居るべき場所
三英雄へのお仕置きを終えたライトは、その足で冒険者ギルドへ向かう。
首都の冒険者ギルド職員に手伝ってもらった手紙約千通のうち、目的の相手へ届けられ返信を受け取った枚数が約半分。残りは連絡が取れない、受け取りを拒否、もしくは返信を貰えなかった手紙になる。
ギルドマスターは以後も返信作業は続けると確約してくれた。
この人々の想いが詰まった手紙を、死者の街支部の冒険者ギルドに渡さなければならない。
冒険者ギルド内部へ足を踏み入れると、一階のホールにはライトが今まで見たことない数の冒険者でごった返していた。よく見ると、冒険者以外の一般市民も見受けられる。
そんな人数が扉から入ってきたライトへ一斉に振り返る。
何名かの女性は一瞬だけ躊躇ったようだが、ホールにいたほぼ全員がライトを取り囲む。
「手紙は、手紙はありますか!」
「返信はどうだった!」
「早く見せてくれ!」
口々に叫んでいるのは手紙についてだ。ここのホールで待ち構えていた全員が、ライトが持って帰ってきたであろう手紙を待ち構えていたようだ。
「皆さん慌てないでください! 冒険者ギルドが責任をもって配りますので! ライトさんこちらへ!」
人波に埋もれながらも何とか掻き分け、ライトの目の前に飛び出してきた小柄な冒険者ギルド職員がライトの手を掴み、人垣へ突っ込むのだが跳ね返されてしまう。
「リースさん。私が行きますよ。皆さん道を空けてもらえませんか」
ライトがそう言っただけで、人波が真っ二つに割れ道が現れる。騒ぎ立てていた人々が押し黙り、ライトを目で追う以外の動作ができないようだ。
その道をライトは平然と歩いていく。後ろから追ってきたリースは何が起こったのかわからず、肩をすくめながらキョロキョロと周囲を見回している。
道の脇にいる屈強な冒険者も一般市民も皆が顔に冷や汗を浮かべ、直立不動の状態でライトが通り過ぎるのを待っている。
「何で、微笑まれただけなのに、体が動かねえんだ」
「怖い……何もされていないのに、ただ怖い……」
ライトが意識を戦闘状態に切り替えただけで、人々はその気配を鋭敏に感じ取り、身の危険を覚えた身体が勝手にライトを避けたのだ。
リースは良くわからないまま、怯えた表情の人々の間をすり抜けていく。
冒険者ギルドの二階にある応接室に誘導されたライトは、巨大なテーブルの上に託された手紙を収納袋から解放した。
予め集まっていたギルド職員たちが五百はある手紙を仕分けしていく。
「ギルド職員と臨時で雇ったアルバイトの皆さんで一両日中に手紙は配送します。大船に乗ったつもりでドンと任せてください!」
冒険者ギルド職員内で一番小柄なリースが、ドンと胸を叩く。強めに胸を叩き過ぎたようで、咽ている姿に一抹の不安は感じるが、ライトはギルドに任せることにする。
人が密集しているホールから出るのを避け、特別に裏口から出ることを許されたライトは職員に礼を言いギルドを後にした。
「さて、あとやるべきことはお土産をキャサリンさんとミリオンに渡さないといけませんね。あ、リースにも買っていたのですが、それは今度にしますか」
今頃、手紙の山に奮闘しているであろうリースの邪魔をする気にもなれず、ライトはまずキャサリンの元へ向かうことにする。
いつもながら派手な看板が出迎えてくれる店の入り口から店内に足を踏み入れると、カウンターには誰もいない。
店内には一定間隔で金属同士がぶつかる音が響いている。
「キャサリンさーん。今、大丈夫ですか」
大きめの声で店の奥へと呼びかける。
その瞬間、音がピタリと止み、代わりに奥から地鳴りのような音が響いてくる。
カウンターの脇に設置されている扉が吹き飛びそうな勢いで開くと、そこからスキンヘッドで大柄な男が顔を出した。
「あらまあ、ライトちゃん! 帰ってきたのね! 怪我はない? 寂しくなかったの? 夜独りで眠れた?」
家を離れた子供を過剰に心配する親のように、矢継ぎ早に質問をしてくる。
「はい、無事帰ってきました。この街が懐かしくは感じましたが、眠れましたよ」
ライトは嫌がる顔も見せず丁寧に答える。
キャサリンは性別と見た目を除外すれば、世の女性に見習って欲しいと思わせる、慈愛溢れる理想の母親像なのだが。
ライトは少なくとも自分の母より、キャサリンの方が母親に向いていると思っている。
