死者の街のライトアンロック
二話連続更新の二話目です。
教皇の失踪。
一夜が明け、教皇及び専属のメイド五名が宮殿から跡形もなく消えた事実が知らされ、イナドナミカイ教団は混乱の最中にある。
時折、教皇は宮殿から逃げ出すことはあったが、その場合は書置きが残され、護衛兼メイドの誰かから常時報告が入っていたので問題はなかった。
しかし、今回の一件は教皇だけではなく、腕利きのメイド五名全ての所在が不明となっている。
すぐさま会議が開かれ、諜報部から伝えられた数多の情報が錯綜し、収集のつかない状態になっている。ライトアンロックが教皇を連れて駆け落ちしたという説も上がったのだが、教皇が姿を消す前に首都からライトが出て行ったのが確認され、濡れ衣を着せられずに済んだようだ。
混乱を極めるイナドナミカイ教団から、謂れ無い罪を押し付けられるところだったライトは現在何をしているかというと、死の峡谷を全力で駆けていた。
「何で、あんたが私の脚に追いついているのよ!」
ライトのすぐ隣を走るイリアンヌが怒鳴っている。
「強化魔法の力を侮った貴方が愚かなのですよ」
イリアンヌに顔を向け、鼻で笑う。
「うわー、その顔、ムカつくっ! あんた聖職者の癖して大人気無いんじゃないの! 一週間の食事を賭けているからって、女性に本気出すなんてどうかと思うわ!」
「勝つためには手段を選ばないことで有名な、ライトアンロックと申します」
真剣な顔で丁寧に挨拶をする。勿論、走りながらだが。
「知ってるわよ! そもそも、聖職者が賭け事するなんてどうなのよ。先に死者の街へ着いたほうが勝ち、何て賭けに乗るのがおかしいでしょ!」
「神はこうおっしゃっています。お布施を断るものがいれば、借金を背負わせてでも払わせろと」
「何処の悪徳金融よ!」
二人は呑気に会話をしているが、ここは難所で知られている死の峡谷である。
最低でもBランクの冒険者チームでなければ、生き延びることすらままならない、とまで言われている魔境で二人の口と足は止まることを知らない。
「さて、一本橋が見えてきましたよ。そろそろゴールが近づいてきたようですっ」
ライトは進行方向を遮るようにして現れたハードスケルトンの頭蓋骨を素手で叩き潰し、何もなかったかのように走り抜ける。
「このままじゃ、ちょっとヤバイかもっ!」
ライトが攻撃を加える際に、少しだけ速度が落ちたのを見逃さず、イリアンヌは前に出たのだが、橋を越えた先の岩石に身を潜めていたブラッドマウスが立ちはだかる。
スピードを活かした戦いを得意としているイリアンヌの実力では、ブラッドマウスを倒すことは可能なのだが、かなり時間を取られてしまう。
「だけどっ! 『神速』押し付ければいいだけの話よね!」
一気に加速したイリアンヌが眼前に迫るブラッドマウスの視界から消えた。慌てて姿を探すブラッドマウスの背後へ回り込み、ライトの方向へ押すように渾身の跳び蹴りを背中にぶつける。
「あれー、偶然にもそっちにいっちゃったー。ごっめーん」
胸の前で手を合わせて片目を瞑り、可愛く小首を傾げ謝った振りをしている。
その姿を見て、ライトの中で何かが吹っ切れたようだ。
「母が食後の食器洗い当番をジャンケンで決めるときに良く言っていました「どんな勝負であろうと妥協した負けは人を堕落させる。だから、私は子供相手でも本気を出す」と。私もその教えを守りましょう『神力開放』」
神々しい白銀の光を纏ったライトが、ブラッドマウスを蹴散らしイリアンヌに迫る。
「バカじゃないの、バカじゃないの! バカじゃないのおおおおっ!」
希少な特別な贈り物を所持する二人が下らない理由で本気を出した結果、死者の街の門を先に潜ったのはライトだった。
『何をやっておるのだ。閃光が走ったと思うたらお主が転がっておって、我が目を疑ってしもうたぞ』
首なし騎士二体が、地面に転がり荒い息を吐いているライトに呆れている。
「あーもうくそっ! こんな勝負に特別な贈り物使うなんて、頭おかしいんじゃないの」
「……貴方に言われたくないです」
使用後の定番である筋繊維断絶に骨と関節の不具合にライトは動けないでいる。辛うじて動かせた右手を自分の体に何とか触れさせると、意識を集中した。
