることを既に放棄している。
何もライトだけが魔物を倒しているわけではない。ナイトシェードも足元を這いずる魔物はその巨大な蹄で踏み潰し、顔の近くに来た魔物は真っ白い歯で噛み砕いている。
処理しきれない魔物が、マースが入っている透明な壁にぶつかるが、小物の魔物では箱を微かに震わす程度で、表面には傷一つない。
「やはり、この箱は頑丈ですね。Aランク魔物が暴れても大丈夫というのは誇大広告ではなさそうです」
「兄ちゃん、兄ちゃん! 周りは暗くて見えないし、微妙な横揺れと引っ張られて上下の揺れで……吐きそう」
景色がろくに見えない状態での揺さぶりに、マースは乗り物酔いをしたようで、真っ青な顔で口元を押さえている。
「部屋の隅に小さな壺が見えますか。耐えられなくなったら、それに吐いていいですから」
ライトの指示に従い部屋の隅を見ると、確かに小さな蓋付きの壺があった。マースは限界が近かったようで、急いで蓋を開けると壺へ口を突っ込んだ。
「その壺は死者の街の友人が作った一品でして、収納袋と同じように物を入れることは可能なのですが、出すことが不可能という不良品でして主に汚物処理に利用を……説明を聞く余裕はなさそうですね」
背後から聞こえてくる、液体が吐き出される音を意図的に遮断し、戦いに集中をする。
高台を降りて村への道を一直線に進んでいたライトだったが、もう既に着いているはずの距離を進んでいるというのに、村へたどり着くことができず、魔物と戦い続けている。
本来なら、ある程度進んだところでマースとナイトシェードには逃げてもらう予定だったのだが、溢れ出した魔物の処理をしているうちに奥まで進んでしまい、完全に逃げるタイミングを失ってしまった。
「ここからでも、引き返したほうが利口かもしれませんね」
「嫌だかんな! 絶対に父ちゃんを見つけ出すんだ!」
壺から口を離し、服の袖で口元を拭っているマースが涙目でライトを睨んでいる。
ライトはこの押しに負けて、ここまで連れてきてしまったことを心底後悔していた。ここから先は危険度も増していくのは間違いないだろう。
それに、少女には刺激が強すぎる光景が広がっている。今は闇の魔素が濃いので見えていないようだが、この闇が一面に広がる地面には、無数の闇属性の魔物が無残な死体となり転がっている。
「マースさん。気持ちはわかりますが、ここは一旦引きましょう。闇の魔素が強すぎます。抵抗力の高い私や魔物であるナイトシェード号は何ともありませんが、貴方には悪影響を与えます」
聖光弾でも発生させ、闇の魔素を吹き飛ばしたいところだが、マースのことを考えると闇を払い視界を確保する訳にもいかない。
「嫌だ! 嫌だっ……俺にはもう、父ちゃんしかいないんだ! 母ちゃんが死んで、父ちゃんまでいなくなったら……違う……本当はわかってる。父ちゃんが生きている可能性が殆どないってことも! でもそれなら、せめて父ちゃんを見つけてやりたいんだよ!」
頭を左右に激しく振り、必死に抵抗の意思を見せるマースへ、透明の壁越しに視線を合わせる。
「私はね、多くの死を見てきました。そして死を経験した人たちとも会話をしたことがあります。死者が望むことは、大切な人が無理をすることではありません。大切な人が幸せに生きること。そして、自分を忘れずにいてくれること。それだけです」
死者の街へ手紙を届け、受け取った住民の多くは、大切な人が元気にしていること、自分のことを忘れず今でも想っていることを知り、成仏していった。別の未練があった住人も自分が今も愛されているという事実を知り、成仏した者も少なくなかった。
死というものに触れる機会が多かったライトだからこそ、伝えられる一言には重みがあった。