「どうせ無理もしたのでしょうけど、無事に帰ってきたのなら何も言わないわ。色々聞きたいけど、武器と防具先に見せてもらえる? まずは愛しい我が子たちに教えてもらうわ」
そう言ってウインクをするキャサリンに、取り外した手甲と脚甲を手渡す。
「はいはい、よく帰ってきたわねアナタたち。ちゃんとライトちゃんの役にたったのかしら。お母さんにちゃんと見せてごらんなさい」
キャサリンは精魂込めて制作した武具を子供に見立てて会話をする。ライトにすれば見慣れたいつもの光景なのだが、初めてこの状態のキャサリンを見た客の九割は、何も買わずに店を後にする。
「うんうん、頑張ってきたみたいね。小さな傷はあるけど、それは男の勲章だから大事にするのよ。え、そんな激しい戦いだったの。無理に実験されて、可哀想な三人ね……ん、アナタその子たちを救う手伝いをしたのだから胸を張りなさい。胸がない? もう、この子ったら。気持ちの問題よ」
手甲と脚甲を前に会話している内容なのだが、ライトが伝えていないというのにキャサリンは実験体の三人について武具と話している。
まるで本当に武具の声が聞こえているかのように、キャサリンが知るはずもないライトが体験した内容を言い当てていく。
「本当に不思議な力ですよね」
「ん? 私の事? そうなのかしら。私としては昔からできた当たり前のことなのだからピンとこないのよ。昔っから耳だけは自信があって、エルフよりも聴力に優れているって褒められたものよ。ちょっと耳が良すぎて、人では聞き取れない声も聞けたりするけど」
手甲、脚甲との会話が終わったキャサリンは、綺麗な布で丁寧に磨いている。そして、艶のある黒光りが増したところで満足し、ライトへと返した。
「この子たちもライトちゃんの役に立てて嬉しいそうよ。これからも可愛がってあげてね」
「はい、この子たちには助けられてばかりですよ。私からも感謝の言葉を」
人には聞けない物の声が聞こえる。キャサリンがこの話をすると周囲の反応は、気持ち悪がるか嘘つき呼ばわりするかの二択だった。稀に信じてくれる人もいるのだが大抵はわかった振りをして、キャサリンへ取り入ろうとする、そんな人ばかりだ。
そんな中で、ライトは馬鹿にするわけでもなくキャサリンと同じように武具へ話しかける。それがキャサリンには本当に嬉しかった。
「ほんっとに私が女だったら人生変わっていたのかしら」
キャサリンはカウンターに頬杖をついて物憂げな表情を浮かべる。
「急にどうしたのです、悩み事ですか」
「ライトちゃんはそっちに関しては知っていてやっているのか、鈍感なのか微妙よね。まあ、いいわ。次は黒光りして大きなあの子出してくれる?」
「誤解されかねない発言は慎んでください。わざとでしょうけど」
収納袋の中から相棒の巨大メイスを取り出す。
飾り気のない無骨な形をしているメイスなのだが、ライトにとって何物にも代えがたい大切な相棒である。
「相変わらず頑張っているみたいね。この街でアナタを生かしきる人がいなかったから、旅に出てもらったのだけど……運命の人に出会えたようで良かったわね。あれ、雰囲気変わった? ちょっと綺麗になったんじゃないのぉ。何があったのよぉ、ほら、照れてないで話しなさいよ」
キャサリンが嬉しそうに微笑むと、メイスを指でつついている。完全に女性同士の飲み会のノリでメイスと楽しそうに会話をしている。
ああ、このメイス女性だったのかと、新たな発見に内心で驚くライトだった。
「名残惜しいけど、またお話ししましょうね。ライトちゃん、相棒お返しするわね。そうそう、この子、依然と比べてちょっと変わっているわよ」
「変わっているとは?」
「そうね、どう言えばわかりやすいかしら。私が生み出したこの子は裸の状態だったの。それを誰かが服やアクセサリーをこの子に渡してつけている状態ってところかしら」
「つまり、このメイスに誰かが手を加えたと」
「そうね。でも、悪い事じゃないみたい。この子も良くわかっていないみたいだけど、嫌な感じはしないそうよ」
ライトは手渡されたメイスを思わず、まじまじと見つめてしまう。角度を変えて全方向から見てみるが、ライトには違いがわからない。
メイスの声が聞こえるキャサリンから大丈夫だと太鼓判を押されたのだから、心配は無用だろうとメイスを収納袋へ戻した。
「それでは、そろそろ失礼します。次に行くところがありますので」