『治癒』
瞬時に肉体の損傷は治ったのだが、結局、神力開放の副作用により動くことができない。今回は強敵の戦いで使ったわけではないので、消耗はいつもより少なく二時間程度で動けるようになるのではと、楽観的に考えている。
「あんたさ、完全に忘れているでしょ。私があんたの命を狙っているのを。今なら抵抗できないわよね」
「言われてみれば、そんな設定ありましたね。暗殺者である事すら忘れていましたよ」
イリアンヌは身動きの取れないライトの背に跨ると、首筋にナイフを突きつける。ライトの命は風前の灯火なのだが、ライトに緊迫感は見当たらない。
「はぁー、やめやめ。どうせあんたのことだから、知ってたんでしょ。依頼が取り消されたのを」
「知っていたというのは少し違いますね。私が物理的に取り消させました」
依頼人が、依頼料の倍額に当たる違約金を慌てて払いに来た。という話を事前に聞いていたイリアンヌは納得がいったようだ。
「どうやって、何て聞くだけ無駄か」
「そういうことです。さて、ようやく死者の街へ帰って来られました。暫く空けていましたが街の様子は変わりないようです……ね?」
町並みは以前と変わりないのだが、通行人がライトを見て眉を潜め、小声で何か言葉を交わして、その場を慌てて立ち去っていく。
それが一人だけならまだしも、ライトを遠巻きに眺めている住民の殆どが同じ行動をしている。
「何か雰囲気変じゃない? あんた何かやったの」
「やるもなにも、ここには居ませんでしたからね。心当たりが全くないのですが。首なし騎士さん、何かご存知ですか」
話を振られた首なし騎士は、体をビクッと震わせる。そして、右手を本来なら頭がある位置に持っていき、頭を掻く仕草をする。
『詳しくはわからんのですが、何か妙な噂がたっておるようですぞ』
それを聞いたライトは地面に寝そべったまま、耳に全神経を集中させ聞き耳を立てる。微かにだが、周囲でこちらを見ながら囁いている声が流れてくる。
「あのライトって聖職者の人。女性は触れられただけでイカされるらしいわよ。あんまり寄ったらダメよ」
「私も聞いた聞いた。何でも相手に触れるだけで昇天さすことができるんだって。前も道端でいきなりイカされた人がいたらしいわ」
「何でもイカした後に、特別なプレゼントだとか言って、白銀に輝く銀貨渡して誤魔化すんですって」
「やだ、怖いわね。人の良さそうな顔しているのに」
「人前でいきなり……ちょっと経験したいかも」
「男には効果ないのだろうか」
話の内容に頭を抱えたくなるライトだったが、今は体が動かない。
誰かがライトが死者の街に居ない間に、悪意のある噂を撒き散らしたという事実は掴めたが、問題を解決する為には、その噂の発生源を見つけ出さなければならない。
「イリアンヌ、私からの頼みごとがあるのですが。勿論、それに応じた金額をお支払いします」
できるだけ早く、こんな噂は消してしまいたいが、ライトは今行動不能である。だが、幸運にも情報収集能力にも長けているイリアンヌがそこにいる。自分が無理なら、彼女に頼めばいい。そんな考えで声をかけたのだが。
「ひっ、な、なんですか。ライトアンロックさん」
怯えた表情でイリアンヌが後退りしている。
「何故に敬語なのですか」
「今まで生意気言ってすみませんでした! 人前で羞恥プレイとか勘弁してください!」
腰を九十度に曲げ、本気で謝るイリアンヌの姿を見て、この噂を流した犯人に報復することを心に誓うライトだった。
二時間後、どうにか動けるようになったライトは、誤解を解いたはずなのに一定の距離をとって歩くイリアンヌと共に、クレリアが経営する宿屋の入口を潜った。
「いらっしゃいませー。あ、ライトさんじゃないの! 元気そうで安心したわよ」
そう言って歩み寄ってきたクレリアが豪快に、ライトの肩を叩こうとして右手を上げたのだが、何かを思い出したようで、そっとその腕を下げた。
「ここにも広まっているのですか、噂話は」
ライトは肩を落とし大きく息を吐く。その息から魂まで抜け出てしまいそうに見える。
昼と夜の間という中途半端な時間だったので、客は疎らで、カウンター近くに椅子を移動させ楽器を奏でている男と、三人組の常連客がいるだけだった。