「わかったよ兄ちゃん。そうだよな。何もしてない俺が無理言ったらダメだよな。うん、じゃあ帰ろう! でもさ、兄ちゃん……どっちへ進めばいいかわかんの?」
ライトは辺りをぐるっと見回すが、黒い霧状の闇が広がっているだけで、自分がどの方角から進んできたかも定かではない。
「ナイトシェード号はわかりますか?」
急に話を振られたナイトシェードは困ったように嘶くだけだった。
「では、帰還を目指し前向きに善処するということで」
「兄ちゃん、その言葉は驚く程、説得力がないよ……」
薄々勘付いてはいたが自分たちが迷子状態だという現実から、これ以上目を逸らすわけにはいかないようだと、ライトは大きなため息をついた。
あれから二時間ほど過ぎたが、ライト一行は闇から抜け出すどころか、更に濃い闇に覆われている。
元気が取り柄のマースは口を開く気力さえ無いようで、想像以上に闇の魔素の影響が出始めている。ライトは収納袋から予備の法衣を出すとマースに着させる。聖職者の法衣には微量だが聖属性が付与されているので、ある程度の闇属性なら防いでくれる。
それだけでは安心できないので、布団へ完全に埋もれさせ外を見せないようにさせると、聖光弾を発動させた。
特大サイズの光の球がライトの上空へふわふわと浮かぶ。その光が辺り一面を照らすと、物が焼け焦げるような音を立て、闇が消滅していく。
闇が晴れると、そこは森が切り開かれた場所で、ライトの目の前には木製の朽ち果てる寸前の杭がずらりと並んでいた。
その杭が途切れた場所には、木製の門があるのだが扉のようなものは何処にもなく、誰でも出入りできる状態になっている。
「ここまで近くにきていたのですか。村に」
何もかもが古ぼけてはいるが、確かに自分が生まれ育った村を守っていた外壁だと、ライトは思わず手を伸ばし感触を確かめている。
そのまま、壁沿いに門の前まで進むと、村の内部へと視線を飛ばす。
そこには一部が瓦礫と化した村があった。その光景はライトが最後にこの場所で見た光景と寸分の違いもないように思える。
この村にいる。それだけでライトの腹の底から、熱いものがせり上がってくるのを抑えられない。
瞼を閉じれば、あの光景が鮮明に蘇る。
ライトは生涯忘れることがないだろう。ライトを残し全ての村人が死に絶えたあの日の事を――
ライトアンロックは北方のとある村で生を受けた。
彼の人生は生まれた直後から波乱に満ち溢れていた。
生まれつき赤ん坊とは思えない筋骨隆々の体をし、出産時に産婆の指を折るという行為をしでかした子供に実の両親は怯え、育てることを放棄する。
誰もが恐れた赤子を、その村に住む若い聖職者が親代わりになることを自ら名乗り出た。
多くの者が、この子は悪魔の子だと騒ぎ、このまま死なせるべきだという意見が村人の総意と成りつつある場で、聖職者の女性は声を荒らげた。
「この子は人の子です! 皆さんが悪魔だと怯えるのなら、私が責任をもって聖職者として育てます!」
この一言により、ライトは生存を認められることとなった。
本来なら聖職者とは言え、この状況で村人の意見を覆す権限はない。だが、この村の聖職者の立場は他とは異なっている。
そもそも、聖職者が人口百人にも満たない村に常駐しているというのは珍しいことなのだが、この村には古くから聖職者が住んでいた。それも、何年か経つと首都からやって来た若い聖職者と入れ替わる。それを長年繰り返している。
そんな村にいる聖職者は村長と同じか、それ以上の権限を持つことが許され、二十歳を迎えていない聖職者の意見であっても誰も覆す事ができなかった。
