運命
獣道に少しだけ手を加えたような一本道をナイトシェードは難なく駈けている。どんな悪路も物ともせず進み続けていたナイトシェードが突然足を止めると、顔を道の脇に向け臭いを嗅いでいる。
その様子を見たライトは、ナイトシェードの背から飛び降りると一歩前へ出た。
タイミングを見計らったかのように、伸び放題の茂みから二体の魔物が飛び出してくる。その姿形は少し体格の良い灰色の狼なのだが、ただの動物ではないことは一目見て理解できる。背に人間の手と足が六本生えているからだ。
大きさの異なる人間の手足が蠢いている姿が、見た目の不気味さを煽っている。
「何あれ! 何あれ! キモい、キモいよ兄ちゃん!」
マースは透明の箱の中で布団に包まり、顔だけ出した状態で魔物を指差している。
「あれですか、ダークワイルドウルフですね。ワイルドウルフはご存知だと思いますが、一応説明すると狼が一回り大きくなった魔物版です。そのワイルドウルフが闇の魔素が強い場所で生活を続けると闇属性に染まり、このようにダークワイルドウルフとなります」
箱の中にいるマースへ体ごと向き直ると、ライトは説明を始め出す。
そんな隙を見逃すわけもなく、ダークワイルドウルフが襲いかかってきているのだが、振り返ろうともせず、死角からの攻撃であろうが苦もなく避けている。
「元々ワイルドウルフというのは狼の中でも魔力に影響を受けやすい個体が、土属性の影響を受けて魔物化したものですから、闇属性にも染められやすいというわけです」
ダークワイルドウルフ二体がライトから少し距離をとり身震いすると、背に生えた手や足が触手のように伸びて、ライトを狙ってくる。
一番近くまで伸びてきた腕を二本鷲掴みにすると、千切れる寸前まで力を込め握り締める。そして力任せに引っ張ると豪快に振り回す。
ライトの頭上で二体の魔物が抵抗すらできずに、回され続けている。
「攻撃方法は、狼としての爪や牙を使った攻撃と、背中の手足を伸ばす二種類となっています。あと、ワイルドシリーズが闇属性に染まったバージョンの魔物は多数いますので、そういったのは頭に全部ダークがつくと思ってください。種類が多すぎるので、魔物学者が面倒くさくなって統一したと言われていますね」
説明を続けながらも魔物を振り回す手は緩めていない。強烈な遠心力のかかった体では抵抗できないようで、力の抜けた状態でただ身を任せているダークワイルドウルフが少し哀れに見えるマースだった。
「何か闇属性の魔物だらけだね」
その後、無残にも地面に叩きつけられ、衝撃で立体の体が平面に潰れた魔物を見ないように目を逸らしながら、マースがライトへ話しかけてくる。
「そうですね。昔は村周辺には闇属性の魔物は存在していなかったのですが、今ではこの有様ですから。魔境化は嘘ではなさそうです」
ライトが住んでいた頃は不自然なぐらいに、村の周辺には不死や闇属性の魔物がいなかった。どんな場所であれ、死や負の感情というのは存在する。人間が住んでいる村や街が存在するのなら尚更だ。
それ故に、不死や闇属性の魔物というのは、人が集まる場所には少なからず現れるものなのだが、ライトは村の周辺で見たことが一度もなかった。
「そんな場所に父ちゃんは……」
楽観的で明るい性格のマースでも、父が絶望的であることは理解できている。だが、家族として父が無事であって欲しいという望みを捨てられないでいる。
「昨晩にも話しましたが、村に近づいて危険だと判断した場合は、問答無用で街まで戻ってもらいます。ナイトシェード号とは話もついていますので」
そう言って視線をナイトシェードへ向けると、言葉がわかっているように鼻を鳴らし大きく頷いた。
「それはわかってるけどさ。何で俺の言うことより、兄ちゃんの言うこと優先しているんだよ」
ライトに顔を撫でられ気持ち良さそうにしているナイトシェードを、マースは恨みがましい目つきで睨んでいる。
「さて、私の記憶が正しければ、そろそろ村を見下ろせる高台へ着くはずなのですが」
いくら方向音痴のライトとはいえ、十数年過ごした村の近辺は覚えているようで、迷うことなく目的地の高台へと着いた。
ライトは高台の淵へと立つと、眼下に視線をやる。
「これは……かなりのものですね」
「ちょっと、俺にも見せてくれよ。なあ、なあ、兄ちゃん、兄ちゃんって!」
目の前に広がる光景に言葉を失ったライトの背後で、箱の壁を叩いてマースが出してくれと騒いでいる。
近くに敵がいないことを確認すると箱の入口を開ける。半日近く押し込められていた箱から飛び出したマースは、体を伸ばし固まった体を解しているようだ。
「よっし、少しはマシになったな。んで、何が見えるんだよ」
背後からライトの腰を掴み、落ちないようにしがみつくと、顔だけ崖の下が見える位置へ移動させる。