「あらそう、残念だわ。また酒場で一緒にご飯でも食べましょ。それじゃあ、またね~」
頭を下げて出ていったライトの姿が見えなくなるまで、キャサリンは手を振り続けている。完全に姿が見えなくなると、その手をおろし再びカウンターに頬杖をつく。
「問題はその服やアクセサリーが高価過ぎるって事よね。あんなの高ランクの魔法使いや聖職者であっても不可能でしょうし……いったい誰が手を加えたのかしらね」
当然、その呟きに答える者はおらず、店内に虚しく響くのみであった。
ライトは大通りの一角にあるミリオンの露店を探している。
「確かここを左に」
「右だよー。何で毎回間違えるかな」
丁度店まで戻るところだったミリオンが背後に立っていた。
「同じような露店が並んでいると、どうしても迷ってしまうのですよ」
「やっぱー、キャサリンさんとこみたいに、派手な看板作ろうかな」
首を傾げ唸っているミリオンの上でトレードマークの巨大なリボンが揺れている。
半ズボンと深緑色のシャツ。その上にポケットが無数についた黒のベストという恰好をしているので、そこだけ見れば身長の低さと相まって男の子に見える。
だが、頭の大きなリボンとライトの身近にいる女性にはない、破壊力のある胸部が女性を強調している。
「道端で話しているのもなんだしー、ちょっと露店までついてきて、商品置かないと」
思ったより近い場所に会った露店につくと、休憩中の看板を外し店の準備を始めている。
ライトは出された簡易の椅子に座り、その様子を眺めている。
「ごめんねー、慌ただしくて。あ、写真機返してくれてありがとう。何写っているのかな」
「首都と名所の風景がメインですよ。あと、動物が入り混じっている写真も撮っておきました」
動物と聞いて、手元を見ながら会話をしていたミリオンの顔がライトへ向く。
「動物の写真あるんだー! この街、動物いないから凄く嬉しいな!」
満面の笑みでお礼を言いながらも、作業の手は止まらない。
これだけ素直に喜ばれると、その写真の対象がキマイラだとは今更言い出せないライトだった。
「よっし、準備完了―。へいらっしゃい、旦那新鮮なアイテムがありやすぜ」
「いつから、ここは青果店になったのですか。写真以外にも適当に見繕った魔道具もお土産に買ってきました。裏路地にあった怪しげな店で買ったので、外れの可能性が高いですが」
ライトが収納袋から取り出したのは、五つの魔道具だった。
まずは、手のひらに収まる筒状の物が赤と青の二種類。
何の装飾も施されていない対になった腕輪のような物。
あとは武器の柄に見える棒だった。
「へー、面白そうなの買ってきたねー。どれどれ、ふむふむ、ははーん」
一つ一つを手に取り、虫眼鏡のような魔道具で覗き込み、黒い箱に入れて何かのスイッチを入れてみたりと、ライトには理解できない方法で調べ終えると鑑定結果を口にした。
「ええとねー、まず、この腕輪みたいなのはただの鉄の腕輪でーす。装飾品としての価値もないから、使い道は……投げつけたら痛いんじゃない?」
「そうですか」
実はこれが一番高い値段で買ったものだとは、口が裂けても言えない。
「この赤と青の筒はー、中に魔石が入っていて、魔力を少量注ぐと発動するみたい。試しにやってみるね」
右手に赤い筒、左手に青い筒を持ったミリオンが「ふへい!」と掛け声をかけると、赤い筒からは小さな火が、青い筒からは水が湧きだす。
「これは良い買い物したのじゃないかなー。少量の魔力で火と水が使える、屋外での便利アイテムだねー。冒険者の人たちなら、かなり欲しがりそう」
ライトは首都に再び行くことがあったら、買っておこうと心の片隅に小さくメモしておく。
「んでもって、最後の一つはー、何と驚きの古代人の遺産っぽいです!」
「稀に遺跡から出るという魔道具ですか?」
「うんうん、それでーす。武器の柄っぽいのを握って、魔力を込めるとー」
柄の先から黒くて細い鎖が流れ出てくる。それはまるで、ロッディゲルスが得意とする闇属性魔法のようだった。
「この様に鎖がでてきまーす。一応武器みたいだけど、使い道はライトさんが調べてね。はい」
ミリオンは鉄の輪以外をライトへ返す。
「いえ、これは全てミリオンさんへのお土産のつもりだったのですが。勢いで買い過ぎた感はありますが」
「いいよいいよー。この腕輪だけで充分。それに私には使い道がないからね。道具は飾るものじゃなくて使うものだよ」