育ての母となった聖職者の女性はどのような人物だったのかと、ライトはそう聞かれると少し悩んでから、こう答えることにしている。
「豪快で、自由奔放で、泣き虫で、我が儘で、天然で、負けず嫌いで……強くて、優しくて、暖かくて、誰よりも私に愛情を注いでくれた大切な人ですよ」
ライトを貰い受けてからというもの、聖職者の女性にプライベートの時間は存在しなくなった。目を離せば自分の筋肉に内臓と骨をやられ、口から血を流す赤子を放って置ける訳もなく、子供を抱いている形になるように布で固定して、一日中、傍にいる状態で日常の雑務をこなしていた。
作業をしている間も微量に放出するように調整した治癒をかけ続け、ライトの体には毎日、治癒の魔法が流れ続ける。
内臓や骨の強化も考え、食生活には骨を強くすると言われている食材を取り入れ、内臓の強化には薬物に詳しい友人からの助言を参考に奮闘する日々を送っていた。
物心が付いた頃には、ライトは健康優良児へと育っており、自分の力を制御できずに自分の体を傷つけることはあったが、筋肉に内部を破壊されることは少なくなっていた。
他の子供を傷つける心配があったのだが、村人は絶対にライトへ近づかないように子供たちへ言い聞かせていた。
いつも独りで過ごしていたライトと遊んでくれるのは育ての母だけだったが、育ての母は負けず嫌いを発揮し、どんな勝負であろうと手を抜くことは無かった。
「ふははは! 母を超えるには十年早いわ!」
悔しがる子供を前に腰に手を当て、勝ち誇る大人げない姿を村人は良く目撃していた。
そんな負けず嫌いな母と過ごしているうちにライトも影響を受け、勝つ為に手段を選ばなくなり、今の戦い方が形成されていったのは余談である。
いつも、村人たちはライトを化物でも見るような目で遠くから睨みつける。
ライトはそんな環境でありながらも、誰を恨むこともなく真っ直ぐに育っていく。五歳になり、今後の生活も考慮して治癒の魔法を母から教えられた時、ライトは今までに見たことがない、心の底から溢れ出した嬉しさが伝わってくる、満面の笑みを浮かべていたそうだ。
「精神を集中して……神様に祈らなくてもいいわよ。神聖魔法とは名ばかりで、ただの聖属性魔法なのだから」
聖職者として身も蓋もない教育方針が、ライトの教義に関する考え方へと繋がっていくのだが、これも余談である。
かなり厳しい教育方法だったのだが、ライトは愚痴一つこぼすことなく学んでいる。自分が母にどれほどの負担を強いているのかを肌で感じ取っていたライトは、少しでも自立できるよう全力で取り組んでいた。
「基本は全て叩き込んだ。良くやった……我が弟子よ……」
今日の日の為にわざわざ用意した、必要のない無駄に立派な杖をつき、白い付け髭を顎に装着しライトの前で涙を堪えるふりをしている母がいる。
ライトが十四歳の誕生日を迎えた日、朝食を終えると家の前で待ってなさいと言われ、大人しく待っていたライトの前で茶番劇が始まった。
「聖職者としての基本である『治癒』『上半身強化』『下半身強化』『聖属性付与』『聖光弾』を覚え、使いこなせるようになった弟子にはこれを渡しておこう」
手渡されたものは昨日、来週町に買出しに行くとき用にメモしていた紙の裏に免許皆伝と書かれた、卒業証書だった。
ライトはそれを受け取ると、丸めて投げ捨てる。そして、母へと生暖かい視線を飛ばしている。
「ちょっと、そこは突っ込むなりする場面でしょ。まったくもう、教育方針間違ったかしら」
そう言って拗ねる母をなだめると、何とか機嫌が治り、再びノリノリで芝居がかった動作を交えつつ今後の話を切り出してきた。