「おや、土塊さんがいるとは珍しい。運が良かったようです」
ライトは目があった演奏中の男に会釈をする。相手も軽く頭を下げる。
「ツチクレ? 変わった名前ね」
「名前ではありませんよ。呼び名です。誰も本名を知りませんから。彼にはこんな逸話がありまして」
この演奏中の男は生前国中に名を馳せた吟遊詩人であった。
彼が恋を題材にした曲を歌えば聴衆は恋に落ち、英雄譚を歌えば若者は目を輝かせ夢へと走り出す。彼が何を歌うかによって、聴衆の心が様変わりし、あまりの影響力の大きさに国から危険視されていた。
暗い歌は一切歌わなかった彼だったが、国としては国民の反逆を扇動される恐れがあると、無実の罪で投獄し、まともな裁判もせずに死刑台へと送った。
王城の前に設置された死刑台へ上がった彼は、そこで最後の言葉を話すことを許され猿轡を外される。眼下には多くの国民が見上げている。
伴奏も何もない状態ではあったが、人前で生まれて初めて本気を出した歌声を披露する。その歌詞は愚かな王が国を滅ぼすという内容だった。
慌てて刑の執行を命令する王だったが、至近距離で聞いていた執行役は歌の虜となっており王の命令等、耳に届いていない。止める手立てを失い、吟遊詩人の歌声は最後まで止められることはなかった。
そして歌に触発された国民がその場で暴動を起こし、国が一つ滅びた。
それを当人に訪ねた者がいるのだが、土塊は黙って演奏を続けるだけだったそうだ。
土塊は無表情で、いつも茶色い衣服を身に付けている。おまけに歌うとき以外は極力話そうとしない。そんな吟遊詩人を畏怖と嫉妬を込めて、まるで土人形のようだと揶揄し『土塊の吟遊詩人』と呼ばれるようになった。
「何か壮大な話ね。そこまでの歌声なら聞いてみたいかも」
「土塊さんは好みが厳しいですからね。気に入った曲があれば歌ってくださるそうですが。そうそう、お土産があるのですよ」
ライトは土塊に歩み寄ると収納袋から取り出した紙の束を手渡した。単語のみの返答ではあるがライトと言葉を交わす。
「本当に表情変わらないわね、あの人。本当にゴーレムなんじゃないの」
土塊の元から離れ戻ってきたライトへ小声で話しかける
「いえ、あれでも少し喜んでいるのですよ。さてと、そこの三人止まりなさい」
話に夢中になっているように見えたライトの隙をついて、気配も足音も殺し、宿屋の出口へと向かっていた三人組をライトは引き止めた。
「お、おう、ライトじゃねえか。気がつかなかったぜ」
「あ、うわー、暫くぶりだね」
「わっ、ますますいい男になって! げ、元気してたー?」
隠しきれていない動揺を誤魔化そうと、無理に笑顔を作っているが、三英雄は冒険者としては一流でも役者としては三流だったようだ。
「はい、元気でしたよ。皆さんも元気そうで何よりです」
三人とは比べ物にならない自然な笑みを浮かべると、壁際を沿って歩いていた三人へと近づいていく。
「何故逃げるのですか? ああ、あのことだったら心配無用です。怒っていませんから。そうそう、三人には特別なお土産があるのですよ。よかったら受け取ってください」
収納袋の中から別々に買ったお土産を取り出す。
「エクスさんには、首都で流行りの写真集を」
「おおっ! すげえなこれ。こんな際どいところまで……ほほぅ」
床に胡座をかいて座り込み、穴が開くほど雑誌を凝視している。
「ミミカさんには、エクスさんに渡した物の女性向けバージョンを」
「あ、り、が、と。どんなのかしら。え、あ、やだ、こんなところまで」
顔を真っ赤にし恥ずかしがって顔を手で覆っているのだが、指の隙間からしっかりと見ているようだ。
「最後にロジックさん。お望み通り写真撮ってきましたよ。現像も済ましています」
「ええっ! 本当かい! 助かったよ。いやぁ、まさか本当に撮ってきてくれるとは、今日から君のことを盟友と呼んでいいかい」
「やめてください。あと、ちゃんと許可を取って撮りましたから、犯罪行為ではありませんのでご安心ください」
「そうなのか。うんうん、いやー可愛らしいなぁ。これは十代前半かな。もうちょっと若い方が……いやいや、これでも充分だよ。助祭の格好をしているということは、ライト殿の後輩かな。おおっ、ウィンクしている写真まであるじゃないか! こっちは可愛らしいポーズしてるねぇ」