何を言おうと受け取り断固拒否の構えを崩さないので、ライトは諦めて収納袋へ戻す。それに飾り気も何もない腕輪を目の前で嬉しそうに着けられては、もう何も言えなかった。
死者の街でやるべきことを一通り終えたライトは宿へ帰ることにした。
夕飯時よりは少し早いが、一階の食堂兼酒場が満員になる前に席を確保しようと、自然と早足になってしまう。
結局宿屋の前に着いたのは夕飯時で、席が空いていることを祈り店内へと入って行く。
一歩足を踏み入れた瞬間、ライトの全身に視覚で捉えることのできない圧倒的な力がのしかかってくる。
「これはっ」
ライトはこの感覚に覚えがある。白い世界で神から受けた精神的圧力に酷似している。
以前は全く身体をまともに動かすことすらできなかった重圧を、ライトは「はっ!」と鋭く呼気を吐き出し、全身に力を込め跳ねのけた。
「強くなりましたね」
体の自由を取り戻したライトが向けた視線の先には、白い髪を首と肩に巻き付けた美しい女性がいた。その女性は町の酒場には不釣り合いな黒のドレスを身に纏い、ライトがいつも座っている席の対面側に座っている。
飯時だというのに店内には、女性一人しかいない。
ライトには見覚えがあった。一か所だけ以前見た姿とは異なるが、それ以外は依然と変わりがない――死を司る神はライトを見て妖艶に微笑む。
「今日は血の涙が流れていないようですね」
「これはこの街の人々と同じく、仮の身体なので。立ち話もあれですから、ライト様も座ってください」
手も触れずに椅子がすっと後ろに下がる。ライトはその椅子に迷いも見せず腰を下ろす。
「私がこちらの世界に居られるのは短時間だけです。なので要点だけお伝えします。ライト様の生まれ故郷である村が魔境化を始めました。可能であるのなら今すぐ向かっていただきたいのです。ここに着いたばかりだというのに心苦しいのですが」
あまりにも予想外な発言に絶句するライトだったが、頭を振り思考力を取り戻す。
「あの村がですか。何故そんなことに。あれからずっと廃村だったはずです」
「闇の魔力を集め、邪悪な目的を果たそうとする一団がいます。ライトさんの村はその目的の為に狙われたようです……申し訳ありません、もう時間がないようです。最後に一言、絶望に飲み込まれないでください」
その言葉を最後に、死を司る神の姿が薄れていき、この場から消えてしまう。
途端にライトの耳には喧騒が飛び込んでくる。酒場には誰もいなかったはずが、店内は満席で皆が陽気に酒を酌み交わし、料理に舌鼓を打っている。
「ちょっと、何ぼーっとしてんのよ。注文しない人は営業妨害なんですけどー」
ウエイトレスの恰好に着替えたイリアンヌが、両手にジョッキを抱えてライトを見下ろしている。
「ええ、すみません。では今日のおすすめお願いします」
「あいよー。あと、これでも飲んでその辛気臭い顔をやめたら」
ジョッキの一つをライトの席に置くと注文を伝えに厨房へと立ち去る。
ライトはスッキリとしない頭のまま、食事を終え部屋に戻る気すら起こらず、食堂の片隅で天井を眺めていた。
「あんた気が抜け過ぎじゃないの。店に入ってからずっと変よ」
イリアンヌに声を掛けられ、結構な時間が経っていることに気付く。店内に客はまばらで、今残っている客も食事よりも酒を飲んでいる客ばかりだ。
「そうですね、ちょっと今日はおかしいようです。夜風にでも当たってきますよ」
ライトは酒場の扉を開け、天を眺める。
唐突に光が走った。それは一つではなく、幾つもの光が天へ向かって伸びていく。流星が逆に流れるかのように、地上から空へ向かい光りが飛んでいく。
その光の全てが死者の街から発生した光だと気が付いたライトは、その意味を知った。
「浄化の光。あの手紙を受け取った人たちが、心残りを振り切れたのですね」
天へ光りが上る幻想的な光景に心を奪われていたライトだったが、その光を掴むように手を伸ばし、ギュッと手を握りしめ、ある決断をする。
「良い思い出は、あまりありませんが――行くべきですね」
あの場所を離れた時に、二度とこんな所へはこないと誓った忌まわしき村へ、ライトは帰る決意をする。
部屋へと戻り身支度を終えると、その日のうちに死者の街を後にした。
「絶望に飲み込まれないでください」という死を司る神の一言を頭から振り払い、ライトは駆けていく。
 