「ライト、貴方には一ヶ月後、この村を旅立って神聖イナドナミカイ国の聖イナドナミカイ学園に行ってもらいます。って、無駄に言いにくくて長いわね。そこで、基礎を学び聖職者への道を進むように。餞別として私が冒険者時代に使っていた収納袋をあげるから、頑張ってくるように!」
笑顔の母に強く抱きしめられ、ライトは幸せそうに目を細めた。
その日、卒業記念と称したご馳走を――作らされる羽目になったライトは予定を早め、街で買い物をしている。
帰還魔法でルイクアマの町へ母と共に連れてこられたライトは、お金と収納袋を渡され卒業証書裏のメモに書かれた食材を買ってくるように指示されている。
それ以外にも『一ヶ月後に旅立つ際に必要な道具も自分で考えて買うように』と文章が付け足されていた。
母は全てをライトに任せると、さっさと帰還魔法で村へと帰ってしまう。
「色々と準備があるからね。楽しみにしていなさい」
との言葉を残し、悪巧みを考えついた子供のような笑みを浮かべていた。
どうせ碌なことは考えていないのだろうなと、ライトは深いため息をつく。
食材はいつもの店で購入し、町の雑貨店で筆記用具を揃え一息つくと、思っていた以上に時間が経過していたことに気づいたライトは、慌てて待ち合わせの噴水広場へと向かう。
待たせることはあっても、待つことが死ぬ程嫌いな母へどうやって言い訳をしようかと考えていたライトだったのだが、噴水広場に母の姿はなかった。
噴水広場に設置されている時計で時間を確認するが、やはり約束の時間はとっくに過ぎている。待ちくたびれて昼飯でも食べに行ったのだろうと、噴水の縁に腰掛け待つことにした。
二時間が過ぎたが、母が現れる様子がない。
すぐに怒って拗ねる母だが、ライトのことを大切に思っている母が約束を破り、長時間放置するなんてことは今まで一度も――洞窟に放置されたとき以外はなかった。
胸騒ぎがする。ライトは言いようのない不安が胸中を渦巻いているのを抑え込むと、収納袋の中から魔道具を一つ取り出した。
使いきりではあるが、帰還魔法と同じ効果を発揮できる帰還石を握り締めると、目を閉じ脳裏に村の姿を思い浮かべ、発動させる。
体が一瞬だけ浮遊感に包まれたが、それは直ぐにおさまり、目を開けるとそこは我が家の真ん前だった。
ライトは我が家を見て、手に持っていた収納袋を取り落とす。呆然とした表情で眺めている視線の先には、原型を留めていない我が家があった。
壁や窓には大きな穴が空き、室内も荒らされ脚の折れた机や椅子が床に転がり、食器棚も倒れ辺りに割れた食器が散らばっている。
「母さん! 母さん! 何処にいるんだ!」
ライトは家の中へ飛び込むと、大声で母を呼ぶが返事がない。母の個室もライトの個室も風呂場も物置も、何処にも母の姿はなかった。
魔物が襲ってきたのかと考えたが、床の上には足跡が無数にあり盗賊の可能性が高いとライトは判断する。
そうなると、母の性格から考えて村人を救うために、村の教会に匿って戦っている可能性が高い。村に不釣合いな、あの巨大な教会なら村人の大半を入れることも可能なはずだ。
物置に立掛けられていた母が昔愛用していたメイスを二本取り出すと、両手に持ち教会へと駆け出す。
教会へと向かいながら街の様子を確認するが人影が全くない。これは自分の予想が正しかったとライトは確信する。
この時、ライトは母を思う気持ちが強すぎて冷静な判断力を失っていた。よく観察すれば、盗賊が襲ってきたというのに村が荒らされた気配がないことは一目瞭然なのだが、ライトはそれに気づかなかった。
誰とも会うことなく教会へたどり着いたライトは固く閉ざされた扉を開けようとするが、鍵がかかっている。ライトは渾身の力を込めて取っ手を引っ張り、扉を壁へと固定していた丁番ごとこじ開ける。