「何だあれ。煙?」
丸太を繋げただけの壁に取り囲まれた小さな村が、黒い霧のようなもので覆われている。誰もいない廃村のはずなのだが、何かが動いている姿がちらほら見受けられる。
ただ、遠すぎるので、それが何であるのかは判別することができない。
「あれは闇の魔素です。何かいるようですが、ここからでは何とも言えませんね。二足歩行しているように見えなくも……ないような」
ライトは目を細め、どうにか見えないかと廃村を観察しているのだが、それ以上得られた情報はないようだ。
「兄ちゃん、何で廃村に人がいるんだ? みんな、何か根暗っぽいし」
しかめっ面で村の方向を見ているマースに、ライトは浮かんだ疑問を口にする。
「マースさん。これだけ距離があるというのに見えているのですか?」
「え、見える訳無いじゃん」
少し馬鹿にしたような顔をしてライトを見ている。
「それもそうですよね。失礼しました」
「嫌なヤツにありがちな暗い臭いがしただけだよ。胸糞が悪くなるような臭がしてるんだよ、あそこのヤツらからは。あと何か古い布切れの臭いもするし」
鼻を指で摘み、臭が少しでも自分から離れるように、もう片方の手で鼻の前を結構な速さで扇いでいる。
「ちょっと待ってください。この距離で臭が届くのですか? そもそも暗い臭いなんて嗅いだことがないのですが」
「あ、そうだ! これは父ちゃんに黙っておけって言われてたんだった! まあ、兄ちゃんならいっか、口は堅そうだし。あのね兄ちゃん、俺って集中するとすっごく鼻が敏感になって、遠くの匂いとか嗅げるんだよ。嗅覚は馬と同じぐらいか、それ以上って父ちゃんが言ってた」
ライトは表面上、冷静を装っているが、今の発言に内心では少し動揺していた。
昔、動物好きの母から聞いたことがあるのだが、馬の嗅覚はかなり鋭く、犬には劣るが人間の千倍以上鼻が利くらしい。噂ではあるが馬は人間の体調や性格を匂いで嗅ぎ分けることが可能らしい。
「でな、人の大まかな性格とか、今の気分とか体調も匂いでわかるんだぜ。凄いだろ! 兄ちゃんに声かけたのも、匂いで悪い人じゃないと判断したからなんだぜ」
自慢げに胸を張るマースは、褒めて欲しそうに見上げていたのだが、そんなことに気づいてやる余裕がライトには無かった。
ますます馬みたいな嗅覚だとライトは思ってしまう。
非常識な話ではあるが、その異常な嗅覚にライトは心当たりがある。
「もしやその能力は贈り物と言うのでは」
少しだけ驚いたような顔をして、こめかみに指を当て考えるような仕草をするが、眼球が落ち着きなく動いている。
「あ、うん。思い出した! うちの母ちゃんってさ、結構有能な聖職者だったらしくて、ガキの頃に俺の力を調べてくれたんだよ。そん時に言ってた、俺の力は神嗅っていう特別な贈り物だって! 兄ちゃん秘密だかんな!」
予想していたとはいえ、世界中にほんのひと握りしかいないと言われている、特別な贈り物の所有者に、ライトはこんな場所で出会えるとは思ってもいなかった。
この数ヶ月の間に、神速、神嗅という二人の所有者と知り合い、ファイリのように他の所有者とも面識がある。
特別な贈り物がライトを中心にして集まってくる。偶然と呼ぶには余りにも出来すぎている状況に、運命の悪戯を感じずには入られなかった。
ライトの状況を距離では測ることのできない世界から覗き見している者がいる。
少し離れた場所に浮かぶ楕円形の空間の歪みには、ライトたちの姿がくっきりと映っている。その映像を熱心に見ていた者が一度視線を手元に戻した。
穢れのない白に染まった世界で、その者は糸を紡いでいた。簡素な椅子に座り、古ぼけた木製の糸車を動かしている。
カラカラと音を立て大きな車が回り、糸が生まれていく。
その糸は遠目では純白に見えるのだが、よく見ると薄らと色がついている。それは角度によって様々な色に変化し、特定の色が存在しない。
糸を紡いでいる者は、その糸で編みこまれたと思われる衣類を身につけており、その服装は飾り気のないワンピースだった。
「運命の糸は繋がったわよ、死を司る神」
背後に現れた死を司る神へ、その者は気軽に話しかける。
「ありがとうございます。運命の神よ」
「ふふふ、どういたしまして」
笑みを浮かべると糸車から手を離し、腰まで伸びた金色の髪を手ですいている。
柔らかな笑みに優しげな瞳。白に見える露出の少ないワンピースに金色の長い髪。どんな人間であろうと思わず見とれてしまう、美がそこにある。
死を司る神は、無表情な顔に血の涙を流し続ける細い目。白髪に露出度の高いドレス。運命の神と対照的ではあるが、息を呑む美しさがある。
「これで、殆ど編みあがったのかしら」
「いえ、編みあがるのはこれからです。今は全ての糸をライトアンロックへと繋げたに過ぎません。ここからです……全ては」