ロジックの荒い鼻息に写真が押され揺れている。
少し気になったイリアンヌが写真を覗き見すると、顔が一瞬にして渋面になった。その表情のままライトの耳元に口を近づける。
「ちょっと、この写真。虚無の大穴に一緒に行った冒険者チームの聖職者じゃないの」
「はい、そうですよ。実際に未成年の写真を渡すわけがないじゃないですか。あの方、見た目よりかなり若く見えますので、頼んだら喜んで引き受けてくださいました。昔、そういう仕事もしていたそうで写真の撮られ方によって、もっと若く見えるそうです。出来上がりを見て感心しました」
「あんたさ、嫌な予感がするんだけど。ちなみに何て言って頼んだのよ」
「貴方の写真が欲しいので撮らせてもらえませんか? ですが。あと、知り合いにも見せても大丈夫でしょうかと確認もとりました」
イリアンヌが半眼でライトに冷たい視線を飛ばしている。それを正面から受け止め表情の変わらないライト。
「あんたいい性格してるわ」
呆れた口調のイリアンヌに平然と笑みを返している。
「すまんな、ライト。お土産ありがとうよ。てっきり怒っているもんだと思っていたが」
「うんうん、噂話が勝手に広がってね、僕たちが悪いんじゃないんだよ」
「私は止めたんだけど、この二人が口を滑らせちゃって、それが何だか知らないうちに変な感じに広まっちゃったの。でね、そっちの噂を大きくしたら、神気や贈り物の話誤魔化せるかと思って、私頑張って脚色して広めたの!」
お土産を流し見した三人は感謝と謝罪の言葉を口にしている。ミミカは自慢げに胸を張っているが。
「いえいえ、気にしてください。やはり、犯人は貴方たちでしたか」
ライトは優しい口調と笑顔のまま怒気を漲らせている。赤く燃える炎が全身から立ち上っているように、三人には見えた。
「か、カマかけやがったな。おう、何だやろうってのか。ただでは謝らんぞ」
「そ、そうだよ。この時の対策もバッチリ練っていたんだからね」
「わ、私は止めたのだから関係ないわよね?」
エクスとロジックは武器を構え交戦の意を示しているようだが、ミミカは自分だけ助かるのではないかと思っているようだ。
「ほう、そういった態度に出ますか。ちなみに噂の内容が悪化してますので、ミミカさんも同罪です。そうですか、反省しないのですか、そうですか。じゃあ、仕方ないですね」
ライトは右手をすっと挙げた。
宿屋に弦楽器の音が鳴り響く。
ライトを除いた店内にいた全ての人が、急に鳴り出した音に驚き音源に視線を向ける。吟遊詩人の土塊がライトから渡されたお土産の楽譜と歌詞を、目の前のテーブルに並べ演奏しているようだ。
「貴方たちにはもう一つ、お土産があったのですよ。首都で流行っている三英雄を称えた歌が」
土塊の口から三人の英雄の活躍を褒めちぎった内容の歌詞が流れ出す。その情感溢れる歌声は聴いている者の心に染み込んでくるようで、歌詞の内容が映像となり頭に浮かんでくる。
清廉潔白で人々の憧れである彼らは、命を賭して悪の魔王を倒し世界を平和へと導いた。彼らは死後も英雄として恥じない行いを続け、ついには神に認められ天界へと招かれる。といった内容だった。
三英雄が話したと言われている言葉もかなり改変され、客観的に聞かされると中々痛々しい感じに仕上がっている。
土塊の心に響く歌声とそんな歌詞の内容が、欲望剥き出しな生活を続けている三名にはかなりの衝撃を与えているようだ。
「やめろぉぉ。そんなこと言ってねぇぇ。違う、違うんだぁ。悔い改めるから、やめてくれえええぇ」
「おおおおっ、僕は違うんだぁぁ。演奏を止めてくれぇぇ」
「見ないでぇぇ、今の私を見ないでぇぇ」
三英雄が床にうずくまり激しく痙攣している。懺悔の気持ちと羞恥心が限界を超えたようだ。
自分の歌声による反応に気を良くした土塊は、更に心を込め熱唱を続ける。
歌い終わった宿屋の酒場には転がる色素が薄くなった三つの何かと、歌声に感動して拍手を続けるライトたちの姿があった。
二日に一話更新を目標としているのですが。
次が危ういです。できるだけ頑張ってみます。