「母さん無事か!」
扉を失い、大穴があいた教会の入口から射し込む光が、教会内部の様子を鮮明に浮かび上がらせる。
手に武器を構えた何十人もの男女が取り囲む中、体中に刃物を突き立てられ血を流す母の姿。かっと見開かれた目は光を失い、顔は血で赤く濡れている。
「……かあ、さん」
「一足遅かったな、悪魔の子よ」
取り囲んでいた人垣が割れ、そこから一人の老人が歩み出てくる。
「村長……」
ライトは歯を食いしばり、視線に殺気を込め老人を睨みつける。そこでライトは気づいてしまう、周囲を取り囲んでいる人々が全て村人だということを。
「おう、怖いのぅ。さすが悪魔の子じゃ。何故母親を殺したか知りたいか? 知りたかろう。このアマを殺した理由は取引をしたのじゃよ。ここに封じ――」
それがこの村の村長が最後に口にした言葉だった。
全力で飛び出したライトの振るうメイスが、村長の頭上に振り下ろされ床石へと叩きつけられる。陥没した教会の床石には頭から肛門までを強引に押しつぶされ、真っ二つになった死体が鮮血を撒き散らし転がっている。
血を大量に浴びたライトが膝をつきメイスを振り下ろした状態から、ぬるりと立ち上がる。全身の血を拭うことなく、滴らせながらライトはゆっくりと母へと歩み寄る。
「そ、村長をよくも! 皆、この化物を殺せ!」
右から襲いかかる酒場の店員へ横薙ぎの一撃を振るう。
ほぼ同時に飛び込んできた、花屋の女性店長を村長の血を浴びたメイスで吹き飛ばす。
二体の体を分断された死体が教会の壁に赤い染みを作る。
ただの村人とは思えない動きでライトに次々と襲いかかるが、その全てを一撃で葬り去っている。
もう、何体の村人を殺したのだろうか。
ライトの全身の血は返り血なのか自分の流す血なのか判別もつかない。
「まさか、村人の半数が殺られるとはな。だが、お前もそろそろ限界だろ。俺たちには後が無いんだ。永遠の命を手に入れる為に、大切なものを差し出した、俺たちにはなっ!」
槍を構えた男は確かこの村の門番だったか。ライトは頭に霞がかかった世界で、そんなことを考えている。
眼前に迫る槍の穂先を左手で掴み取る。刃が手のひらや指を切り裂き、食い込んでいるのだが意にも介さず、そのまま槍ごと門番を引き寄せる。
踏ん張るどころか、完全に宙を浮いた体がライトへと飛び込み、無残に潰された村人の仲間入りを果たす。
「流石は贈り物所有者といったところか。欲に踊らされた馬鹿が化物の力を削ってくれて助かったぜ」
ライトが視線を声の聴こえた方へと向けると、村人の中でも強者と呼ばれている面々が口元を笑みの形に歪め、並んでいる。
「お前は村と接点がなかったから知らなかっただろうが、俺たちは、ただの村人じゃねえんだよ。代々戦闘訓練を受け、鍛え上げられた守り手……だったんだがな。まあ、今じゃそれも放棄した、お前と同様の化物候補さ」
そう言って自嘲気味に笑う大男がいる。
「おいおい、そこの悪魔の子と一緒にしないでくれよ。俺たちは魔族になるんだからな。永遠の命と力を手に入れる魔族にな」
大男の肩に手を置いたのは、痩せ気味で目がぎらついている男だった。
「何故、母さんを殺した」
「ああ、冥土の土産に教えてくれってやつか? こいつは封印を守るために、教団から派遣されていたんだがよ、俺たちの計画を持ちかけたら断りやがって、面倒だから反対派と一緒に殺しちまったよ。俺はさー、殺さずに楽しもうぜって言ったんだぜ?」
異様に痩せた男が舌なめずりをしながら、母の死体に指を這わしている。
「やめろ……母さんから手を離せ」
「まあ、少々歳はくっているが、悪くねえ体つきだからな。まあ、この際死体でもいいか」