空間の歪みに映るライトを、死を司る神は真剣な眼差しで見つめている。表情はいつも通り無表情に見えるのだが、長い――永い付き合いの運命の神には、苦悩が浮かんでいるように見える。
「あまり思いつめないでね。我々には直接手を下す事など出来ないのだから。こうやって、良い方向に事が運ぶように、手を貸すしかないの。神なんて呼ばれてはいるけど、万能ではないもの」
「わかっています。わかっているのですが、故意に運命を操作され、全てが私の思惑通りに動いていると知った時、彼はどう思うのか」
「どう思うのかしらね……でも、全てが貴方の予定通りではないはずよ。私にやれることは運命の糸同士を繋ぐことだけ。その結果どうなるかは当人次第」
この言葉が気休めにすらならないことを承知した上で、それでも言わずにはいられなかった。
誰よりも人間を愛している神。運命の神は死を司る神のことを、そう思っている。
人の死を見つめ続け、少しでも魂が救われるよう最良の道を選び続けてきた。今も、人類にとって最悪の未来を回避しようと、許される範囲内での干渉を続けている。
「見た目は変わったけど、芯は変わらないわね」
彼女が神の座についた当初は、表情がコロコロと変わる感情豊かな女性だった。だが、多くの死を見つめ続けるうちに、彼女の顔からは徐々に感情が消えていく。
数百年ぶりに顔を合わせた時には表情は完全に消え失せ、代わりに止まることのない血の涙を流し続けていた。
血の涙は何を意味しているのか。
愚かな歴史を繰り返す人間に対しての怒りの涙なのか。
非業の死を遂げた者たちへの哀れみの涙なのか。
何もしてやれない、自分の無力さに対する自責の涙なのか。
その答えは死を司る神のみぞ知る。
「色々とお手数をおかけしました」
「気にしないで。また、手伝えることがあればいつでも声かけてね」
深々と頭を下げ立ち去る死を司る神が消えるまで、笑顔を絶やすことはなかった。
また一人になってしまった空間で、運命の神は糸車を回す。
「貴方は本当によくやっているわ。彼には同情もするけど、貴方はただ見守っているだけではないでしょ――彼の痛みを肩代わりしているのだから」
生まれてから彼の体はずっと自分の筋肉に体を痛め続けられている。もし、痛みをライトが感じていたのなら、産声は痛みによる絶叫となっていただろう。
全身の骨が砕けようが、腕が引きちぎれようが、ライトは痛みを感じることがなかった。本来感じるべき痛みは全て、死を司る神が代わりに引き受けてきたからだ。
運命の神は、その事をおくびにも出さない彼女の身を案じている。
痛みに耐え、平常心を保っている彼女を見る度に思い出すのは、死を司る神が自分への頼みごとを口にした時の事である。
その日も運命の神は糸車を回していた。
運命の神の主な役割は人の運命の糸を紡ぐことだ。その糸が巻き終わった時に人は人生を終える。死を司る神とは密接な関係にある神であるが故に、昔から彼女とは話す機会が多かった。
「暇なときには世界を覗き、運命の赤い糸で繋がっている男女の距離を縮めたりするのよ。放っておいてもいずれは繋がるのだけど、焦れったい姿を見ていると手を貸したくなっちゃうのよ」
運命の神がそんなことを口にすると、
「駄目ですよ! どんな過酷な運命であれ、それは神が手を出してはいけないことです。私も助けたいと何度も思いましたが、我々が関わることにより世界は変動してしまいます。もし、干渉するとしたら世界の一大事とかじゃないと駄目じゃないですか」
頬を膨らまし、死を司る神が怒るのだ。運命の神は、それが可愛くて怒られるのを承知でよく話題にしていた。
膨大な時が流れ、彼女は見た目も口調も変わってしまったが、内面の大事な部分は変わってないと運命の神は思っていた。そんな彼女が久しぶりに顔を出し、開口一番頼みごとをしてきたのだ。
「ある少年と運命の糸を繋いで欲しい人がいます」
人の運命を操作することを誰よりも嫌い、恥ずべき行為だと諭していた彼女が、信念を曲げた頼み事をする。正直、耳を疑ってしまう発言であった。
驚きながらも詳しい内容を聞き、運命の神は彼女の計画に加担することを決意する。
あれから十年以上の時が流れた。神にしてみれば僅かな時間だが、人間の少年が大人になるには充分過ぎる時間が経過している。
「ライトアンロック。貴方が我々の行為に気づき、神に反旗を翻すことがあるのなら、真っ先に私を滅ぼしてください。痛みを共有する勇気もなく、傍観し続けている哀れな神を。そして願わくは、彼女だけは許してあげてください」
視線の先には魔物を蹴散らし、村へと向かうライトの姿がある。
運命の神には見える。そのライトから伸びる無数の糸が。
そして、その糸が透明の壁に守られた少女とも繋がっていることを。