男は母の法衣の裾に手をかけると、ゆっくりと捲し上げていく。
「やめろって言ってんだっ!」
激高したライトが痩せこけた男へ襲いかかるが、横合いから強い衝撃を受け教会の壁へと叩きつけられる。
「強いとはいえ、やっぱお子様だね~。簡単な挑発に引っかかる」
馬鹿にした口調の異様に痩せた男のすぐ横に大男が立ち、ライトを吹き飛ばした棍棒のようなものを構えている。
ライトは何とか体を起こすが、衝撃を受けた右腕は完全に折れ曲がっている。左手は槍の穂先を掴んだ為、何とか指が動く程度で、もう強く拳を握ることすらできない。
「体力を失い、両手が使い物にならない。もう貴様が勝てる要因は何処にもないぜ。さあ、育ての母親と同じ所へ送ってやろう」
大男がじりじりと間合いを詰めてくる。
この男だけなら何とか相打ちに持ち込むことは可能かも知れない。だが、母を侮辱した痩せた男と、その背後にいるまだ二十人を超える村人が生き残っている。
死ぬのは怖くない。だが、奴等が生き残ることだけはどうしても許せない。
全身の傷口から血と共に体温と生命力が抜けているというのに、ライトは体が燃えるように熱かった。死が目の前に迫っているというのに、恐怖よりも怒りで狂死しそうだった。
どうせ死ぬのであれば、全てを粉砕してやる!
ライトは母から絶対に口にするなと念を押されていた、ある言葉を口にする決意が固まった。
『神』
「お、聖職者として神に祈るのか」
ライトの呟きを聞いた大男が鼻で笑っている。
『力』
「おいおい、狂っちまったか」
何を言われようが、ライトが気に留める必要もない。どうせ、死ぬ男だ。
『開』
「まあ、ガキにしては充分すぎるか」
絶望のあまり狂ったと判断した男が、無防備な状態で歩み寄る。
『放』
最後の言葉を口にしたライトから一切の気配が消える。大男はライトが死んだように見えたが確認のために更に近づく。
足元から伝わってくる振動と同時に、教会内部に鈍く重い音が響く。
音の源は背中から腕を生やした、大男だった。男の背中から突き出た腕は白銀に輝き、その手には赤く脈打つ心臓が握られていた。
「あっ」
何が起こったかも理解できぬまま、心臓を握りつぶされ大男は息絶えた。
ライトから溢れ出す白銀の光を、村人は呆けた顔で見つめている。
「命乞いも、反省も、言い訳も聞く気はない。お前らは無残に死ね」
この日、ライトの暴走した力により村が一つ滅びた。
破壊尽くされた村の地面に横たわりながら、ライトは力が抜けた状態でぼーっと眺めている。神力により全身が破壊され、死を迎えるだけの状態で両目を閉じ、意識を完全に手放した。
死を覚悟していたライトが目を覚ますと、何故か全身の傷が完治した状態で村の中心に転がっていた。人が死に絶えた廃墟の村でライトは一人、ゆっくりと立ち上がる。
そして、母を弔うと遺品でもある収納袋を背負い、村を後にした。
「兄ちゃんどうしたんだ。急に立ち止まって」
掛けられた声に振り返ると、透明の箱の中から心配そうにライトを見ている目と目が合う。
「ちょっと昔を思い出していただけですよ。気分の方はどうですか?」
「うん、もう大丈夫。何か暗い臭いも薄れているし、平気だよ」
布団に埋もれている状態が気に入ったようで、マースは布団の海から嬉しそうに顔だけ出している。
「では、ここから帰るわけにも行きませんので、進みましょうか」
「おうっ!」
ライトは両手を顔に打ち付け、気合いを入れ直すと村への門を潜る。
十数年ぶりにライトを迎い入れた村のとある場所で、無数の何かが蠢いている。それはライトがこの場所へ足を踏み入れるのを、今や遅しと待ち構えている。




